卒業アルバムを閉じるまで
白井琴理(しらい ことり)
第1話
焼け付くような夏が終わり、
木枯らしが吹き始める頃、
愛美は一人、部屋を片付けていた。
もうすぐ、ここを出て、違う姓になる。
ふと目に留まった卒業アルバム。
愛美はそれを両手で受け取り、壊れ物のように丁寧に開く。
胸の奥から、懐かしさと切なさが、同時に込み上げてくる。
ーー先生。
高校の入学式の日、
愛美は一目で恋をした。
相手は、担任教師。
教員になってまだ2年目の、若い先生だった。
背が高く、スーツをきちんと着こなしている。
広い背中と、無駄のない所作。
愛美より9つ年上で、少しクールな印象。
ーー大人の男の人。
それだけで、胸が高鳴った。
先生は、見た目とは違い、とても教育熱心な人だった。
登校してこない生徒の家へ、何度も足を運んでいた。
無理に連れ戻すことはせず、
「いつでも話を聞くよ」
そう言い続ける人だった。
先生に心配してもらえるその生徒が、
愛美には、たまらなく羨ましかった。
愛美は、先生の役に立てることを探しては実践した。
その一方で、先生の気を引きたくて、
腹痛を理由に、わざと遅刻をすることもあった。
遅刻をすると担任の証明が必要になる。
先生と話すための、確かな口実だった。
「君は、どうしていつも遅刻をするんだ?」
「お腹が急に痛くなって・・・」
「体調は大丈夫なのか?」
愛美は、すぐには答えなかった。
「・・・はい。多分。」
「何か悩みでもあるのか?」
ーー悩みは、先生への想いなんだけどな。
文化祭の準備で遅くなった日、
校舎の奥、先生の準備室の窓に、明かりがまだ灯っていた。
「先生、この前の授業の質問なんですけど・・・」
放課後、愛美は、何度も、その部屋を訪れた。
「まだ残っていたのか。
今日はもう遅いから、車で送るよ。」
先生の匂いがする車内。
バックに入れるとき、先生は自然に身体を捻った。
助手席の背に置かれた腕。
その距離が、急に近くなる。
愛美は、視線の置き場に困った。
先生は、愛美のたわいもない話を笑って聞いてくれる。
そんな大人の余裕に、益々夢中になった。
ーーずっと一緒にいたい。
ーー信号がこのまま、青にならなければ良いのに。
けれど、先生と一緒にいられる時間は、いつも一瞬だった。
車が静かに止まり、家に着く。
先生が、引き留めてくれることは、なかった。
生徒以上の気持ちはない。
それが、はっきりと伝わってきた。
愛美の高校生活は、先生への想いで溢れていた。
認めてもらいたくて、
一緒にいたくて、勉強にも、クラブにも、必死だった。
先生に承認されることが、
愛美にとって、何よりの幸せだった。
卒業後、初めてのお給料で、
先生にブランドのネクタイをプレゼントした。
先生はとても喜んでくれた。
そして、愛美は意を決して、告白をした。
先生は、少し考えて、言葉を選びながら答えた。
「君は特別だった。」
「一人の男として、考えたことがないわけじゃない。」
ーートクン。
心臓が一つ、大きく鳴った。
愛美は、次の言葉を待った。
「でも、生徒だから、付き合うことはできない。」
「卒業したから、もう生徒じゃないです!」
先生は、ちょっと困ったように微笑み、
それでも、キッパリと言った。
「それでも、君はずっと、僕の生徒なんだよ。」
その瞬間、すべてが終わった。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「分かりました。
いつか、いい女になって、先生を後悔させます!」
愛美は、最後まで気丈に振る舞った。
ーー数年後。
「地球規模で考えたら、そんなの大したことないよ!」
豪快に笑う、彼の明るさに、愛美は何度も救われてきた。
「愛美ちゃん、俺、絶対に幸せにするから!」
人懐っこい笑顔。
いつも愛美のことを一番に考えてくれる人。
先生とは正反対のタイプだけれど、
この人で良かったと、心から思える。
先生は、確かに特別な人だった。
でも、今はもう、過去の人。
卒業アルバムに載っている愛美の名前も、
もうすぐ使われなくなる。
それで、もう良かった。
愛美は、アルバムを閉じた。
卒業アルバムを閉じるまで 白井琴理(しらい ことり) @shiraikotori
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