小倉愛須は存在しない(2)

翌日の休み時間、別のクラスの不良グループが、僕の教室にずかずかとやってきた。もちろん僕に会うために決まってる。


首領である成瀬昭雄君は小学校からの同級生で、やたらと僕に因縁をつけてくるのだ。


成瀬君は僕の机の前にやってくると、おもむろに僕の胸倉をつかんで言った。


「なぁオイ水瀬、昨日電車で、バカ騒ぎしたってホントかよ?」


周囲には五人の男子がニヤニヤと僕らの様子を伺っていた。


僕は呼吸の息苦しさを感じながら頷いた。


「てめぇフザケんじゃねぇよ! 俺らの中学のよお、恥かかせんじゃねぇよ!」


僕はそのまま床にぶん投げられた。


「しゃ、しゃ、シャチョーの方はいませんかぁ~?」


成瀬君はおどけた口調で真似してみせた。


クラス中から失笑が漏れた。僕は頬から耳まで熱くなった。


「お前、放課後とか休み時間とかしょっちゅう、一人でぶつぶつ喋ってるじゃねえか。そういうの、キメぇんだよ、みんな引いてんだよ!」


「……僕は一人じゃない」


「はあ?」


そう、僕は一人じゃないのだ。だからいくらバカにされたって、気にする必要はない。


「……僕には小倉さんがいる」


「なんだそれ、妄想のお友達が? 頭おかしいんじゃねぇの? 言えよ、僕にはお友達がいません、だから妄想のお友達とお喋りしてるんですって、今すぐここで言え! 言えたら解放してやるよ。言えなかったらお前、マジで腹パン確定な」


「小倉さんは存在する!」


僕はキッパリと言った。


成瀬君が僕にとびかかった。僕はそれをすんでのところでかわし、一目散に逃げだした。六対一。もし僕が強くたって、敵うはずもない。以前にタコ殴りにされたときは骨が折れていた。成瀬君に脅された僕は、階段から落ちたと両親に嘘をついた。


小倉さんは存在しない、と口にするのは簡単だ。そうすれば成瀬君だって、約束した以上は殴ることをしないだろう。だけど仕方ない。嘘をつくわけにはいかないから。


なぜなら小倉さんは実際に、存在するのだ。


   ◇  ◇  ◇


僕は息を切らして公園のベンチに腰掛けた。


呼吸を落ち着かせながら木を数えると、十三まで数えたところで背後に小倉さんを感じた。


「LV:2/Hp:8/MP:0/SP:3/コマンド:たたかう(1SP)」


「それはなに? スライムのパラメーター?」


「水瀬を殺す男のパラメーター」


「へえ、僕を。僕は誰に殺されるの」


「東京都世田谷区在住の中学生。成瀬昭雄、15歳」


「それはいつの話かな」


「日本標準時で、二〇XX年七月十九日午後七時三十九分四十五秒」


「だいたい今から十分後くらいだね」


「正確には、九分五十五秒後──あ、五十二秒後、五十秒──」


「分かった、分かった。いいよ、時間はどんどん過ぎていくんだね」


「ナムアミダブツ」


「僕はまだ死んでないよ」


「あと九分三十五秒」


「アイス三個分で、どうかな」


「アイスはひんやりとして美味しい」


「それで僕を助けてくれる?」


そこで会話は一時中断する。僕は想像する、思案する小倉さんの表情を。たったのアイス三個分。取引するには、冗談みたいに軽い命。でも彼女は真剣だ。


小倉さんの返事を待っていると、視界の端に制服の一団が映った。制服を着崩した身長の高い男の子たち。遠目からでも見間違うはずはない。成瀬君のグループだ。


ふと、僕は成瀬君と目が合った気がした。その距離およそ百メートル。肉眼で表情を識別できる距離ではない。だけど僕には分かった、獲物を見つけた彼のほくそ笑みが。


そして僕は駈け出した。


「ハア、ハア、ハア……」


公園から住宅街を抜け、人通りの多い場所に出た。後ろは振り向かない。それだけで数秒の時間ロスになる。けれど感じる、彼は着実に距離を詰めている。


路地に入ったのは失敗だった。仮に追い付かれたとしても、人ごみで誰かに助けを求める方が良かったと、遅れて気付いた。僕には冷静に選択肢を選ぶ余裕なんてなかった。ただ怯えて、どこかに隠れたいという意志だけで行動した。


その結果、僕は簡単に詰んでしまった。


路地の先は行き止まりだった。側面のビルの裏口はどれも閉まっていた。


僕はまだ振り向かない。振り向く勇気すらない。


僕の前に影が伸びた。僕の影ではない、もう一つの影が。背後から忍び寄る人物の影が。


──水瀬よお、お前に逃げられて、俺らメンツ丸つぶれよ、笑いもんよ。


──よくコケにしてくれたなあ。恥さらしてくれたなあ。責任取れんのか?


──取れるわけねぇよなあ。今更遅ぇんだから。死ぬかア? 死んどくかア? 死ね!


瞬間、右の脇腹に異物感と熱を感じた。一呼吸遅れて激しい痛み。


僕は刺されたのだ。成瀬君に刺された。


ドクドクと心臓が脈打つと同時に、腹部に尋常じゃない痛みが走った。ウッ、ウッと情けない声を上げる。やっぱり小倉さんは正しかった。彼女の言うとおり、僕はここで死ぬのだ。それが運命だったのだ。


僕は最後の力を振り絞って、後ろを振り向いた。


しかし、そこに成瀬君の姿はなかった。


「え……?」


ふいに左を向くと、ビルの窓ガラスに反射する僕の姿があった。


僕は一人だった。一人で突っ立って、右手に握りしめたボールペンを、自らの腹部に突き刺していた。白シャツにみるみると赤い染みが広がっていく。


「あ、あ、あ」


すがるように左右を見回すが誰もいない。途端、地響きのような叫び声が聞こえた。


「ああ、うあ、うわあああああああああああああああああ!!」


長い長い咆哮だった。それが僕自身の叫び声だと気付くと、僕はピタリと叫ぶのをやめた。


それから足が小枝みたいに崩れて、頭が地面に落っこちた。


徐々に遠のく意識の中で、かすかに救急車のサイレンを聞いた。


──だから小倉愛須は存在しない。これらはすべて僕の妄想だ。


僕はひどく嘘つきなんだ。僕には、現実と妄想の区別がつかないのだから。

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虚構、或いは非現実的・実存マホー使い 麦野歩 @muginoaym

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