『俺達のグレートなキャンプ214 異世界から悪役令嬢を召喚してもてなそうぜ』
海山純平
第214話 異世界から悪役令嬢を召喚してもてなそうぜ
俺達のグレートなキャンプ214 異世界から悪役令嬢を召喚してもてなそうぜ
「よっしゃああああ!今回のキャンプは特別だぜええええ!」
石川の声が、新潟と富山の県境に位置する山間のキャンプ場に響き渡った。午後三時、まだ陽が高い。周囲のテントサイトからは「また始まったよ...」という視線がチラホラ向けられている。いつものことだ。
「石川さん、今回は何するんですか!?」
千葉が目を輝かせながら、薪を抱えたまま駆け寄ってくる。彼の足取りは軽快で、まるで遠足前の小学生のようだ。キャンプ歴半年とは思えないほど、石川の影響を受けて奇抜なキャンプに染まりつつある。
富山は二人から少し離れた場所で、焚き火台を組み立てながら深い溜息をついた。肩が重い。すでに嫌な予感しかしない。石川の「特別」という言葉には、いつも碌でもないサプライズが付いてくる。
「いいか、千葉!富山!」石川は両手を広げ、まるでプレゼンターのように大げさな身振りで語り始めた。「俺たちのグレートなキャンプは、これまで213回の挑戦を重ねてきた!川でカヤック相撲、夜通し落語大会、謎の外国人を招いての国際交流BBQ...どれもグレートだった!」
「はい!どれも最高でした!」千葉が即座に相槌を打つ。彼の笑顔は本物だ。
「だがな...」石川の目が妖しく光る。ポケットからスマホを取り出し、画面を二人に見せた。「今回はこれまでのキャンプを全て凌駕する、超絶グレートなキャンプにする!」
画面には、怪しげなウェブサイトが表示されていた。『異世界召喚魔法陣&呪文完全マニュアル』というタイトルが、ゴシック体で書かれている。
富山の顔が蒼白になった。「...は?」
「異世界から、本物の悪役令嬢を召喚して、キャンプでもてなす!これだ!」
石川の宣言に、千葉は「おおおおっ!」と歓声を上げた。一方、富山は薪を地面に落とした。ガサッという乾いた音が、彼女の心情を物語っている。
「ちょっと待って、石川」富山が額に手を当てながら近づいてくる。「あなた、本気で言ってるの?異世界召喚って...アニメの見すぎじゃない?それに悪役令嬢って何?」
「いいか富山」石川は真剣な表情で──しかし目は完全にイッている──語り始めた。「悪役令嬢ってのは、異世界の貴族社会で主人公に敵対する高貴な女性キャラのことだ!ツンツンしてて、お高くとまってて、でも実は寂しがり屋で...」
「説明長いわ!」富山が即座にツッコむ。「そうじゃなくて!そもそも召喚なんて出来るわけないでしょ!?」
「やってみなきゃわからないじゃん!」千葉が無邪気に言った。彼の目には一片の疑いもない。純粋だ。純粋すぎる。
石川が力強く頷く。「そうだ!どんなキャンプも一緒にやれば楽しくなる!千葉のモットー通りだ!それに、俺たちのグレートなキャンプに不可能なんてないんだよ!」
富山は両手で顔を覆った。指の隙間から二人を見る。石川は自信満々の笑顔、千葉はキラキラした瞳。完全にやる気だ。この二人、本当に召喚できると思ってる。
「...はぁ。で、その召喚とやらは、どうやってやるの?」
富山の諦めの入った質問に、石川はニヤリと笑った。
「簡単だ!まず、魔法陣を地面に描く。そして、この呪文を全員で唱える。すると──バーン!異世界からお客様の到着だ!」
「簡単じゃないわよ...」富山の声は弱々しい。
石川はすでにリュックから白いチョークの塊を取り出していた。キャンプ用品じゃない。完全に召喚用に準備してきたものだ。計画的犯行である。
「よし、千葉!魔法陣描くの手伝ってくれ!」
「了解です!」
二人はテントサイトの中央、程よく平らな地面に向かった。隣のサイトの家族連れが、こちらをチラチラ見ている。父親らしき人物が首を傾げた。
石川はスマホの画面を見ながら、慎重に地面にチョークで円を描き始めた。直径約三メートル。その周囲に複雑な紋様と記号を書き加えていく。千葉も見よう見まねで反対側から描く。二人の筆致は真剣そのものだ。
富山は焚き火台の横に座り込み、膝を抱えた。「私、何でここにいるんだろう...」
三十分後、魔法陣が完成した。素人が描いたにしては意外と様になっている。六芒星の中心に魔方陣特有の複雑な幾何学模様、周囲には読めない文字のようなもの。夕陽を浴びて、妙に神秘的な雰囲気すら漂っている。
「完璧だ!」石川が満足げに頷く。汗が額を伝っている。「さあ、三人で魔法陣を囲んで立つんだ!」
「え、私も参加するの...?」富山が力なく聞く。
「当たり前だろ!三人の力を合わせないと成功しないんだ!」
「根拠は?」
「このサイトに書いてある!『召喚には複数人の意思の力が必要』ってな!」
富山は立ち上がり、重い足取りで魔法陣に近づいた。もう諦めている。付き合うしかない。いつものことだ。
三人は魔法陣を正三角形に囲むように立った。石川が北側、千葉が南西、富山が南東。風が吹き、木々がざわめく。
「いいか、この呪文を三回唱えるんだ」石川がスマホの画面を二人に見せる。「アルトリーナ・ヴォン・グランディア、我らの声に応えよ!この世界の彼方より、汝を招く!」
「...なんで名前まで決まってるの」富山が小さく呟く。
「細かいことは気にするな!さあ、せーの!」
三人は声を合わせた。
「アルトリーナ・ヴォン・グランディア、我らの声に応えよ!」
周囲のキャンパーたちが、明らかにこちらを見ている。子供たちがクスクス笑っている。
「この世界の彼方より、汝を招く!」
二回目。風が少し強くなった気がする。いや、気のせいだ。富山はそう自分に言い聞かせる。
「もう一回!気持ちを込めて!」石川が叫ぶ。
三回目、三人は──特に石川と千葉は──魂を込めて叫んだ。
「アルトリーナ・ヴォン・グランディア、我らの声に応えよ!この世界の彼方より、汝を招く!!!」
静寂。
風が止んだ。
鳥の鳴き声も聞こえない。
魔法陣の中心から、淡い光が漏れ始めた。
「え...?」富山の声が震える。
光は徐々に強くなり、青白い輝きとなって魔法陣全体を包み込んだ。空気が震える。地面が微かに振動する。隣のサイトの父親が「お、おい...?」と立ち上がった。
「マジかよ!?」千葉が叫ぶ。
「来るぞおおおお!」石川が拳を握りしめる。
光が最高潮に達し──ドンッという重低音と共に、魔法陣の中心に人影が現れた。
白い煙が晴れていく。
そこには、見たこともない衣装を纏った少女が立っていた。
金色の縦ロールの髪、深紅のドレス、白い手袋、そして──明らかに困惑と怒りが入り混じった表情。年の頃は十七、八歳といったところか。背景には、消えかけの青白い光の粒子が漂っている。
「...なんですの、ここは...?」
少女の声は高く、明らかに動揺している。きょろきょろと周囲を見回し、テント、キャンプ用品、そして呆然と立ち尽くす三人を認識した。
「召喚、成功...!」石川が震える声で呟いた。
「マジで出た!?マジで出ましたよ石川さん!?」千葉が飛び跳ねた。
「嘘でしょ...」富山は完全に硬直している。
少女──アルトリーナと思われる人物──は、一歩後ろに下がった。ドレスの裾が地面のチョークの粉を掻き散らす。
「あなた方...まさか、私を召喚したというの...?」
声には気品がある。そして明らかな警戒心。右手を胸元に当て、左手を前に突き出す構え。まるで魔法でも使えそうな雰囲気だ。
石川は深呼吸をして、営業スマイルを浮かべた。いつもの快活モードに切り替える。
「よ、ようこそ!異世界からのお客様!俺は石川!こっちが千葉と富山だ!今回のグレートなキャンプにご招待させていただきました!」
「グレートなキャンプ...?」アルトリーナが眉をひそめる。「何を言っているの...私を、どこに召喚したというの?ここは...魔界?それとも別の王国?」
「新潟と富山の県境のキャンプ場です!」千葉が元気よく答える。「日本ですよ!」
「ニホン...?聞いたことのない国名ですわ...」
アルトリーナは再び周囲を見回した。見慣れないテント、焚き火台、クーラーボックス、隣のサイトでスマホを構えて撮影しようとしている観光客。完全に異世界だ。彼女にとって。
「あの、お嬢様」富山が恐る恐る声をかけた。「本当に...異世界から来たんですか?」
「当然ですわ!私はアルトリーナ・ヴォン・グランディア!グランディア公爵家の令嬢にして、王立アカデミーの首席──」彼女は言葉を切り、ハッとした表情になった。「いえ...元、首席...」
最後の言葉は小さく、そして悲しげだった。
石川は気づいた。この子、何かあったんだ。
「まあまあ!細かいことは後で聞くとして!」石川が手を叩いた。「とにかく、せっかく来てくれたんだ!キャンプを楽しもうぜ!焚き火、BBQ、星空観察!最高のもてなしを用意するから!」
「もてなし...?」アルトリーナが首を傾げる。「私を召喚しておいて...利用するのではなく?」
「利用?何言ってんだ!お客様だぜ!」千葉が満面の笑みで言った。「一緒に楽しみましょうよ!」
アルトリーナは完全に困惑していた。召喚されたら、普通は何か命令されるか、契約を結ばされるか、最悪の場合は生贄にされるものだ。それなのに、この三人は「一緒に楽しもう」と言っている。意味がわからない。
「あの...本当に、私に何も要求しないの...?」
「強いて言えば」石川が人差し指を立てた。「一緒にキャンプを楽しんでくれ!それだけだ!」
「わけがわかりませんわ...」アルトリーナが頭を抱えた。
その時、隣のサイトから声がかかった。
「あの〜、すみません!その子、コスプレイヤーさんですか?めっちゃクオリティ高いですね!一緒に写真撮らせてもらえません?」
大学生らしき若い男性グループが近づいてきた。スマホを構えている。
「あ、はい!コスプレです!」富山が即座に嘘をついた。「撮影会なんです!ごめんなさい、今ちょっと準備中で...」
「マジっすか!どこかのイベント用ですか?」
「そ、そうです!」
石川と千葉も頷く。アルトリーナは完全に置いてけぼりだ。コスプレ?撮影会?何の話だ。
大学生たちは「あ、じゃあ邪魔しないっす!頑張ってください!」と去って行った。
アルトリーナは三人を睨んだ。
「今の...何ですの?」
「説明すると長いんだけど」富山が苦笑いを浮かべた。「とりあえず、ここでは魔法とか異世界とか、あまり大声で言わない方がいいわ。変な人たちだと思われちゃうから」
「もう充分変な状況ですわ...」
アルトリーナは深く溜息をついた。肩が落ちる。疲れた表情だ。
石川はその様子を見て、なんとなく理解した。この子、異世界で何かあったんだ。悲しいことが。だからこそ、ここで楽しませてやりたい。それがグレートなキャンプってもんだ。
「よし!じゃあまず、着替えてもらおう!」
「え?」
石川はテントに駆け込み、バッグから服を取り出してきた。白いTシャツとジーンズ、それにパーカー。
「そのドレス、キャンプには向いてないだろ?これ着てくれよ!富山のサイズだから多分合うと思う!」
「ちょっと、それ私の服!?」富山が驚く。
「いいじゃん、貸してやれよ!お客様なんだから!」
アルトリーナは服を受け取り、まじまじと見つめた。見たこともない素材、シンプルなデザイン。でも...清潔で、柔らかそうだ。
「...着替える場所は?」
「テント使っていいぞ!」千葉がテントの入口を開けた。
アルトリーナは恐る恐るテントに入った。中は意外と広い。寝袋とマットが敷いてある。彼女は慎重にドレスを脱ぎ、渡された服に着替えた。
五分後、テントから出てきたアルトリーナは、まるで別人だった。
「お、似合ってるじゃん!」石川が親指を立てる。
金色の縦ロールは健在だが、カジュアルな服装との対比が妙にバランスが取れている。アルトリーナは自分の姿を見下ろし、複雑な表情を浮かべた。
「...こんな平民のような格好...初めてですわ」
「平民って言うな!」富山がツッコむ。「それ、結構高かったんだから!」
「あ、申し訳ありません...」アルトリーナが慌てて謝る。
その素直な反応に、三人は少し驚いた。思ったより...普通の子だ。
「よし、じゃあ焚き火の準備しようぜ!」石川が薪を運び始めた。「アルトリーナも手伝ってくれ!」
「わ、私が...?」
「そう、お前も!グレートなキャンプはみんなで作るものなんだ!」
アルトリーナは戸惑いながらも、薪を一本持ち上げた。重い。予想以上に重い。貴族の令嬢が薪を運ぶなんて、生まれて初めてだ。
「うぐっ...こんなに重いものですの...?」
「大丈夫?無理しないでね」富山が心配そうに声をかける。
「だ、大丈夫ですわ!これくらい...!」
アルトリーナは意地になって薪を運んだ。プライドがそうさせた。千葉が「すごい!頑張ってる!」と褒めると、彼女の頬が微かに赤くなった。
焚き火台に薪を組む作業も、アルトリーナには新鮮だった。石川の指示に従って、小さな枝を下に、太い薪を上に。空気の通り道を作る。
「よし、着火するぞ!」
石川がファイアスターターを取り出した。金属の棒を擦ると、火花が散る。
「わあ...!」アルトリーナが目を輝かせた。「魔法具ですの?」
「魔法じゃないけどな」石川が笑う。「科学の力だ!」
「カガク...?」
火が薪に燃え移った。オレンジ色の炎が踊り、煙が立ち上る。パチパチという音。温かい光。アルトリーナは焚き火を見つめた。
「...綺麗ですわ」
その声は、先ほどまでの警戒心がすっかり消えていた。
日が傾き始めた。空が茜色に染まる。石川はクーラーボックスから食材を取り出し始めた。肉、野菜、ソーセージ、マシュマロ。
「今夜はBBQだ!アルトリーナ、BBQって知ってるか?」
「いえ...知りませんわ」
「バーベキュー!肉を焼いて食うんだ!最高に美味いぞ!」
千葉が焼き網をセットする。富山が野菜を切る。石川が肉を準備する。アルトリーナはその光景を、まるで異世界の儀式を見るように眺めていた。
「あの...私も、何か手伝えることは...?」
「じゃあ、これ切ってくれる?」富山がピーマンを渡した。「包丁使える?」
「も、もちろんですわ!貴族の嗜みとして、最低限の料理は...」
アルトリーナは包丁を握った。が、握り方がぎこちない。明らかに慣れていない。
「...実は、あまり...」
「素直でよろしい!」千葉が笑った。「じゃあ一緒にやりましょう!」
千葉がアルトリーナの手に自分の手を重ね、優しく包丁の使い方を教えた。ゆっくりと、慎重に。ピーマンが綺麗な輪切りになっていく。
「できましたわ...!」
「上手い上手い!」
アルトリーナの顔に、満足げな笑みが浮かんだ。小さな達成感。こんなささいなことで喜べるなんて、いつ以来だろう。
肉が網の上で焼かれ始めた。ジュウジュウという音、香ばしい匂い。アルトリーナの胃が、グゥーッと鳴った。
「あっ...!」
彼女は顔を真っ赤にして、お腹を押さえた。
「腹減ってるんだろ?」石川が笑った。「もうすぐ食えるぞ!」
「わ、私としたことが...はしたない...」
「いいんだよ、そういうの気にしなくて!キャンプだし!」千葉が屈託なく笑う。
肉が焼けた。石川はトングで肉を掴み、アルトリーナの皿に乗せた。
「さあ、召し上がれ!」
「いただき...ます?」
アルトリーナは恐る恐る肉を口に運んだ。噛む。肉汁が口の中に広がる。スパイスの効いた味付け、炭火の香ばしさ。
「...っ!!」
アルトリーナの目が見開かれた。
「美味しい...!こんなに美味しいお肉、初めてですわ...!」
「だろ?」石川が得意げに胸を張る。「キャンプの飯は最高なんだ!」
「もっと食え!遠慮すんな!」千葉が次々と肉を焼いていく。
アルトリーナは夢中で食べた。肉、野菜、ソーセージ。普段の宮廷料理よりも、なぜかこの素朴な料理の方が美味しく感じられる。それは、みんなで一緒に作ったからだろうか。それとも、この開放的な雰囲気のせいだろうか。
「あの...」食べながら、アルトリーナがぽつりと呟いた。「なぜ、私を召喚したのですか?」
石川は肉を頬張りながら答えた。
「グレートなキャンプのためだ!」
「それだけ...?」
「それだけだ!」
「...変わった人たちですわね」
アルトリーナは小さく笑った。この笑顔は、召喚されてから初めての、心からの笑みだった。
夜が更けた。焚き火の光だけが、彼らを照らしている。星空が広がり、天の川がくっきりと見える。
「うわあ...星が、こんなに...」
アルトリーナは空を見上げた。自分の世界でも星は見えるが、ここの星空は格別だ。澄んだ空気、山奥の静けさ。
「綺麗だろ?」富山が隣に座った。「これがキャンプの醍醐味なのよ」
「そうですわね...」
二人は並んで星を見上げた。焚き火がパチパチと音を立てる。
「ねえ、アルトリーナさん」富山が静かに聞いた。「何かあったの?さっき、『元、首席』って言ってたけど」
アルトリーナの表情が曇った。しばらく沈黙が続いた後、彼女はゆっくりと語り始めた。
「...私、追放されたんですの」
「追放?」
「王立アカデミーから。濡れ衣でしたわ。主人公気取りの平民の娘に、私が嫌がらせをしたと...でも、本当は...」
アルトリーナの声が震える。
「本当は、その子こそが私を陥れたんです。証拠もない、ただの証言だけで...王子様も、みんなも、その子の味方をして...私の言葉を、誰も信じてくれなかった...」
涙が頬を伝った。
「私、何も悪いことしていないのに...ずっと真面目に勉強して、首席を守って...なのに、全てを失って...」
石川と千葉も、いつの間にか二人の近くに座っていた。黙って、話を聞いている。
「召喚される直前、私は自室で泣いていましたわ。もう、何もかも終わりだって...そう思っていたら、突然光に包まれて...ここに」
「...そっか」石川が静かに言った。「辛かったな」
「辛いですわ...悔しいですわ...私、何も悪くないのに...!」
アルトリーナは声を上げて泣いた。子供のように。この世界では誰も彼女を知らない。だから、素直に感情を出せた。
富山が優しく背中を撫でた。千葉がハンカチを差し出した。石川は焚き火に薪を足しながら、じっと彼女を見ていた。
泣き声が収まるまで、三人は静かに待った。
「...ごめんなさい」アルトリーナが顔を上げた。目が赤い。「みっともないところを...」
「いや」石川が笑った。「泣きたい時は泣いていいんだ。我慢することないぜ」
「そうそう」千葉が頷く。「スッキリしたでしょ?」
「...ええ、少し」
アルトリーナは涙を拭った。不思議と、心が軽くなっている気がした。
「なあ、アルトリーナ」石川が真剣な顔で言った。「お前さ、元の世界に戻りたいか?」
「...わかりません」
「そっか」石川は頷いた。「じゃあさ、今夜だけでも、全部忘れて楽しもうぜ。難しいこと、悲しいこと、全部置いといて。ここは異世界だ。お前の知ってる誰もいない。だから、何も気にせず、ただ楽しめばいい」
「...そんなこと、できるのかしら」
「できるさ!」千葉が立ち上がった。「だって、どんなキャンプも一緒にやれば楽しくなるんだから!」
千葉は手を差し出した。
「さあ、もっと楽しいこと、いっぱいやりましょう!」
アルトリーナは千葉の手を見つめた。そして、ゆっくりとその手を握った。
「ありがとうございます...」
「よっしゃ!」石川が立ち上がった。「じゃあ次はマシュマロ焼きだ!」
「マシュマロ...?」
「甘くて美味いんだぜ!」
四人は焚き火を囲んだ。木の枝にマシュマロを刺し、火で炙る。表面が焦げて、中がトロトロになる。
「熱っ!でも甘い...!」
アルトリーナが驚いた表情で食べる。その顔は、完全に子供のそれだった。
「おかわり!」
「お、いいねえ!」
彼らは笑い、食べ、語った。
石川は過去のグレートなキャンプの話をした。川で流しそうめんをして、全部流してしまった話。山頂でコスプレ大会をして、登山客に不審がられた話。どれも馬鹿げていて、でも最高に楽しそうだった。
千葉はキャンプを始めたきっかけを話した。石川の楽しそうな話を聞いて、自分も仲間に入れてもらったこと。最初は不安だったけど、今は毎回のキャンプが楽しみで仕方ないこと。
富山は、この二人に振り回される日々を愚痴った。でも、その声には愛情が込もっていた。
そして、アルトリーナも語った。
自分の世界のこと、魔法のこと、貴族社会のこと。そして、本当はもっと自由に生きたかったこと。
「貴族って、窮屈なんですの」
アルトリーナが焚き火を見つめながら言った。
「常に誰かに見られて、評価されて。一つの失敗も許されない。本当の自分を出すことなんて、できなかった。だから...」
彼女は三人を見た。
「だから、今夜は...本当に楽しいですわ。こんなに素直な気持ちになれたの、初めてかもしれません」
「そっか」石川が優しく笑った。「なら、良かった。それが俺たちのグレートなキャンプだからな」
「グレートなキャンプ...変な名前ですわね」
「だろ?」
四人は笑った。
その時、隣のサイトから声がかかった。
「すみませーん!良かったら、こっちも混ざりません?」
先ほどの大学生グループだった。手には缶ビールと、何やらボードゲーム。
「お、いいねえ!」石川が即答した。「来いよ来いよ!」
「やった!実は見てたんですよ、さっきから!めっちゃ楽しそうで!」
大学生たちが合流した。人数が増え、賑やかさも増した。ボードゲームを始める者、語り合う者、さらに焚き火の周りが華やいだ。
アルトリーナは最初、人見知りしていたが、すぐに打ち解けた。大学生の一人が「そのウィッグ、どこで買ったんすか?」と聞くと、彼女は「ウィッグ...?これ、地毛ですわよ?」と答え、全員が「マジで!?すげえ!」と驚いた。
ボードゲームでは、アルトリーナが意外な戦略眼を見せて連勝した。
「さすが元首席!頭いい!」
千葉が褒めると、アルトリーナは照れくさそうに笑った。
夜はどんどん更けていく。焚き火は燃え続け、笑い声は止まない。他のキャンパーからは少し睨まれたが、誰も文句を言わなかった。それくらい、楽しそうだったから。
午前二時。
大学生たちは自分のテントに戻った。「また明日も遊びましょう!」と言い残して。
四人だけになった。焚き火はまだ燃えている。
「...楽しかったですわ」
アルトリーナがぽつりと言った。
「こんなに笑ったの、本当に久しぶり...いえ、もしかしたら初めてかもしれません」
「良かった」富山が微笑んだ。「また来る?キャンプ」
「...戻れるのかしら、私」
「戻れるさ!」石川が断言した。「召喚できたんだ、帰還もできる!多分!」
「多分って...」
「でもさ」石川が続けた。「もし戻れなくても、いいんじゃね?ここで暮らせば」
「え?」
「だってお前、向こうで辛いんだろ?だったらこっちで新しい人生始めればいいじゃん。俺たち、歓迎するぜ」
「そうですよ!」千葉が頷く。「アルトリーナさんがいれば、キャンプもっと楽しくなりますよ!」
「私が...?」
アルトリーナは三人を見た。本気だ。この人たちは本気で、自分を受け入れようとしている。
涙が溢れそうになった。でも今度は、悲しみではなく。
「...ありがとうございます。でも、私...やっぱり戻ります」
「そっか」
「だって、逃げたくないんです。濡れ衣を着せられたまま、このまま終わりたくない。真実を証明して、名誉を取り戻したい」
アルトリーナの目に、強い意志の光が宿っていた。
「でも...その前に、もう少しだけ、ここにいてもいいですか?明日の朝まで」
「当然だろ!」石川が笑った。「朝飯も食ってけよ!ホットサンド作るから!」
「ホットサンド...?」
「美味いんだぜ!」
四人は寝袋に入った。テントの中、星空の下。
アルトリーナは目を閉じた。今日一日の出来事が、走馬灯のように蘇る。召喚、焚き火、BBQ、笑い声、温かさ。
こんな一日があってもいいんだ、と思った。
辛いことばかりじゃない。楽しいこともある。味方になってくれる人もいる。
明日、元の世界に戻ったら、また戦わなきゃいけない。でも、今夜のことを思い出せば、きっと頑張れる。
「...おやすみなさい」
小さく呟くと、優しい眠りが訪れた。
翌朝。
鳥のさえずりで目が覚めた。朝日が眩しい。
アルトリーナがテントから出ると、すでに石川が朝食の準備をしていた。
「おはよう!よく眠れたか?」
「ええ、ぐっすりと」
「よし、ホットサンド作るぞ!手伝ってくれ!」
最後の朝食は、簡単だけど温かかった。ホットサンドメーカーに食パン、ハム、チーズを挟んで焼く。カリッとした食感、溶けたチーズ。
「美味しい...」
「だろ?」
四人で食べる朝食。これが最後だと思うと、少し寂しい。
食事が終わると、石川が立ち上がった。
「さて、そろそろ帰還の儀式をするか」
「...はい」
アルトリーナも立ち上がった。昨日のドレスに着替え、元の姿に戻る。
魔法陣の前に立った。まだチョークの跡が残っている。
「帰還の呪文は...」石川がスマホを見る。「『我ら汝を送り還す、元の世界へ』...らしい」
「それだけ?」富山が驚く。
「シンプルイズベストだろ」
三人は再び魔法陣を囲んだ。アルトリーナは中心に立つ。
「...ありがとうございました」
アルトリーナが深く頭を下げた。
「短い時間でしたが、本当に楽しかったです。この一日を、絶対に忘れません」
「俺たちも忘れないぜ!」石川が笑った。「グレートなキャンプ214、最高だった!」
「また会えるといいですね」千葉が手を振る。
「元気でね」富山が微笑んだ。
アルトリーナは涙を堪えて、笑顔を作った。
「では...」
三人は呪文を唱えた。
「我ら汝を送り還す、元の世界へ!」
光が魔法陣を包んだ。昨日と同じ、青白い光。
アルトリーナの姿が徐々に薄れていく。
「頑張ってこいよ!」
石川の声が聞こえた。
「負けるな!」
千葉の声。
「応援してるわ!」
富山の声。
光が最高潮に達し──消えた。
魔法陣の中心には、誰もいなかった。
静寂。
「...行っちゃったな」
石川がぽつりと言った。
「寂しいですね」千葉が呟く。
「でも、きっと大丈夫よ」富山が言った。「あの子、強いもの」
三人は魔法陣を見つめた。
その時、魔法陣の中心に、小さな紙片が落ちているのに気づいた。
石川が拾い上げる。
そこには、綺麗な筆記体で、こう書かれていた。
『本当にありがとうございました。いつか必ず、また会いに来ます。その時は、勝利の報告をさせてください。アルトリーナより』
「...やるじゃん」
石川が笑った。千葉と富山も笑った。
「よし!」石川が拳を掲げた。「次のグレートなキャンプ215も、最高のやつにするぞ!」
「おー!」
三人の声が、キャンプ場に響いた。
その後、片付けをしていると、隣の大学生グループが声をかけてきた。
「あの、さっきの女の子は?」
「ああ、先に帰ったよ」石川が答える。
「そっか。良い子でしたね。また会えるといいな」
「ああ、きっと会えるさ」
石川は確信していた。アルトリーナは必ず勝って、また来る。そして次は、もっと長く一緒にキャンプできる。
「なあ、富山、千葉」
「ん?」
「次のキャンプ、何する?」
「まだ言うの!?」富山が呆れる。
「当たり前だろ!俺たちのグレートなキャンプは終わらないんだ!」
「じゃあ次は...」千葉が考え込む。「宇宙人とキャンプとか?」
「いいねえ!」
「絶対無理でしょ...」
三人の掛け合いが続く。
いつもの、グレートなキャンプの日常。
遠く、異世界のどこかで。
アルトリーナは自室に戻っていた。召喚される前と同じ場所。
彼女は窓の外を見た。王立アカデミーの塔が見える。
「...よし」
彼女は拳を握りしめた。顔には、昨日までとは違う、強い決意の表情。
「負けないわ。真実を証明してみせる。そして...また、あの人たちに会いに行く」
ドレスのポケットに、何か硬いものが入っているのに気づいた。
取り出すと、それは──ホットサンドメーカーの形をした小さなキーホルダーだった。
いつの間に、誰が入れたのか。
アルトリーナは微笑んだ。
「ありがとう...みんな」
彼女は歩き出した。新しい一歩を。
──こうして、史上最もグレートなキャンプは幕を閉じた。
そして、グレートなキャンプ215へと続いていく。
異世界の悪役令嬢と、三人のキャンパーの、奇跡のような一夜の物語。
これが、『俺達のグレートなキャンプ214』である。
【完】
後日談
異世界に戻ったアルトリーナは、キャンプ中にたまたま見た動画で覚えたブレイクダンスを社交界で披露した。縦ロールを振り乱してウインドミル、ドレス姿でのヘッドスピン──貴族たちは度肝を抜かれた。「これぞ異国の舞踏!」と誤解され、瞬く間に王都中の話題に。王子も「グランディア嬢、実に魅力的だ」と手のひら返し。濡れ衣を晴らすどころか、一躍時の人となったアルトリーナ。彼女は夜な夜なブレイクダンスの練習をしながら、あの楽しいキャンプの夜を思い出し、クスリと笑うのだった。「次に会う時は、もっと上手く踊れるようになっていますわ」と。
『俺達のグレートなキャンプ214 異世界から悪役令嬢を召喚してもてなそうぜ』 海山純平 @umiyama117
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