寒度良好

小狸

掌編

「うーっ、今日もさみぃな」


 朝起きて、歯を磨いて、着替えて、部屋の空気を入れ替えするのが、私の習慣である。


 たとえ寒くとも、暑くとも、である。


 寝ている間は、どうやったところで、窓の開け閉めはできないので、必然的に空気は室内に滞留することになる。


 そのままでは何となく気分が悪いので、窓を開け換気をするのである。


 いや、確かこれは、私の母が、よくやっていた習慣ではなかったか。


 朝、ガラガラと雨戸を空けて――新しい空気を感じ、伸びをしていた。春夏秋冬どの時期でも、である。


 母は元気な人であった。


 私が仕事をし、実家を離れるようになってからは、いつも暇ができると、どこかへ一人で旅行しに行っていた。長期休暇で実家に帰省するたび、母から土産話を沢山聞かされていた。


 母が亡くなったのは、3年ほど前である。


 死因は、老衰と肺炎と医者からは言われていた。最期は、病床で迎えた。


 確かそれも、冬の時期、であった。


 ああ――そうか。


 と、私は気付いた。


 3年も経つと、人は忘れるのか。


 記憶がび付いてくるのである。


 それだけではない。


 身体の感覚も、若いころのようにはいかない。


 今年で私も、60歳になった。


 感覚器官が、以前にも増して鈍くなったのを感じる。


 いや、感じるというか――感じない、のだが。


 当然ながら若い頃にしていたような無茶はもう絶対にできないだろうし、何なら下手したら入院してしまうだろう。

 

 職場は、教師という性質上色々な学校を転々とし、その上で色々なことを学ばせてもらっている。なかなかどうして一概に語ることはできない人生ではあったけれど、今度は、私が若い世代に恩を返す番である――と、そう思っている。


 色々なことが、終わりに向かい、収束してくる時分である。


 母も最後の入院前まではとても元気であったけれど、今振り返ると、感覚、特に気温の感じ方についての私との齟齬そごは、十分にあったように思う。


 私もいつか、この冬の寒さを、感じなくなる時が来るのだろうか。


 寒いと思わなくなる瞬間は、きっと自分が、冷たくなっている頃合いなのだろう。


 気付かない、気付けない――認識云々の話ではなく、身体が受け取る信号が、微弱になってゆくのだ。どうしようもない。


 それでも今は。


 まだ寒いと、思うことができている。


 それは、私が生きている、何よりの証左だろう。


 窓を閉め、暖房を付けた。


 年末年始は、本でも読もうと、私は思った。




(「かん良好」――了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寒度良好 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ