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巡里恩琉
序
後半43分、タイマーは疾うに鳴った。フィールドを目一杯使い切って、フッカーが振り切るように捩じ込むように決めた、タッチラインぎりぎりのトライ。制限時間(ショットクロック)残り30秒。およそ19mにティを刺す。大体60°40m。無茶ではあるが無理ではない。一陣の風が汗に濡れた前髪を擽る。頻度は高くないが風が吹けば流されるだろう。深く息を吐く。相手エイトの鋭い眼の圧に笑みが漏れた。分かる。最後の試合はきっと美しく終わらせたいよな。2歩下がる。一切の無音。誰もが呼吸すら殺して、この場に生きているのは俺だけだった。大きく右を踏み込む。相手バックスがチャージを仕掛けにくる。楕円のケツを左で捉える。暗い曇天に白が高らかに舞う。煩いくらいの鼓動が耳元に響く。わずかに先端がブレる。どうか風よ吹いてくれるな。高度11m。副審の旗が――
・・・
練習は週3回、北グラウンドテニスコート側。……テニスコートが何処だ? 暫くは週末に試合があるらしい。見てから決めたっていい。今年から地区対抗1部だって書いてあるし、サークルじゃなく部活な辺り未経験は断られるかもしれない。どうかな。何でもいいや、今は兎に角……
「よ。C科の奴だよな、君もラグビーやんの?」
立て看板をぼんやり読んでいれば肩を叩かれる。跳ね上がりそうな肩を飲み込んで見やれば、人好きのする笑みを浮かべた見覚えのある男がいた。先だってのオリエンテーションで隣のグループにいたはずだ。確か久堅と言ったか
「その、興味はある、けど。未経験だしいいのかな……あ俺、建穂。建穂千歳。よろしく、えと久堅君?」
「俺名乗ったっけ? まぁいいや、呼び捨てでいいよ。もちろん、大歓迎。試合見たことは?」
差し出した手を握ったのはよく日に焼けた掌で、硬く厚みがある。火傷しそうなほど熱い、陸の運動部の手だ
「ゴメンけどない。でも読んだことは一応。俺にできるか分からないけど」
「明日の新歓試合見て決めようって? なら俺も行くし、一緒見る?」
「え助かる、けど久堅の迷惑にならない?」
きっと俺色々聞くよ、と言えば大丈夫、と笑った
「どっちみち見ようと思ってたし、興味持ってもらえんの嬉しい」
バスケとかバレーとかメジャーなのに背高いヤツ行っちゃうし、アメフトにも取られがちだから、と久堅は続けた。そう言えば前にそんな漫画があったことを思い出す。友達が好きだっけ
「ラグビーの方が紳士的なのにさ」
「ふぅん?……季語が冬っていうのは知ってたけど」
「何て?」
「読んだことはあるって言ったろ」
手持ちの本を読み切ってしまって辞書読んでたと言えば信じられないものを見る目をされる。失礼な、学年に1人くらいいただろう
「そこで辞書の事だとは普通誰も思わねんだわ……。まぁいいや。明日、図書館前待ち合わせで行くでいい?」
横目で開始時刻を確認しながら頷く。明日は13時キックオフだし12時半にでも集まれば十分間に合うだろう。日が伸びたと言ってもまだ冬が名残り、早くも暮れだした構内は次第に酒宴の気配を帯びる。一陣の風に連れられ足許を仄色着いた白が侵した。ゆるり笑う男の目だけが街灯よりも早く煌々としていた
「楽しみだな」
翌日。4月14日土曜日午前11時。昼飯をどうするか決めてなかったから早めに大学を目指した。学食は土日休業のため近くのスーパーでおにぎりとお茶を買う。図書館前に中庭と東屋があった筈だ。部室棟から離れた辺りは随分と静かで、本当に試合があったか立て看板を何度も確認してしまう
「お、いた。おはよう、早いな」
「ん、入れ違ったり見失ったらヤだろ」
おにぎりの最後の一欠片を放り込む。黒いダウンに暗いジーンズ、日によく焼けた久堅はその瞳だけがやけに目を惹いた。ペットボトルのお茶を流し込む。もう少し濃いほうが好みだけどこればかりは仕方ない
「昼は食った? もう行く?」
「食って来た、大丈夫 建穂がいいなら行こう」
埃を払って立ち上がる。この辺りは公孫樹並木なのか花は少なく、青々としている。並んだ久堅はそうだ、と前置きした
「ラグビーで知ってることは?」
「イングランド、ウォリックシャー州エイボン川沿いにある町……ってボケは通じなさそうだな。えーっとラ式蹴球、闘球とも呼ばれ、楕円形のボールを用い、蹴るだけでなく抱えて走ることができる。パスは前に出してはならない……とか?」
図書館と管理棟の間の道を抜ける。風に連れられて仄色ついた白が溢れるように転がる。右手側からラケットでボールを打ち返す音が聞こえてきた
「他には?」
「んー……一チーム15人乃至13人で、その他10人や9人、7人のこともある。季語は冬」
左手には校庭らしい砂地のグラウンド。奥の方にサッカーのゴールなんかも見えるから普段はきっと共有しているのだろう。グラウンドの四辺に桜並木が続いていた。おそらくまだ準備中なのだろう、大きなメジャーやライン引きを転がしたり、旗を立てたりしていた
「なるほど。13人や9人のはリーグラグビーって言って、日本で観る機会ほとんどないと思う。今から観る15人制、いわゆるラグビーユニオンとは少しルールが違う……らしい。俺もリーグラグビー見たことないから詳しくは分からん」
7人制(セブンズ)はこないだのリオから五輪種目だし見る機会も増えると思う。そう言って久堅は足を止めた
「この辺でいいだろ」
「お、新入生?」
鮮橙のユニフォームを着た男がこちらに気づいて近づいてくる。ストロベリーブロンドで、見えてる集団の内では一等細いように思えた。ユニホームの他は揃いのジャージ姿で、見学はどうやら俺達だけらしかった
「良かったら向こうおいでよ、ベンチあるし見やすいと思う」
「ありがとうございます。でもこいつ初めてラグビー観るらしくて、色々話し込んじゃうと思うんでここで大丈夫ですよ」
先輩は緩く首を傾いで、そ?いつでも向こう来ていいからね、といった
「わかりました。……そうだ、今日は何分ハーフですか?」
「新歓だし、お互い人数少ないから25分」
「分かりました」
「ん、そうだ、何て呼べばいい? 俺は3年E科の朝比奈。ヒナって呼んで」
「久堅です、それでこっちが」
「あ、と守木高校から来ました、C科の建穂です。よろしくお願いします」
「よろしく、ってCつった? レアじゃん! ああいや、あとで話そう。今からの試合楽しんでって」
細い腕が思いのほか力強く握手をし、嵐のように過ぎ去る。自体が上手く呑み込めないまま瞬きを繰り返せば久堅が耐え切れないように噴出した
「怖くなった?」
「いや、それは ちょっと驚いたけど」
「そっか」
「……今の先輩、Eってことは電気? 機械が多いっていうのは聞いてたけど電気も人数多いんだ……」
「っぽいな。ウチ(化学)は50人居ないから少ない方だろうとは思ったけど」
桜の下、縁石に並んで腰を据えることしばらく。定刻になった。広いグラウンドの上、鮮橙と爽碧の2色は一度列を成すと、すぐに爽碧は広く散らばった。笛が鳴る。白が高く蹴り上がった。鮮橙がそれを追い、爽碧が跳び上がった
「知っての通り、ラグビーは横か後ろに投げる。前に投げたらスローフォワードで、取りこぼしてもノックオンって反則、スクラムで再開する。つまりアレ」
屈強な男たちが力を漲らせ、声を上げながら塊になっていく。キャッチミスなんてよくあるだろうに毎度こんなことをしてたら1時間も体力が持つまいと思った
「……ミスの代償物々しすぎん……?」
「ん?……ああ、言われれば屈強だしパッと見重たいか? でもどっちもボール捕れる可能性あるし、公平だよ」
「……フィジカル差があったら一方的な気もするけど」
「否定はしない」
でもすぐ点が取られるものでもないし、やっぱり公平だと久堅は言った。塊は僅かに前後する。鮮橙が飛び出した
「後は……、ああ、基本的にボールより後ろ、自陣側にいること。敵陣側からボールに突っ込むとオフサイド。これはズルいからスクラムじゃなくてキックで再開することもある。その辺はチームの戦略次第」
「キックの方がペナルティとしては重いってこと?」
「そ。ラグビーって陣取りゲームだから距離稼ぎたいんだわ」
仄色零れる向こうで軽く飛び上がったストロベリーブロンドがボールを捕捉する。半歩フェイントをかけるように左右にぶれて再度ボールは高く舞った
「はは、新歓だから見た目派手にやってら」
「……発言大分メタいけど大丈夫そ? ところでさっきから気になってるんだけど、蹴ったボールキャッチする時何か言ってない?」
「?……ああ、マイボかマークじゃね?」
よく聞き取ったな、と久堅は笑った。正直何か叫んでるなぁまでしか分かってないけど些末事は言わぬが花だろう、たぶん
「今のは多分マイボだな。マイボールの略で、ボールの所在を主張する。味方ならマァ声で誰か分かるし。相手ボールになるとヤーボ(関東)とかヤンボ(関西)とか言う。これは地域差って聞いたな。マークは、うーん……」
久堅は言葉を選ぶように目を細めた。すっと晴れた青い空に、桜と時々白い楕円が舞う。水の中にはない賑やかさだった
「今言っても混乱させるだけな気がするからまた今度な」
鮮橙が腕を弾かれ、短く鋭い笛。厳つい男たちが集まっていった
「ラグビーは番号でポジションが決まってて、今集まってるのがフォワード。先頭の3人がプロップとフッカーで一番ゴツい。その後ろの4人がロックとフランカー、大体デカい方がロックな。最後がナンバーエイト」
「……ナンバーエイトだけ番号?」
「そ、チームの中心。覚えやすいだろ」
「15割る2で7余り1……ちょ、おい何か言えって」
今の突っ込むところだろ、と文句を言う頃、審判の掛け声で2色が塊になる。爽碧の9番がチームの先頭の腕をボールでつついてから放り込んだ
「今ボール入れたのがスクラムハーフ。で、後ろに散ってるのがバックス。スクラムから出たボールを最初に受け取るのが大体スタンドオフ、あとは一番うしろがフルバック。最後の砦ってやつな。その他は今はいいだろ」
スクラムハーフとエイトが屈み、爽碧のスクラムハーフがボールを放る。スタンドオフが掴み、パスか前進かボールを迷わすように半歩踏み込むとさらに横へ。中央から大外へ長いパス。間へ飛び込んだ鮮橙がそのまま走り抜ける。マネージャーだろう歓声と落胆が砂場に響いた
「インターセプト!上手く読んだな」
失敗すると反則取られるんだ、と続ける。慌てて爽碧が戻る中、鮮橙とフルバックの1on1。前屈みに突っ込むのを半歩躱そうとする。追い付いた爽碧が更に突っ込む。外足を軸に捻り上がりボールが転がる。更に追い付いた鮮橙のバックスと体勢立て直した爽碧のフルバックが組み合った
「タックルされたらボールを離すこと、タックルしたらすぐ離れること。危ねェし邪魔だからな」
「しなかったら反則ってこと?」
「そ。ノットリリースとノットロールアウェイ。どっちもスクラムかキック」
「重たいんだ。……でもしたくてもできない時は?」
「審判にアピール。そこまで鬼じゃないから汲んでくれる」
もぞりと離れた爽碧は兎も角、組み合いの中に取り残された鮮橙が動くに動けないでいるのはいいんだろうか。集まる爽碧は列になり、鮮橙は深く散らばっている
「アレはラック。地べたのボールは足で掻き出す。手を使ったらハンド」
「今9番が手で取り出したけど……」
「ラックに参加、あー組み合ってねぇからいいの」
ボールを抱えてすぐ脇に突っ込む、組み合う。伏せて動けずにいた鮮橙が躙り出る。ざりざりと組み合ったまま5人ほどの集団が斜めに回る。じりじりと爽碧の列が下がった
「アレはモール。ボールが落ちたらノックオンかラックになる」
「目ェ回りそう」
「ゴール前で攻防激しいから余計だろ」
最後尾の12番が飛び出す。爽碧が迎え撃つ。抱え上げられた右脚に押し出されて白が零れた
「勿体ねェぞ!……あ、悪ぃ」
「いや、うん びっくりはしたけど……。……? 今取り零したのに反則になってない?」
「その後向こうボールになってたろ、反則された側が有利の場合アドバンテージを見るんだ」
「ほぉん……?」
「解消されるまでにミスった場合、反則された位置から自分ボールで再開出来るから思い切ってプレー出来るってわけ。はは、分かってねぇ顔 まぁ見てなって」
爽碧を追うように鮮橙が入り混じる。押し退ける。躱す。歓声とも悲鳴とも取れる声がグラウンドの向こうから響いた。ストロベリーブロンドが待ち構える。真正面を避けるように爽碧が捩る。目の前を駆け抜けた鮮橙が背後から追いつきその足元へ手を伸ばした。勢いのまま転がる。バランスを逸しボールがこぼれる。鮮橙が拾う。鋭く笛が鳴った
「さっきのノックオンの場所から再開。これがアドバンテージだけど、まだ分かんなくていいよ」
再度スクラムが組まれる。爽碧がボールを放り入れる。バックスに渡った白が高く舞った。頭上でがさり、枝が鳴った
「なんか集まってきてるけど、線出ってスローインじゃないの?」
「スローインと変わらないと思うぞ、ただボールを捕り合うだけで」
間隔を空けて二色が縦に並ぶ。中央奥で黒が手を挙げた。2番が真直ぐ白を放る。危ういバランスで高く聳えた男が長く手を伸ばした
「……ド迫力……」
呆然と呟いたそれに隣から忍び笑う気配がした。
BiN 巡里恩琉 @kanataazuma
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