第4話 最初のズレ
放課後の教室は、昼間よりも音が少ない。
窓の外では、部活の掛け声が遠くに聞こえていた。恒一は机に頬杖をつき、スマホの画面を眺めている。隣の席では、紬が黙々とプリントを整理していた。
「……ねえ」
先に口を開いたのは、紬だった。
「今日、どこか行く予定ある?」
「特にないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
恒一は少しだけ迷ってから、頷いた。
「うん」
その反応を見て、紬はほっとしたように肩の力を抜いた。
——それを見て、恒一はなぜか胸がざわついた。
校門を出て、駅とは反対方向へ歩く。第2章で来たあの公園とは違う、小さな川沿いの道だった。
「最近さ」
紬が言う。
「桐谷くん、他の人と話してるの見ると、ちょっと不思議な気分になる」
「不思議?」
「うん。なんていうか……遠い、みたいな」
恒一は足を止めた。
「俺、変わってないと思うけど」
「そうなんだけどね」
紬も立ち止まり、川の流れに視線を落とす。
「でもさ、私が知らない桐谷くんが、当たり前みたいに存在するの、ちょっとだけ嫌」
その言葉は、柔らかく包まれていた。
冗談の形をしている。
でも、完全に冗談じゃない。
「……篠原」
「ごめん。変なこと言った」
紬はすぐに笑ってみせた。
いつもの、調整された笑顔。
恒一は、その笑顔に救われた気がしてしまった自分に、違和感を覚えた。
「嫌なら、無理しなくていいよ」
そう言ったつもりだった。
「無理?」
紬は、ほんの少しだけ目を細めた。
「無理してるように見える?」
「いや、そうじゃなくて……」
言葉を選んでいる間に、紬は一歩近づいた。
「桐谷くんは、私のこと、どう思ってる?」
急に核心を突かれて、恒一は息を詰めた。
「大切だよ」
嘘じゃない。
むしろ、正直すぎるくらいだ。
「それだけ?」
声は静かだった。責める色もない。
「好き、だよ」
言葉にした瞬間、胸が少し軽くなる。
けれど同時に、何かが足りない気もした。
紬は黙ったまま、恒一を見つめていた。
期待していた答えと、違ったのかもしれない。
でも、何が違うのかを言葉にすることは、彼女もしなかった。
「……そっか」
少し間を置いて、紬はそう言った。
「じゃあ、よかった」
そう言って微笑む。その表情は穏やかで、どこにも棘はない。
だからこそ、恒一は余計に分からなくなる。
「ねえ」
紬が袖を軽く掴んだ。
「ずっと、そばにいてくれるよね」
問いかけの形をしているけれど、
その実、確認だった。
「……うん」
答えた瞬間、胸の奥で何かがきしんだ。
その「うん」は、
今の気持ちに嘘はない。
でも、「ずっと」の重さを、恒一はまだ測れていなかった。
紬は安心したように手を離し、歩き出す。
その背中を見ながら、恒一は思った。
——俺は、彼女を好きだ。
——でも、彼女が俺に求めている場所に、
——自分は立てているんだろうか。
同じ言葉を使っている。
同じ方向を向いているつもりでも。
ほんの少し、立っている位置が違う。
そのズレはまだ小さくて、
見ないふりをすれば、気づかずに済む程度だった。
だから二人とも、
その日は何事もなかったように笑って別れた。
——それが、
後で一番痛い形で思い出されることになるとも知らずに。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ、続きもお付き合いください。
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