キミヲ、サガシテ

群乃青

またね。

 カチ……カチカチ……


 切り替えの合図が頭の片隅で微かに聞こえ、視野が変わる。

 退室、そして新しい部屋を選び、入室。

 新しい世界が目の前に広がる。



 二十世紀から人類の暮らしは急速に発展していき、それは年々加速度を増している。

 エネルギーを利用した発明の数々が人類を様々な雑事から解放してくれたにもかかわらず、更なる効率化を求め、果てには地球環境も巻き込み変化していく。

 不思議なことに文明の発展が余暇をもたらしてくれると思いきや実際はその逆で、働き続けねば生きる資格は得られず、幸運な一握りの富裕層と支配階級を除き、人々の生活は制約され多忙な日々を送る。

 そんな中、多くの人は眠りの中でつかの間の出会いを楽しむようになった。


 睡眠バーチャル空間。

 夢の中の、かりそめの世界。


 それは、眠りにつけば同じ時に休息をとっている誰かと交流できるシステムだった。

 ログインして目前に現れたいくつもの扉の中から一つを選び、開けて入るとそれぞれ部屋ごとに趣向が凝らされており、ジャングルの中で獣になってみたり、ファンタジー空間でアニメのキャラクターになってみたり、都会のバーで洒落た服を着てグラスを傾けてみたりと様々だ。

 気に入った部屋はブックマークをすれば再訪可能で、自然と部屋ごとのコミュニティが出来上がり、世界中で流行していた。



「いない……。ここにもいない」


 男は失望の言葉を残し、扉を閉じた。


 カチ……。


 隣の扉を開けてみる。

 しかし、あたりを見回してまたうなだれた。


 男は、ある人を探し続けている。

 眠るたびに次々と扉を開き、部屋を渡り歩きながら。


 思い返すとあれは、どこにでもある平凡な部屋だった。

 カーペットの上に低いソファやテーブルが適当に配置され、人々は思い思いの場所に座って休憩するカフェのようなもので、ルールはただ一つ、帽子をかぶる事。

 男はカンカン帽を選んで中へ入って間もなく、広いつばの麦わら帽子をかぶった少女と出会った。


「ふふ。初めまして。私たち、麦わら帽子仲間ね」


 人懐っこいけれど、付きまとうわけでもなく適度な距離を保ち、機知に富んだ会話が楽しめた。

 穏やかで優しい彼女と一緒に過ごす空間は心地よかった。

 彼女の声はビオラの音のように深く優しく、しっとりと降る初夏の雨粒のように柔らかだった。


「またね」


 そう言って別れて朝を迎え、夜になればまたその部屋で話し込む。

 男は毎晩通い続けた。


「またね」


 しかしある日唐突に、飽きてしまった。


 規則正しく同じルーティンを踏む自分がつまらない人間のように思え、違う世界を見るべきだと強く思った。


「俺は、もっと……」


 もっと。

 もっと……。


 帽子の部屋から遠く遠く。

 いくつもの角を曲がって進んで上に昇ってまた角を曲がって門をくぐり……。

 試しに訪れた新たな場所は想像以上に刺激的で、なかなか楽しめた。

 また次に違う部屋を訪れてみるとそこにもまた別の出会いが待っていて、更に次の扉を開いて男は夜の出会いを楽しんだ。


「またね」


 そうして。

 いつの間にか彼女を忘れてしまった。


「またね」


 どれくらいの時が流れただろうか。

 ふいに、男は『彼女』が懐かしくなった。


 会いたい。

 また、彼女の穏やかさに包まれたい。


 しかし、男は多くの部屋を渡り歩き過ぎた。

 今となっては、どの階層にあの部屋があったか思い出せない。

 履歴は膨大で、遡っているうちにだんだん混乱してきた。

 男は闇雲に空間をクリックし続ける。


 これも違う。

 あれも違う。


 探しているうちに『彼女』の姿すら思い出せなくなってくる。


 つばの広い麦わら帽子。

 顔かたち、髪の長さに目の色、着ていた服は?


「またね」


 声を、あの透明で柔らかな声なら覚えている。

 頭の中にしっかりと。

 『彼女』の声が刻まれているはず。

 そう思ったが、だんだんそれも自信がなくなっていく。

 すべて。

 まるで霞がかかったようにおぼろげだ。


「またね」


 待ってくれ、待ってくれ。

 今、会いに行くから。


 男はひたすら空間を歩き続けた。


 ようやく見つけた帽子の部屋は、記憶のなかの姿とは違っていた。

 インテリアも過ごす人々の顔ぶれも雰囲気も。

 何もかも違う。


「ここでもないか……」


 男が去ろうとすると、呼び止められた。


「よう、カンカン帽。あんた、ずいぶんと久しぶりだな」


 赤と黄色の布に金色の鈴をつけたクラウンハットを被った男。

 そう言えば初めて帽子の部屋を訪れた時に、彼と最初に話したような気がする。


「来たばかりなのにもう帰るのか」

「君は……。麦わら帽子の女の子を知らないか。つばの大きな…」

「ああ、リゾートか農作業かで被るようなでかい麦わら帽子をかぶっていた女の子かい?」


 道化師は身振りで彼女の姿を的確に表現した。


「そう、その子だ。彼女は今日いないのか」

「いないよ。ずいぶん前からここには来なくなった」

「そんな……」


 呆然と立ち尽くす男に相手は大げさにのけぞり驚いてみせる。


「なんだよ。ずいぶん親しげだったから、てっきりリアルで付き合っているのかと思っていたよ」

「いや……。俺は……何も」


 現実の身分を互いに明かすことや、個人的な連絡のやり取りは禁じられていない。

 節度を持った付き合いを、という程度の規約なのだから。


「また……。ここに来れば会えるとばかり…」

「ずいぶんとのんきなことで。『また』なんて奇跡のようなもんだ。俺たちが今こうして話しているのも偶然の産物なのだから」

「じゃあ、『彼女』……あの子の名前を知らないか」

「知るもんか。ここはそういう世界だろう」


 かりそめの姿。

 かりそめの声。

 かりそめの名前。

 見栄を張って裕福なふりをしたり、学のあるふりをしたり。

 なりたい自分を表現していただけだ。

 本当の自分なんてどこにもない。


 『彼女』も同じなのだろうか。

 かりそめの名前で姿で優しく語り、やがて『彼女』ももっと居心地の良い場所へと移っていったのだろうか。


「またね」


 次を約束する別れの言葉。

 必ずまた会えると。

 自分の思い通りに過ごせると。

 なぜ思い込んでいたのだろう。



「いない」


 カチリカチリと切り替えていく。

 部屋は世界は次々と変わっていく。


「ここにもいない」


 姿が違っても、言葉運びの『癖』は変わらない。

 それは、まるでその人特有の遺伝子のように。


 男はひたすら探し続けた。


「どうしてだ……」


 多くを見過ぎて、多くを話し過ぎて。

 ますますわからなくなっていった。


 いつの間にかクラウンハットの男も消えて、あの部屋はがらりと趣向が変わってしまった。

 まるで、存在そのものがなかったかのように。


 『彼女』はいったい誰だ?

 『彼女』はいったい何だ?


 ただあるのは、記憶の片隅にこびりついている『存在』。

 そして、恋しさと、焦り。


「またね」


 ふわりふわりとつかみどころのない、たいせつなもの。



「まってくれ」


 手を伸ばした先には、東の窓から差し込む光。


「もう、朝か……」


 しぼんで節くれだった自分の手が、目に映る。


「きみは。……いったいどこに」


 皴だらけの顔を両手で覆い、深く息をついた。


 あと幾夜。

 君を探せるのだろうか。




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キミヲ、サガシテ 群乃青 @neconeco22

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