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続・「共感」と「ワンダー」の巻

穂村弘が短歌の分類に使用していた「共感」と「ワンダー」が混ざったようなものを想定すると、大抵の小説の魅力を腑分けできるのではないか、と前回書いた。

実際、純文学もミステリもSFも時代小説も、やや特殊な小説であっても、「共感」と「ワンダー」は外せないし、一般に上記のジャンルは優れていれば「面白い」と評されるものだ。その核心部分には大抵、「共感」「ワンダー」が含まれている。

短歌は勿論、俳句や現代詩、歌詞、エッセーその他、文字で表現されるジャンルはほとんどそういうものではないだろうか。

例外として、どうもうまく説明しきれないと考えるのは「怪談」「ホラー」の類で、どうしても「怖い」という感情には「共感」は含まれにくいし、「ワンダー」という言い方もそぐわない。

「怖い」と感じさせる何かが出てきた時、そこには「驚き、意外性、ワンダー」が含まれる部分もあるにはあるが、どうも他のジャンルとは毛色が違い過ぎる。

普通の小説だと「驚き」から「喜び」へ感情が移るケースや、他にも様々なパターンがある。

「驚き→感心(なるほど)」
「驚き→人情(あの人の思いやりを知った)」
「驚き→数学的納得(そういう理屈で解明できるとは)」

など、コースが色々とある。その中で「驚き→恐怖」コースは、かなり方向が異なっているように思う。

上手く説明しづらいが、優れた小説から受ける感銘、例えば「面白い」「すごい」「感動した」が、正面から刀で切られたような衝撃とするなら、ホラーや怪談の「怖い」「恐ろしい」「ぞっとする」は、背中から切られたような、あるいは毒を盛られたような、変な角度からの衝撃に近いのではないだろうか。

「文学の極意は怪談にあり」というのも、三島由紀夫が「小説とは何か」で怪異譚に言及したのも、上記の考えを踏まえるとまた一層の興味を感じる。

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