第5話 暗がりの狐

 啓介は、嬉しそうにして言った。

「もうそろそろ良い頃合いかな、って思ったんだ。僕と一緒にいれば、君に、お金に不自由はさせない。きっと楽しい家庭になる、幸せに暮らせる。だから……」


「……待って」

「え?」

「啓介のその言葉は、すごく嬉しい。でも、私にだってやりたいことがまだ沢山あるの。大学での勉強だってそう。だから、大学卒業まで待ってくれない?」

「いや、大学は途中で辞めてもらう」


 私は驚きのあまり、目を見開いた。

 なんで。

 なんで、そこまで、私の人生を操ろうとするの。

 がんじがらめにするの。

 そして、今まで溜め込んでいたものを、私は吐き出してしまった。


「いい加減にして」

「……え?」

「毎回私のスマホを見るのはどうして?なんでそんなに疑い深いの?私のこと、信じてくれてはいないの?」

「それは……、」

「しかも大学辞めて結婚しろ、って?あんまりにも勝手すぎない?ちょっとは私の自由だって考えてから物を言ってほしいわ。だから」


 すると急に啓介は、路肩に車を停めた。

「出てけ」

「……え?」

「この車を誰の物だと思ってる?そんなに僕のことが嫌だったなら、もっと早く言えばいいのに」

 そう言うと、啓介は、深いため息をついた。


「そうね。でも啓介は、いつも私が話すと怒り出すから。私たち、これでおしまいにしましょう。出てけ、って言われたんなら出ていくわ。じゃあね」

 そうして私は、ドアを開けて外に出て。

 思いっきり、バン!とドアを閉めた。

 そして私は、啓介の車を置いたまま、アパートに向って歩き出した。


 だんだんと、日が暮れていく。

 カツカツ、と、私のヒールだけが、アスファルトに当たって辺りに響く。

 誰もいない。

 でも、私は怒りに脳が支配されていて。

 何も怖くない、って思っていた。

 思ってしまった。


 そうしたら。

「ねえ、そこの女の子」

 その声に、後ろを振り向く。

 にこにこと微笑む、男性がいる。

「一緒にお酒でも飲まない?一人なんでしょ?」


「……私、勉強で忙しいので。そんな時間ありません。じゃあ」

 急いで逃げようとすると。

 男性に、勢いよく、腕を掴まれた。

「待ってって。お金だろ?お金も、もちろん払うよ。良いじゃないか、そんな酷いことはしないから」

「や、やめてください、私帰るので」

「そんなにつんけんするなって。こっちにおいでよ」

 男性は、ものすごい力で、私の腕を離さない。


 どうしよう、どうしよう。

 頭の中が真っ白になる。

 こんなこと、初めてじゃないけれど。

 怖くて、怖くて。

 何も考えられない。


 そのとき。

「あっ、うぐっ、くるし……」

 男性の表情が、苦悶のものに変わった。


 男性の首を締めあげているのは、黒づくめの、明らかに怪しい風貌の青年。

 私は男性に掴まれていた腕を、急いで引き離すと、間合いをとった。


「はなせ、はなしてくれ!息が、できねえ」

 今度は男性のほうが、ジタバタと、苦しんでいる。


「離さないよ。このまま殺しても良いけどね」

 その青年の、涼やかに放つ、恐ろしい言葉に。

 私も男性も、青ざめた。


「やめてくれ、死にたくな……うぐっ!」

 男性は懇願するが、青年は、さらに手に力を入れる。

「あっははは!お前がこれから何をしようとしていたか。それに比べたら、こんなの、おままごとでしかないよ。どうしようかなあ、このまま殺しちゃおっかなあ」

 青年は、さらに手に力をこめた。


 だんだんと、男性の顔が、赤くどす黒く、充血していく。

 鼻水も涙も、涎まで、ダラダラとながしている。

「うぐぅ、おねがいだ、やめ……」

 すると青年は、パッと手を離した。

 ケホケホ、と、男性はせき込む。


 そして青年は男性の顔を乱暴に、両手で持つと、男性と向かい合って、その両目を睨みつけた。

「ひいっ」

 男性は、ぶるぶると震えている。

 私も、身動きが取れないくらい、青年の瞳は怖かった。


「二度とこういうことをしてみろ。お前を死ぬよりも苦しい目に遭わせてやるからな……おれから逃げられると思うなよ」

 そして青年は、ニイッと、不気味な笑みを浮かべた。


「ひ、人殺し!」

 そう男性は叫ぶと、青年の手から逃れ、あたりかまわず逃げ出した。

 するとそこに。

「……あっ?!」

 勢いよく、逆走して突っ込んできた、スポーツカー。

 私は思わず目を背けた。


 ものすごい音がして。

 立ち並ぶ家の、窓を開ける音がして。

 そして、人々の叫び声がして。

 私の足元には、男性が履いていた靴が、転がっていた。

 

 そして、目の前の、黒づくめの青年は。

「だから言ったのにね。おれから逃げられない、ってさ」

 ケタケタと、笑っていた。

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暗がりの狐 はちみつレモン @hachimitsulemon888

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