2.見つめていても
「人を好きになることの定義?」
「ハイ」
少年は素っ気ないそぶりで、でも時折、燈のほうに向ける視線は真剣なのだった。話し上手で、ちょっと斜に構えたこの感じ。納得の映画部で監督さん兼俳優さん。
2Dの紅林真君。もう常連だ。
彼にも、半年以上、心に秘めてきた恋がある。
「例えばさ、俺、友達みんな好きだけど、それと何が違うんすかね。先生、どう思う?」
燈は、そうだねえ、と考えてから尋ねた。
「君、一番仲いい友達は誰だっけ」
「え、仲いい友達? 岡島かな」
「D組の? なんで?」
「なんでって……部活も一緒だし、多分好きなものとか趣味とか同じだからじゃないですか。どっちも昔の映画好きなんで」
「中村君は?」
「中村も仲いいです」
「面白い子だよね、中村君」
「そうっすね。あいつ落語うまいんすよ。部室も隣なんで。落研の奴らとは結構喋ります。大津とも仲いいです」
「へえ」
「寄席連れてってもらったことあって」
ほうほう、と燈は頷いた。
「それで、C組の高石君だっけ?」
「え? ……あ、まあ、はい」
「彼とは仲良いの?」
「……いや、別に。前に映画出てもらっただけなんで」
名前が出るだけで、少し頬が染まる。態度がぎこちなくなる。まあ、そういうことなんだよね、と燈は思った。
「プライベートで話したことは?」
「……去年の文化祭の時に、ちょっと」
「何話したの?」
「……好きな映画のこととか」
「あのさ、今、ドキドキしてる?」
少年は真っ赤になって黙ってしまった。
「やっぱ、その違いじゃない?」
「……ああ、まあ、そうっすね……」
少年は妙に合点がいったように頷いた。
「いっそ映画部に勧誘でもしてみたら? それとももう別の部入ってる子だっけ?」
「……いや、たぶん帰宅部」
「こっそり見つめてるだけじゃ、これ以上は、いろんな意味で、何も分かんないもんよ。まあ、見てるだけでいいならいいけど」
「……ちょっと、夏休み中いろいろ考えます」
「んじゃ、これ今日の本。イタリアの映画史ね。困ったらまたおいで」
「ハイ」
ありがとうございました、と言って出ていく少年の後ろ姿に、燈は、当たって砕けられるのは今のうち、と呟いた。
「さて、本日の営業終了、と」
燈が机を片付け始めた時、ガラッと扉が開いて、大柄なおっさんが駆け込んできた。ああ、梅雨も明けたってのに暑苦しい。
*
「……閉室ギリギリに、相変わらず面白いところを突いてきますね、大倉先生は」
史書室奥の蔵書庫から引っ張り出してきた『江戸の風俗史』 上下2巻の貸出登録を済ませながら、燈は言った。
「そうですか?」
「先生、世界史でしょうが」
「だから日本史分は、こうして資料を借りに来にゃならんのじゃないですか」
そりゃそうです、と燈は頷いた。
ちょくちょく混ぜ込んで教えとるんですよ私は、と、大倉は日に焼けた顔でけろりと言った。
「……ところで、佐々本先生」
「ハイ」
「本橋先生ズ、離婚されたようですなあ」
「ですねえ」
「どうされるんです?」
「どうって。由岐先生なら、職場では通称で本橋のままでいるようですよ」
「いや、そうではなく。……そちらは、何も、なしですか」
単刀直入に問われ、燈はため息を吐いた。大倉とは、互いになぜか本橋夫妻の同性のほうに惚れてしまったと気付いてから、そしてそれを互いにバラしてから、まあ傷を舐め合う茶のみ友達を続けている。
「こないだ、由岐先生と目が合いましてね」
「ほほう」
「がっつり見つめ合ったんですよ」
「ほう、それで?」
大倉が身を乗り出した。
「彼女の瞳からね、そりゃもう、」
「ほう、なんです」
「そりゃもう、純粋な感謝と信頼をですね、感じとりました。涙ぐんで微笑まれて、こっちゃ泣きたいくらいの愛しさを抑え込んでいるんですが、お礼のお菓子を渡されて、また来ます、今度ぜひお食事にもいきましょうね、でおしまいです」
「……辛いですなあ」
「そんなもんですよ」
「……茶でもいれてください、佐々本先生」
*
「人を好きになることの定義?」
茶を啜ってから、大倉が顔を上げた。
「ハイ。今日、そんな相談を生徒から受けましてね。ドキドキするかしないかだというようなことを言ったんですが、実際、何をもって、こう『特別に』好きである状態だと言うんでしょうね。気の合う友人との線引きですか? その基準はなんなのかと、改めて思いましてね」
大倉は、うーむ、と首を捻った。
「究極的には、触れたくなるか否か、ですかなあ」
「やっぱり生物である以上、そこなんでしょうかね」
燈も頷いた。
いつからかは、覚えていない。友人たちと、何が違うのかもよく分からない。ただ触れてみたいという気持ちが、いつからか芽生えている。
そして、それが伴えば、いわゆる恋というもの、なのだろう。
「実際、私は佐々本先生が非常に好きですがね、こう、触れたくなるかと言われると、決してそういうことではない」
「おや、そんな連れないことを。危うくそういう仲になりかけたことだってあるじゃありませんか」
「まあ動物としての衝動はまた別の話ですからなあ」
「そりゃそうです」
互いにハハハと笑い合って茶を啜る。
一昨年前の年末、燈が自らの想いを自覚した頃だ。高等部教員の忘年会で隣り合わせた大倉と意気投合し、三軒梯子した挙句、終電を逃して二人で都内のホテルに泊まったことがあった。
酒のせいもあって、互いにそういうことになってもよかろうという勢いはあったが、なぜかそういう事態にはならなかった。
シャワーを浴びた後で、どうも違うなと、首を傾げ合い、窓際のテーブルセットに向かい合って腰を下ろすと、互いの辛い過去の恋愛について、自虐めいた舌戦を繰り広げて夜を過ごした。
大倉が、あろうことか今は数学の本橋裕紀に惚れてしまっている、と攻め込んで打ち明けてきたのも、返す刀で、燈が、こちらは音楽の本橋由岐に心を奪われている、と打ち明けたのもその時だった。そもそも、そういう鬱々とした思いを抱えていた同士だったから意気投合しただけかもしれない。
結局、ダブルベッドに雑魚寝して、泥臭く二日酔いの朝を迎えた。触れるもへったくれもあったもんじゃない。以後芽生えたのは、妙な仲間意識だった。
「……好き同士は、見つめ合えばなんとなく通じ合うもんだと信じとりますが、」
大倉がポツリと続けた。
「一生懸命見つめとっても、伝わらん人には伝わらんもんなんですかなあ」
「いや、伝わりはすると思うんですよ」
「え」
「ただ、受け取ってくれないんじゃないかと。受け取らない、は、意図的に気づかない、ということでですね、要は、私と大倉先生のような関係を、『意図的』に作り上げている、と。まあ、意図的といっても、明確に自覚してのことではなく、無意識の意図といいますか、本能的な防御といいますか。それが、触れたがられることへの最大の防御、嫌いではないが恋ではないという感情の無意識の体現なんじゃなかろーか、と最近、私は思うんですよ」
「……そんな、」
どうせ、大倉はこの後、本橋(夫)とビアガーデンにでも行くんだろう。悪いがこっちだって、辛い思いをし続けてるんだ。人の恋路を応援している余裕はないね、と燈はそっけなく思った。
「見つめていても伝わらないのは、つまり、好かれていない、ということなんですね」
燈はつくづくと言った。
「……身も蓋もない」
大倉が、大きな肩をがっくりと落とした。
手さえ伸ばせば 西岐 彼野 @hiya_saiki
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