A.
俺は天井を見上げ、天の声との質問と回答を繰り返す。
「ミックスベリーパイは食べ物のことだな」
『はい』
「ミックスベリーはいちごやブルーベリーなどのフルーツからできている」
『はい』
「材料のベリー類は動物を殺しているのではなく、植物から摘み取られている」
『はい』
ここで、可能性のひとつだったホラー路線が消えた。混乱してきたので一度冷静になるべく、俺は確認するように訊く。
「中年男性は本当に、友人とミックスベリーパイを作ったことがあるんだな」
『はい』
無機質な音声が答える。残念なことに、分かっているのはこれだけだ。自身の発言を舌で転がし、俺は思考の海に沈む。これは現実にあった話で、喧嘩や痴情のもつれではない。
『はい』
あと、大変迷惑なことに、この
「中年男性と友人以外に、解答に関わる重要な登場人物はいるか」
『いいえ』
「しょうもない話か」
『いいえ。中年男性にとっては違うでしょう』
「ああそうか、悲しんでいたからな」
「恐れ入りますが、『はい』か『いいえ』で答えられる質問でお願いします」
「…………」
眉を顰め、低く唸る。かつて強面と恐れられていた俺だが、今の乗客は俺ひとりのみ。怯えるやつなんて誰もいない。
俺は苛立ちを隠そうともせず、しかし冷静さを保ちながら俺は問う。
「友人とミックスベリーパイを作った背景は、答えに関係あるのか」
『いいえ』
「ミックスベリーパイは何かの隠語か」
『いいえ。食べ物です』
「中年男性は友人に向かって叫んだ」
『はい』
「悲しみで、だよな」
『はい』
「別れ話じゃないんだな」
しまった、俺は内心頭を抱えた。痴情のもつれの類ではなかったはずだ。考え直せ、思考が堂々巡りしている。――しかし、返ってきた答えに俺は言葉を失った。
『いいえ』
別れ話じゃない、の否定はつまり、【別れ話】だ。
項垂れ、靴の先を浮かせては着けてを繰り返す。トン、トン、と小気味よい音は何故か鳴らず、絨毯に重みを吸われるみたいな感触だった。
別れとは、様々な出来事を連想させる。引っ越しや退職、すれ違い……。ここまで考えたところで俺は小さく首を振る。考えてもどうせ読まれる。発言した方が気が楽だろう。
「中年男性の子どもの巣立ちが原因か」
『いいえ』
「離婚じゃないんだよな」
『はい』
「誰かの退職か」
『いいえ』
「引っ越し」
『いいえ』
「中年男性の友だちの方が離婚したとか」
『いいえ』
別れの原因を探っていくうちに、俺は嫌な予感に襲われた。
あの熊はどうした。ミックスベリーパイを作った友人はどこいった。胃の奥側が不穏な気配で充満する。俺は掠れた声で、
「……死別か」
『はい』
途端、甘くて爽やかな香りが鼻孔に広がった。採れたてで新鮮な、フルーティな匂い。そこに花の心地よい香りも混ざる。
そこで俺は、真実を悟り始めた。
「俺は人間――」
息が詰まる。唇は震え、横隔膜は痙攣を始めた。全身の痛みが呼び起こされ、底知れぬ恐怖が我が身を伝った。
――俺は、人間の死体なのか。
唇は形づくるのに、どうにも発語ができない。しかし皮肉なことに、空を切った台詞は天へと届いた。
『はい』
自身の記憶を呼び起こす。自己の存在が――魂を内包し人間の肉体を有した生物の記憶が、走馬灯のように蘇る。
俺は熊谷総一郎。踏切事故の犠牲者だった。
瞼を閉じて、俺はかつての友人――皆川に思いを馳せる。
彼は大の甘党で、スイーツバイキングやタピオカ、業務スーパーの巨大ケーキ、甘い香りの漂う場所にしょっちゅう連れて行かされた。女性ばかりの大行列に野郎2人。もちろん俺たちは、注目の的だった。
テーブルに並ぶ華やかな見た目のスイーツたちに、それを取り囲むくたびれたおっさん同士。あの異様な光景を思い出すと、自然と頬が緩んだ。
ぼやけた思い出の輪郭が、明瞭な線となって俺を導く。はっ、と自身の口から息が漏れた。
そうだ、約束していたのだ。
バレンタインの日は、お互いを慰めるかのように、一緒にお菓子を作っていた。今年もまたミックスベリーパイを作ろうと、約束していたのだ。俺は笑顔で頷いていた。日常が、当たり前のように続くと思っていたから。
再び目を開けると、花びらの絨毯がそこにはあった。胡蝶蘭や菊の群れ。真っ白で、慎ましやかな花々の上に散りばめられているのは、――ミックスベリー。いちご、ラズベリー、ブルーベリー。小さな粒が澄んだ色でキラキラと、宝石のように輝いていた。
あいつは最期まで、俺にスイーツを食べさせようとしていたのか。
目に薄い膜が張り、雫がほろりと落ちる。涙は次々に、花びらを濡らし大きな露をつけた。
俺は震える喉を律し、静かに口を開く。
「これは……食べられるのか」
『いいえ』
「死んでるから、か……」
『はい』
そうだよな、と頷いた。もう約束は、二度と叶わない。
「俺の友人は、泣いていたか」
『はい』
鼻をすんっとすすりながら、俺はふと疑問に思った。
俺は線路内に飛び出した子熊を守り、列車と衝突した。閉じた線路内に、思いっきり身を投じたのだ。
「熊は……子熊は無事だったのか」
『はい。列車の隙間に身を潜め、親熊とともにその場を後にしました』
「熊の目撃者はいたのか」
『はい』
「そうか」
恐れ入りますが――というお決まりの言葉はもう聞かないことにした。
……待て。熊の目撃者はいたとしても、実はそれは地域住民で、熊が人里に現れたからである可能性もある。俺は逡巡の
「人身事故の関係者に、熊の目撃者はいたのか」
『いいえ』
悪寒が走り、全身の血流が滞って末端が冷えていく。俺の中に、最悪の可能性が頭をよぎった。
もしかしてあいつは――
「あいつは……皆川は、俺の死因が自殺だと思っているのか」
『はい』
時間が静止したような沈黙が訪れる。絶望が、後悔が、身体の芯を凍りつかせていく。
【ミックスベリーパイを作った仲の友人が悲しんでいたのは、俺が死んだからだけじゃない。遺書も書かず、相談もせず線路内に飛び込んで自殺したと思って泣き叫んだ】
違う。そんな理由で死んだんじゃない。衝動が腹の底から突き上げる。今すぐにでも、あいつのもとに行ってやりたかった。
「おめでとうございます。正解です」
鼓膜に響く音声はあまりにも無機質で。あらゆる感情がすべて削ぎ落とされてしまうような、同時に、もう会うことも叶わないんだったなと痛感させるような、そんな宣告だった。
ガタン、と身体が揺れる。電車が再び動き出したのだ。焦げついた臭いを感じながら、俺はため息混じりに呟いた。
「俺は、現実に戻れるのか」
町が、焼けていく。黒煙が小さな箱を覆い尽くし、立ち昇る煙の臭いが鼻孔を抜けて咽頭をも刺激する。
火の手が迫る。ガラス窓も塗装された外壁も、内壁の写真も、燃え広がる炎に溶かされていく。パチッパチッと火の粉の弾ける音を間近で拾う。
熱い。熱い熱い熱い熱い熱い。やがて炎は俺の全身を包んだ。
現実に戻れるのかって?
分かっている。どんな回答が来るのか分かっているさ。……そう、
「『いいえ』」
紡ぎ出される答えは、ひとつしかない。
ミックスベリーパイ。
意識を手放す前、この単語が俺の脳に浮かび上がり、俺の皮膚をこんがりと焼いた。
ミックスベリーパイの謎を解け やまさき @kogao
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