オコガミ様

アレキサンドロ・バ



「おっくう! 野球しようぜ!」


遠くから弘邦の声が響いた。

山あいの静かな午後の空気がその声をやさしく運んでいく。

声は一度杉林の斜面に吸い込まれ、少し遅れて戻ってきたように聞こえた。


奥田圭吾は縁側から顔を出した。

古い木の床は日に焼け、裸足の足裏にじんわりと熱を伝えてくる。

陽射しに照らされた庭の先では

麦藁帽子をかぶった少年が手を振っている。

帽子の縁が揺れるたび白い腕が陽に反射した。


「今行く!」


圭吾は声を張り上げ縁側を飛び降りた。

地面を踏みしめると湿った土の感触が足の裏に広がった。

昨日の夕立がまだ地中に残っている。


東京では味わえない夏の匂い。

土と草と、どこか甘い木の樹液が混じった匂いが鼻をくすぐる。


蝉の声、青臭い風、どこかで水車の軋む音。

それらが重なり合い村の午後を形づくっていた。


祖父・二郎の家に来るのはこれで三度目の夏だった。

両親は共働きで、夏休みに圭吾をこの村に預ける。

祖母は亡くなり祖父と二人きりの生活だ。

夜になると家は驚くほど静かになる。


二郎は墓石屋を営んでいる。

普段は無口で笑うことも少ない。

だが時々、作業の手を止め庭の梅の木を見上げるその横顔に

圭吾は妙な優しさを感じていた。

それは懐かしさにも、寂しさにも見えた。


「じいちゃん、行ってくる!」


「転ぶなよ」


短い返事のあと

二郎はふたたび石を磨き始めた。

背中は小さく、しかし動きは無駄がなかった。


カン、カン、と小気味よい音が夏の空気に溶ける。

その音は圭吾が門を出るまで途切れることがなかった。

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2026年1月22日 19:00

オコガミ様 アレキサンドロ・バ @alexandro-ba

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