先輩、少しだけ

江藤ぴりか

先輩、少しだけ

 午前八時半。

 始業前の準備時間を使って、私はデスクに向かっていた。

 私、佐倉さくらみのりは困っている。

「おはようございます。佐倉先輩」

「……おはよう、高瀬たかせさん」

 年上の後輩ができて、やりにくいのです。


「あ、昨日の分の発注チェックですね。僕のミス、だいぶ減りました?」

 ――高瀬恒一たかせこういち

 彼は少し眠たげな目をこちらに向け、首をかしげた。

「そうね、だいぶ慣れて来た……のかな? 中途は覚えが早くて助かってます」

 五歳上の後輩に敬語になりそうになり、結局敬語で締めてしまった。

「ふふっ、年上でも後輩は後輩なんですから、もっとフランクにお願いしますよ」

 低くて甘い声が私の耳のそばで聞こえる。

 上目遣いのできる三十二歳って、なんなの……。


 というか、いつのまにそんなに近づいたんだろう。

「んんっ。そんな目で見ても、甘くしないんだからね」


 ウチはアパレル副資材メーカーで、私はファスナー部として、働かせてもらっている。

 彼は接客業をやっていたと、言っていた。

 専門性の高い職種によく挑戦しようと思ったけど……。

「接客よりお金もらえるし、業務内容も……覚えるのは大変ですけど、やりがいがあります」

 そう言っていただけあって、メキメキ戦力になりつつある。


「あ、始業時間ですね。僕、メールのチェックのあと、発注業務やりますね」

 高瀬さんはテキパキと仕事をこなしていた。

 それにしても……。

 スーツの下からも分かる筋肉と申し分ない顔。

 つまりはイケメンといって差し支えない。他の女性社員からも「かっこいい」って言われて、照れていたっけ。



 朝の仕事も一段落し、午前十時。私たちは揃って上の階に向かう。

 ここはオフィスの上にある倉庫。ここでは数多のファスナーとパーツを在庫管理している。

「ん……しょっ。やっぱり、重いなぁ」

「なにしてんですか、先輩! 僕がやるので先輩は届くとこに補充しててください!」

 高瀬さんは飲食で鍛えた肉体を、惜しげもなく使い、段ボールを片付けていく。

 百八十になる身長は仕事でも便利だ。高いところにある金属ファスナーの箱をどんどん補充していった。

「ありがとう。高瀬さんのおかげで捗ってるよ」

「えへへ、こちらこそ。あ、黒のファスナーがこんなに減ってる……。佐倉先輩、どうしますか?」

 呼ばれて見てみると、黒のファスナーの箱だけごっそりなくなっていた。

 箱を運ぶ背中は頼もしいのに、最後の判断だけは、必ず私を見る。

「そうね……。ZANのひらきのゼロハチゼロは六百発注で、オフしろが三百――」

 年上後輩くんは胸ポケットのメモ帳に記入していく。

 ああ、こうやって前職でも働いていたのかな。いつもは甘え上手だけど、やっぱり頼りになる。

 ……って、見とれていたら、高瀬さんに変に思われるでしょ!

「あれ? 先輩、僕の仕事ぶりに見とれてました?」

 いたずらっぽく笑う彼の顔が憎らしい。

「もう、言ってないで動く!」

 誤魔化したのに、耳が熱い。



 あっという間に終わって、十時半。

 オフィスに戻ったら発注書の山と、デスクにメモが貼ってあった。

『関口さんに内線してください』

 営業部からの伝言だった。

「関口さんって言ったら、イーグルの担当でしたよね。アウトドアブランドで、僕もお世話になってます」

 なるほど。私には無縁のブランドだったので、使っている人の意見は有り難い。というか、私服はカジュアルなのかな?

「もしかしたら、ウチが関わった服も持っているかもね。あ、関口さんですか? ただいま、席に戻りました。はい、……はい――」


 デスクの一番下の引き出しを開け、資料を取り出す。YK2ファスナーといえば、大手ファスナーメーカーだ。

「イーグルのAW向けのパーカーの量産品? ということは先日発注した金属ファスナーにブランド刻印の引き手ですね。はい――」

 該当資料を探していると、高瀬さんが資料を渡してくれる。

 サムズアップでお礼すると、爽やかな笑顔を見せてくれた。


「――はい。今のところ、納期通りにいけそうです。では」

 受話器を置くと、高瀬さんは考え込んでいた。

「その案件、工場のライン、大丈夫そうですか?」

「納期短縮依頼が来たら、一枠だけ無理やりねじ込めるかも」

 なにも起きないといいけど。



 午後十二時前。

 突然の電話がオフィスに鳴り響いた。

「佐倉さん、YK2からです」

「はい、佐倉です。えっ、機械トラブル?」

 先方が言うには、イーグル向けに押さえていたラインの機械が壊れ、納期未定になりそうだという。

「空いていた一枠をまわしても……そう、ですか。わかりました。先方に連絡して、確認いたします」

 よりによって、今日か。ついさっき、納期通りにいけると答えたばかりなのに。

 高瀬さんが心配そうな顔でこちらを伺っている。

「……ダメ、でした?」

 年上後輩くんとの初トラブル、発生だ。

「僕も一緒に考えます。もしかしたら、二人のほうがいい代替案が浮かぶかも」

 ああ、やさしいなぁ。とりあえず関口さんに急いで報告して、昼休みを返上して代替案を考えることに。



 ……関口さん、すごく焦ってたな。私も内心、すごく焦ってる。でも――。

「僕も一緒に考えます」

 彼はそう言ってくれた。

 冷静になれ、私! 後輩に頼りになるとこ見せないと、先輩って言えないぞ!


 午後十二時十五分。

 私たちは会議室を借り、代替案を練っていた。

「僕なら、納期短縮かけてメーカーと工場を急かすくらいなら思いつきますけど、先輩ならどうします?」

 もっと多角的に動くべきだろう。

「ウチの在庫を生産分、加工依頼して引き手も注文する? それとも、金沢工場に振り替えしてもらう? スライダーは胴体だけのYAにして引き手だけ手作業でつけようか」

 高瀬さんが目を開き、驚いた表情をしている。

「先輩の案、全部現実的ですね」

 そう褒められ、仕事の熱と別の熱が混ざるのが自分でもわかった。

「ま、まぁ前任者がいない時はこうしてひとりで考えてきたし……。それに定年退職した上司の姿、ちゃんと見てたから」

 顔が熱いのを悟られないように、両手で顔を隠す。

 すると、高瀬さんは私の手首を掴み、ニヤリと笑った。

「佐倉先輩、かっこいいのに、かわいいですね。顔、真っ赤じゃないですか」

「な、なにしてんの! 先輩をからかうんじゃありません!」

 ちょうど、おなかの虫も鳴って、恥ずかしさが倍増だった。


「お昼休みのうちはどこも動けないですよね。先輩も僕も。はい、先輩のお弁当、持ってきたんで一緒に食べましょう」

 ピンクのランチバッグ……。いつのまに持って来たんだか。

 私は自分の弁当を受け取り、食べ始めようとした。

「高瀬さん、お弁当は?」

「いつも外で食べているんで、今日は昼抜きです」

 恥ずかしそうに笑う後輩くんに、弁当箱のふたで私のご飯とおかずを取り分けた。予備の割り箸も添えて。

「えっ、いいんですか? これって……先輩の手作りだったり?」

「まぁ、一人暮らしだし、冷食ばっかだけど……手作り、苦手だった?」

 パァッと花が咲いたように笑顔になる高瀬さん。

「全然! 僕、女の子の手作りなんて何年ぶりだろう。わぁ、遠慮なくいただきますね」


 そう言って卵焼きに手を付け、美味しそうに食べ始めた。

「これ、僕好きかも! トラブルに感謝ですね!」

「こらこら。って、高瀬さん彼女いなかったの? モテそうなのに」

 言って気づいた。セクハラっぽくないかな。

「うーん。何年もいないですよ。前の彼女に浮気されちゃって、もう恋愛はいいかなって」

 嫌な顔もせず、答えてくれた。


 そっか、彼女、いないんだ。

 ……なんでホッとしたんだろう。

 思考が浮かんでは爆発するのを悟られたのか、高瀬さんが吹き出す。

「っぷ。先輩って、顔に出やすいタイプですよね。僕、安心します」

 ああ、もう。そうやって振り回すんだから。

 午後の仕事はじめの鐘が鳴る。

 私たちもデスクに戻り、また溜まった発注書をこなすのだった。



 午後二時。

 昼休み直後に、工場にかけあった甲斐もあって、いい返答がきた。

「金沢工場のラインなら、使えそうです。でも一日だけ納期が遅れるんですが……」

 関口さんからは二日までの遅れならOKと頂いている。

「はい、それなら金沢工場にGO出しちゃってください!」

 ――よかった。なんとか、なった。


 気が抜けた私に高瀬さんがコーヒーをくれた。

「……なんとかなったみたいですね。これはご褒美です」

 見ると、高瀬さんもコーヒーを手にしている。……わざわざ、淹れてくれたんだ。

「ありがと。でも高瀬さんがいたから、私も冷静になれたんだよ」

 素直にお礼を言うと、彼は目を丸くする。

「僕、なにもしてないですよ。最初なんてミスばっかしてたし……」

 淹れてくれたコーヒーをひとくち口にし、頬杖をつく。

「……ううん。今回の件もだけど、いつも助かってる。だから――そばにいてくれると、助かる」

 彼の顔が真っ赤になった。

「……先輩は、少しだけずるいです」

 高瀬さんはなにか言ったようだが、私は電話対応で聞こえなかった。



 午後四時半。

 トラブルも収束し、私は伝票整理をしていた。

 だけど、なんだか高瀬さんの様子がおかしかった。


 いつもなら、雑談を振ってくるはずなのに、今日は静か。

 私、なにかしちゃったのかな?

 もしかして、お弁当が少なくてお腹へってる?

 そう思って彼の顔をチラリと見る。端正な横顔がモニターと向かい合っていた。

「高瀬さーん。ちょっと、倉庫に来てくれますか?」

「あ、ちょっと待ってくださいね」

 営業さんに声をかけられ、彼は階段へと消えていった。


 それから声をかけようにもなかなか合わず、かけられじまいだった。



 午後六時半。

 定時は一時間前に過ぎ、オフィスには私と彼だけになってしまった。

「……さっきから、静かだね」

 意を決して声をかける。彼の手元には発注書の束が。

「今日は、先輩に甘えすぎた気がして」

 青ペンで発注ナンバーを書く彼の手が止まる。

「それ、今さらじゃない?」

 彼のため息だけがオフィスに響いた。

「嫌なら、距離とります」

 嫌じゃないよ。それどころか――。


「困ったら、また頼ってよ。私、そういうの……嫌いじゃないんで」

 恥ずかしくて、高瀬さんの顔が見れない。

「じゃあ、もう少しだけ。先輩の後輩でいさせてください」


 ファスナーみたいに開けても閉じても、ちゃんと戻れる関係がいい。

 そう思えたのは、初めてだった。

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先輩、少しだけ 江藤ぴりか @pirika2525

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