最後の手紙

望海ウミ

最後の手紙

「この手紙を、届けてはいただけませんか」

古びたカウンターには灰皿がひとつ。

かつて使われた封筒や送り状などが山をなし、壁際の机で日に焼けている。

ちらりと、声の主へと目を向ける。黒い髪を長く伸ばし、ヤギ耳を生やした男。手紙には、宛名に白木、差出人に黒木。整った字で書かれている。

「……あいよ」

煙草から口を離し、続ける。

「あんたら、歩いて届く距離に住んでるが。なんでわざわざ手紙なんだ、この時世に」

黒木という男は、困ったように笑った。


郵便という文化が廃れて久しい。 世の変化に伴って、手紙や手荷物を扱う物好きは殆どと言っていいほど失われた。手紙屋などという看板を掲げているのは、周辺地域ではこの店の主人ただ一人となった。


「お互い様ではないですか。貴方も、お好きなんでしょう」

「そんなわけがあるか。片手間に応じているだけだ」

一体何が面白いのか、黒木はその手を口に寄せ、クスクスと笑っている。

店主は深い溜め息の後に煙草をくわえ直し、しっしと手を払って追い出した。

「運べばいいんだろう、運べば。帰った帰った、煙草が不味くなる」

お願いしますと微笑んで、黒木は帰っていった。店主は重い腰を上げると、古びた扉に店仕舞いの看板を出し、たった一通の手紙を入れた鞄を携え店を出た。


「ああ、手紙屋さん。彼ですか」

白い髪を短く跳ねさせた、ヤギ耳を生やした男。宛先の白木は、チャイムを鳴らす前からそこにいた。

「そうに決まってるだろう。そら、受け取れ。俺はもう帰るぞ」

来た道を引き返そうと振り返ると、後ろから声がする。

「彼は、何か言っていましたか」


不可思議な質問だった。怪訝な顔を向けると、白木はじっとこちらを見るばかりだった。

「いいや。……手紙が好きかとは聞かれたが。別に好きじゃないと答えたら、面白がって笑っていた。それくらいだ」

そうですか、と彼は笑った。やはり妙な客だ。今度こそ振り返り、白木の家を後にする。礼を告げる言葉に手を振り返し、店への道を急いだ。


「この手紙を、届けてはいただけませんか」

あれから幾日が経っただろうか。常より少し間を開けて、店の扉が開いた。ちらりと目を向けて、思わず煙草から口を離す。それぞれが手紙を持ち寄ることはあれど、ふたり揃いの姿を見るのは初めてのことであった。

「誰にだ」

手紙を受け取って面食らった。差出人には黒木と白木。宛先に綴られているのは、そのどちらでもない。


「貴方にです、店主さん。これが最後の手紙です」

二人の薬指が、古ぼけたガラス窓で屈折した日光を照り返し、鈍く光っている。今まで届けた手紙に何が綴られていたのか、何故これが最後の手紙なのか。手に取るように理解できた。


「……そうか」

「寂しいですか」

煙を深く吸い込んだように派手にむせ返った。二人のヤギが、似たような身振りでクスクスと笑っている。

「そんなわけがあるか。せいせいすると思っただけだ」

店主は深い溜め息の後に煙草をくわえ直し、しっしと手を払って追い出した。

「また来ます」

「もう来るな」


閉じかけた扉の隙間から、幸せに満ちた笑い声が滑り込む。この店を、手紙屋として開くことはもうないのだろう。客は二人だけだったのだから。店仕舞いの看板に手をかけようとして、残された封筒に目を向ける。


店を閉めるのは、読んでからでも遅くない。柄にもなくそう思った。なにせこれが最後の手紙なのだから。軋む椅子に腰掛けて、煙草を置いた。

手紙を持つ指先の、微かな震え。それに気づいたのは、煙が細く消えたあとだった。

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最後の手紙 望海ウミ @mochiumi_umi

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