非存在的絵画への感情

とろり。

米ひと粒の現代的価値に就いて


 暗闇に白い米粒一つとは面白い。

 簡単であるが、観る者の想像力をかき立てる。男か女か、はたまた人ではない何ものか。

 描いた本人にはその正体が何であるか判っている。だが、暗闇の中それは観る者のにとって判然としない。

 描き手と他の全ては分離している。当たり前だがそれがよく分かる。そしてそれがよく効果的に作用している。

 黒く塗りつぶし隠すことで、いろいろな解釈が可能となり一枚の絵画から複数の理解が派生する。


 だが残念なことに、今現在の日本の食卓では白い米粒一つとして残らない、残せない。何故なら米粒一つ残してしまうのは農家に失礼であり、且つ自らの懐事情が関係するからだ。

 この状況からか、この絵の捉え方が少し変わる。見る角度を変えたのではない。時代と自身の考え方が変わったのだ。


 日本はその先進性により改善を続けてきた。ではあるが日本の米の値段は上がった。米だけではない、ほぼ全ての物の値段が上昇している。国民は豊かになれただろうか。


 たったひと粒の米が描かれないのが今の日本であり、寂しさが募る。無駄を省くことを徹底したことで遊びという余白が奪われ、さらには自由の範疇が狭くなってしまった。面白さが薄れていった。そんな気がする。


 私自身は昔の人ではない。だから、今昔をあーだこーだ言う資格はないに等しい。しかしこの絵を見る度に寂しさという感覚が確かに在って、この米ひと粒が栄光と陰りを併せ持つように理解れるのだ。


 面白い絵だが寂しい絵なのだ。



 Date

 2026年1月5日 記




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非存在的絵画への感情 とろり。 @towanosakura

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