第3話 教育

「熟井、熟井!?ホント大丈夫なの?昨日からおかしいんだけど。」

 学校での僕は、昨日よりも考えに耽り、注意力が極限まで減った。ずっとオモモが話し始めたことを夢なんじゃないかと疑い始め、現実だと証明する方法を思案していた。授業中に突っ伏したままで、机を埋めていた僕にプリントを渡す術がなく、前の生徒が授業終わりにプリントの角で僕を突いたのだった。

「マジでごめん。大丈夫、気を付けるよ。」

 寝言ではなくぶつぶつと何かを言っていたので、僕が寝ていないのは見抜かれていた。だから申し訳なさそうにため息をつき、プリントを受け取った。

「反省の色があるなら許してあげる。それより、何をそんなに考えることがあるの?いつも真面目に授業受けてるじゃん。」

 平行線を行く関係のない他人だと思っていたその生徒、「卯芝」(うのしば)は僕に対して会話を試みてきた。注意を向けられるなどと思わなかったため、僕は少し驚いた。

「え?ああ…難しいこと。あのさ、犬とか猫に感情はあると思う?」

 僕に会話を続ける気があったわけではないが、僕の口から出た言葉は、続けようとするような言葉だった。

「哲学?あるんじゃない?うちの犬もやたら吠えに行く人とか居るし。」

 彼女も少し驚いた顔をしたものの、それとなく答えた。人によってはっきり意見が分かれる質問だろうか。

「でもさ、犬は怒ってるって自覚してるわけじゃないんだよ?意識があるからこそ、感情があると思わない?」 

 僕は今朝思ったことを言葉に出した。オモモと会話して思ったことがある。人間の意識と、彼の意識は果たして同じなのか。元来感情を言葉にできない動物がその理解を得たら、順応する機械のようになるのか、それとも人間みたいに生きるのかが解らなかった。

「それって重要?」

 一瞬、考える素振りを見せる彼女だったが、一気に諦めた表情になり、答えを出さなかった。感情の起伏が見えやすい。

「重要に成ってくるかもしれないんだ。」

 僕は真面目腐った顔で言葉を返した。僕の表情を見て、彼女がまた何かを考える表情になったのが伺えた。

「そ。考え過ぎてどっかに頭ぶつけたりしないでよ?」

 その表情に僕が気づこうが気づかまいが、彼女は気にした様子もなく会話を終わらせて前を向いた。僕は話している間、考えていることの陰鬱さが薄くなっていると知った。人と関わることが、今の僕の課題なのかもしれない。

 結局、その日はまだまだ思考を巡らせ続けていて、色んな事を考えずにはいられなかった。学校終わり、昨日のように一人で家に帰った。昨日通った茂みを少し確認してみたが、奥に自販機の置かれた通りは見当たらなかった。これに関しては答えもなく、考え事を冗長させる原因になるので、深く追求せずに通り過ぎた。

「ただいまー。お腹空いただろ?直ぐご飯にするから。」

 玄関から僕はオモモに対して呼び掛けた。朝に餌をやっただけだったので、可哀そうだと思ったのだ。でも、野良猫って三食きっちり食べてるわけではないよな。

「本当か。是非とも食べよう。」

 オモモはおかえりもなく、廊下を走って来て僕の元へ来た。それが彼なりの礼儀なのだろうか。今度挨拶も教えるべきだな。

 僕はキッチンに行き、下校時に立ち寄っていたスーパーで買ったキャットフードを準備し、僕の分の料理も用意した。そのまま今朝のように食卓に座り合い、食事を始めた。

「なあ、俺も学校行きたい。」

 オモモは食事中、思い出したようにそんなことを言い出した。

「何を見たんだよ。学校なんて、オモモが思っている程良い所じゃない。そもそも、猫は学校に行けないよ。」

 少なくとも、僕にとっては良い所じゃない。好き好んで学校に行ってる奴なんて、ごくごく少数ではないか。

「なんで駄目なんだ?俺はもっと多くを知りたいんだ。」

 オモモは食い下がった。少し悲し気に聞こえる。

「はああ。猫だから…いいよ、明日図書館に連れてってやる。君の知りたいことがあるとは限らないけど。」

 僕はため息交じりにそんな提案をした。僕が蒔いた種だ。これは責務だろう。

「お前、良い奴だな。」

 先とは一変、オモモは当然というように食事を再開していた。

「僕には熟井 笹道(うれい ささみち)って名前があるんだよ。お前なんて呼び方は良くない。オモモ、それが君の名前だ。僕はそう呼ぶ。君も笹道って呼んでよ。」

 意外にも、オモモはつぶらな瞳をしていて、人相、いや猫相と見た目が合っていない。それはともかく、お前なんてずっと言われると嫌気が差してきそうなので、早めに訂正した。

「それだけが疑問だった。オモモ、オモモって何言ってるのかと。なるほどな、名前か。たしか小説にも出てきたな。わかったそうしよう。」

 オモモの返事を聞き、一体どれだけの知識をこの一日で付けたのかと驚いた。小説に教科書。なぜか少し嫌な予感がしてきたが、その直感が何なのかは解らなかった。

「そういうこと。よろしくね、オモモ。」

 その後は食事を続け、団らんのような時間を過ごした。その時間は少しだけ有意義に居感じた。かと思えば、オモモは当然、食べ終えるとごちそうさまも無しですぐさま僕の部屋に一目散に帰り始め、ダイニングから消えた。彼には食事しか興味はないのだ。

 僕は猫だから仕方ないし、色々教える必要があることを覚えながら食器類の後片づけを請け負い、いつも通り部屋へと向かった。

「な、なんだこれ!?オモモ、やりたい放題じゃないか。」

 部屋に帰ると、先程僕が覚えた違和感が的中した。部屋は広げられた書物で足の踏み場もない状態にまでされ、知識欲の海が広げられていたのだ。

「うん?いけないことか?何かを知る事は良いことだと思うぞ。」

 オモモは悪びれもなく言葉を返してきた。それも達観した様な言いぐさで。本をバラまくことは出来ても、元あった棚に丁寧に直すことができないことなど見ればわかった。つまり、これを片付けるのも僕だ。

「あのなあ。もう、図書館に連れて行くのやめようかな。躾の方が大事だ、これでは。」

 こいつと歩幅を共にし、図書館へ向かうのも悪くないと心のどこかで思っていたことが馬鹿みたいだ。

「さては怒ってるな?悪い、解らないんだ。直すからさ、連れてってくれよ。」

 オモモは本当に悪気が無いらしく、僕が明らかに不機嫌なことを察したのか、つぶらな眼で僕を見た。その濁りのない目はずるい。さては怒ってるな?なんて怒っている人には絶対に言ってはいけないのに。許してしまう。

「しょうがない。反省はしてよ。図書館ではやっちゃだめだからね。」

 まあ、猫相手に本気になるのも馬鹿らしいし、人間の常識を押し付けすぎるのもかわいそうか。僕は頭を掻き、片付けに取り掛かった。

「解ったー。」

 オモモは呑気にあくびをし、返事をした。それからは僕が片付けている間に気づけば眠っていた。

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ヒトハナレ aki @Aki-boring

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