明朝

小狸

掌編

 置時計のアラームで目が覚めた。


 あまりの外の暗さに困惑した。


 時計が壊れたのか、それとも私の眼球が壊れたのか。

 

 そんな下らないことを逡巡しゅんじゅんした後、今日が冬至であることを思い出し、ひとまず納得して身体を起こした。

 

 北半球では太陽の南中高度が最も低く、昼間が最も短い、二十四節気の一つである。


 今日、令和7年12月22日月曜日は、冬至なのだ。


 まあ、いつもより暗いと思ったのは、たまさか体感的に私がそう思っただけで、実際にはそこまで変わっていないのだろう。気分の上下と違って、空の事柄は大抵、なだらかに始まり、なだらかに終わってゆくものである。


 ゲリラ豪雨などでもない限り、家の照明のように、オンオフで切り替えます、とはならない。


 そして悲しいかな、そんな12月の後半にも、仕事はある。


 いや、最終週はともかく、流石さすがに大抵の人はこの時期はまだ仕事か。そうでなくとも、元日から仕事の人だっているのだ、物事の尺度を自分だけで当てはめてはいけない。そういう方々のお蔭で、私たちが生存することができているということを、忘れてはならない。


 朝食を取って、身支度をして顔を整えながら、ぼんやりと私は考える。


 朝って、非情だよな、とか。


 そんなことを。


 どんなに前日悲しくとも、辛くとも、苦しくとも、朝はやってくる。


 私は小さい頃、犬を飼っていた。


 私が高校生に入ってすぐに、亡くなった。


 最初は動物嫌いだった私にどうしてか懐いてくれていて、いつの間にかいつまでも一緒にいるものとばかり思っていた――のだが。


 家族で出かけていて帰宅したら、既に犬は、息を引き取っていた。


 その時のショックは、未だに言葉にはできない。


 曾祖母の葬式などには小さい頃に参列したことがあるけれど、ほとんど会ったことがなかったし、まだ身近な人や生き物の「死」というものに、私は直面したことがなかった。


 私は泣いた。


 ずっと泣いた。


 もう明日なんて来ないんだ、ずっとこのまま夜で、私は泣き続けて、悲しみ続けるんだ、そんな風に思っていた私は、きっと子どもだったのだろう。


 その日は土曜日だったので、ほとんど私は徹夜したように思う。


 次第に明るく、日光が差してくる。


 新しい朝が、やってくる。


 それを見て私は、現実の非情さを知ったのだった。


 どれだけ泣いても、どれだけ悲しんでも、どれだけ私が、立ち止まろうともがいても。


 時間は止まってはくれないのだ――と。


 私は朝日を、そう受け止めた。


 勿論もちろん、それ以降しばらくは気持ちが陰鬱な日々が続いた。立ち直るのには結構な時間が掛かった。今でも思い出すと寂しい気持ちになるけれど、それでも日常生活に支障をきたすとか、眠れなくなるとか、そういうことはない。


 いつの間にか立ち直った、ということなのだろう。


 これも時間のおかげ、なのだとしたら。


 現実も非情なことばかりではないな――とか。


 そんな都合の良いことを思って、靴を履いた。


 12月最後の週の初め、今日も私は、職場に向かう。


 


(「みょうちょう」――了)

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明朝 小狸 @segen_gen

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