夜霧と燈

もぐり伯爵

第一章 

第1話 夜明け

 ダーリヤ大陸の長きにわたる平和は、ついに終わりを告げた――。

 かつてない激しい戦火が、その大陸全土を包み込んでいる。今、大陸は大きく二つに分かれて戦っていた。

 ハスパティ帝国対カルティナ自由同盟である。

 戦乱の時代の幕開けを告げたのは、カルティナ自由同盟の一国、スザーン自治国への帝国による侵攻だった。

 その一方、帝国内では内政の悪化により王朝の権威が揺らぎ、各地で反乱が相次いでいた。


   ハスパティカ暦688   CFA Era.328(Cartina Free Alliance)


 混沌と希望が交錯する、激動の時代。

 これは、数多の英雄たちが輝き、消えていく中で、一際まぶしく輝いた二人の青年の物語である。


    *** ***


 カツカツと音を立てて鉄パイプの梯子を上る音が響く。重装甲航空艦の背中に当たる広い甲板に出たサフィルはあたりを見渡し、小さな人影を捉えた。

「リグノル?やっぱここか」

「ああ、サフィルか。少しね、星を見ていたんだ」

 機体の片翼に登り、空を見上げるリグノルの後ろ姿はいつも通り小さかった。

「サフィル。こう思わないか。この戦いは我々が見ようとしている景色に比べれば、はるかに小さい戦いだと」

 片翼からサフィルの方へ歩み寄ってもう一度空を見上げたリグノルは、まるで独り言のような小さな声で言った。

「知らねえよ。あんたがそう思うんならそうなんだろ」

慣れた手つきで薄い唇に煙草を咥えたサフィルは、胸ポケットに入っていたライターで火をつけリグノルを一警すると静かにつぶやいた。

「で?戦況は?」

振り向いたリグノルの目は暗かった。闇の底まで引き摺り込まれそうな黒い瞳である。

「今、俺の第一特殊部隊が敵陣の第二前線まで潜り込んでる。その情報によるとひどいぜ。集中前線に向かない兵種を使ったらしい。大型装甲機五十機で二か所押し込まれて三方向から包囲されてる。そんで、カルマ大将が緊急でお前に会いたいとよ」

 遠くからエンジン音が聞こえてきている。夜空に小さく見えていた小型戦闘機は、あっという間に近づき、唸りを上げて着陸した。

「大型装甲機といえば、300人は兵士を載せられる。味方五千に敵兵一万五千か。融通の効かぬ老貴族め。全く戦が分かっておらぬ」

 カルマ大将とは、リグノルの指揮下にあり、非常時に召集のかかる志願兵や軍学校生徒兵などを指揮する貴族出身の老将校である。リグノルはコックピットから降りてくるカルマ大将を苦々しい表情で見下ろして、一つため息をついた。

「サフィル!精鋭特殊部隊に招集をかけろ。前線へ向かうことになるだろうからな」

 タバコを口に咥えたままのサフィルは、腰の無線機を掴むと迷いもなく連絡を入れた。

「こちら辺境総司令。精鋭特殊部隊、重装甲第一航空艦に集合。重装甲第一航空艦は第三清走路に停止中。総員出撃の用意をせよ」

 リグノルは、サフィルが連絡を入れたことを確認すると、機内に戻った。

 「辺境司令官第二皇子殿下。意見具申の許可を頂きありがとうございます」

 機内から降り立ったリグノルとサフィルに、いかにも不服そうに最敬礼をするカルマ大将が出迎えた。広大な滑走路に比べて小さいドーム状のバーベル辺境基地が遠くに見える。リグノルは機体の横に立つと軽く頷いた。

「カルマ大将。貴公の言いたいことはわかっている。援軍を送れと言うのだろう」

 考えを言い当てられたカルマ大将は、顔を青くして話し始めた。

「そうは言っておりません。しかし、各兵の体力も底を尽き、三方向からの包囲により、不利な状況になっております。ですから、前線離脱の命を……」

 リグノルはその続きを遮るように、ん、とかすかにうなずいた。

「もともと不利になった責任は貴公の作戦によるところであろうが。しかしそうなってしまったものは仕方がない。とはいえ、撤退するわけにもいかんのだ。南下し続けよ、との王都中央司令部……、父王からの命令だ」

 集まってきていた隊員とカルマ大将が動揺して、一瞬動きを止めた。

「ふっ、父王はよほど私が嫌いなようだ。カルマ大将、そなたは一足先に戻って、私が行くまで兵を持ち堪えさせろ。私も前線に向かう」

 カルマ大将が慌てたように、リグノルに訴えた。

「殿下!第二前線の兵は!」

 しっこいというふうに手を振った。

「ああ、分かっている。撤退するわけにもいかんが、大事な友軍を失うわけにもいかん。ならば、迎えに行くしかなかろう。我々が敵を蹴散らしてでもな」

 タバコを吸っていたサフィルが急に顔を上げると煙を吐き出して言った。

「おい、できるよな、お前ら」

 サフィルの声に、精鋭の隊員たちが一斉に振り返り口々に笑顔で頷いた。

「もちろんっすよ!」

 リグノルは少々サフィルを咎めるように見るとカルマ大将に視線を戻した。

「……と、いうことだ。これ以上話はない。下がれ。作戦は艦内で話す。準備ができた者から搭乗せよ」

 ぐっと拳を握り、言い返したいのをこらえたカルマ大将は、敬礼をして戦闘機に乗り込みエンジンをかけると、轟音とともに飛び去っていった。

 リグノルは精鋭隊とサフィルが搭乗したのを確認し艦内の机のモニターに表示された地図の第二前線を指した。赤く前線がひかっている。

「今回はサフィルがラーゲッツ大佐の狙撃を成功させたらすぐに前線を横に突破する。前線を切り離すことが目的であり、艦を地表ぎりぎりまで接近させる。今回の作戦は速さが勝負だ。大死は無用、必ず生きて帰還せよ」

 横で聞いていたサフィルは、半分呆れていた。

 (おいおい、今度は艦隊で横に突破かよ。殿下はまた、おっそろしいこと考えんぜ)

 精鋭兵たちは皆苦い顔をしていた。

「何だ?何か不満があれば言え」

 精鋭の中の一人が口を開いた。

「作戦に文句があるわけではないのですが……殿下、なにも御自おんみずから出陣なされなくてもよろしいのでは。それに、中央部からの命令でしょう。父王陛下の嫌がらせだとしたら……。殿下がご命令くだされば、反逆だとしても構いません。一度撤退させたほうが勝機が高いかと」

 彼の言葉に、そろって皆が頷いた。隊員たちの忠誠心は、リグノルが自ら危険を冒すことを危倶し、父王への疑念を抱かせるほどに強かった。

「そなたらの忠誠は疑わん。しかしこれは王家の決定だ。私も父王は憎いが……。これ以上王家をそしるな」

 リグノルの言葉に姿勢を正し敬礼を交わした。解散の号令がかかる直前、リグノルは彼らを呼び止めた。

「待て、一つ言い忘れた」

隊員たちが立ち止まり、一斉にリグノルの方を振り返る。

「なんでしょうか」

一人の隊員が尋ねる。リグノルは、彼らに向かって穏やかな笑みを浮かべた。

「絶対に生きて帰れ。でないと私が困るからな」

彼らの無事を心から願うリグノルの言葉だった。サフィルが、リグノルに向かって言った。

「リグノル。心配しなくても、こいつらはそうそう死にやしねえよ」

「……そうだな。では解散。24時ちょうどに出発する」

 リグノルは隊員たちが解散するのを見て、ふうっと息をついて、書類に囲まれた机に座った。机の上には、作戦の資料が山のように積み上げられ、薄暗い照明の下で、その輪邪がぼんやりと浮かび上がっていた。小さい窓の外には、満天の星空が広がっている。

「おい、リグノル。俺は、殿下のお気に入り、だとよ」

サフィルは、紫煙をくゆらせながら、リグノルに向かって言った。隊員たちが艦内に搭乗する途中話していたのだ。


「狙撃はやっぱ部隊長かあ」

 二人の隊員が操縦用のヘルメットを被りながら、小声で話していた。隣の滑走路に停止しているヘリのローター音が、二人の会話を掻き消そうとする。

「そりゃそうだろ。いっつも殿下の隣にいるしよ。なんたって殿下のお気に入りの狙撃手だぜ?」

「いいなあ。俺も殿下の隣にいたいぜ」

 わずかに悔しさをにじませた声で冗談めかして言った。

「馬鹿かお前。部隊長ほどの腕前もねえんだからよ。俺は精鋭部隊で殿下をお守りできるだけで十分だ。っておい!隊長いるじゃねえか!」

 彼らは、ふと背後に気配を感じ、慌てて声を潜めた。

サフィルはゆっくりと煙草を口から離すと、銃を構える仕草をする。

「……黙りな」

 サフィルの低い声が、狭い艦内の通路に響く。二人の隊員は、慌てて口を噤んだ。

そのことを思い出しながら煙を吐き出しリグノルの顔に吹きかけた。

 リグノルは、薄暗い作戦室の隅で積み上げられた書類の山に埋もれるようにして、眉間に深い皺を刻み込んでいた。

「……サフィル。タバコはやめてくれ」

リクノルは、顔をしかめてそう言うと、再び書類に視線を落とした。その横顔は、わずかに疲労の色を帯びている。

「話が逸れてんだよ」

サフィルは、苦笑しながら、リグノルの肩に腕を回した。その仕草は、親愛の情を示すようでもあり、あるいは、リグノルをからかうようでもあった。

「まあ、外れてはないな。私はお前の狙撃の腕を買ってる」

 リグノルはそう言いながらも、サフィルの言葉の真意を測りかねていた。サフィルが言わんとしているのは、単なる狙撃の腕のことだけではないだろう。

 サフィルは、微妙な表情を浮かべて目を逸らした。

(……あいつらが言うのは、そこだけじゃねえんだよな。分かってねえ)

「どうかしたか?」リグノルは首を傾げた。

「……いや。なんでもねぇ」

 サフィルは、そう言ってリグノルから離れると、傍らに置いてあったライフルを手にした。丁寧に磨き込まれた銃身が、薄暗い光を鈍く反射している。

「まめだな」

 リグノルは、サフィルが銃の手入れをする様子を眺めながら言う。

「時々手入れしないと故障するからな」

 サフィルは、そう言いながら、ライフルに刻まれた特殊部隊の紋章を指でなぞった。その紋章は、幾多の戦場を潜り抜けてきた証であり、サフィルの誇りでもあった。

「言うまでもないだろうけれど、今回のターゲットは敵のラーゲッツ大佐だ。サフィル。頼んだよ」

 リグクルは、作戦の概要を改めてサフィルに伝えた。ラーゲッツ大佐は、第二前線の主要な指揮官であり、彼の排除は作戦の成否を左右する。サフィルは、ライフルを構え、スコーブを観き込み、照準を合わせるようにゆっくりと動かした。その動きは、無駄がなく、洗練されている。

「ああ、必ず成功させる」

 サフィルは、確信に満ちた笑みを浮かべて答えた。その自信に満ちた表情に、リクノルは満足げにうなずいた。

「じゃあ、お前はヘリで移動だな」

 ヘリは、迅速に行動するためには必要不可欠だ。

「また、後で」

 また後で。戦場に飛び込む前の言葉としては少々保証のきかない言葉である。しかしそれは二人にとって、絶対に違えてはならない約束だった。

 リグノルと別れたサフィルはヘリに乗り込むと、慣れた手つきで操縦桿を握り、機体を滑走路から浮かび上がらせた。夜空を切り裂くようにヘリは加速し、基地から離れていく。眼下には、基地の灯りが小さく見えていた。

 第二前線の上空に到着したリグノルは、重装甲航空艦の操縦室の窓から地上を眺めていた。早い日の出の太陽が地上の味方の兵士たちを照らした。どんどんと倒れてゆく味方の兵士たちは限界がきていた。

(前線に向かぬ兵種をむざむざと……。これでは死にに行けと言っているようなものではないか)

くっと唇をかみしめるとサフィルにつながる無線機をつかんだ。

「サフィル。なるべく早く頼む。状況が思った以上に悪い」

「ラーゲッツ大佐の居場所は?」ヘリの中のサフィルは、通信兵に向かって尋ねた。

「第二前線の司令部にいると思われます」

通信兵が答えた。

「サフィル、第四艦隊が今そちらに向かっている。ラーゲッツ大佐を狙撃したら、そのまま第一特殊部隊と合流して第四艦隊に残存兵を収容せよ」

「了解」

「重装甲航空艦第一、二、三艦隊はこのまま上空で待機。サフィルが狙撃を成功させたら、すぐに反撃を開始する。第四艦隊は戦闘中の第一特殊部隊を収容するため、ヘリと合流し、サフィルの指揮下につけ」

 その時サフィルのヘリは、敵艦隊の防衛戦を突破して、第二前線の司令部へと接近していた。ヘリから身を乗り出すとライフルのスコープを覗き込み、ラーゲッツ大佐の姿を探す。やがて、サフィルのスコープが、司令部のテントを歩くラーゲッツ大佐の姿を捉えた。

(よう、ラーゲッツ大佐。死んでもらうぜ?)

 煙草を咥えたまま、薄笑いを浮かべるとサフィルは呼吸を整え、安全装置のロック解除を確認しトリガーに指をかけた。銃声が響き、ラーゲッツ大佐は、その場に崩れ落ちた。一瞬の出来事だった。吸い終えた煙草を指で弾くと、報告した。

「狙撃成功。第一特殊部隊と合流する」

 上空待機をしていた重装甲航空艦からの返答を待つと、リグノルの声が聞こえた。

「よくやった、サフィル。重装甲航空艦全艦隊に告ぐ!全速力で低空飛行を開始せよ!前線方面に向かって一斉射撃!遠慮はいらん、弾は残らず打ち尽くせ!」

 リグノルの指示が、重装甲航空艦の通信回線を通じて響き渡る。

 (よくやるぜ。殿下もよ)

 ぐるりとヘリを反転させたサフィルは笑みを浮かべ、合流地点へ向かった。

 ゴオオォっと唸るような低い音を立てて低空飛行を始めた艦隊の弾は、敵兵を薙ぎ倒すようにして、みるみるうちに前線を引き離していった。砲撃の閃光が絶え間なくはしっている。

 リグノルはふと嫌な予感を覚えた。

(おかしい。いくらこちらが最新鋭の航空艦といえど、あちらは一万五千。戦力差はそこまでないはずだ。これほど簡単に前線を引き離せるわけがない……)

 サフィルが合流地点に到着すると、第一特殊部隊の残存兵力が、必死の抵抗を続けていた。

「リグノル、合流に成功した」サフィルは、通信機に向かって報告した。

「サフィル……。 すまないが今すぐそこからこちらに向かって飛んでくれ」

サフィルは眉をひそめた。

「何かあったのか?」

「いや。確定したわけではないが……。かつてカルティナ自由同盟の英雄と呼ばれた男がいるかもしれん」

「ロシャ・スレイ中尉……か。あれはなかなか厄介だぜ?」

 かつて敵軍の英雄と謳われた男。帝国全土にまでその名が及ぶほどではなかったが、不敗の将と呼ばれ軍の高官の間では、それなりに名は知られていた。

「第三艦隊より緊急連絡!白い戦闘機一機と戦闘中!」

 窓を除くと、眼下には太陽の光を反射して銀色に機体を輝かせている一機の白い戦闘機がいた。白い戦闘機は、艦隊の機関銃席から連射される光線を身軽によけ、大きく弧を描いて艦隊の真正面に入り込む。

「白い戦闘機!ロシャの専用機ではないか!やはりあの男……、ロシャ中尉め!やってくれたな」

 操縦席の一人がリグノルに聞いた。

「殿下、どうします?抗戦を続けますか?」首を横に振り無線機を手にした。

「聞け!あの男の狙いは我々の艦隊の殲滅にある!全艦、全速力で離脱せよ!艦隊を白い戦闘機の射程距離内に入らせるな!エンジンを破壊されればこの艦隊はすぐに墜落するぞ!」

 真正面の戦闘機から鋭い閃光が放たれたその瞬間、ボウッと腹に響くような轟音を立てて、片翼の第一艦のエンジンが火を噴いた。重装甲艦は多くの兵を運ぶことができ、名の通り装甲は厚いが、身軽な戦闘機に比べるといま一つ機動力に欠けるのだ。

 あっという間に機体は傾き、火を噴きながら地上へと落下していく。警報が鳴り響く中、操縦席の通信兵が報告した。

「第一艦隊エンジン故障!別れを告げています!」

 機体が傾いて地上へと落ちていく艦隊を窓から見たリグノルは、くっと唇をかみしめた。

(私の隊員たちが……!)

 リグノルは身を乗り出すと通信兵を押しのけ、通信機に向かって叫んだ。

「サフィル!B一〇ビーヒトマル地点に来い!墜落した第一艦隊の救助を任せた!」

「了解!」

「敵軍戦闘機より通信が入りました!ダイニオウジデンカノユウセンニケイイヒョウス、ワガグンハ……第二皇子殿下の勇戦に敬意を表す。わが軍は撤退す。再戦の日まで壮健なれ……。スザーン自治国軍中尉ロシャ・スレイ。とのことです!」

 たったの一機で、艦隊を墜落させたロシャ中尉からの通信だった。

「あの男……。あちらから退いてくれるか……」

悔しさのにじむ声だった。

「敵軍の撤退を確認しました。.....殿下、追撃しますか?」

 操縦席の兵士が振り返ってたずねた。

「いや、追わない。今は兵士の救助が最優先だ」

「しかし……、ロシャ中尉をこのまま逃がしていいのですか?」

反転して司令本部へと戻っていく白い戦闘機を見据えて言った。

「英雄と謳われるほどの男は、どんな戦い方をするのか……。もう少し見てみたいものだからな」

リグノルはサフィルのヘリに無線をつないだ。

「サフィル、生存者はどのくらいだ」

サフィルはB一〇地点にヘリを停止させ、地面に降り立っていた。隊員たちが降下用に使ったらしいパラシュートを片付けている。サフィルを見つけた隊員たちは、わらわらと詰め寄ってきた。

「殿下は無事なんですか?!」

 サフィルは無線機をつかむと煙草を咥えて笑った。

「全員無事だぜ。リグノル殿下」



 その日の正午、両軍の被害は五分五分となり、勝者は決まらずスザーン自治国軍は第二前線の兵を撤退させた。


 晴天の空に明るい太陽が輝いていた。






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