タナカケ箱庭冒険記

姫崎

第1話 小さな世界

 その空はとても高く、すべてを包み込むほどに広かった。

 草の合間から見える空には色鮮やかな蝶々たちが優雅に飛び回っている。

 彼らはその柔くも美しい翅でこの世界中をどこまでも行けるのだろう――そう考えただけでうらやましく思うのと同時に、自分もいつかは自由に空を飛び回りを越え世界を見たい、そんな夢物語を頭の中に巡らせる。

 あの天へ向かってそびえ立ちこの大陸を囲うようにして存在している壁、それを越えるだけであるのなら時間と労力こそかかれど何とかなるのかもしれない。だが問題はその壁の内周をぐるりと沿うようにして広がる広大な海だ。この海だけはどうすることもできないであろう。この大陸の海には危険が溢れておりそこを渡っていくのは困難であるし、そもそも渡れたところで先ほどの壁の問題もある。だからこその空への希望だ。

 自分も翅のある者たちの様にこの『タナカケ』の外側を見てみたかった。


 とは言っても別にこの『タナカケ』に不満があるわけではなかった。多様な環境が広がるこの大地ではそこに適した者たちがそれぞれの国を作り生きていた。

 花の蜜を求める者たちは一面が花に覆われた鮮やかな都で子孫繁栄に命を尽くした。

 壁より高くそびえる大木では、流れ出る甘い香りの樹液に誘われた戦場の猛者どもが並んだ五つの大樹を目指し己の象徴たる角を天へと突き立てた。

 目に映るすべてが砂の世界ではそこに迷い込んだ者を流砂という二度と生きては帰れない地獄へと引きずり込む者もいた。


 そして緑に香る草で覆われた土地のその地中にはとある種族の王国があった。仲間たちと団結し手を取り合って生きてきた彼らは――――。



「アントン! やっぱりまたここだった。いつもみたいに空でも眺めてたの?」

「うん、見てごらん。空を蝶たちが飛んでいるんだ。あんなにも、優雅に飛んでいる。本当に美しい」


 地面にちょこんと座り目を奪われるように空を眺めていたアントンと呼ばれる少年は頭に小さな花飾りを付けた少女に隣を勧める。

 少女はアントンの隣に腰かけ、共に空へと目をやる。緑のフレームに青色のキャンバス、そこに散らばって浮かぶ赤や黄色。


「――綺麗……」

「僕も彼女たちみたいに空を飛べたら気持ちいだろうな……。アリー、君のその翅はあと何年したら飛べるようになるの?」


 背中に付いた小さな翅を軽くパタつかせながら、ふふんっ、と自慢げに鼻を鳴らしてアリーは立ち上がり言う。


「大人になったらわかる、ってママが言ってたわ。その時は私がアントンを抱えてあの空を飛んであげるわよ!」


 自分の胸をトンッと叩き満面の笑みを向けるアリーにアントンは愛おしさを感じつつ照れ笑いを返す。


「ところで僕に何か用があったんじゃなかったの?」


 なんだか恥ずかしくなってきたアントンはアリーが自分の事を探してここまで来たであろうことを思い出し話を戻した。


「そうよ、国王様がアントンの事を探していたのよ! “蜜”が何とか言ってたわよ」

「父さんが? わかった、それなら早く行かなくちゃね」


 アリーも一緒に、とアントンはアリーの手を取り国王である自分の父の待つ王城へとふたりで向かう。

 

 今アントンたちがいる場所は一応王国内でこそあるがここは地上、国の大部分は地下に存在している。

 アントンたちを覆うほどの巨大な草の中をかき分けながら少し歩くと地下への入り口が見えてきた。土で出来た扉を開くと中はアントンたちが横に並んでギリギリ通れるほどの広さの通路が先の方まで伸びている。壁にはヒカリゴケが貼り付けられており外の光こそ届きはしないが通路内をほんのりと明るく照らしていた。

 緩やかに下り坂となった狭い通路を下っていくと少し開けた空間へとたどり着く。そこには何人もの国民たちが思い思いに今日を生きていた。立ち並ぶお店で買い物をする者や公園で友達と遊ぶ子供たち、警備のために見回る兵隊などたくさんの人々が――正確には虫々ひとびとが生活していた。

 

 この地下に広がる大国『アリンコ王国』は小さな虫たち、“クロオオアリ”たちが住むアリの国である。

 心優しきクロオオアリの王様が統治するこの国では争いごとが無く、まさに平和そのものだ。そんな王の息子であるアントンもまた仲間たちが、このアリンコ王国の国民たちがいつまでも平和に生きていける事を願っていた。まだ十四歳という若さでありながら国の未来を担う王子として既に民の幸せを願う王の器を持ち合わせていた。

 そんな王族に対し国民たちも非常に好意的であり、こうして王城に向かっている間にもアントンは何度か声を掛けられ簡単な世間話を交わしていた。

 今日は新鮮な肉が手に入っただとか新しい区画の拡張が終わっただとか、そんな他愛ない話をしながらアリーの手を引いて城へと向かう。もう少しで城の存在する大きな広場に出ようかというところで散歩中であろうおじいさんアリに声を掛けられた。


「おやアントン王子、ふたりで仲良く歩いてデートですかな?」

「いえ、今日は違いますよ。おじいさんは散歩ですか?」

「ああ、そうだよ。ところで今日はなんだか市場の方が騒がしかったけど何かあるのかい?」

「市場ですか……? すみません、僕にはわかりません」


 なら少し見てくるとでもしようかな、とおじいさんアリは軽く会釈をして立ち去っていった。アントンも一瞬おじいさんアリのように市場の方へと向かおうかとも思ったが手を軽く後ろに引かれ振り返る。


「私も気になるけど先にあなたのお父様のところへ行ったほうがいいんじゃない?」


 アリーに制止されたアントンは、確かにその通りだ、と二つ返事で父の待つ王城へと向き直り再度歩き出す。

 城を目指し歩く途中、よく見れば普段よりもアリ通りが多く、またそれらのアリたちは市場の方へと向かう者が多いように感じられた。それに子連れの者や手に何かを入れるためであろう空の容器を持った者たちが目立つ。

 先ほどアリーの言っていた“蜜”、そしておじいさんアリの市場が騒がしいという言葉からアントンは段々と何があるのか想像が付き始めていた。

 そして父が自分にいったい何の用があり、そして何を告げようとしているのかも――。


 

「んーっ、やっぱりお城の周りは空気が別ものね。アントンがに行きたがるのもなんだか分かる気がするわっ」


 繋がれた手から離れたアリーは少し前に出てくるりと回りアントンを手招く。

 確かにここは地下だがふたりの頭上には天井の切れ目から青い空が見え、そこから暖かな日の光が差し込んでいた。

 このアリンコ王国は広大な地下都市であり、それは領地コロニーの拡大や彼らに適した環境の確保のしやすさ、そして自分たちより強く大きい敵から身を守るために地下という空間がベストであったがためだった。

 しかし建国者である先々代の王はこのに城の建設を指示した。

 その理由はどこにも残されていないが、代わりに先々代はしばしば玉座の間から青い空を眺めていたと残されている。

 アントンはその話を父に聞かされた時から、もしかしたらなのではないか、そう考えるようになっていた。


「ここからでも空は見えるけど、やっぱり僕は外に出てその空気を感じたいからね」

「でもあんまり抜け出してばかりいると色んな人に怒られちゃうわよ。例えば――」


 言いかけたアリーは城門の方へ目をやると「噂をすれば、ね」といたずらに微笑む。


「ややっ、アントン王子! どこへ行っていたのですか、お父上がお探しでございましたっ!」


 小石の混ぜられた粘土製の城壁に沿って歩いていると、城門に立ったいかにもな恰好をした兵隊アリに声を掛けられる。兵隊アリはアントンたちに気が付くと何らかの甲虫から作られたヘルムへと手を勢いよく持っていき、綺麗な敬礼と共にどこまでも届きそうな大声で国王の事を告げる。

 それを聞いたアリーが「彼は今日も元気ね」とけたけたと笑っているのを見てアントンは苦笑いをするしかなかった。

 兵隊アリはアントンが歩き近づく間敬礼を解くことは無く、逆の手に握られたムカデの牙で作られた槍を地面に垂直に立てたまま身動きひとつしない。


「やあヘイリー、ちょっと散歩していただけだよ。そんなことより父さんはなんて? 何か詳しく聞いてないかい?」


 話しかけられてようやく敬礼を解くヘイリーと呼ばれた兵隊アリは申し訳なさそうに首を横に振る。


「いえ、申し訳ないですが内容までは聞いておりません」


 どうやら父はよほど急いでいたのか、それともあえて深くは誰にも教えていなかったのか。どちらかであろうがアントンは何となく、この事であろうという目星はついていたため答え合わせが少し遠のいた程度にしか思っていなかった。


「気にしないで、どうせ今から父さんに直接聞けるし。ありがとう、ヘイリー」

「ありがたき御言葉っ!」


 アントンの言葉に再度敬礼をピシりと決めながら勢いよく答えるヘイリーにまたもアリーは笑い出す。

「本当にヘイリーは面白いわね」と言えば、「アリー殿、感謝申し上げますっ!」と敬礼で返し笑いが起きる。それらが隣で繰り返されているのを口元を緩ませ眺めていると、


「王子、伝え忘れるところでした。今日は稽古の日ではなかったと思うのですが――」

「まさか師匠が……!?」

「はい、先ほどここを通って城内へと入っていきました」


 ――なぜ師匠が城へ……? 今まで稽古の無い日にはわざわざここに来ることなんてなかったのに。

 彼らが話す師匠とはアントンが王族として腕を磨き続けてきた剣の指導者であった。教わり始めてからもう六、七年ほどになるがアントンの剣技は全てこの師匠ひとりによって培われた物になる。

 厳しい稽古に文句も言わず、ひたすら師匠の後をついていったアントンにとって完全な信頼を置ける人物になっていた。


「師匠は何か言ってなかった?」

「いえ、特に私には何も仰りませんでした」

 

 アントンは師匠もに関わっているのだろうと確信を持っていた。

 突然父に呼ばれ、市場は普段以上の賑わいを見せ、師匠は稽古ではない日に城へと来た。

 頭の中で父の口から飛び出すであろう言葉が少しずつ形になり始め、答えはもう目の前まで来ていた。

 

「そうか、わかったよ、ありがとう。また今度剣だけじゃなく槍術の訓練も手伝ってよ」

「はっ、お手合わせよろしくお願い致します!」


 城門を抜け城へと歩くふたりにヘイリーは敬礼を解くことなく、その姿が見えなくなるまで背中を見送っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タナカケ箱庭冒険記 姫崎 @himesaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ