ep18 旅のきけん

 それからはただ浄化の旅を続けた。

 

 その度に感謝されて、それにどこか違和感を感じる。

 

 いくら浄化しても、結局すべては女神の“気分”だ。

 自分はただ綻びを縫って歩いているだけだとしたら、いま一時的に回復したとして、その後はどうなるのだろう。懸念は消えない。


 旅を始めて三ヶ月経った頃、国境近くの辺境伯領に辿り着いた。

 

「ここの辺境伯領は、食事が美味しいこととしても有名だ。特に海鮮が有名だから、ヒナタも気に入るだろう。

 嘆願が来ていたから立ち寄るが、まだ穢れもそこまでではないようでな。」

 

「え、海鮮は楽しみ。」

 

 思わず前のめりになる。

 駄目かもしれないが、ちょっとした旅行気分だ。

 美味しいものが人を幸せにするのは、きっと異世界でも万国共通だ。


 

 たどり着いた領主の屋敷は、一目で裕福と分かるくらいに豪勢だった。


「やあ!やあ!よく来てくださいましたな。領主のリューヴェン=ガルドスと申します!

 今夜は腕によりをかけた晩餐をご用意しております。

 しばしのご滞在となりましょうが、どうぞ我が領をお楽しみくださいませ!」


 出迎えた領主は、その第一声から仰々しい。

 彫りの深い容姿と快活そうな様子に勢いがあるが、どこか演技のようでわざとらしくも感じる。

 

「出迎えご苦労。さっそくですまないが、馬車での長旅ゆえ、まずは休ませてもらいたい。」

 

「もちろんですとも!……ご案内さしあげろ。」

 ぱん、と手を叩いて現れた侍女がこちらへ、と案内してくれる。

 

 屋敷の入り口にあたるエントランスは、そこでパーティーでも行えそうな程広い。

 飾られた美術品などを眺めながら歩を進めると、ふと場違いな甲冑が目に入った。

 

 他が華やかな分、甲冑がひどく浮いている。

 なんとなくじっと見つめていると、横からぬっとリューヴェンが身を乗り出してきた。

 びくりとして身を引けば、セリアスがぐいと引き寄せてきて腕の中に収まる。


「神子様はお目が高い…!そちらは最高級の甲冑でございますぞ!

 備えてある剣も、盾も最高級品でございます。

 ご要望とあれば献上いたしますが。」

 

「心遣いはありがたいが、結構だ。」

 何か言う前に、セリアスが代わりに答えた。

 

 甲冑の手でぎらりと光るそれが本物だと思うと恐ろしい。

 下手にちょっと転んだだけでもこの屋敷では死にそうだ。絶対転ぶまいと心に誓う。


 「では、これで失礼する。」

 

 セリアスがそう言ってそそくさと後にすると、リューヴェンの視線が追いかけてくる気がした。


 いったん、セリアス用意された部屋に三人で落ち着いて、お茶を用意した侍女を下がらせる。

 一拍の沈黙ののち、最初に口を開いたのはルーエンだった。

 

「どうにも食えない男のように感じますね……」

「同感だ。」

 

「……危ないってこと?」

 問えば、二人ともに考え込む。

 

「危ないというより、警戒は必要といったところですかね。

 この状況ですし、国の反感を買ってまで何かするとは思えませんが……国境の領主ですと、どうしても隣国と深く繋がっていますから。」

 

「奥方も隣国ダルマード出身の貴族だ。

 国境という緊張感のある土地をうまく回している手腕は見事だが、辺境という点で、私たち王族もそこまで介入ができていない。

 ほぼ不透明と言ってもいい。程度が低くても浄化として組み込んだのは、そういった点もあってだ。

 豊かな土地にいま暴動を起こされたら敵わないからな。」


 なんだか、不穏だ。

 

 それでも、二人の顔にざわついた気持ちを抱えたのは初めだけで、特に問題もなく滞在は進んだ。

 “穢れ”の泉は三箇所。一箇所は着いた翌日に浄化が完了したが、残り二箇所は少し遠地という事で、兵士と馬車等の準備が整い次第、という流れになった。

 

「いやあ、神子さまには驚かされますな!これで我が領も安泰というもの!」

 

 かっか、と笑うリューヴェンは、もしかしたら単純に煩いだけの男だったのかもしれないと思う。

 

「ほんとうに。助かりますわ……。ありがとうございます、神子さま。」

 

 微笑む妻ミューイはリューヴェンとは対照的に、いつもとても静かだ。


「ううん――“穢れ”は少なかったから。残りも頑張るね。」

 それだけ言って、エビを口に運んだ。甘くて美味しい。

 

「おお!心強い!」「まあ、お頼もしいですわ。」と話す夫妻との会話はあまり気が乗らない。

 本当に珍しいことではあったが、なぜか立ち入って話す気が起きない人たちだった。

 

 共に囲む夕餉は、いつも必要以上に整えられている。

 今までの村々の惨状を考えれば、飲み物も酒も、食事も豊富に食卓へのぼるだけ裕福な領であることは明白だ。

 

「それで、日程はどうなっている。我々はこの後も予定が詰まっているのだが。」

 セリアスが少々硬い口調で問うと、リューヴェンが大袈裟に頷いた。

 

「そうでしょうとも!明日には準備が整いますので、それを今夜お伝えしようかと。」

「お待たせして申し訳ございませんわ。」

 

「なにぶん、被害で調節が思うようにいかずでしてな。

 泉へは危険な森を抜けますので。いやあ、お待たせしまして、申し訳ない!」

 

「……明日は出発という事だな。」

 

 セリアスが頷いて、ルーエンと視線を合わせる。二人ともどこか疲れているように見える。

 たぶん、二人とも好ましくない人種なのだろうという想像はついた。

 

 横目に見ながらイカを口に運ぶ。美味しい。

 そう。料理は美味しいのに、いつもこの雰囲気なのが残念だ。普通に街のご飯屋さんで食べてみたいと思う。

 しばらくして食事の手を止めると、セリアスが待っていたかのように席を立つ。

 

「では、準備があるゆえこれで失礼する。今宵も馳走になったな。」


「ええ!セリアス殿下。明日はよろしくお願いいたしますぞ……!」


 胸に手を当てて大仰に見送る男はいつも通りだった。

 

 

「最近疲れてるね。」

 

 部屋に戻ってセリアスの頬に手を添えると、ふっと微笑まれた。

 

「今ヒナタに癒されている。」

 

 手を重ねられ、灰紫の瞳に見つめられてどきりとする。

 あの日以来、それなりに身体を重ねていても、あまり慣れるものでもなかった。

 

「……あの人が苦手?」

 誤魔化すように首を傾げて問えば、セリアスの眉が寄った。


「――あまり王都にいないタイプではあるな。」

 たっぷり余白をもって言われたそれは、正直に苦手と言っているにも等しい。

 

 思わずぷっと吹き出した。

 

「セリアスでもそんなこと、あるんだ。何でもこなせそうなのに。」

 

「ヒナ。」

 

 けらけらと笑った頬を軽くつままれる。

 

「私が得意なのは、ヒナタのことだけだ。」

 

 夜の余韻をもって囁かれた気がして、かっと頬に血が昇った。

 

 そのまま口付けを受け入れようとして――ダンダンダン、とけたたましいドアの音に中断された。

 

 チ、という音に目を見開く。

 

 ――舌打ちなんて、初めて聞いた。

 どうやら本当に疲れが溜まっているらしい。

 

 心配だが、王子の舌打ち。

 妙におかしくなって声に出さずに笑うと、セリアスが諦めたようにため息をついた。


「なんだ。」


 不機嫌そうに、扉に向かって言う。

 

「夜分に申し訳ございません!明日のルートに魔物が出たとの報告がございまして、緊急で会議を行いたいとのことでございます!」


 セリアスが眉を寄せる。

 

「まもの。」

 

 存在するとは聞いていたが、王都を中心に回っていたせいか、まだ一度も見たことがない。

 元よりこの国には魔物が少ないと聞いていたのに。国境だからだろうか。

 

「大丈夫だ、ヒナタ。話を聞いてくるから、ここで待っていてくれるか。」

「一緒に聞かなくていい?」

 

「もし聞くことが必要だと思えば、直接私から話そう。」

 それが甘やかしなのか、分別なのか分からずに曖昧に頷いた。

 

「ここであまり多くの者に関わらせたくない。」

 そう重ねられれば、自分も行くとは言えなかった。


「分かった。ここで待ってる。」

 

 見上げて言えば、啄むような口づけをおとされて、じっと見つめられる。

 すぐに部屋を出ていくものと思っていたのに、と見返せば、そのまま深く口付けられて背中がぞくりと痺れた。

 

「――すぐに、戻る。」


 ぺろりと口の端を舐められて、言葉につまる。

 上着を羽織って出ていく姿を呆けて目で追うしかなかった。


 しばらく経って、ようやく感情が戻ってきた。

 両手で顔を押さえる。

 

 ――ああいうの、ずるい。不意打ちはよくない。


 一人で悶えていると、かちゃりと扉の開く音がした。

 忘れ物でもしたのだろうか、と振り返って――固まった。


 

「なんでここに……?」

 

 

 嫌な気配を感じて、思わず後ずさった。

 

 

「この屋敷は私のものですからな。どこに入るにも許可は必要ないですとも。」

 

「ええ、その通りですわ。」

 

 妙ににこやかな顔をした辺境伯夫妻だった。

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ひかりのそばで、またあした【完結保証(12/28最終更新)】 香澄京耶 @kyoya_kasumi

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