凍星の柩と赫焉の律動

@orangeore2025



 第一章 凍てつく黎明と刻印の少女


 空は薄汚れた羊皮紙のような色をしていた。

 北の果て、永久凍土が支配する辺境の地「ゼレニィ・グレイス」において、太陽はただの冷たい装飾品に過ぎない。吹き荒れる雪礫が頬を叩き、吐き出す息は瞬時に白く結晶化して消えていく。

 セーリア・ファル・ヴィストは、腰まで埋まる深雪をかき分け、黒ずんだ針葉樹の森を進んでいた。

 彼女の目的は、この森の最奥に眠るとされる「熱源の欠片」だ。

「……また、少し薄くなっている」

 厚手の防寒具から覗く左手の甲、そこには燃えるような赤色をした紋章が刻まれていた。

 生まれながらにして宿るこの「熱律」の印は、彼女の命そのものだ。しかし、世界から冬が消えなくなったあの日以来、セーリアの体温は刻一刻と奪われ続けている。

 彼女が足を止めたとき、背後の影から銀色の毛並みを持つ狼が姿を現した。


 その狼、フェルトゥは、セーリアの守護者であり、唯一の友でもある。

「セーリア、これ以上は危険だ。大気の魔素が凍り始めている。あと数分で、肺まで凍てつく『絶対零度の静寂』が来るぞ」

 フェルトゥの言葉は念話として彼女の脳内に響く。

「わかっているわ。でも、今日中に欠片を見つけないと、村の火が絶えてしまう。みんなが凍えて死ぬのを、黙って見てはいられない」

 セーリアは震える手で腰のナイフを握り直した。

 そのとき、森の奥から地響きのような唸り声が響いた。雪が舞い上がり、巨大な氷の塊が意志を持ったかのように動き出す。

 それは、この極寒の地が生んだ魔獣「アイシクル・ゴーレム」だった。


 第二章 静寂を破る焔の咆哮


 巨大な氷像が、丸太のような腕を振り下ろす。

 セーリアは瞬時に横へ飛び退いた。直後、彼女がいた場所には深いクレーターが穿たれ、粉砕された氷が四散する。

「フェルトゥ、攪乱を!」

 銀狼は雪原を滑るように駆け、ゴーレムの足元を狙って鋭い爪を立てた。

 しかし、硬質な氷の体は傷一つ負わない。それどころか、ゴーレムの周囲の気温が急激に下がり、セーリアの視界が白く濁り始める。

「くっ……左手の印よ、私の命を糧に燃えろ!」

 セーリアが叫ぶと、手の甲の紋章が脈動し、激しい熱を発した。

 彼女の指先から放たれたのは、この極寒の世界では奇跡とも呼べる純粋な「焔」だ。


 赤い閃光がゴーレムの胸部を貫いた。

 凄まじい水蒸気が立ち込め、氷の巨躯が内側から弾け飛ぶ。

 勝利の代償は大きかった。セーリアはその場に膝をつき、激しく咳き込んだ。

「ハァ……ハァ……。少し、使いすぎたかしら」

 彼女の顔色は、雪よりも白くなっていた。紋章の輝きは失われ、煤けたような黒色に変色し始めている。

「セーリア! 無茶をするなと言っただろう。お前の命は、もう残り僅かなんだぞ」

 フェルトゥが駆け寄り、彼女の体を温めるように寄り添った。

「大丈夫よ……見て、あれを」

 崩壊したゴーレムの残骸の中から、黄金色に輝く小さな結晶が転がり出していた。

 それこそが、凍りついた世界に春を呼び戻す唯一の希望、「陽光の種子」だった。


 第三章 隠された聖域の真実


 種子を手にした瞬間、セーリアの脳内に見知らぬ光景が流れ込んできた。

 それは、かつてこの地が緑豊かな草原であった頃の記憶。そして、誰の手によって世界が凍らされたのかという、残酷な真実。

「……そんな。神が、世界を救うために冬を招いたなんて」

 この「大寒波」は、暴走した大気の魔素を鎮めるために行われた、究極の浄化儀式だったのだ。

 種子を元の場所に戻せば、大気の魔素は再び暴走し、世界は高熱の焔に包まれて崩壊する。

 逆に、このまま冬を維持すれば、人類はいずれ絶滅する。

 残酷な選択を突きつけられたセーリアは、種子を強く握りしめた。


 背後で、重厚な鎧の擦れる音がした。

「そこまでだ、娘。その種子をこちらへ渡してもらおう」

 現れたのは、教会の異端審問官を名乗る男、ヴォルガンだった。

 彼は冷徹な眼差しでセーリアを見下ろすと、抜身の剣を突きつけた。

「その種子は、選ばれし聖職者が管理すべきものだ。下賤な村娘が触れて良いものではない」

「……あなたは知っているの? この世界が、どうしてこうなったのかを」

 セーリアの問いに、ヴォルガンは鼻で笑った。

「理由などどうでもいい。我々は、この秩序ある停滞を維持するのみだ。命が消え去るその日まで、神の決めた静寂を守り通す」


 第四章 逆転の旋律と銀の盾


 交渉は決裂した。ヴォルガンが合図を送ると、周囲の茂みから数十人の騎士たちが現れた。

「フェルトゥ、私を守って!」

「言われるまでもない!」

 銀狼は巨大化し、騎士たちの行く手を阻む壁となった。

 セーリアは種子を自身の紋章へと押し当てた。

 それは、禁忌の融合だった。人の身で、世界の根源たるエネルギーを取り込もうというのだ。

「止めるんだ! そんなことをすれば、貴様の魂ごと焼き尽くされるぞ!」

 ヴォルガンの叫びを余所に、セーリアの周囲に巨大な火柱が立ち昇った。


 熱い。いや、熱いという感覚さえ超えて、意識が溶けていく。

 セーリアは心の中で祈り続けた。

 世界を焼き尽くしたいわけじゃない。ただ、明日を生きるためのぬくもりが欲しいだけ。

 凍える子供たちの手が、温かいスープを持つことができる程度の、ささやかな光が欲しいだけ。

 その純粋な願いが、種子の暴走を抑え込んだ。

 焔は形を変え、彼女の背後に大輪の向日葵のような光輪を形成する。

「これが……私の選ぶ道よ」

 彼女が手をかざすと、騎士たちの武器は一瞬で溶け落ちた。戦意を喪失したヴォルガンは、腰を抜かして雪の上にへたり込んだ。


 第五章 永久の春を刻む旅


 戦いは終わった。

 セーリアは完全に種子を取り込み、新たな「調律者」へと変貌を遂げていた。

 彼女の足元からは、奇跡のように青々とした草花が芽吹き、周囲の雪を溶かしていく。

「終わったのか、セーリア」

 元の姿に戻ったフェルトゥが、不思議そうに花を嗅いでいる。

「いいえ、これからよ。私はこの熱を連れて、世界中を回らなきゃいけない。少しずつ、この凍りついた大地を溶かしていくために」

 彼女の左手の紋章は、もう黒くはなかった。それは春の訪れを告げる、柔らかな若草色に輝いている。


 村に戻ったセーリアは、驚く住民たちに笑顔を見せ、自らの使命を告げた。

 彼女が行く先々では、冬が終わりを告げ、命が再び息を吹き返す。

 それは途方もなく長い旅になるだろう。彼女の命が尽きるまでに、世界すべてを温めることはできないかもしれない。

 それでも、セーリアの瞳には希望の光が宿っていた。

 リュックを背負い、彼女は再び銀狼と共に雪原へと足を踏み出した。

 一歩、また一歩と進むたびに、彼女の足跡からは緑が広がっていく。

 空を覆っていた分厚い雲が割れ、そこから一筋の、本物の陽光が差し込んできた。

 凍てついた世界に、今、本当の春が始まろうとしていた。

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