レンタル伯爵令嬢は本物の公爵に溺愛される

久遠れん

レンタル伯爵令嬢は本物の公爵に溺愛される

 ヒューレット男爵家の財政は火の車だった。


 馬車の事故でヒューレット男爵と男爵夫人が亡くなったのが先々月のこと。

 突然の不幸を悲しむ間もなく、第一子であり長女であるキャロラインの肩には多大な負担が降りかかった。


 キャロラインは十五歳で、弟のシャロンはまだ十歳。

 幼い弟に男爵が務まるはずもなく、彼女は弟が十五歳で成人するまでの五年の間は代理で当主を務めることとなった。


 貴族ではあるが、地位の低い男爵家だったので、領地が小さかったのが幸いした。

 家庭教師から習った範囲で、ギリギリではあるがキャロラインが税収を判断できたのだ。


(とはいえ、切迫している状況は変わらないわ。領民には私たちを不安視する者もいると聞くし……どうしたものかしら……)


 両親が旅立ち、残された姉弟が領地の経営をするとなれば、不安に思われるのは当たり前だ。

 父の執務室で昨年度の税収を記した紙とにらみ合いをしながら、キャロラインは頭を抱える。


 扉が軽くノックされる。

 返事をすれば、祖父の代から仕えている老執事が扉を開けた。


「お嬢様、お客様がおこしです」

「どなたかしら?」

「ポール・マキリップ伯爵でございます」


(私には接点のない方ね。お父様のお知り合いかしら)


 不思議に思いつつ、椅子から立ち上がる。ドレスを軽く整えて「応接室にお通しして」と伝える。

一礼して下がった執事を見送り、執務室の引き出しに入れていた手鏡で髪型が乱れていないかを確認する。


 浅く息を吐き、呼吸を整える。

 亡き父を悼んでくれる人ならばいいが、腹の探り合いに来たのならば相応の覚悟が必要だ。


 鏡に向かって軽く笑って、上手く笑えているかを確かめて、執務室を後にした。






「失礼します」


 応接室に入り、ドレスの裾をつまんで一礼する。


「キャロライン・ヒューレットです。初めまして、ポール伯爵」


 軽く頭を下げてから視線を上げると、ソファに座っている恰幅のいいポールはどこか懐かしむような眼差しでキャロラインを見つめていた。


「……あの……?」


 なにも返事がないので、そっと口を開く。

 なぜか目元を潤ませているポールは、懐から取り出したハンカチで目元を拭って「すまないね」と柔らかく笑った。


「君があまりに亡くなった娘にそっくりなものだから」

「お悔み申し上げます」

「今日、君を訪ねたのは、少し相談があってね。ああ、自己紹介が遅れてしまった。私はポール・マキリップ伯爵だ」


 知らない令嬢の死を悼む言葉を口にする。

 似ている、といわれてもその令嬢を思い出せないのは、本当に接点がないからだ。


 対面のソファに座ったキャロラインを、上から下までポールが見る。

 そこに不快さはなかった。ただ、娘を慈しむような優しい眼差しだけがあって、少しくすぐったい。


「ご相談、とは」

「端的に言おう。君に、我が家の娘として振る舞ってほしい」

「……?」


 いわれた言葉をすぐに理解できず、ぱち、と瞬きをしてしまう。


 『娘として振る舞ってほしい』とは、どういう意味なのか。

 戸惑うキャロラインに、ポールは一枚の姿絵を差し出した。


「これは私の娘のスザンヌの姿絵だ。見てくれないか」

「……確かに似ておりますね」


 ローテーブルに置かれた姿絵を手に取る。

 キャロラインと同じ少しうねった金の髪に青い瞳。


 涼やかな表情で描かれた姿絵は、鏡で見るキャロラインの外見と酷似しているといえなくもない。

 だが、金髪碧眼などありふれている。特別な類似点ではない。


「娘が病気で亡くなってから、妻は落ち込み気を病んでいる。子宝に中々恵まれず、苦悩していたところに生まれた一人娘だったから、後を追うのではないかと冷や汗が止まらないんだ」


 話を聞けば聞くほど、気の毒だとは思う。

 だが、キャロラインにできることなどないと思える。

 眉を潜める彼女に、ポールは声音を抑えて話し出した。


「外見と年のころが似ている君に、娘の代わりを頼みたい」

「それは……」

「もちろん、報酬は用意しよう。一年でいい、妻が落ち着くまで娘として我が家で暮らしてはもらえないか」


 そう告げて、ローテーブルにポールはどんと大きな袋を置いた。

 じゃらりとした音から、中に詰まっているのはお金だとわかる。


 ポールがゆっくりと袋のひもをとくと、その中には莫大な金貨が納められている。

 思わず目を見張ったキャロラインの前で、彼は切なげに笑う。


「無理を承知の上だ。君には幼い弟もいると聞いた。彼の面倒もみる。どうか、頼めないだろうか」

「! 頭を上げてください!!」


 深々と頭を下げるポールに慌ててキャロラインは声を上げた。

 伯爵が爵位が下の男爵家の令嬢に頭を下げるなど、本来あり得ない。


 彼はその気になれば権力をちらつかせて、問答無用でキャロラインを連れていくことができる。

 こうやって、金銭を差し出し、頭を下げて交渉などしなくていいのだ。


 キャロラインを一人の人間として見ているからこその、誠実な態度。

 それに、報いたいと思ってしまう。


 なにより、提示されている金銭がとても魅力的だ。

 火の車のヒューレット家の財政を管理している彼女からすれば、喉から手が出るほど欲しい。


「……わかりました、お受けします。弟のことは大丈夫です。あの子も十歳ですから、使用人がいれば暮らしていけます」


 キャロラインの弟のシャロンは賢い。

 事情を説明して、一年だけ屋敷をあけると伝えれば、納得してくれるだろう。


「本当かね?!」

「はい」


 頭を上げて顔を輝かせたポールは、どこか憎めない。

 金で買われるようなものだが、期限もあるし、報酬がなにより魅力的だ。


(最終手段は、後妻を探している人への嫁入りだと思っていたから、それに比べれば!)


 キャロラインにとって、この取引は何も後ろ暗いこともなければ、むしろ渡りに船なのだ。


「ただ、そちらのお屋敷で暮らしながら、領地への指示を出すことは許可をいただきたいです」

「もちろんだ。私が税収に関してみてあげてもいい」

「ありがとうございます。助かります!」


 マキリップ伯爵家は豊かな領地を持っていると噂を聞いたことがある。

 頼りになる言葉に表情を輝かせたキャロラインに、彼は優しく微笑んだ。


 その笑みは、娘を見る父親そのものだった。






 予想外に弟シャロンの説得に苦労したが、どうにか納得させた。

 執事とメイドたちに弟を頼み、五日後にはキャロラインはマキリップ伯爵家へと足を運んだ。


(今日から一年間、ここが私の帰る場所)


 貴族街の外れに建っているヒューレット男爵家の二倍は大きいマキリップ伯爵家を見上げて、キャロラインは一つ頷く。


 貴族街の中心よりの立地と相まって、最近は金勘定ばかりしていたから、維持費が気になってしまう。


「スザンヌ、よく帰ったね」


 玄関から中に入ると、ポールが出迎えてくれた。

 『スザンヌ』と呼ばれるのは事前に了承をとられている。


 メーガンが娘の死をいまだに受け入れていないからだと説明を受けている。

 一年の間、キャロラインはスザンヌとして暮らすのだ。


 スザンヌが好んで身に着けていたというドレスとアクセサリーを借り受けて、準備は万端だ。


「ただいま戻りました、お父様」


 スザンヌが亡くなってから一か月。

 その間、彼女は別荘で療養していた、という設定になっているらしい。


「こっちだ。お母様に顔を見せてあげてくれ」

「はい」


 部屋に閉じこもっているというメーガンの元に案内される。

 ポールが扉を開けると、窓際に椅子をおいて、ぼんやりと彼女は外を見ていた。


「メーガン、スザンヌが戻ったよ」

「旦那様、一体何を……? スザンヌ!」

「お母様、ご心配をおかけしました」


 ガタッと椅子から立ち上がったメーガンがよろよろとキャロラインに近づいてくる。

 そっと伸ばされた不健康に細い指先が頬に揺れる。


 じっと見上げると、頬はこけ、やつれているのがよくわかった。

 キャロラインは両親を同時に失くしたが、娘に先立たれるのはまた別の痛みがあるのだろう。


「ああ、ああ。顔をよく見せて。スザンヌ、よく戻りましたね……!」


 はらはらと涙を流すメーガンに、キャロラインは凪いだ心で穏やかに笑う。


「お母様、そんなに泣かないでください」


 マキリップ伯爵から教えられているスザンヌは心優しくて大人しい令嬢、ということだった。

 脳内でイメージしながら、ゆるやかに言葉を紡ぐ。


 キャロラインより頭半分ほど身長の高いメーガンが、たまらずといった様子で彼女を抱きしめる。

 細い腕の中で、そっと背中に手を回した。


「貴女が死ぬ悪夢を見たのです……! お母様は耐えられなくて……!」

「それは悪い夢です。大丈夫ですよ、スザンヌはここにいます。お母様」


 悪夢ではなく現実だけれど。それを突き付けるのは残酷に過ぎる。

 ぽんぽんと優しく背中を撫でながら、キャロラインは、でも、と考えてしまう。


(事実を知った時の方が、残酷かもしれないわ)


 キャロラインとマキリップ伯爵の契約は一年だ。

 一年後、お屋敷を去るときに。果たしてメーガンは今度こそ娘の喪失を受け入れられるのか。


 キャロラインにはわからない。






 キャロラインがスザンヌとしてマキリップ伯爵家で暮らしだして、早三ヵ月が立とうとしている。


 午前中はヒューレット家の財務についてマキリップ伯爵に相談したりして過ごし、午後はメーガンと庭園を散歩したり、ピアノの連弾をしたり、共に刺繍をしたりして穏やかな時間を過ごしている。


 そんな日々の中、とある人物がマキリップ伯爵家を訪れた。

 ジェイソン・クルック公爵、彼は『スザンヌ』に話があると執事に告げたという。


「……どうしたものかしら」


 朝からポールは登城している。彼との関係性を尋ねようにも、いない相手には聞けなかった。

 メーガンもまた、お茶会に呼ばれたといって出かけてしまっている。それとなく話を聞くこともできない。


(お二人の不在を狙っている?)


 普段、夫妻は二人揃って屋敷をあけることはない。

 ポールはキャロラインを心配してのことだし、メーガンは娘から離れたがらないからだ。


 その二人が同時にいないタイミングで訪ねてきたジェイソンの来訪は、偶然だとは考えにくい。


(杞憂だといいけれど)


 マキリップ伯爵家に仕えるまだ年若い執事は、ジェイソンを応接室に通したとキャロラインに告げた。

 彼女の事情を知る執事は、ずいぶんと心配げにしていたが、追い返すこともできなかったらしい。


 浅く息を吐き出して、キャロラインは応接室に向かった。






「こんにちは、ジェイソン公爵」


 応接室のソファにどかりと腰を下ろしているジェイソンに当たり障りのない挨拶をする。

 既知なのかどうかすら知らないので、迂闊なことは口に出せない。


 優雅な仕草でソファに腰を下ろしたキャロラインに、ジェイソンはゆっくりと口を開いた。


「久しぶりだな、スザンヌ」

「はい、お久しぶりです」

「俺たちは初対面だが?」

「っ」


 引っかけられた。そもそもが事前情報なしに相手にしようというのが無理だったのだ。

 ため息をこらえる。これ以上の弱みは見せられない。


 ジェイソンが足を組む。膝の上で手を重ねられると、威圧するようにも思える仕草だ。

 少しだけ眉を潜めてしまう。


 バリトンボイスに野性味のある彼がそういう行動をとれば、大抵の令嬢は委縮するだろう。

 だが、キャロラインはその『大抵の令嬢』には当てはまらない。


「金で買われていると聞いた」


 単刀直入な物言いにも表情は動かさない。

 ジェイソンはさらに言葉を重ねる。


「事情は知らんが、無理を強いられているのではないか?」


(もしかして、心配されている……?)


 彼の言葉にはキャロラインへの労りが見て取れる。

 わずかに眉を動かした彼女に、さらに畳みかけるようにジェイソンは言葉を紡いだ。


「ヒューレット男爵家が金に不自由しているのは知っていたが、自らを売ることはないだろう……!」


 どこか怒りが込められたセリフに、キャロラインは確信した。

 これは、憤っているのだ、と。キャロラインの置かれた状況を誤解して、怒ってくれている。


 ならば、相応の誠意を見せなければならない。キャロラインは薄く笑みを浮かべて「いいえ」と首を横に振る。


「事情は申し上げられませんが、私は自らの意思でここにいます。金銭でのやり取りがなかったわけではありませんが、理不尽を強いられているわけではありません」


 穏やかな口調で疑惑を否定したキャロラインに、ジェイソンが眉を潜める。


「そういえ、と脅されているのか」

「違います」

「では、事情を聞かせてもらいたい」

「それは……」


 高圧的な態度は崩れない。

 ポールとの契約内容に守秘義務はなかったが、おいそれと他家の事情を喋るのは憚られる。


 迷いを見せたキャロラインに、ジェイソンがうっそりと笑う。


「君が無理強いをされ、亡くなったスザンヌ嬢の代わりをさせられていると魔法省に通報してもいいんだぞ」

「……わかりました」


 そんなことになれば、それこそポールに迷惑をかけるし、今度こそメーガンは倒れるかもしれない。

 三か月の間に、二人に対する情が沸いているから、もめ事は避けたい。

 一拍の間に覚悟を決めて、キャロラインはまっすぐにジェイソンを見つめる。


「他言無用でお願いします」

「内容次第だな」


 口の端を吊り上げて笑ったジェイソンに、ため息を一つ吐く。

 それでも、話さないという選択肢はない。


 キャロラインはポールからの打診の内容を、できるだけ丁寧に語った。


「……そうか。メーガン夫人はそこまで心を病んでいたのか」


 語り聞かせた内容に、ジェイソンはようやく納得した様子を見せた。頷く彼に、キャロラインは軽く肩をすくめる。


「契約内容は書面でも残っています。心配されるようなことは何もありません」

「ふむ」


 顎に手を当ててなにやら考え込んでいるジェイソンに、今度はキャロラインが問いを投げかける。


「どうしてそこまで気にされるのですか? スザンヌ様と交流があったわけではないのですよね?」


 もし、スザンヌと交流があったのなら、最初の試し言葉は「久しぶりだな」ではなかったはずだ。

 キャロラインの疑問に、ジェイソンが視線を逸らす。


「……夜会で君の姿を見かけなくなったから、なにかあったのかと探していた」

「え?」


 たしかに、スザンヌとして暮らしだしてからキャロラインとして夜会には出席していない。

 メーガンが混乱しないように、という配慮だった。


 だが、それにしても。どうしてジェイソンがキャロラインの姿を夜会で探すのだろう。

 思わぬ言葉にぽかんとジェイソンを見上げると、彼はがりがりと頭を掻く。


「君は、その、夜会では目立つからな」

「そうでしょうか……?」


 特別、目立つ行動はとっていなかったはずだが。


「そういえば、婚約者はどうなっている。最近、別の女性を連れているのを見たが」


 逸らされていた視線が戻されて、まっすぐにキャロラインを見つめる。

 彼女は軽く肩をすくめた。


「婚約は破棄されています」

「なぜだ」

「両親のいないヒューレット男爵家には、未来がないと思われたのでしょう」


 キャロラインには少し前まで男爵令息の婚約者がいたが、両親が亡くなった折に婚約は破談になった。

 当時は悲しかったが、今思えば、大変な時に支えてくれない頼りない男など、こちらから願い下げだ。


 その旨も併せて口にすると、ジェイソンはくつくつと肩を揺らしている。


「そうか。確かにあの男は見るからに頼りなかった」


 何が可笑しいのか肩を振るわせ続けるジェイソンを眺めつつ、キャロラインは細く息を吐く。


「気はすまれましたか? でしたら、お引き取りを。メーガン夫人が戻ってこられる前に」


 ジェイソンが訪ねてきた理由は、ポールになら言い訳もできるが、メーガンには伝えられない。

 話は終わりだと立ち上がったキャロラインを、けれど呼び止める声があった。


「キャロライン」


(名前)


 知っていたんだ、と素直に思った。

 さっきまで『君』と呼ばれていたから、把握されていないのかと思っていた。


 真摯にキャロラインを見上げる瞳に、少しだけ鼓動が早くなる。

 ジェイソンの言葉を待っていると、彼はゆっくりと口を開く。


「事情は分かった。では、九か月後。君は自由なんだな?」

「そうなります」

「婚約者もいない、と」

「はい」


 何が言いたいのだろう。

 十五歳で婚約破棄をされて、両親は亡くなっていて、未来がないとでもいいたのか。


 けれど、ジェイソンからは嫌味な雰囲気はしない。

 どこか嬉しそうに、わずかに弾んだ声で、彼はとんでもないことを言い出した。


「それなら、ポール伯爵との契約が終わったら。迎えに来る」

「はい。……はい?」

「俺の妻となってくれ。キャロライン」


 ゆっくりと紡がれたジェイソンの思わぬ告白に、目を白黒させてしまう。

 唖然としつつも、キャロラインはなんとか言葉をかき集めた。


「いえ、でも、私……男爵令嬢なのですが……」


 スザンヌのように伯爵令嬢ならばまだしも。

 男爵令嬢と公爵の結婚なんて、そうそうあることではない。


「いままで、君に婚約者がいたから、我慢していただけだ。いないのなら、遠慮をする必要もない」

「お返事になっていませんね……?」

「身分差は関係ないといっている」

「えぇ……」


 さすがに無理がないだろうか。


 これで、ジェイソンがよぼよぼのおじいさんで、後添えを探しているならまだしも、彼はまだ二十歳になったばかりの青年だ。


 ジェイソンを慕う令嬢がたくさんいることくらい、キャロラインだって把握している。


「そもそもどうして私なのですか? なにかしましたか?」


 気に入られるようなことをした覚えもない。純粋に不思議だった。

 キャロラインの疑問に、ジェイソンは柔らかく笑う。そうやって笑うと、いくつか年が若く見える。


「前に夜会で虐められていた子爵令嬢がいただろう」

「え? ……ああ、いらっしゃいましたね」


 すぐには出てこなかったが、いわれてみれば心当たりがある。

 侯爵令嬢の不興を買った子爵令嬢が、侯爵令嬢とその取り巻きに囲まれて困っていたことがあった。


「あのとき、さらに下の身分の君が割って入った。凛として言い返す君の姿に、心がときめいたんだ」

「そんなことあります……?」

「あるな」


 あの時、子爵令嬢が侯爵令嬢にワインをかけられそうになっていたところに割ってはいって、代わりに頭からワインを被った。


 貴重な夜会用のドレスはダメになったし、髪はしばらくべとついていて、最悪だった。

 だが、間違ったことをしたとはいまでも思っていない。


「……そういえば、あの時、突然、侯爵令嬢の方が、慌てて逃げましたけど」

「俺が風魔法を使って耳元で『それくらいにしておけ』と伝えたからだな」

「その節はありがとうございます」


 あの侯爵令嬢はジェイソンを狙っていると噂になっていたし、たまったものではなかっただろう。


 ひとまず、普通に礼を伝えるべき事柄だ。

 頭を下げたキャロラインに「大したことじゃない」とジェイソンは言う。


「その時に、一目惚れをした」

「……あれは、もう三年以上前だと思いますが……?」


 すぐに出てこなかったのは、問題の夜会が結構前だからなのもある。

 当時、キャロラインは十二歳、ジェイソンは十七歳だったはずだ。


 控えめに口にしたキャロラインに、ジェイソンはからりと笑った。


「俺は一途なんだ」


 いわれてみれば、ジェイソンには婚約者も妻もいない。

 公爵で二十歳ならば、とっくに結婚していてもおかしくないというのに。


(まさか、私のことが好きだったから……?)


 相手を作らなかったのだろうか。さすがにそれは、胸がときめいてしまう。

 頬を赤く染めたキャロラインの前で、ずっとソファに座っていたジェイソンが立ち上がる。頬に延ばされた掌を、拒絶しようとは思わなかった。


 化粧の上から頬を撫でられる。

 くすぐったくて目を閉じたキャロラインに、ジェイソンは慈しむように告げた。


「九か月、君を待つ。だからどうか、俺の想いに応えてほしい」


 こんなに熱烈な愛の告白をされて、いいえと答えられる女性がどれだけいるだろう。

 早鐘を打つ心臓を抑えて、キャロラインは控えめに頷いた。


 ジェイソンは満面の笑みで笑ってくれて、幼く見える笑顔に愛おしい、と思ってしまったから。


(ああ、これは)


 恋に落ちた、と自覚せざるを得なかった。






 その後、一年の契約が終わる前日に、キャロラインはメーガンに呼び出された。


「無理をさせて、ごめんなさいね。貴女があの子として振る舞ってくれた一年、寂しかったけれど、満たされてもいたわ。あの子の代わりはどこにもいないことも、わかってしまったけれど」


 寂しそうに笑って告げられた言葉には、何も言えなかった。

 ただ「騙すようなことを、申し訳ありません」とかすれた声で伝えるのが精いっぱいで。


「貴女を待っている方がいるのでしょう。私のことは気にせず、幸せになりなさい。一年間、本当にありがとう――キャロライン」


 初めて呼ばれた本当の名前に、亡き母の面影が重なって。泣きそうになってしまった。

 その後、キャロラインは一度生家のヒューレット男爵家に戻り、弟のシャロンに手紙で伝えていた婚約の件をきちんと話した。


 十一歳になっていたシャロンは「お姉様がいないのは寂しいけれど、ヒューレット家のことは僕に任せて!」と頼もしく胸を張る。


 シャロンの成人まではジェイソンが後継人を務めてくれる、という話も合わせて実家を任せることにし、キャロラインは彼の元へ嫁に入ったのだった。






「男爵令嬢が伯爵令嬢を装って、最後は公爵夫人だなんて。ずいぶんと出世したわね」


 ジェイソンの元に向かう馬車の中で、ぽつりと口に出した言葉がなんだかおかしくて、キャロラインは小さく笑ってしまった。



 現実は小説より奇なりとは、まさにこのことかもしれない。



◤ ̄ ̄ ̄ ̄◥

 あとがき

◣____◢



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面白い!  と思っていただけた方は、ぜひとも

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短編をコンスタントに更新していく予定ですので、ぜひ「作者フォロー」をして、新作をお待ちください~!!!

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