第四話|異様
夜が明けたころ、
エルはすでに目を覚ましていた。
昨夜見た光景は、消えていなかった。
ただ、
昼の光に一時的に覆われているだけだった。
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家の中では、
すでに誰かが起きていた。
鍋がかまどに触れる音は小さく、
水が桶に注がれる音も同じだった。
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エルが体を起こすと、
ミラも目を覚ました。
彼女は何も言わず、
ただ少しだけ、彼のほうへ寄った。
エルは、彼女を離さなかった。
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朝食の匂いは、
いつもと変わらなかった。
パン。
スープ。
リアはテーブルのそばに座り、
手をカップの横に置いていた。
彼女は、
扉のほうを見続けることはしなかった。
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「今日は、この辺で遊びなさい。」
リアは言った。
「遠くへは行かないで。」
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エルはうなずいた。
理由は、聞かなかった。
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外では、
人の動く気配が増えていた。
足音はいつもより少なく、
そして速い。
まるで皆が、
やるべきことだけを急いで済ませ、
外に長く留まりたくないかのようだった。
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エルがミラの手を引いて外へ出ると、
隣家の窓が閉められるのが見えた。
風のせいではなかった。
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道の先で、
誰かが話している。
声は低く、抑えられていた。
「その道は、今日はやめとけ。」
「お前も、気づいただろ。」
「やめろ、
子どもがいる。」
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会話はすぐに途切れた。
最初から、
口にすべきではなかった言葉のように。
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村の空き地は、まだあった。
けれど、
子どもの数は昨日より少ない。
残っている子どもたちも、
あまり走り回らなかった。
その場に立ち、
あちらを見たり、こちらを見たりしている。
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ミラはエルの手を握った。
「お兄ちゃん。」
小さな声で言う。
「みんな、なんだか変だよ。」
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エルは、どう答えていいか分からなかった。
だから、
一言だけ言った。
「帰ろう。」
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遠くへは行かなかった。
帰り道で、
ある匂いがした。
強くはない。
だが、
普段はしない匂いだった。
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リアは玄関で、
二人を待っていた。
何があったのかは、
聞かなかった。
ただ、
中へ入るよう促した。
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昼前、
イヴァンが一度、顔を出した。
彼は扉の外に立ち、
中へは入らなかった。
帽子を、
深く被っていた。
「今日は、外をうろつくな。」
彼は言った。
それは忠告というより、
すでに一度考えた結論のようだった。
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リアはうなずいた。
「何かあったの?」
そう尋ねる。
イヴァンは一瞬、間を置いた。
すぐには答えなかった。
「まだ、はっきりしない。」
「だが、
ここは本来、こんな状態じゃない。」
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彼はエルを見た。
その視線は、
子どもを見るものではなかった。
「もし、何か聞こえたら――」
そう言ってから、続けた。
「外に出るな。」
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リアは眉をひそめた。
だが、
それ以上は聞かなかった。
イヴァンは、
すでに背を向けていた。
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午後は、
ひどくゆっくりと過ぎた。
風だけが、
ずっと吹いていた。
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エルは家の中に座り、
父が遺した木剣を握っていた。
振ることはしなかった。
ただ、
握っていただけだ。
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リアは物を整えていた。
片づけではない。
確認だった。
扉がきちんと閉まるか。
窓に鍵がかかっているか。
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日が沈む前、
村に灯った明かりは、
いつもより少なかった。
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完全に暗くなってから、
三人は食卓についた。
夕食は、
あっという間に終わった。
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食事の途中、
ミラがふいに顔を上げた。
「お兄ちゃん。」
彼女は聞いた。
「今夜、パパは帰ってくる?」
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エルの手が、止まった。
イヴァンの話し方を思い出し、
昨夜の母の背中も思い出した。
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「分からない。」
彼は、そう答えた。
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夜は、
早く静かになった。
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リアが明かりを消す。
「今夜は、
近くで寝なさい。」
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エルはベッドに横たわった。
外からは、
何の音もしなかった。
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けれど、
彼にははっきり分かっていた――
これは、平穏ではない。
ただ、
出来事が、
まだ扉の前まで来ていないだけだ。
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