9.臨界 ――決断が、救いでなくなる夜

国際防衛回線に、宗教国家連合から正式な声明が入った。


――○○国は、裁きの前に神の意思に従うことを選択せよ

――猶予は48時間

――拒否する場合、結果は貴国の責任となる


画面の中、言葉は冷たく光っていた。

指揮官は椅子に座り、何度も読み返す。

胸の奥で、いつもとは違う感覚が芽生えていた。

決めることは、民を守るためではなく、避けられない結果を迎えるためだという予感。


「……決断には、あまりにも短すぎる」


誰もが、恐怖と義務の間で揺れている。

決断を下せば、国民の命を脅かすかもしれない。

下さなければ、外圧で攻撃される。


周囲の顔を見る。誰も言葉を出せない。

冷静な分析班、表情を固める将軍たち、疲れ切った書記官。

皆、恐怖を飲み込んでいる。


会議室の空気は、さらに重くなった。

だが、その時、左派議員の声が割り込んだ。


「我々は、神の意思を尊重する立場を取るべきだ。

 待てない、遅すぎる!

 ここは国家として判断を示そう」


書類にサインを入れる仕草。

誰も止められなかった。手続きは一瞬で完了した。


指揮官の顔が硬直する。

内部の勝手な了承が、国家としての立場と衝突してしまったのだ。

だが、その一瞬が国家の立場を変えてしまった。

国としての判断は、すでに内部で分断され、もはや統一されていなかった。


翌朝、国際回線に再び信号が入る。

宗教国家連合からの返答は、短く明快だった。


――承諾を確認した。だが、形式上の妥協に過ぎない

――貴国は、行動で意思を示せ

――もし従わなければ、裁きは容赦しない


そして同時に、遠隔監視網が示したのは、

周辺諸国での砲撃と戦闘開始の映像。

爆発の煙が、遠く地平線に揺れる。

自国の国境線には、まだ赤い点はない。だが、距離は確実に縮まっていた。


指揮官は、地図に視線を落とす。

「……始まった」


国内はまだ動いていない。だが、時間は進んでいく。

内部の混乱と外圧が、攻撃という現実を押し付けてくる。


内側では、派閥が争いを始めている。


左派議員は「神の意志に従うことが最優先」と強弁。

右派官僚は「国民を危険にさらすな」と反論。

国民も、街角で小さな集会を開き、互いに相手を非難し始めた。


武器はない。

死者もまだいない。

だが、国の内側で信頼と秩序の火花が散り始めていた。


指揮官は、作戦室の窓から街を見下ろす。

明かりはまだ安定している。

だが、人々の顔はいつもより硬く、空気には緊張が漂っている。


妻が静かに隣に立った。


「近づいてるね」


「ああ……」


その言葉に、何も付け加える必要はなかった。

国としての時間は、もう数時間しか残っていない。

そして、内部の勝手な行動が、避けられない攻撃の口実を生んでしまった。


夜になり、街の灯りを揺らす風に、遠くの赤い光が映る。

まだ自国は攻撃されていない。

だが、静かな包囲網は確実に、国を締め上げていた。


指揮官は低く息を吐き、決意する。


「……備えろ。全ての手段で民を守る」


言葉は短く、凛としていた。

外から迫る火、内部の亀裂、両方に抗うためには、

指揮官自身が揺らぐことなく立つしかない。

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2026年1月1日 23:00
2026年1月2日 23:00
2026年1月3日 23:00

神は沈黙し、人は裁いた ――灰色の信仰 @Kazuking55

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