モブ王子のミシェラングルメガイド

オリーゼ

オフチョベットしたテフをマブガッドしてリット

「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリット……」

 神聖皇国よりもさらに南、アドラス大陸にあるソロン王国の王女が学園にやってくる。

 メルシア連合王国でその国から賓客を迎えるのは初。いわば未知の存在だ。

 第三王子ミシェイルは王宮の図書館でやっと見つけたその国の手がかりの記述を見て頭を抱えた。

「なんじゃこりゃあ!!」

 本のタイトルは世界の料理。

 今読んでいるこれはレシピのはずだ。

 理解不能。手がかり皆無。

 魔術の呪文か錬金術の秘蹟のように見える。

 しかしこれを解析しなければミシェイルのささやかな野望が崩れ去ってしまう。

 華やかな兄姉妹に囲まれたミシェイルはさしたる取り柄もなく、凡庸極まりなく、家臣たちに期待も注目もされず生きてきた。

 ついたあだ名は野花二号。一号ですらない。

 さておき、このまま兄弟の影に隠れて生きていくのだと鬱屈した気持ちで王立学園に進学し、学生会の会長として地味に仕事を回していたところに舞い込んだチャンスだった。

 彼らをしっかりと歓待できれば悲しいあだ名を払拭できるかもしれないと、学園の図書館でその国の文化を調べ始めたのが先週のこと。

 けれど学園にはろくな資料がなくて、わざわざ王宮まで帰ってきて、両親にも会わずに図書館にこもった。

 そしてやっと見つけたのがこのオフチョベットしたテフこと「インジェラ」という伝統食のレシピだった。

 国交どころか人々の行き来もほとんどなかった国だ。資料もあるはずがない。

 なーんも分からん、と、ミシェイルは頭をそらして本で顔を覆ってうめいた。

「ミシェイル、本が痛むよ」

 しばらくそのままの体勢でいたら、顔の上から本をどかされた。

「父上!!」

 多忙な彼が図書館に一人で来ることはあまりない。

 慌てて居住まいを正すと、父である国王ウィリアム2世ことリアムは苦笑してミシェイルの横に腰掛ける。

「珍しく学園から帰ってきたのに、一向に顔を見せないから心配したよ」

 幼子に対するように頭を撫でられてミシェイルは頬を膨らませた。

「そりゃ寄らないよ! 学生会会長として王女を迎えるための調べ物をしにきたんだ」

「で、何かわかったかい?」

 父に穏やかに問われて、ミシェイルは唇を噛んで答える。

「1日調べて、オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットしたインジェラって料理があるっぽいことは分かった」

「よく調べたね」

「当然だろ。何も知らなかったらもてなせないし」

「礼を失しないために必要なことで、その考えはとても立派だ」

 いつも穏やかな父は、ただねと優しく諭す。

「一行はこちらの文化や制度を学びに来る。だから、うちの国の文化を最初に示して交流していく方法もある。国の方針もあるから、まずは私達と打ち合わせをして情報共有をしよう」

 父には自分の子供っぽい功名心や意地などお見通しだったようだ。

 恥ずかしさに俯くと、自分とよく似た茶色の瞳が、顔をのぞき込んできた。

「ミシェイルはとてもしっかりしているよ。僕がお前ぐらいの年の時は、終始オドオドしてて、母さんには罵られ、パーティ会場での諍いも解決できず胃痛で倒れたりしていたからね」

「でも、兄上達はもっとしっかりしていたでしょ」

 ぽろりともれた本音に、父は肩をすくめた。

「しっかりしたところもあれば、そうでないところもある。彼らだってそれなりにやらかしてる」

 何かを思い出したのか胃を抑えた父は、それを振り払うかのように話題を変えた。

「野花二号って呼ばれてるんだって?」

 なにもかもお見通しだ。口をへの字にしてミシェイルは頷くと、父は笑う。

「一号は誰か知ってる?」

「従兄弟の誰かじゃないの?」

 大公家の従兄弟達は薄めの顔だから妥当な予想だ。だが、父はそれを否定して続けた。

「僕だよ。野花王子と一時期呼ばれていた」

「嘘だ。下手な慰めはよして」

「本当だよ。しかもそのあだ名は母さんにつけられたんだ。卒業パーティーのときにそれ由来のとても素敵な装花のドレスで来てくれて、すごく可愛らしかったんだよ」

「本当に……?」

「ほんとさ。絵姿を描いてもらってあるから後で見せてあげる。地味だと揶揄されている事は変わらないけど、僕にとっては野花王子というのは悪くない悪口だったよ」

 父は賢征王の異名をとった祖父と違って、派手な戦などしない。

 ただ対話と慈しみを持って臣下と対峙し、母と国内各所を巡って民の声を聞き、今は名君と呼ばれている。

 その父と同じと知れば野花二号というあだ名も悪くないように思えてくる。

 へにゃりと顔を緩めてミシェイルは言った。

「それなら嫌じゃないかも」

「ちょうどお茶の頃合いだ。母さんが待ってるよ。その時に外交官達がまとめた資料も渡そう」

「あ……ここにやたらと資料が少ないのって……」

「外務で使ってたんだ。だから驚いたんだよ。ミシェイルがその国の資料を探せた事を」

 調べ物の才能があるじゃないか、と手放しに褒められてミシェイルは上気した頬を掻いた。


◆◆◆


 王女一行が訪れたその日、事前の準備の甲斐もありミシェイルは彼女達を十全にもてなし、学校制度や寮について説明をすることができた。

 その日の最後は、学園のホールで懇親会である。

 父の代からの伝統になっている立食パーティー式でパーティーを行うと、まったく違う文化の人々だ。ここでは人気の料理に顔をしかめられたり、場を埋めるために用意したものが好評だったりと予想外の反応が返ってきた。

「あら、インジェラ? ん、違う、なにこれ……」

 クレープに目を止めたソロンの王女の呟きに、ミシェイルは歓談を止めて詰め寄った。

「インジェラというのはこんな見た目なんですか?!」

「インジェラをご存知なんですか?」

 ミシェイルの食いつきに驚きの表情を浮かべながらも王女が問い返した。

「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットしたもの、という記述を見たのですが、想像がつかなくて。機会があったら伺いたいと思っていたのです!」

「テフ、というのは穀物です。見失うほど小さいという意味があります。これを粉にする場所がオフチョベット。マブガットは水と混ぜること。そうするとリット……えーと、なんていうのかしら。お酒を作ったりするときにもなる」

「発酵?」

「ええ、それ」

「テフを製粉所で粉にして水と混ぜ、醗酵させた物を……」

 ミシェイルはしばらく考え込んで閃き、クレープを指差した。

「もしかして、それを生地にして焼くとこういうものになるんですか?!」

「あっ、はい、そうです! だけど、これ、インジェラの味しなくて」

「これはクレープやガレットと呼ばれています。蕎麦粉や小麦粉を、水や牛乳卵や溶かしバターなどを混ぜた液体で溶き、鉄板で焼いた物です」

「それで味が違うのね!」

「インジェラというのはどんな味なんですか?」

「酸っぱいです。辛いワットと食べると美味しい」

「ワットというのは?」

「ええ、それは……」

 学びの謎が解けた瞬間の喜びは何事にも変えがたい。

 また、王女も自国文化に興味を持ってもらったことが嬉しかったらしくそこから話が広がった。

 王女とすっかり意気投合したミシェイルは、日を改めてソロン王国の伝統的な食事を振る舞ってもらう約束を取りつけた。

 ミシェイルは未知の料理インジェラを口にすることができ、彼女達の視察も成功裡に終わった。

 今まで食べたことのない味わいのインジェラを食べて衝撃を受けたミシェイルは、まだ見ぬ世界の食べ物を発掘するという魅力の虜になった。

 この出来事をきっかけにして、学園を卒業後、メルシア連合王国の有能な外交官兼、世界を股にかけるグルメハンターになったミシェイルは、彼がお忍びで食べ歩いた食事処を星形式で評価してまとめた書籍を『ミシェイルランキングガイド』として売り出した。

 それは貴族のみならず庶民にも人気を博し、産業革命下の鉄道・自動車旅行ブームが始まった後はその『ミシェランガイド』を手にレストランを回ることがステータスとなった。

 かくして野花二号と揶揄されそれを変えたいと願っていた王子は、他の兄弟の誰よりも長く、人々の中に名を残す存在となった。


 だが、その未来を王子ミシェイルはまだ知らない。


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