第12話

 知らない駅前。人々の声の絶えない賑やかな通り。そのベンチに琢磨の姿はあった。彼の右腕は分厚い包帯で覆われていた。まともに動かせないが、支障はない。どのみち感覚は戻っていない。戻るかも、分からない。


(……)


 あれから2日。病院で目を覚ました琢磨は、真っ先に三咲にその後のことを聞いた。彼女は冷静に動いていた。近所の人々に助けを求め、梯子で琢磨を救出し、救急車を呼んだ。


(……近所の人、か)


 それが誰だったのか、琢磨はまだ聞けていない。もっとも近い家は確か紫藤さんのところのはず。……彼はどこまで知っていたのだろうか。車で運んでくれたのは? 鈴木さんのご家族か、あるいは行きと同じように、あのお姉さんか。


 彼女はこれからどうするのだろう。坂田祐一は消えた。それは実体の消滅を意味しない。だけど、少なくとも……きっともう、頼ることは出来ないだろう。


「琢磨?」


 琢磨は左手で包帯を掴んだ。……ああするしかなかった。ああでもしなければ助からなかった。だから。俺は。……本当にそうだったのだろうか?


「琢磨!」


 左肩を掴まれ、揺さぶられる。三咲だ。


「ん……」


「大丈夫? 意識ある? 息してるよね?」


「何を大げさな」


 琢磨は乾いた笑みを浮かべた。三咲がぎょっとしたような目でそれを見た。


「あのさ、琢磨。私……ううん。何にせよ、とっとと帰ろっか」


「うん」


「……」


 三咲は口ごもった。聞きたいことは山ほどあった。だけどどう見ても、それどころではなかった。


「切符、買ってきてくれてありがとな」


 琢磨が力のない声で言った。


「行かせられるわけないでしょ。ホントなら入院なんだよ?」


「ごめん。どうしても帰りたかったから」


「……」


 三咲は琢磨の目を見た。琢磨は目を逸らした。ふぅ、とため息をつき、三咲は手を差し伸べた。


「じゃあ……帰ろっか。とにかくさ、何か困ったことあったら言ってね?」


「うん」


「じゃ、行こう。……歩ける?」


「うん」


 まるでうわの空だ。三咲は手を引きながら思う。なんとか様のお社で目覚めてから今の今まで、状況がちっとも分からない。なんで私があそこにいたのか。琢磨はこんな怪我をしているのか。


 裂けた手が見えた時の、そのショックを三咲は一生忘れられそうになかった。琢磨は顔にも打撲を負っており、体も冷えてしまっていた。酷い失血状態だった。救急医もそう言っていた。あと数十分遅れていれば死んでいた、と。


(……私のせい、なのかな?)


「……!」


 ふと、琢磨が立ち止まる。三咲は考え事をやめて彼を見た。どこか一点を見つめている。……土産物屋?


「何見てるの?」


 琢磨は答えない。三咲は視線の先を追った。そこにはどこか見慣れた形のキーホルダーが陳列されていた。


「それ、ほしいの?」


「いらない」


 上ずった声で答えられ、三咲は戸惑った。琢磨が歩き出し、彼女は慌てて続いた。


(何か……話題とか、ないかな? ……話すのもしんどいかな……)


「……あ」


 今度は三咲が立ち止まる。琢磨はジトッとした目で彼女を見た。


「どうした?」


「あ、うん、いや」


「どうしたんだよ」


 琢磨は心配そうに言った。その様子にどこか戸惑いつつ、三咲は答えた。


「……どうでもいいこと思い出しちゃって」


「何?」


「さっきのやつ。うちにも似たようなのあったな、って。どっか行っちゃったけど」


「……そっか」


 琢磨は乾いた笑みを浮かべる。それが嫌で、三咲は付け加えた。


「えっとさ、お隣さんがくれたんだよ、あれ。ほら、坂田さんじゃない方の」


「あの女の人?」


 そういえば、彼には同居人がいたか。琢磨は思い出す。確か、名前は……


「……紫藤さん?」


「あ、そうそう。紫藤……えっと、葵さん」


 正直、極端に影の薄い人だった。引っ越しの挨拶の時に会ったはずだが、二人ともその顔すらも思い出せない。


「……ま、どうでもいいよね」


「だな」


 それから特に目立った会話もなかった。二人で歩きながら、琢磨は一連の出来事を振り返った。あの夜のこと。占い師のこと。坂田さんのこと。その姉と。紫藤さんと。そして……


(……忘れよう)


 琢磨はそう自分に言い聞かせた。叶うとも思わないが、その努力はしておこう。この辺りにもあの山にも、どうせ二度と来ることはない。そうすれば、きっといつか――


「あれ?」


 三咲が立ち止まる。琢磨は振り向いた。彼女は虚空を向いていた。


「どうしてこんなとこ……どうしたんですかその左目!?」


 三咲は喋り続けていた。……悪夢はまだ、しばらくは去らないだろう。琢磨は目を閉じた。今はただ、何も考えたくはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鱗は誘う 餅辺 @motibe_tsukuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画