第12話 「死んでいる君に」

――目が、覚めた。


……いや、違う。


覚めているのは、もう何度目だ?


同じ暗闇。

同じ距離。

同じ位置取り。


次の瞬間、


ゴンッ――という鈍い衝撃が顔面を打ち抜いた。


冷たい。

鉄だ、と遅れて理解した時にはもう遅い。

ズリッと、何かが肉の内側を抉る感触がして、視界が一気に黒に沈む。


脳が揺れる。

音が遠のく。

“死ぬ時のやつだ”と、どこか冷静な自分が思った。


――そして。


光が、戻る。


息を吸う暇もないまま、

ゴンッ。


また同じ位置。

同じ角度。

同じ冷たさ。


グチャッ

今度は骨が悲鳴を上げたのが、はっきりわかった。


何度目だ。

十?

百?


数えるのはとっくにやめていた。


意識が飛ぶ。

戻る。

殴られる。

裂ける。

潰れる。

死ぬ。


それを、ただ繰り返す。


痛みは薄れない。

慣れもしない。

毎回ちゃんと“初めて”の激痛だ。


――なのに。


心だけが、少しずつ変質していく。


最初は虚無だった。

「なんでだよ」という疑問すら、途中で溶けた。


その次は怒り。

理由のない、行き場のない怒り。


そして今は――

それすらも超えた、純粋な殺意。


殺したい。

殺さなきゃいけない。


誰を?

なぜ?


もうどうでもいい。


視界が暗転する直前、

微かに自分の“うなじ”に違和感を覚えた。


――ある。


そこに“何か”が突き立っている。


薄れる意識の中で、

自分の腕が勝手に動いた。


背後に手を回し、

うなじに突き刺さる“それ”を、さらに――


グッ、と押し込む。


瞬間。


ブチィッ


肉が千切れる音。

ミシミシと内側で何かが軋み、

ボンッと内臓が弾ける感覚が全身を駆け抜けた。


眼球が飛び出し、

視界は完全に闇に沈む。


それでも――

“見える”。


殴ってきた奴の気配が、

匂いが、

位置が。


まるで目で見ているかのように、はっきりと。


ああ。


――いい気分だ。


今からお前に、

同じ絶望を味わわせるんだから。


――ここで、シグルは理解する。


(ああ……そうか)


これは夢じゃない。

回想でもない。


走馬灯だ。


今まで見てきたすべてが、

この死の循環に至るまでの記憶。


だから――

殺される直前に、必ず“ここ”に戻ってきている。



視界が反転する。


エルフの森。

血の匂い。

崩れた家々。


パリーの震える声。


「……黎明の、人間だった」


その一言で、すべてが繋がった。


魔獣を使役し、

村を壊し、

命を奪った存在。


“黎明”の名を持つ、人間。


――先代だ。


宿へ戻る途中、

シグルの足は一度も止まらなかった。


島田に伝える。

バルガにも。


島田は明らかに嫌そうな顔をした。


「……正気かよ」


それでも、

シグルの視線を見て、言葉を飲み込む。


逃げ場はないと、理解したからだ。


「……行くぞ」


そう言った島田の声は、

どこか諦めに近かった。



先代の位置は、分かる。


殺意だ。


抑えきれずに溢れ出るそれが、

道標のように森を染めている。


リュミエルは、言葉少なに頷いた。


「……この先」


エルフの勘が、

確実に“そこ”を指していた。


そして――

この先に待つ結末が、

あの死に繋がる。


里の外れ。

森へと続く獣道の手前で、全員が足を止めた。


言葉は、なかった。

必要ない。


リュミエルは静かに杖を握る。

木目の古いそれは、彼女の背丈より少し長い。

先端に込められた魔力が、かすかに脈打っているのがわかった。


彼女は一度、深く息を吸い――

それだけで、覚悟は整った。


バルガは両拳を前に突き出し、


ガンッ、と拳と拳を叩き合わせる。


骨が鳴る。

痛みなど、最初から気にしていない。


「……よし」


短い一言。

それだけで十分だった。


島田は腰から短剣を抜く。

刃の状態を確かめるように、月明かりにかざし――

小さく舌打ちをした。


「……クソ」


怖い。

正直、それは隠しきれていなかった。


それでも、短剣を握る手は震えていない。


逃げないと決めた人間の手だった。


そして――

シグル。


腰に提げた包帯を、ゆっくりと解く。


中から覗いたのは、

骨の欠片。

六つの怨念が絡み合った、呪物。


シックス・ゴースト。


シグルは、それをじっと見つめる。


何も語らない。

何も願わない。


ただ――

それが必要になる未来を、理解しているだけだった。


包帯を巻き直し、

再び腰にかける。


カチャリ、と小さな音。


それが合図だった。


シグルが一歩、前に出る。


森の奥。

殺意が、確かにそこから流れてきている。


誰も引き止めなかった。

誰も迷わなかった。


四人はそのまま、里を後にする。


背後で、風が木々を揺らした。


もう戻れないと告げるように。


――先代の元へ。


戦うために。

終わらせるために。


辿り着いた先は――

村だった場所、だった。


家屋は原形を留めていない。

焼け落ち、押し潰され、骨組みだけが歪に残っている。


地面には、

まだ新しい魔獣の死体。

肉が削がれ、腹を裂かれ、血の匂いが濃く残っていた。


そして――

誰のものとも知れない骨。


腕。

肋。

頭蓋。


そこら中に、無造作に転がっている。


ここで“何か”があったのは明白だった。

しかも、つい最近。


シグルの胸に、嫌な確信が落ちる。


――この場所そのものが、殺意に浸っている。


中心に立っていたのは、一人の男。


フードも被っていない。

武器も構えていない。


それなのに、

漏れ出す殺意だけで、空気が軋んでいた。


シグルは一歩踏み出し、声をかけようとした。


だが――


男は、振り返った。


まるで最初から、そこにいると知っていたかのように。


「よぉ、ガキンチョ」


軽い。

あまりにも軽い口調。


「俺の血筋……だよな?」


男は、ニヤリと笑う。


「雰囲気でわかる。初めまして」


そして、当然のように名乗った。


「俺は――

 黎明シャルバ・ヴィージだ」


空気が、凍る。


シグルは一瞬だけ言葉を探し、短く返した。


「……俺は黎明シグルだ。先代」


視線を外さない。


「なんで村を襲撃した?」


その問いに、

シャルバは肩を揺らして笑った。


「はは。簡単だろ?」


まるで当然の理屈のように。


「不死身のお前なら、わかるはずだ」


笑みを浮かべたまま、言い切る。


「俺たちが呪われたのは――

 エルフ……魔族が居たからだ」


一瞬、間。


「だから、殺した」


あまりにも軽く。

あまりにも雑に。


シグルの口から、自然と声が漏れた。


「……は?」


意味が、理解できなかった。


理解したくなかった。


シグルの脳裏に浮かぶのは、

泣いて、笑って、怒って――

隣に立ってきた一人のエルフ。


リュミエル。


その存在を、

この男は“理由”として切り捨てた。


シャルバの視線が、ゆっくりと動く。


――リュミエルを捉えた。


「……なんで」


声が、低くなる。


「エルフのガキが、居るんだ?」


その瞬間。


シグルは、即答した。


「俺の……仲間だ」


次の瞬間、

空間が“止まった”。


錯覚じゃない。


禍々しいオーラが、爆発する。


殺気。

純度の高すぎる殺意。


全身を、圧し潰すような重圧。


足が動かない。

呼吸が詰まる。


瞬きすら許されない錯覚。


島田は、完全に顔を引き攣らせていた。

泣きそうな目で、必死に立っている。


――比べ物にならない。


グルーシュが纏っていた殺気など、

この前では“気配”にすらならない。


シャルバの笑みが、消えた。


その代わりに浮かんだのは――

剥き出しの怒り。


「……シグル」


低く、重い声。


「お前には」


一歩、踏み出す。


「教育が必要みたいだな」


完全に、

ブチ切れていた。


一歩、また一歩。


シャルバが近づくたび、

シグルは瞬時に理解した。


――ここから動かなきゃ、死ぬ。


いや、

死ぬなんて生易しいものじゃない。


底が見えない。

踏み込めば、魂ごと叩き潰される。


そう“理解”しているのに――

体が、動かない。


足が地面に縫い付けられたみたいに。

指一本、震えすらしない。


脳だけが悲鳴を上げている。


――逃げろ

――動け

――今すぐ


シャルバが、三歩目を踏み込んだ。


その瞬間、

ようやく呪いが解けたみたいに体が動いた。


前に出たのは、バルガだった。


歯を食いしばり、

圧し潰される殺気の中で構えを取る。


全身が軋んでいる。

それでも、立った。


「……これ以上」


声は震えていない。


「先、近づくなら」


一歩、踏み込む。


「俺は――お前を殴る」


警告。


だが、

シャルバは聞いていなかった。


怒りに支配された目が、

バルガを“障害物”として捉えただけ。


次の瞬間。


まるで、

ハエを払うみたいに。


ドンッ――!!


衝撃音と同時に、

バルガの体が横に吹き飛んだ。


地面を削り、岩に叩きつけられる。


とっさにガードしていた。

骨は折れていない。


――だが、それだけだ。


「……っ!」


呻き声が漏れる。


その光景を見て、

シグルの体がようやく完全に動き出した。


構えを取り、

シャルバから逃げるように――

背後へ回り込む。


「……はぁ」


シャルバは、

呆れたように溜め息を吐いた。


「無駄だ」


次の瞬間、

空気が裂ける。


リバース・ファング。


見えない刃が飛び――


ドンッ!!


鈍い音と同時に、

シグルの片腕が宙を舞った。


遅れて、激痛。


「――ッ!!」


脳が焼ける。

視界が白く弾ける。


それでも。


それでも、

シャルバの殺意は――


シグルに向いていなかった。


矛先は、

ただ一人。


リュミエル。


リュミエルは、

殺気に押し潰され、動けていなかった。


息も、声も、出ない。


シャルバが、腕を振り上げる。


――殺す。


その瞬間。


「――ッ!!」


島田が、飛び出した。


リュミエルを突き飛ばし、

地面に押し倒す。


次の瞬間、

飛んできたリバース・ファングが空を裂く。


ギリギリで、軌道が逸れた。


だが――


代償。


バチンッ。


嫌な音。


島田の左手から、

小指が消えた。


「――あ゛ッッ!!」


叫び声。

初めて味わう、本物の激痛。


島田は地面を転がり、

悶絶する。


その光景を見た瞬間、

シグルの中で“何か”が切れた。


残った腕で、

シックス・ゴーストを引き抜く。


斬る。


殺す。


それだけを考えて、

シャルバへと斬りかかった。


――だが。


かわされた。


軽く。

本当に、軽く。


「剣技は」


シャルバが、吐き捨てる。


「まだまだだな。シグル」


その腰元。


今まで見えていなかったはずの剣が、

静かに――抜かれた。


一閃。


感触が、ない。


次の瞬間、

視界が上下にズレる。


――遅れて理解した。


自分の胴体が、

切り落とされたのだと。


バルガが、立ち上がった。


息は荒い。

それでも、拳は震えていない。


――まだ、動ける。


地を蹴った瞬間、

空気が爆ぜた。


ドンッ――!!


音が遅れて追いかけてくるほどの速度。

常人なら視認すらできない、音速に迫る踏み込み。


拳が、シャルバの顔面を捉える――


はずだった。


「……遅い」


シャルバの姿が、

ふっと、ズレる。


本当に、わずか。

首を傾けただけの動作。


バルガの拳は虚空を打ち抜き、

背後の瓦礫を粉砕した。


「俺はな」


シャルバは、淡々と語る。


「もう六百年くらい生きてる」


振り返りざま、

冷たい視線をバルガに向ける。


「その間で――」


一歩、踏み込む。


「お前と同じ闘血種には、何度も会った」


空気が、軋む。


「まぁ……」


次の瞬間。


ズンッ


何かが、体内に叩き込まれた。


「全員、殺したがな」


リバース・ファング。


目に見えない斬撃が、

真正面からバルガを貫いた。


――いや、

貫通は、していない。


だが。


グチッ

ズズッ


嫌な音が、内側から響く。


バルガの体が仰け反り、

口から血が溢れた。


「……が、ぁ……」


切り口から、

赤黒い“何か”が、ぬるりと顔を出す。


臓物。


押し出されるように、

裂けた肉の隙間から覗いていた。


ドクン、ドクンと、

まだ生きている証みたいに脈打ちながら。


バルガは膝をつく。


ドサッ


地面に落ちた衝撃で、

それが、ぶらりと揺れた。


息を吸おうとして、

むせる。


ゴボッ

ゴボッ


血と一緒に、

言葉にならない音だけが溢れた。


シャルバは、

それを見下ろしている。


興味も、哀れみもない目で。


まるで――

壊れかけの道具を確認するみたいに。


再構築が、終わった。


砕けた骨が音もなく繋がり、

裂けた肉が、逆再生みたいに塞がっていく。


シグルは、立ち上がった。


ふらつきもなく、

迷いもなく。


そのまま一歩前に出て、

リュミエルの前に立つ。


――守る。


それだけを、体が理解していた。


その光景を見た瞬間、

シャルバの表情が、明確に歪んだ。


「……まだ、立つか」


怒りだ。


さっきまでの苛立ちとは違う。

“不快”ではなく、明確な憎悪。


殺気が膨れ上がる。


シャルバが腕を振り上げる。

リバース・ファングが――


飛ぶ、その前だった。


ザンッ!!


黒い軌跡。


シックス・ゴーストが閃き、

シャルバの腕が、肘から先ごと宙を舞った。


ドサリ、と音を立てて地面に落ちる。


一瞬の、静止。


「……」


シャルバは、自分の欠けた腕を見下ろし――


次の瞬間。


ガシッ


首だ。


シグルの喉を、片手で掴む。


そのまま――


ドンッ!!!!


地面に、叩きつけられた。


視界が白く弾け、

骨の内側で、鈍い音が鳴る。


思考が、途切れる。


――意識が、飛んだ。


「ひ……っ」


島田の喉から、か細い声が漏れた。


足が、勝手に後ずさる。

いや、違う。


――逃げた。


振り返りもせず、

ただ恐怖から逃げ出した。


残されたのは、

リュミエルだけ。


シャルバは、視線を向ける。


「……鬱陶しい」


特別な力も使わない。

殺気も、技もない。


ただ、普通に。


ゴンッ


鈍い音。


拳が、リュミエルの顔面を打ち抜いた。


小さな体が宙を舞い、

そのまま、地面に転がる。


ピクリとも、動かない。


意識は、

簡単に、刈り取られた。


――静寂。


立っているのは、

シャルバだけ。


倒れているのは、

守られるはずだった者たち。


そして――

シグルは、地面に伏したまま、動かない。


暗い。


何も、見えない。


音もない。

痛みもない。


――なのに、思考だけが残っていた。


(……生きてる?)


いや、違う。

“死んでないだけ”だ。


次の瞬間、

じわり、と感覚が戻ってくる。


まず、冷たさ。

次に、拘束。


腕も脚も、動かない。

何かで、がっちりと縛られている。


目が、開いた。


ぼやけた視界の先で、

誰かの髪が揺れた。


金色――

リュミエルだ。


シャルバが、彼女の髪を乱暴に掴み、

シグルの視界の中央に引きずり出す。


「ほら。起きたぞ」


笑っている。


そして、

剣が――


リュミエルの首元に、当てられた。


「……っ!!」


声にならない叫びが、喉で詰まる。


頭の奥で、何かが弾けた。


殺したい。

今すぐ。

今ここで。


理性なんて、もうどうでもいい。


だが、体は動かない。


シャルバは楽しそうに、刃を――

ゆっくりと、引いた。


スッ……


白い首筋に、赤い線。


ぷつ、と

血が滲む。


「やめろ……!」


声が、震える。


ここで、やっと理解した。


――取引なんて、通じない。


こいつは、

最初から壊すつもりなんだ。


「頼む……!」


絞り出す。


「俺がどうなってもいい……!

 だから……リュミエルだけは……!」


一瞬。


シャルバの表情が、凍った。


次の瞬間――


ドンッ!!


鈍い音。


拳が、

リュミエルの腹に叩き込まれた。


小さな体が、くの字に折れる。


「がっ……」


短い呻き声。


それだけで、意識は落ちた。


「うるせぇな」


吐き捨てるように、シャルバは言う。


シグルの中で、

何かが完全に切れた。


殺す。

絶対に、殺す。


今すぐ――


だが、シャルバは“次”を選んだ。


リュミエルを、

ゴミみたいに放り投げる。


ドサッ、と地面に転がる音。


そして――


シャルバは、振り向いた。


剣を、

シグルの顔面へ。


ゴンッ――


鈍い衝撃。


冷たい金属が、骨を砕く感触。


視界が、

一気に黒に沈む。


――死。


…………


………………


光が、戻る。


再構築。


同じ場所。

同じ拘束。

同じ温度。


そして――


ゴンッ


また、顔を打ち抜かれる。


グチャッ


今度は、はっきりと骨の音。


(……なんで?)


疑問が浮かんだ、その瞬間。


――次。


痛み。

衝撃。

暗転。


考える暇は、ない。


理解する時間も、ない。


ただ――


殴られ、

斬られ、

潰され、

殺される。


それを、

延々と、繰り返される。


理由も知らされず。

終わりも告げられず。


“死ぬ”という事実だけが、

何度も、何度も、突き付けられていく。


薄れる意識の中で、リュミエルは理解していた。

これは“回復”でも“再生”でもない。

何かが、壊れ続けている。


何度目かも分からない斬撃で、シグルの頭部が再び砕け散る。

思考が追いつく前に死に、再構築され、また殺される。

その速度は、もはや「死んでいる」と認識する間すら奪っていた。


——速すぎる。


恐怖も、痛みも、疑問すら置き去りにされ、

最後に残ったのは、濁りきった純度100%の感情。


殺意。


理屈も理由も、もはやどうでもよかった。

ただ一つ。

目の前の存在を、完全に消すという衝動だけが、

シグルという存在を形作っていた。


リュミエルの視界に映るシグルの背中。

そこから噴き出すオーラは、今まで見たどんなものとも違っていた。


制御されていない。

抑えられていない。

圧縮され、限界まで溜め込まれた力が、

堰を切った水のように、暴力的に溢れ出している。


空気が、重い。

呼吸が、できない。


シャルバの動きが、一瞬だけ鈍った。


——その“一瞬”で十分だった。


次の瞬間、シグルは立っていた。

否、“立たされていた”。


意志ではない。

本能ですらない。

壊れた心が、ただ敵を指し示しているだけの存在。


シグルは顔を上げた。


その目には、もう何も映っていなかった。


矢は当たらない。

炎を纏ったそれらは、シャルバの周囲をヒュン、ヒュンとかすめるだけで終わる。


だが、シャルバは気づいた。

――狙いは自分じゃない。


視線を向けた瞬間、斜め後方に立つエルフの男と目が合った。

鬼の形相。

怒りを抑える気など、最初からない顔。


リュミエルは、その姿を見て理解した。


父だ。

パリー。


パリーは言葉を発さない。

ただ、魔術を混合させ、火を宿した矢を放ち続ける。

ゴウッ、ゴウッと空気が焼け、矢が飛ぶ。

命中率など問題じゃない。

時間を作るための攻撃。


「シグルぅっ‼︎」


島田の叫びが、戦場を裂く。

その手に握られていたのは、シックス・ゴースト。


逃げる途中、助けを求めたエルフ。

そして回収された剣。

すべてが、この瞬間に繋がっていた。


リュミエルは、残った力を振り絞る。

ギチッ、ギチッと筋肉が悲鳴を上げ、

シグルの腕を拘束していた力を、無理やり外す。


次の瞬間。


ドンッ‼︎


重い衝撃。

シャルバの蹴りが、腹に叩き込まれる。


グシャッと内側が潰れ、

ゴロゴロゴロッと地面を転がる。


息が、できない。

肺から空気が抜ける感覚だけが残る。


それを見たパリーの怒りが、完全に爆発した。


「――ッ‼︎」


声にならない叫びと共に、魔術が止まらない。

バシュッ、バシュッ、ドォン

叩きつけるように、シャルバへ放たれる。


その隙に。


運動神経がクソな島田は、

「投げたほうが早い」と判断した。


結果。


ヒュッと放たれたシックス・ゴーストは、

狙った手元ではなく――


ズブッ


シグルの、うなじに突き刺さった。


「やべっ……」


島田は、心の底から後悔した。

直接渡しに行けばよかった、と。


だが――

シグルにとっては、これが正解だった。


背骨が、剣と触れ合いたがっている。

ゾワッと、背中を這い上がる感覚。


再構築の途中のはずなのに、

体は、自然と動いた。


殺意だけで。


震える手が、柄を掴む。

ギリッと力を込め、

迷いなく――

うなじへ、深く突き刺した。


その瞬間。


世界が、壊れた。


ドクンッ‼︎


圧縮された殺気が、爆ぜる。

濃縮された死意が、噴き出す。


リュミエルと島田は、理解してしまう。

これは力じゃない。

存在そのものの変質だ。


――黎明より来たる不滅のイモータルモンスター


シグルの視界。


瞬間。


ブチィッ


肉が千切れる音。

ミシミシと内側で何かが軋み、

ボンッと内臓が弾ける感覚が、全身を駆け抜けた。


眼球がブチュッと飛び出し、

視界は完全な闇に沈む。


それでも――

“見える”。


殴ってきた奴の気配。

匂い。

位置。


まるで、目で見ているかのように、はっきりと。


ああ。


――いい気分だ。


今からお前に、

同じ絶望を味わわせるんだから。


立ち上がったそれの上半身は、骸骨だった。

**ギシ…ギシ…**と鳴る体。


人間と呼ぶには、あまりにも遠い。


これは、殺意の具現化。

思考を失い、

殺すことだけを目的とする存在。


リュミエルと島田は、悟る。


――もう、シグルは止まらない。


シャルバは、その姿を見て――

小さく、感心したように笑った。


「……そこまで、行ったか」


それは覚悟。

引き返せない地点に立った者の姿。


シャルバは懐から、

小指一本分の骨を取り出す。


迷いはない。


ズブッ


うなじへ突き刺し、

**ゴリ…ゴリ…**と背骨へ押し当てる。


骨と骨が触れ合った瞬間。


ドクンッ


シャルバの体からも、

濃縮された殺意が噴き上がった。


――黎明より来たる不滅の性。

シャルバもまた、《イモータルモンスター》へ堕ちる。


次の瞬間。


ドンッ‼︎


地面を砕き、

シャルバは一直線に走った。


拳を振り上げ、

シグルへ――殴りかかる。


だが。


――消えた。


視界から、シグルがいない。


「……?」


理解する前に、

気配が――背後。


振り向くより早く、

シャルバは悟った。


1回目、消費。


そのまま腕を回し、

裏拳にリバース・ファングを乗せる。


ギュンッ


空を裂く一撃。


――当たらない。


また、消える。


2回目、消費。


苛立ちを殺し、

今度はフェイント。


拳を見せ、

瞬時に――回し蹴り。


ブンッ


それでも。


――避けられた。


シグルは、自然にそこに“いない”。


3回目、消費。


そこで、シャルバは気づいた。


これは――

経験でも、戦闘技術でもない。


純粋な戦闘力の差ですらない。


殺意の量。


シグルの殺意は、

理性を、倫理を、思考を――

すべて消し去っていた。


残ったのは。


この世で最も純粋で、

最も醜い感情。


殺意。


シグルは、骸骨の顔で

シャルバを見下ろす。


「……そんなもんか?」と挑発するように。


シャルバは、歯を食いしばった。


残り――3発。

全部、当てる。


一気に距離を詰め、

腕を掴みにいく。


――4回目。


だが。


ガシッ


掴まれたのは――

シャルバの腕だった。


シグルの、最初の反撃。


来る。

顔に。


分かっていた。


だが――

それは「速い」ではなかった。


気づいたら、そこにあった。


ゴンッ‼︎


予測できていなければ、

確実に死んでいた一撃。


シグル、1回目消費。


次。


腕を――

引きちぎるつもりの拳。


ミシッ


慌てて距離を取る。

やっと、手が離れる。


とっさに――

飛び蹴り。


――5回目。


だが、外れる。


追い込まれている。


その間にも、

シグルの連撃が止まらない。


ドン、ゴッ、ガンッ


避ける。

捌く。

耐える。


シグル、3〜4回目消費。


最後。


シャルバは、すべてを賭けた。


リバース・ファング。


腕から解き放たれる、牙。


ギュォンッ‼︎


――当たった。


そう、思った。


だが。


次の瞬間。


背後に――

シグルがいた。


「……な」


避けられた。


攻撃、全消費。


シャルバの体が、

ガクンと崩れ落ちる。


イモータルモンスター化。

その後の再構築は――

時間が、かかる。


膝をついたままの再構築の途中。


シャルバの体は、まだ完全ではなかった。

骨が軋み、肉が戻りきらず、

意識だけが――無理やり繋ぎ止められている。


その前に。


シグルが、歩いてくる。


足音は静かだった。

だが、一歩ごとに、世界が終わりへ近づく音がした。


シグルは、拳を構える。


――脳天割り。


ただ、それだけの動作。


その瞬間。


視界が、切り替わる。



俺には――

妻と、息子がいた。


それが、すべての始まりだった。


朝は騒がしく、

夜は温かくて、

帰る場所が、ちゃんとあった。


幸せの真っ只中だった。


……だが。


人間は、衰える。

老いる。

そして、死ぬ。


妻は先に逝った。

息子は成長し、

やがて俺の元を離れていった。


俺だけが――

変わらなかった。


時間だけが進み、

周囲だけが朽ちていく。


次第に、

この体が、

この“不死”が――

心底、気持ち悪くなった。


原因を探した。


書物を漁り、

遺跡を巡り、

禁書に手を伸ばした。


そして、知った。


――俺の先祖が、

一族に呪いをかけたことを。


「永遠に、生き続けろ」と。


ふざけるな。


俺は、

普通に生きて、

普通に老いて、

普通に死にたかった。


それだけだった。


呪いを解くために、

150年、世界を旅した。


魔族に会い、

精霊に縋り、

神にすら祈った。


――無駄だった。


自分で命を断っても、

すぐに起き上がる。


骨を砕いても、

肉を裂いても。


また、生きる。


そこで――

壊れた。


だったらもう、

全部、壊してやろうと思った。


呪いの原因だと知ったものを、

片っ端から、殺した。


……それでも。


今、

目の前にいる。


俺の“後”。


同じ呪いを背負った、

次の不死。


――シグル。


ああ。


来たのか。


俺に、

最後を、届けに。


イモータルモンスターの攻撃は、

対象を即座に

自身の魔力へ変換する。


完全な、消滅。


やっとだ。


やっと、

妻と、息子の元へ行ける。


そう、思った瞬間。



ドンッ――‼︎


鈍い衝撃。


世界が、割れる。


シグルの拳が、

真っ直ぐに振り下ろされ――

シャルバの脳天を、叩き割った。


グシャッ


砕ける音。


弾ける感覚。


次の瞬間、

シャルバという存在は――

シグルの魔力へと変換された。


何も、残らない。


魂も、肉も、記憶さえも。


――ただ、静寂。


シグル。


5回目の攻撃、終了。


シャルバという“殺すべき対象”は、もういない。


それでも――

シグルは止まらなかった。


殺意だけで成立している存在。

目的を失った瞬間、

イモータルモンスターは“詰み”の状態に陥る。


誰も、殺せない。

だが、解除される条件も満たせない。


その場に残ったのは、

骨の上半身と、

溢れ続ける――純度の高すぎる殺意。


それを見た瞬間、

パリーが一歩、前に出て叫んだ。


「来るなッ‼︎」


島田も、ほとんど叫び声だった。

「やめとけ……! 今のシグルは……!」


言葉の続きを、誰も口にしなかった。


必要な説明は、

あの空気そのものが語っていた。


今のシグルは、

理性も、善悪も、判断もない。


近づけば――

消される。


それが、はっきりわかるほどの殺気が、

空間を満たしていた。


……それでも。


リュミエルは、足を止めなかった。


パリーの腕を振りほどき、

島田の手を押し退ける。


「……大丈夫」


誰に向けた言葉なのかも、わからないまま。


一歩。

また一歩。


殺意の圧で、肺が潰れそうになる。

皮膚が、悲鳴を上げている気がした。


それでも、

リュミエルは声をかけた。


「シグル……?」


反応があった。


骨の頭部が、

ゆっくりと――こちらを向く。


だが。


目は、ない。

耳も、ない。


殺すべき対象を失った世界で、

シグルは“何も見えていなかった”。


キョロ……

キョロ……


何かを探すように、

空間を彷徨う仕草。


まるで、

迷子になった獣みたいだった。


リュミエルは、

震える手で、シグルの手を掴んだ。


――ズキッ


触れただけなのに、

指先に走る、鋭い痛み。


本当に削られているわけじゃない。

それでも、

削られていると錯覚するほどの殺意。


リュミエルは、顔を歪めた。


それでも、離さない。


「……座ろ?」


静かに、

ゆっくりと。


引っ張る。


ギギ……

と、骨が擦れる音。


時間をかけて、

シグルを地面に座らせることに、成功した。


殺意は、消えない。

だが、暴走もしていない。


ただ――

そこに、ある。


やがて。


風の音だけが残った。


誰も、何も言わない。


沈黙が、訪れた。


リュミエルは、

まだ殺意を垂れ流し続けるシグルの手を――

両手で、包むように握っていた。


その瞬間。


「やめろ‼︎」


パリーが叫び、

即座にリュミエルを引き剥がそうと踏み出す。


だが――

その前に、島田が一歩、前に出た。


「……待ってください」


パリーは島田を睨みつけ、

エルフ語で激しく怒鳴った。


何を言っているのか、

島田には一言もわからない。


それでも。


その目を、

その震えを、

その“父親としての恐怖”を見て。


島田は、はっきりと首を横に振った。


「……今は、見ててください」


言葉は通じない。

けれど、島田の表情は嘘をついていなかった。


――何度も、助けられた。


命も、心も。

選択すら、シグルに委ねられてきた。


恩返しなんて、

ほとんどできていない。


だからせめて。


この時間だけは、奪わせない。


島田は、動かなかった。


パリーは歯を噛み締め、

やがて――ゆっくりと、腕を下ろした。


見守ることを、選んだ。


リュミエルは、

シグルの手を握ったまま、静かに語り始める。


「……ねえ、シグル」


返事はない。


それでも、声を止めなかった。


「いつも……守ってくれたよね」


「私が怖がってる時も、

 何も言わなくても、前に立ってくれて」


喉が、震える。


「それなのに……私は」


「シグルのこと、

 全然……守れなかった……」


ぽたり、と

涙が落ちた。


殺意の熱に触れても、

リュミエルは手を離さない。


「もう……もう、死なないで」


「お願い……」


震える声で、

それでも、はっきりと。


「それでも、生きるって言うなら――」


一瞬、間を置いて。


リュミエルは、微笑んだ。


泣き顔のまま。


「私が、なる」


「死んでいる君に」


そして。


「それでも……愛してる」


――その瞬間。


カチリと、

空気が、噛み合った。


シグルが、僅かに動く。


リュミエルの方ではない。


ゆっくりと、

自分自身へ。


骨の拳が、振り上げられた。


迷いはない。

ためらいも、ない。


ズガンッ


鈍く、重い衝撃。


――シグル、

六回目の攻撃。


対象は、自分自身。


殺意は、そこで役目を終えた。


骨の体が、崩れ落ちる。


イモータルモンスターは、

完全に解除された。


そして。


再構築が、始まる。


砕けた骨が、

肉を纏い、

血が巡り、

呼吸が、戻る。


その全てを、

リュミエルは泣きながら抱きしめていた。


「……おかえり」


声にならない声で。


パリーも、

いつの間にか目元を押さえていた。


情に弱い自分を、

誤魔化すこともせずに。


島田は、

何を話していたのか、正直わからなかった。


けれど。


この空気だけは、

嫌というほど理解できた。


だから、いつもの調子で。


少し照れ隠しみたいに、笑って。


「おかえり、シグル」


そう言い捨てた。


再構築が、終わった。


ゆっくりと、シグルは目を開ける。


……嫌な感覚が、ない。

あの骨の軋む感触も、

殺意に思考を塗り潰される感じも、

何も残っていなかった。


代わりに。


胸の奥が、妙に――満たされている。


「……?」


違和感に気づく。


自分の体に、何かが引っ付いている。


いや、

誰かだ。


視線を落とすと、

そこには――リュミエルがいた。


ぎゅっと、

力いっぱい抱きついて、

声を殺しながら泣いている。


……難しいことを考えた。

これからどうするかとか、

呪いがどうとか、

色々。


でも。


結局、出てきた言葉は一つだけだった。


「……ただいま」


そう言って、

シグルは静かに腕を回し、

リュミエルを抱き返した。


温かい。

ちゃんと、生きている温度だった。


――――――


それから、シグルたちは

エルフの森へ向かった。


生き残ったエルフたちのもとへ。


バルガは、

パリーに担がれて運ばれていた。


あれほど裂け、

臓が露出していた腹部も、

エルフたちの治癒魔術で

嘘みたいに綺麗に治っていく。


「……すげぇな」


シグルがそう呟くと、

バルガは苦笑して親指を立てた。


島田はというと――

なぜか、やたら満足そうだった。


初めて出会った頃みたいな、

いや、それ以上かもしれない。


ここ最近で、

一番生き生きしている顔だった。


「なんか……いいことあったのか?」


そう聞いても、

島田はニヤニヤするだけで何も言わない。


リュミエルは……

なぜか、ずっと離れてくれなかった。


袖を掴んだまま、

一歩も離れない。


……まあ、悪くはない。


そんなところに、

ヒュートが歩み寄ってきた。


リュミエルはすぐに気づき、

ぱっと表情を明るくして駆け寄る。


「母さん……!」


そのまま、

ぎゅっと抱きついた。


ヒュートは優しく笑い、

リュミエルの頭を撫でる。


そして、

シグルの方を見て、静かに言った。


「ありがとう、シグル。

 リュミエルを守ってくれて」


その言葉に、

シグルは少し照れ臭くなって、

視線を逸らす。


ヒュートは、

そんな反応を見逃さなかった。


くすっと笑って、

冗談めかして続ける。


「それにしても……

 さっき、シグルくんにベッタリだったわよね?」


「ついに結婚でもしたの?」


軽い調子だった。


……はずだった。


シグルは、

「相変わらずだな……」と思いながら

横を見る。


すると。


リュミエルが、

無言で――こくりと、うなずいた。


「……は?」


シグルの思考が、一瞬で停止する。


顔が、

これまでにないほど真っ赤になる。


その瞬間、

薄い意識の中で聞いた言葉を思い出した。


――愛してる。

――それでも、生きて。


あれが、

夢でも幻でもなく。


現実で、

 リュミエルの言葉だったと、

ようやく理解する。


どう返事をすればいいのか、

頭が真っ白になる。


逃げたくなった。

誤魔化したくもなった。


でも。


結局。


シグルは、小さく息を吸って、

素直に言った。


「……リュミエル」


「これからも、よろしくな?」


その瞬間。


リュミエルは、

堪えきれなくなったように泣き出し、

またシグルに抱きついてきた。


ぎゅっと。

今度は、離さないと言わんばかりに。


あったかい。


本当に、久しぶりに――

人の体温を、

ゆっくり感じた気がした。


目を開けると、そこは崖の上だった。

風が頬を撫で、森の緑が目に優しい。


俺――黎明シグルは、外見はまだ10歳ほどだが、実年齢はやっと15歳になった。

成人、と呼ばれる年齢だ。

身体はまだ小さいけど、やっと俺も、年齢に見合う“力”を手に入れた気がする。


横を見ると、バルガは相変わらず何も考えていないような顔で立っている。

でも、わかっている。いつも、俺たちを守ってくれていることを。

島田は、軽くこの世界の言語を話せるようになった。

落ち込んだ時も、変な冗談や、よくわからない日本のことわざで、ふっと俺たちの心を和ませてくれる。


そして、リュミエル。

少し大人になっていた。

シグルが死ぬ度に、怒るようになった。

「命を大切にしろ」「軽く扱うな」――あの言葉のおかげで、俺の死ぬ回数も減った。

その分、体もちゃんと成長してくれた。ありがとう、リュミエル。


崖の淵に立ち、下を見下ろす。

深く、静かに、森の香りと風が絡み合う。


この世界は、残酷で、死が当たり前で、異常だ。

俺は何度も死に、何度も生き返った。

そして、その度に、大切なものを守る意味を学んだ。


俺は――

これからも、ずっと生きていく。

この異常な世界で、

生きることを選んで。

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死んでいる君に @Itumo489

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