春風に揺れる恋の予感
兎月青葉
第1話
スマホの画面に、いつもの通知が光る。
「おはよう」
その文字を見た瞬間、私は思わず口元を緩めて、すぐに返信を打つ。
「ユウ! おはよう」
私は、ユウのことを何も知らない。
年齢も、本名も、性別も、国籍も。
なぜなら私たちは、オンラインゲームで知り合ったから。
出会いは、二年前。
あの頃の私は、学校にも家にも居場所がなくて、画面の向こうだけが世界とつながる唯一の窓だった。
「Battle」は、残酷なくらい単純なゲームだ。
銃を構え、敵を撃ち、最後まで生き残ったチームが勝つ。
現実では何ひとつ守れなかった私が、この世界では仲間を守れる。
ユウとは、そのチームで出会った。
ユウの指示はいつも的確で、ミスをしても責めない。
「大丈夫、次いこう」
その一言が、不思議なくらいあたたかく響く。
私はすぐにフレンド申請を送り、そこから毎日チームを組むようになる。
夜になると、自然とログインして、ユウを待つ。
「今日も来たね」
「うん」
それだけのやり取りなのに、胸の奥が少し軽くなる。
ユウは、余計なことを聞かない。
私たちは、あくまでもゲームの中の関係。
何も知らないまま、ただ一緒に戦う。
撃たれたら「ごめん」と言い、
勝てたら「ナイス」と言う。
それだけの関係なのに、
現実よりも、ずっとあたたかくて、居心地がいい。
――いや、それだけの関係だからこそ、なのかもしれない。
この関係が、いつか終わるなんて、
この時の私は、まだ想像もしていなかった。
ある日、いつものように「Battle」にログインすると、
信じられないお知らせが画面に表示される。
――今年の12月をもって、サービスを終了します――
言葉が、頭の中でゆっくり回る。
「……え?」
声が、自然とこぼれた。
(もう、ユウにも、チームのみんなにも会えない?)
慌ててチャットを開き、ユウに送る。
「お知らせ見た? Battle、無くなるって……」
「見たよ」
いつもより、少しだけ素っ気ない返事。
Battleがなくなれば、
私たちをつないでいた場所も、理由も、全部消える。
この関係は、
ゲームがあるからこそ、成り立っていたんじゃないか。
そんな不安が、胸をかすめる。
けれど――
「あのさ。二年間、一緒にゲームできて楽しかった」
画面に、ゆっくり文字が増えていく。
「僕と、友達になってほしい。連絡先、教えてよ」
その一文を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
嬉しいより先に、怖いが来る。
ゲームの外でつながること。
知らなかった現実が、形を持って近づいてくること。
それでも、このまま失うほうが、ずっと怖い。
ユウとつながっていたい気持ちは、私も同じだった。
指先が少し震えながら、私は緑チャットのIDを送る。
――もう、後戻りはできない。
そう思った瞬間、通知音が鳴る。
「追加したよ」
画面には、
〈秋月ユウタさんが友達に追加されました〉
と表示されていた。
(秋月ユウタ……)
胸の奥が、少しだけ熱い。
たった一行の名前。
それだけなのに、ユウが急に「画面の向こうの誰か」から、「どこかで息をしている人」に変わってしまった気がした。
ユウは、やっぱり男性だった。
声や話し方から、どこかでそう思っていたから、驚きはない。
一方で、私は少しだけ身構える。
私の名前は、ゲームでは『もみじ』。
本名とは、何の関係もない。
(変だって、思うかな……)
そう考えた瞬間、また通知が鳴る。
「もみじと、あかり。どっちがいい?」
「え? もみじ……がいい」
私の本名は、林野あかり。
そして私は、この名前が嫌いだ。
ユウは、私のことを何も知らない。
黙り込んでしまう癖も、
人の顔色ばかり気にするところも。
――あかりなのに、明るくない私を。
ユウは、まだ知らない。
それでも――
胸の奥の小さな何かが、確かに震えている。
「……よろしく」
そう打ってから、送信するまでに、ほんの数秒ためらう。
この言葉は、ゲームの中よりも重たい。
「こちらこそ。改めて、よろしくね」
ユウ――秋月ユウタのメッセージは、相変わらず短い。
でも、その短さが、今は少しだけ救いだった。
(いきなり、現実の話とかされなくてよかった)
そう思っている自分に、少しだけ罪悪感を覚える。
繋がりたいと願ったくせに、近づきすぎるのは怖いなんて。
「Battle、最後の日までやろう」
その一文が届いたとき、
私は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
終わりが決まっているからこそ、
この時間は、きっと今までより大切になる。
「うん。一緒に、最後まで」
送信ボタンを押した瞬間、
胸の奥の震えが、少しだけ大きくなった。
――まだ名前しか知らない人なのに。
――それでも、失いたくないと思ってしまう。
この気持ちに、名前をつける勇気は、まだない
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春風に揺れる恋の予感 兎月青葉 @utsukiaoba0322
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