偽りのない愛をこめて

あおぞら

偽りのない愛をこめて(仮)


 真夜中の教室。光も音もなく、窓から差し込む月の光が、室内を淡く照らしていた。

 こうやって会うのは、随分と久しぶりだった。

「やっぱり来たんだね」

 彼女が僕より後に来るのは、いつものことだった。

「家にいても寝れないからね」

「いまだに寝れてないの?」

「寝れないことが癖になってるのかな」

 そう言いながら、君は僕の近くの席に座った。

 僕はいつも窓際の席に座り、君は毎回少し距離を開けて座った。

 もう何回繰り返したかもわからないこの光景も、多分今日で終わり。

 今は夏休み。高校生活最後の。かと言って、今までと何も変わりはない。

 相変わらず、暑すぎる日々だった。

「どこかに行ったり、誰かと遊んだりした?」

 近況を聞くのも、久しぶりだ。

「全然。ほとんど家にいたよ」

「もったいないな」

「誰かといるのも、疲れるんだなって思ってさ」

 伸びをしながらそういう君を、懐かしく感じる。

 あれから、もう一年も経つ。

 あの、夏休みの出来事から。


 僕は、小説が好きだった。現実とは違って、そこは好きに生きていられるから。

 人づきあいが苦手だった。疲れるから。相手が何を思っているかわからない。

 誰かと関わるたび、あれこれと考えてしまうのが嫌だった。

 現実も、小説みたいならいいのにと思った。

 現実を見るのが苦しくなるほど、小説に触れる時間は増えていった。

 最初は、読むばかりだった。どこかに存在している並行世界を覗き見ているようで楽しかった。

 こんな世界を生み出せる小説家に憧れた。

 次第に、自分でも書くようになった。

 誰に見せるわけでも無く、ただ楽しいから書いていた。拙い文章を、思いのままに書き綴った。

 でも、それは、いつからか現実逃避の手段に変わった。


 ある日、誰かに言われたことがある。「君は人を愛せない人なんだね」と。

 確か、高校に入ったころだろうか。人間嫌いで人に冷たかった僕は、周りからよく思われていなかったのだろう。

 だから当然だろうと思ったけど、それでもやっぱり傷ついた。

 それから、恋愛小説ばかり読んでいたと思う。

 人を愛すること、誰かを大切に思うこと。その答えを探すために、ひたすら小説を読んだ。

 それでも、答えなんて見つからなかった。

 読むのがだめならと、書くことが増えた。

 書くようになったら、いろいろとわかるような気がして。


 始めは家で書いていた。家族みんな寝た後に、原稿用紙と鉛筆をもってリビングに降りた。

 部屋から持ってきたデスクライトをつける。

 静かでやや暗い空間が、小説を書くのにはうってつけだった。

 本当は自分の部屋で書きたかったけど、一つ上の兄と同じ部屋なのでそれは叶わない願いだった。

 不便だなと感じる。

 人を愛せないと言われたことを根に持っていた。

 小説に触れていれば、わからないことなんてないと思った。

 だからほぼ毎日書いた。昼間の学校では小説を読んで、夜は家で書き続けた。徹夜することもあった。

 でも、何も変わらなかった。そもそも自分は人を愛することを知らないことに気づいた。

 好きって何だろう。自分が小説に向ける愛情とは違うのだろうか。

 自分は小説しか愛せないのだろうか。

 勝手に裏切られた気持ちになった。それは、小説になのか、自分自身になのか、はたまたこの世界になのか。

 自分が書いてきたもの、読んでいたもの、その全てが嫌になった。

  全てが嘘なんだと思い、気持ち悪かった。

小説なんて所詮空想で、求めている答えなんてな

いんだと。

 それからしばらく、小説から離れた。退屈だった。


 学校に行っても話す人なんていない。適当に授業を受けて、休み時間は空き教室で寝て過ごした。

 学校に行くことも減っていった。つまらない。みんなみたいに、楽しく過ごすことができないから。

 クラスに、誰とでも話せるような女の子がいた。あんな性格だったら、さぞ毎日が楽しいだろうなと思った。

 僕にないものばかり持っている人がうらやましくてしょうがない。

 でも、僕は所詮こんな人間なのだからと、何もかもをあきらめた。

 現実に期待なんかしてるからダメなんだ。

 そう言い聞かせる日々がしばらく続いた。


 あるとき、どうしても眠れない日々が続いた。ここ最近ずっと誰とも会話していない。

 ふと、小説を書きたくなった。今の自分がどんなものを書くのか気になったから。

 何も考えず、原稿用紙と筆箱をもって外に出た。

 真冬の夜中はやっぱり寒い。厚着をしてきたつもりだが、服の隙間を冷気が通り抜けて肌を刺した。

 十分くらい歩いただけで、手足の感覚がなくなり、耳や鼻が痛かった。

 当てもなく歩くと、気付いたら学校の近くまで来ていた。

 時刻は二時近く。

 流石に誰もいないだろう。

 なんとなく、教室まで行ってみることにした。

 真夜中の教室は、昼間の騒がしさが嘘のように静かで暗かった。でもいつもと違って、居心地がいい。

 窓際にある、自分の席に座る。椅子も机もひんやりとしていて、身体がまた震えた。

 小説を書いているとき、何かが乗り移ったように感じるときがある。

 いつもは悩みながら文字を綴っていくのに、その時は書く内容がすでに決まっていて、それをただ書き起こすだけのようになる。

 そういう瞬間はたまにしかないけど、決まっていいものが書けている気がした。

 今回、たまたまそれが来た。久しぶりに書いたからだろうか。

 こういうとき、小説を書くのがいつもより楽しくなる。

 身の周りのすべてから自分が切り離され、小説に自分が溶けていく。

 傍から見たらやばい奴みたいにみえるのだろうか。

 でも、そんなことどうでもいいくらい、この瞬間が好きでたまらなかった。

 どれくらい経っただろうか。

 ペンを置いて伸びをすると、視界の端に人影のようなものがみえた。

 驚いて椅子から落ちそうになる。

 後ろの机を何とかつかんで体勢を整えながら

「なにを、しているの?」

 と、目の前の人かお化けかわからないものに問う。

「忘れ物を取りに来て」

 その声の主も、酷く驚いた様子だった。

 よく見ると、同じクラスの人だ。あの誰とでも話せる、自分とは違う人。

「私だってびっくりだよ。ドアを開けたら人がいるんだもん。しかも、変な様子の」

 そう言いながら、彼女は胸に手を当てて深呼吸をしていた。

 まあ、驚くのも無理はない。僕が逆の立場でも、きっと同じような反応をしたはずだ。

「僕はここで小説を書いてて。ここだと、落ち着いて書けるから」

「君、小説書けるの?すごいね」

 すっかり落ち着いた様子の彼女は、興味ありげな様子だった。

「いつから、こうやって夜の学校に忍び込んでるの?」

 悪意はないだろうが、悪いことをしているんだねと言われた気がする。

 どこかバツが悪くて、下を見ながら

「今日が初めて」

 と答える。

「そうなんだ。てっきり常習犯だと思った」

 続けて彼女は、

「それにしても、冬の教室って寒いでしょ。私寒がりだからきついや」

 そう言いながら、近くの椅子に座った。

「でも、なんでわざわざ夜の学校に来てまでそんなことしているの?」

「単に眠れなくて」

 そう返しながら、原稿用紙を机にしまおうとした。

 こんな初対面の人に読まれたくない。

「なんでしまっちゃうの。せっかくだから読ませてよ」

 結局、彼女に取られてしまった。

 書き上げていたらまだいいものの、あれはまだ途中だ。

 書きかけのものを見られるのはさらに嫌だった。

 しばらく、沈黙が流れた。言葉で表せないくらい居心地が悪かった。

 だからといって帰るわけにはいかないので、仕方なく窓の向こうを眺めながら耐えた。

「読んだけど」

「なんか、冷たいね」

 そういう君の方が冷たいと思ったけど、言葉にはしなかった。

「登場人物も、文字の感じも。小説はたまに読むけど、ここまで冷たく感じるのは初めて」

 薄々自分でもわかっていたことだけど、直接言われるとショックだ。

 自分の人間性までも否定された気分になる。

「でも、私は好きだよ」

 そう言いながら、僕の書きかけのそれを持ったまま、彼女は立ち上がった。

「あ、それ」

 いきなりのことで戸惑う僕を気にも留めずに、「また読ませてね」

 と一言残して帰っていった。

 目の前で起こったことがあまりに衝撃で、僕はしばらく動けなかった。


 あの日の夜以降、何故か話しかけられることが増えた。

 昼間の学校ではもちろん、夜中でも。

 相変わらず夜の学校で小説を書いてる僕に、彼女はたまに会いに来た。

 なんで自分にそんな話しかけてくるのかわからなかった。

 彼女と話すうちに、どんな人間かわかるようになった。

 基本誰とでも話せる、自分とは違うタイプの人。

 そして、思ったことは何でも話す。言葉が強いなと思うときもあったけど、わざとではないらしい。

 でも、そんな性格だからこそ、自分とはどこか相性が良かった。

 いつも相手が何を考えているかわからなくておびえている僕にとって、なんでも話してくれるというのはいくらか接しやすかった。

 少なからず、僕は周りの人より彼女を信頼するようになった。

 でも、毎回話しかけてくるのは彼女の方からで、僕から話しかけたことなんてなかった。

「課題手伝って」「一緒に帰ろう」

 そうやって、僕らは仲良くなっていった。


 前に、クラスの人に言われたことがある。「君たち本当に仲がいいね」「付き合ってるの?」と。

 そういう時、決まって僕らは「そうかな」と曖昧な返事をしてきた。

 そんなこと聞いて何が楽しんだろう、と。


 いつものように、真夜中の教室で二人で過ごしていた。最近は、僕が書いたものを彼女が読むことが多かった。

 気付いたことがある。

 夜に会うときは、昼間の彼女とはどこか違うということに。

 夜は声音が少し落ち着いていて、静かだった。

 気のせいかもしれないけど。

「ねえ」

「なに?」

「ずっと聞きたかったことがあったんだけどさ」

 彼女はいつも、なんでもいきなりだった。話しかけてくるのも、何かお願いしてくるのも。

「小説書く時の名義さ、なんで”あおぞら”なの?」

「特に理由なんてないよ、単に青空が好きなだけ」

「そうなのかな」

 青空が好きなのは本当だった。そもそも、小さいころから空が好きだった。

 晴れも曇りも、朝も夜も。どんな空でも好きだった。ただ、その中でも青空が好きだった。

 どこまでも澄んでいるあの青を見ていると、自分が現実から切り離されていくような感覚になる。

 その感覚が、僕にとってはどこか居心地がよかったのだ。

「私も空は好き。なかでも、今日みたいに星の綺麗な空が」

 そういって窓際から天を仰ぐ彼女は、どこか儚くも美しかった。

「確かに、星空もいいと思う。でも、どうしても青空がいい理由があるんだ。今は言えないけど」

「なら、いつか聞かせてね。今日みたいな、星の綺麗な夜に」

 そんな、叶うかもわからない約束を抱えながら、僕らはしばらく星を眺めていた。


 今日の夜は、久しぶりに家にいた。

 電話越しに、聞きなれた声が聞こえる。

 基本、日々の愚痴やはまっているものの話を聞かされていた。長いときは、三時間とか。

 でも、今日はなんか違った。

「自分に自信を持てないんだよね。周りのみんなみたいに、自分には突出したものがない」

 この日、彼女は明確に弱音を吐いたと思う。

 いつかの夜に感じたあれは、気のせいではなかったのかもしれない。

「そんなことないと思うよ」

 元気づけようと、天井を見上げながら返す。

「そんなことあるんだよ」

 なにかあったのだろうか。

「君は、僕と違っていろんな人と話せる」

「でも、それだけじゃん。誰とでも話せる人なんて、私以外にもいるよ」

 そうかもしれないけど、僕はかつて、君のその部分を羨ましいと思ったのだ。

「僕は人と関わるのが苦手。あれこれ考えて辛な


るから。だから、君のそれはすごいと思うよ」

「僕の方が、何もないよ」

 そう、僕より彼女の方が、いいところは多い。

「君は、小説を書けるじゃん。誰にも書けないう

な。私には、そういうものがない」

「なんか疲れちゃった」

 そう零す彼女にかける言葉を、僕はもっていなかった。

 普段文章を書いているのに、肝心な時に役に立たない。そんな自分の不甲斐なさを呪った。

「じゃあさ」

 ふと、一つの考えが頭によぎった。

「僕の小説で、君を救うよ」

 出来やしないと思っていても、彼女の様子を見たら言わずにはいられなかった。

「ありがと」

 君は、弱々しく笑っていた。


 気付けば夏休みが近づいていた。

 君はというと、あの夜のことが嘘のように元気そうだった。

 あの約束をしてから、僕らは夜に話すことがなくなっていった。

 それは、僕がずっと家に引きこもって小説を書いていたからだと思う。

 電話をすることも、気づけば無くなっていた。

 朝起きて、言葉を綴って寝る。

 そんな日が続いた。

 時間の感覚も、曜日の感覚もなくなっていった。

 気づけば夏休みだった。

 あの日の君の声が頭から離れない。

 僕は、君を尊敬していた。家族よりも、先生よりも。

 そんな君が苦しんでいるのを見るのは、何よりも辛かった。

 君が強い人間だということは知っている。何かを言っても、大丈夫だって言われることも。

 でも、それでも、なぜかほっとけなかった。

 書いては消してを繰り返した。もっといいものが書けたらいいのにと、自分の無力さを呪う。

 こうやって自分を呪うのは何回目だろうか。

 日が経つごとに、僕は弱っていったと思う。

 好きなはずの小説に、苦しめられていった。

 文章がどんどん稚拙になっていく。

 時系列も、展開も、何もかも。

 でも、やり直せないと思った。

 自分からあふれるものを書き留めることだけに必死だった。

 前はよく来ていたあの瞬間も、今はもう全く来ない。辛かった。書くことが。

 それでも、書かなきゃと思った。

 そうして僕は、何も書けなくなった。






小さなスケッチブックに、感情任せの文が書かれ

ている。

もはや小説とは呼べない。

気付いてしまった。

僕は、自分のためにしか、書くことができないの

だ。

現実に苦しめられている自分を救うためにしか、

楽になるためにしか。

とても人のためになんて無理だ。

人を愛するということが、理由もなくただ自然に

できない。

そんな自分が誰かのためになんて、はなから無理

な話だったんだ。

申し訳ないなと思う。

約束したのにできないなんて、そんな残酷なこと

はない。

謝って許されるものじゃない。

でも、きっと君のことだから、許してくれる気が

する。

自分が嫌になった。

現実が嫌になった。

もう、限界なのかなって言葉が脳をよぎる。

もっと君と話せばよかったのだろうか。

僕は、君のことが好きだったのだろうか。

でも、きっと、僕は小説の方が好きなんだろう。


小説で、人は殺せるのか

きっと、可能だと思う。

その対象に、自分も含まれる。

でも、救うこともできる。

僕が救われていたように。

小説には、人を世界を変える力があると思う。

そうであってほしいと、強く思う。


僕がこの先を書くことは、もう無かった。






To.君へ

君のことだから、きっとこれを見つけて読んでい

るんでしょう?

こんな終わり方になってごめんなさい。

本当に、救いたいと思っていたし、救えると思っ

ていた。

小説が持つ可能性を、僕は信じていた。

でもどんなに頑張っても、救われるのは自分だけで、結局その自分さえも、最後は救われなかったんだけど。

僕は、人を愛することができなかった。

この世界を、愛することも。

だから、小説を通して何もかもを愛そうとした。

でも、いくら読んでも書いても、自分は何も変わ

らないんだって気付いた。

僕は、この現実の世界には向いていなかったのか

な。

ある日、君が僕に聞いたことに、今になって答える。

僕の名義が、なんであおぞらなのか。

それはね、あおぞら、「blue-sky」には”無価値”って意味があるから。

僕は、自分が無価値な人間だと思った。

誰かのために何もできない、ただ独りで生きているだけ。

そう思って、この言葉を使い始めた。

自分にぴったりだって。

いつかの日、君は僕の書く小説には価値があるっ

て言った。

嬉しかった。

自信になったんだ。

こんな僕でも、小説には価値を生み出せるって。

君のおかげで、僕は自分の書くものに少しは自信

をもてた。

僕は人が苦手だった。

でも、君のことは信頼していた。

今まで人生で出会ってきた人の中で、唯一。

だから、君も少しは自信をもって。

君の良いところを、僕は知ってる。

嘘の自信でもいいから、それを抱えて生きてみて。

きっといつか、自分はすごいんだって胸を張れる

と思うから。

僕は、きっと、ずっと、小説の中で生きていた。

僕にとって君が何だったかわからない。

友達だったのか、好きだったのか。

はっきりと言えるのは、小説が好き。

現実とは違う、存在するかわからない並行世界。

そんな世界が、僕は好きです。

何もできなくてごめん。

書きかけでごめん。

僕のことは忘れていいから、小説の良さだけは忘

れないでください。


最後、一言だけ。

僕にとって愛とは、偽らないこと。

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偽りのない愛をこめて あおぞら @bluesky0308

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