月並みのほとり

@atoaharu

月並みのほとり



ごぉうん、ごぉうん

1階で洗たく機が回る音が2階にも聞こえてくる。布団の中で目をこする。うるさくはないけどなんかふわふわする感じ。寒いから出たくない。まだちょっと暗いし、お母さんが起こしに来てくれてからでいいや。と、思ったあと、いつのまにか寝てた。

「波瑠君、もうそろそろ起きないとだよ」

お母さんが、ぼくの肩を軽くゆらしながら起こしてくれる。

「えー、もう起きる時間?」

「そうよー、早く起きて」

「…まだねむい」

「ふーん、じゃあ、あれしかないかなぁ」

ぼくはだまって布団にもぐる

「じゃあ、しちゃうからね」

と言うと、お母さんは、ぼくのお腹の横をくすぐる

最初は我まん出来てたけど、終わらないから、たえれなくなって笑ってしまった。

「ねぇ、こちょこちょやめてよ」

本当はそんなにイヤじゃないから、たまにわざとこうやってすぐ起きないでいる。

「はい、起きたわね、早く降りてくるのよ」


リビングはあったかくて、テーブルにはもうご飯が並んでいた。アジの塩焼き、サラダ、味噌汁、ご飯、うとうとしながら食べられるだけ食べる。

テレビで占いが始まるとそろそろ家をでなきゃいけない時間。

ランドセルを取ると、お母さんが、今日からすごく寒いわよ。と、ぼくを呼ぶと鏡の前でマフラーを巻いてくれる。

「ていうかさー、大体なんでこんな冬は寒いんだろうね。夏の暑い時のやつをさ、すこし冬に分けちゃえばいいのに」

お母さんは、巻き終わった合図みたいに、

ぼくの首の下マフラーの上から軽くトンっと叩きながら鏡の中でぼくと目を合わせて、「今朝お父さんも同じこと言ってたよ、親子だね」と言った。

お父さんって子どもみたい。


家を出ると外はまだ少し暗くて

お母さんの言う通りすごく寒かった。

白い息が口から出る。ぼくはそれが面白くて飽きるまで、はーっ、と息を吐くのを繰り返しながら歩いた。



春のふわふわした空気感がすごく好き。

新しいことが起きるワクワクが詰まっている。

そしてそれが春の陽気になっているんだと思う。

でも、今は少しさびしかったりもする。

3の1のままでもいいのになぁ。

くつ箱のすぐ近くの掲示板にクラス分けの紙が張り出されている。たくさん同級生達がいて、ちょっとずつ進んでいって、3分くらいしてからやっと自分のクラスを確認できた。

「4年生の教室はこちら」の案内通りに歩いていくと、3の1だった、たける君もいた。

「たける君、おはよ!」

「お、波瑠。おはよう」

「ぼく、次は3組だった。同じ?」

「見てこなかったの?違うクラスだよ」

「えー、別のクラスなんだ。さびしい」

「ほんとだよな、でも、それより波瑠がちゃんとやれるか何か心配かも」

「えーなんで?」

「そうやってわかってないところ」

「なんていうか天然じゃん」

「何?魚の話?」

「は?魚?」

「ほら、ようしょく、とか、天然、とか…」

「ほんとに大丈夫かよ。波瑠」

「うん。再来年は同じクラスだといいね」

「先すぎるわ!まぁ、おまえ明るいし大丈夫か」


たける君とバイバイして、急いで新しい教室に入ると、黒板に座席表があった。ぼくの出席番号は今年も下から数えた方が早い。32人のクラスで男子の後ろから2番目の15番。だから、簡単に自分の席が見つかった。うー、新しいクラスは少し、きん張するけど、

友達が増えると思うとやっぱり少しわくわくする。さっきまで前のクラスがいいなんて思ってたのになぁ。と1人で面白くなって、思わず声がでていた。

「ふふ」

と、我まんしながら笑っていると、

後ろから肩をツンツンされた。

「ねぇ、なんで笑ってるの?」

振り返ると、後ろの席の人が、

こっちを見て聞いてきた。

「えーっと、なんか新しいクラスにきんちょうしてたんだけど、ちょっとわくわくして、で、さっきまで前のクラスの友達と話してて、楽しかったなぁって思ってたのに、なんかすぐ別のこと思っちゃってるなぁと思って」

「へー、そんなに前のクラス楽しかったんだ。いいね。ねぇ、名前何?」

「深田波瑠!」

「波瑠君ね。おっけー。」

「俺はわたなべかずき」と、

答えながら名札を見せてくれた。

「ありがとう。和樹君って前何組だったの?」

「あー、オレ転校してきたんだ」

「え?そうなの?」

「いやいや、転校生って気が付かなかったの?

みんなじろじろ見てたし、これまでオレの事、見たことなかったでしょ」

「うーん、他のクラスだった人かなって…」

「違う違う、この学校で話したの波瑠君が最初」

よろしく、と言われると何か、うれしい気持ちになった。


水谷由佳、先生は黒板に白いチョークでそう書くと「みんなの担任になった、みずたにゆかです。みんながクラスで楽しく、しっかり勉強できるようにしていきます。1年間よろしくね」とあいさつをした。

眼鏡をかけている女の先生。ちょっとだけ厳しそうな気もする。あっ、でも、4年生になったんだし、それくらいの方が良いのかも。次は、ぼくたちが自己紹介をする番になった。名前と、今年の目標を順番に言っていく。

ぼくは、「もっと勉強を頑張る」にした。

ぼくの自己紹介が終わると、先生は和樹君を転校生として紹介した。

「ここは、渡辺君が住んでたところよりも、田舎だからなー。最初はつまらないかもしれませんが、お友達たくさん作ってね。そしたら楽しくなるからね。うん。みんなも仲良くしてあげてね」


みんなの自己紹介が終わり、始業式に行くために、ろう下に並ぶように先生が話すと「めんどくさ」と、後ろの方で声がした。

バンっと先生が黒板を叩く。

「今、誰が言ったの?」

教室がシーンとする。次からそういうこと言わないようにね。と、先生は言った。


「それでは平成15年度始業式を始めます」

式とかこうやって体育館に集まるのが好きなわけではないけど、校歌を歌う時間は好き。こんなにみんなで同じ歌を歌うことって他にないから。

でもそれ以外の時間が本当に苦手で早く歌の時間になってっていつも思ってる。


「なんだったっけなぁ。あー、良川ってとこだったと思う」

教室に戻ったあと、和樹君の家を聞くと、ぼくの家のすぐ近くだった。

「え?ぼくも、そっちの方向だよ!ねぇ、今日一緒に帰ろうよ」

「いいね。あ、オレ呼ぶ時、和樹でいいよ」

「うーん、ぼくは君までつけた方が話しやすいから。あっ、でもぼくは波瑠でいいよ!」

「そっかー、まぁいつでも呼び捨てで呼んでよ、波瑠」


次の時間は、先生がたくさんプリントを配ってお家の人に見せるように話すと、最後に自己紹介カードを配った。好きな教科と、好きな色、好きなこと、誕生日とかを書くところがあった。

一番右下は空らんになっている。

「空いてるところは、みんなに何書くか決めてほしいなぁ。クラスのみんなで決める最初のことだね。はい、じゃあ、みんな近くの人と話し合って」


言い終わると同時にまた、後ろから和樹君がツンツンとぼくの肩をつついてくれた。

「波瑠、何がいいかなぁ」

「なんだろう、えーと、好きなゲームとか?」

「いいじゃん、何のカセット持ってるの?」

「えーっとね……」

ガタッ

突然席を立つ音が聞こえた。

去年も同じクラスだった原田君だ。

「みんな、聞いて、聞いて!オレいいの考えた、無人島に誰を連れて行きたいかとか面白くない?」

そう言うとみんながいいじゃん、面白そうと言って、それに決まった。

「なんかあれだな、あっという間に決まったな…」

「原田君ってすごいんだよ。前のクラスの時も学級委員長してて、リーダーって感じ」

「ふーん。そうなんだ。んー、まぁでも、確かに面白いお題だよな。波瑠は誰にするの?」

「お父さんとお母さんかな、何があってもぼくのこと守ってくれそうだもん」

「えー、守るって、遊びに行くんじゃないの?」

「無人島って誰もいないんでしょ?怖いもん」

「いやー、せっかく別んとこ行くのに、何で親と行かなきゃいけないんだよ。オレはそうだなぁ、サッカーで好きな選手がいるからそれにしようかな」

「なんかそれすごそう、足速そうだし」

「 はは。かけっこするわけじゃないんだから。尊敬してんだよね。上手いから」

尊敬する人、ぼくは誰かなぁと思っていると、もうすぐ回収するよと先生がいうので、急いで自己紹介カードを書いた。


放課後、和樹君はみんなから転校する前どこに住んでたとか色々聞かれてたから、ぼくはそれを横で待った。帰り道、和樹君とは、ゲームの話をしたりして歩いた。新しい友達が早速出来て、すごくうれしい。


家に入る時はいつも玄関じゃなくて、

車の後ろの勝手口から入る。ドアノブをガチャガチャすると母さんが開けてくれた、

「波瑠君。おかえり」

ただいまと返しながら、ランドセルをおろして、くつをぬぐ。

「さっきの子、初めて見たけど、同じクラス?」

「うん。転校してきたんだってさ。ゲームもくわしくてね、すごいんだよ」

「そう。よかったわね」

「担任の先生はちょっと厳しそうだった」

「名前はなんていうの?」

「水谷先生」

「そうじゃなくて、さっき一緒に帰ってきた子」

「あ、えっと、和樹君」

「みょう字は?」

「あー、何だっけ、あー渡辺、君」

お母さんが、メモ帳にひらがなで、わたなべかずき。と書いているのが見えた。

「ありがと。じゃあ、手洗いうがいしたら、もらったプリント出してね」

うん。と答えて、ぼくは洗面台に行った。


次の日、学校に行くと、教室の後ろに7人くらい集まっていた。

みんなが見せて見せてといって、盛り上がってる。

少し近くに行くと、昨日の自己紹介カードが貼ってあるのが見えた。

「マジじゃん」、「ヤバっ」とか言いながら

みんなが笑ってるから、誰かが面白いことを書いてるのかなぁって、ぼくも見たくなって、もっと近づくと、誰かが「あっ」と言う。

ぼくの顔を見ると、そこに居たみんながちょっと離れた。みんなが見ていたのはぼくの自己紹介カードだった。何か面白い事書いたっけ?

自分の書いたものを上から読み返していると、原田君が話しかけてくれた。

「ねぇ、おまえってマザコンなの?」

「えっと、マザコンってなに?」

「…お前知らないのかよ。お母さん好き?」

「うん!好きだよ」

原田君は少し、おどろくような顔をした後、笑いをこらえるように、「くっ」っと声を出す。すぐにこらえきれなくなって吹き出して笑うと、周りのみんなも笑った。ぼくもみんなと同じように声を出して笑ってみる。

「何でお前が笑ってんの?」

「面白かったのかなと思って・・・」

「キモ」

急にキモいって言われてびっくりした。

「え?なんで?何がキモいの?」

「お前、無人島にママと行きたいんだろ」

「うん」

「だからだよ」

「え?みんなは違うの?」

「違うに決まってるじゃん。お母さんって書いてんのお前だけだよ」

「へー!みんな何て書いたの?」

ぼくはみんなの自己紹介カードを見てみた。友達の名前や、テレビに出てる人の名前が書いてあった。

「あ、まって。ほら、ここにもお母さんって書いてあるよ」

「は?あぁー。それ女子じゃん」

ぼくはいつの間にか男子の列を通り過ぎて、

女子の自己紹介カードを見てたみたい。

「で、誰が書いてんの?」

「さ、くら、みこと、さん」

あんなのなのに?と声が聞こえた。

「佐倉さんって字うまいね」

と、言ったけど、反応してもらえなかった。

教室の前の席に佐倉さんが座っているのも見えたけど、振り返っても無かった。

「おまえってマザコンだったんだなー。キモいわー」

原田君はそういうと、自分の席に戻っていった。


ぼくも自分の席に戻って、ちょっと考えてみる。お母さんって書いたのがキモいってこと?なんで?

「波瑠ー!おはよ。」

和樹君が自分の席に座りながら声をかけてくれた。

「ねぇ、和樹君、マザコンってなに?」

「え、いきなり何?お母さんが好きなやつのことでしょ」

「きらいな人なんているのかな」

「きらいっていうか別に普通ってのはあるんじゃね?好きっていうと何かバカにされそうだし」

「え?なんで?」

「なんでって…、うーん、なんだろうな。つーか、逆に何でマザコンの話?」

「昨日の自己紹介カードさ、もう後ろに貼られてて」

和樹君が振り返る

「ほんとだ。はや」

「無人島のやつ、ぼくが、お母さんって書いてたから、さっきマザコンって言われたんだ。キモいの?マザコンって」

「あー。そーいうことね…。まぁ、あんま気にすんな。どんまい!」

和樹君は少し気まずそうに笑った。

「う、うん。あ、和樹君おはよう」

「いま?」


その日はずっとその事で頭がいっぱいだった。

何でお母さんが好きなのがキモいんだろう。

昼休みに急いで図書室に行って、辞書を開いてみる。マザコンを調べようと、何冊か辞書を見たけど書いてなかった。他にもたくさん辞書はあったけど、段々怖くなっ来て、もう調べなかった。


和樹君と一緒に帰っていると、明日から朝も一緒に行こうと誘ってもらった。いつも朝は1人だったから、うれしい。ぼくの家の近くになると、いつもの匂いがして、和樹君がクンクンとおおきく鼻を動かした。

「ねぇ、なんかいい匂いしない?」

「あっ、多分ね、お母さんがクッキー焼いてる。」

「まじ!波瑠の家なのこれ?」

「うん。いつもこの匂いだから。あ、食べてみたい?」

「え!!食べたい」

「多分くれると思うよ、聞いてみるね」

ドアをガチャガチャするとお母さんが開けてくれた。

「お母さん、あのね」

「はいはい。クッキーね。」

「え?なんでわかったの?」

「波瑠君、元気だから家の中まで声がきこえてたよ。少し待っててね」

そう言ってお母さんは、袋に少しクッキーを入れると簡単にラッピングしてくれた。そして外に出て、和樹君にそのクッキーを渡した。

「やったー!まじでありがとうございます」

和樹君は初めまして、とかお母さんに言って、お母さんも和樹君にあいさつした。

そして、じゃあねと、手を振りバイバイした。

「あんなに喜んでくれるなんてね、いい子だね」

「うん、明日から朝も一緒に行くよ」

「あらー、仲良くなってよかったね」 

お母さんはうれしそうだった。

そのままリビングでクッキーを食べていると玄関のチャイムが鳴った。洗たく物をたたんでいたお母さんがインターホンを急いで見に行く。

「波瑠君、和樹君きたわよ」

お母さんと玄関に行くと

「さっきはありがとうございます。クッキー、とりあえず1つだけ食べたけど、美味しかったです。これお返しです。ポテチとチョコなんですけど…」

と、和樹くんがビニール袋を渡してくれた。

「わざわざありがとうね。お返しなんていいのにー」

「いえ、すごく美味しかったのでお返ししたくて」

ぼくもうれしくなる。

「ね、でしょ!」

和樹君は、「うん」と、答えながら、ぼくに手招きをする。近くに行くと、耳元でささやいた。

「確かに、こんなの毎日食べてたらマザコンになっちゃうかもな」

え?びっくりしてとっさに耳を離す。

「あ、ごめん悪い意味じゃなくて、美味しいから」

和樹君はにこっと笑うと、じゃあ、ありがとうございました。と、頭を下げて帰って行った。お母さんは少しぼくの顔を見る。

「今日は遊びに行くの?」

別に行かない。と答えるとお母さんは、リビングに戻って、テーブルの上でお菓子の袋を2つとも開ける。そして、ポテトチップス1枚と、チョコの正方形のかけらをくれた。

「味おぼえてね」

そういうとお菓子の袋を台所に持っていった。

ガサガサとビニール袋を触るような音が聞こえる。ここからだと背中しか見えないけど、お母さんは多分、お菓子を捨てている。もらうといつもそうだから。多分、今日もそうだと思う。


その日の夜ごはんは、早めに帰ってきたお父さんと一緒に食べることが出来た。

「今日の夜ご飯はアジのなんばんづけと、玉ねぎのサラダ、そしておみそ汁だよ」

夜ご飯はお母さんがこんだてが何か言ってから始まる。ご飯は言わない。少し給食の時間みたいだと思う。サラダに入ってるトマトはぼくが庭から切ってきたやつ。

「いただきまーす」

「おー、今日も元気でいいな」

「波瑠君、もう少したくさん食べてくれたらいんだけどね」

「確かになぁ。食べないと身長も伸びないんだぞ?」

「うん。ぼく、整列の時後ろになりたいんだ」

「それなら、やっぱりたくさん食べないとな。大丈夫。俺の息子だからきっと高くなるよ」

そうなりたいなぁ。と思って、しばらく頑張ってご飯を食べてると、「今日ね」とお母さんは和樹君にクッキーをあげた話をした。

「早速、友達作ったんだな。やるな、お前」

「うん」

スーッとお母さんが深呼吸をする。

「そういえば、波瑠君、今日玄関で和樹君が何か言ってたけど、あれなんて言ってたの?」

「え?」

「ほら、クッキーを美味しいっていってくれた後に、何か波瑠君に言ってたでしょ。悪い意味じゃないって」

「え、はずかしいよ」

「なんだよ、はずかしいって、下ネタか?」

お父さんは、笑いながら聞いている。

お母さんはそれには何も言わないでぼくから目を離さない。

「それで?なんて?」

「あれは、こんなに美味しかったら、」

キモいって言われたことを思い出して、

"マザコン"とは、言わない方がいい気がした。

「どうしたの?言えないの?嫌なこと言われてない?」

詰まってるぼくの顔をお母さんはまだ、じっと見ている。

「いや、お母さん好きになっちゃうねって」

「本当それ?」

「うん、こんなに美味しいクッキー食べてたらお母さん好きになっちゃうねって。ぼくがお母さんのクッキー自まんしてたからかなぁ」

「なんだー。お母さん安心した。それに、うれしいな」

ぼくも安心した。一応そういう意味だっていってたし、嘘ついてない。

「でも、次からはお母さんが聞いたらすぐ話してね。」

お母さんの言葉に、うんと答える。お父さんはそうだぞー。お母さんの言うことは聞くんだぞと。また、笑いながら言っていた。


寝る時間になって、布団の中で「マザコン」って何か考える。お母さんが好きって意味なら、いけない言葉じゃないはずなのに。そういえば、佐倉さんは、何で無人島に連れて行く人に「お母さん」って書いたんだろう。やっぱり守ってくれるからかなぁ。


次の日からぼくは、佐倉さんに話しかけるタイミングを探す事にした。佐倉さんは全然クラスの人と話してなかった。佐倉さんの周りに全然、人が居ないから近くに行くのでも考えてしまう。

休み時間は大体、宿題とかしているみたいだし、昼休みの終わりには、本を持って教室に帰ってくるのを見たから、図書室に行ってるのかもしれない。たまに目が合うような気もしたけど、ほんとに一瞬だし、ぼくも大体、和樹君と一緒にいるからどうしたらいいかわからない。


学校の授業で特に好きなものは生活の時間。生活の時間は何をするかよくわからないけど、勉強しなくていいから好き。今回の授業は図書室に本を借りにいってみようというものだった。先生は必ず何か一冊本を借りて、読書の習慣をつけてくださいと話した。

読みたいものは何にも思いつかないけど、適当に図書室の中を歩く。たくさん文字の書いてある本は苦手だから、とりあえず読みやすい本を探した。

動物とか生き物コーナーの本は写真が多くていい感じ。適当に取ってパラパラしてると、「私たちの世界には気が付いてないだけで、たくさんの生き物が生活しています。」と最初に書いてある本があった。表紙を見直すと微生物(びせいぶつ)と書いてある。腐った木も微生物にかかれば分解されて土になる。・・・しかもちょっとの土の中に1億匹の微生物がいるらしい。一億ってもう訳わからない。それに、別のものにするなんてすごい。

図書室の窓から外を見る。土の下にもたくさんの生き物がいると思うと、すごいと思ったし、嘘だと思った。でも、その微生物のおかげで地球が循環(じゅんかん)しているらしい。

読んでいくと、空気の中にも微生物がいると書いてあった。何にも見えないのに?

ぼくは一応手をぶんぶん振ってみるけど、何かを触ってる感じはしない。その本には微生物を拡大した写真がのっていた。毛が生えていたり、緑色だったり。息をするたびにすい込んでいるんだとしたら、気持ち悪い。授業が終わって、図書室から出て、すぐ、うがいした。


放課後、和樹君から一緒に遊ぼうと誘われた。

約束した良川公園の近くまで行くと、原田君と小田君が見えた。話しかけられたくないから、見えないくらいのところで待った。少しすると和樹君が来た。

「何で公園に入らないの?」

と声をかけてくれる。でも、和樹君は止まらないで、小田君と原田君の所に向かおうとする。ぼくはそのまま動かないでいたけど、和樹君に行こうよ、と言われて結局2人のところに歩いた。


「波瑠連れて来たの?」

「家近いし、一緒に遊べるかと思ってオレが呼んだ。数多い方が楽しそうじゃん」

和樹君が説明してくれると、

原田君は、小田君の顔を見る。

「いやまぁ別にいいけどさ、じゃあ和樹さ、まずバンキ案内してやるよ」

バンキは公園から歩いて10分くらいの駄菓子屋さん。おばあちゃんが1人でやっているお店だ。


バンキに着くと、原田君がお店に入って、次に小田君がお店に入る。和樹君もその後に入っていった。


「兄ちゃんがさー、オレの分も買ってこい。って、うるさいんだよ。あれでいいかな、おまけのきなこ棒とかで」「ダメだろそれは多分バレるよ」と原田君と小田君が話しているのが聞こえる。

「波瑠、買わないの?」

外からみんなを見ていると、

和樹君が外に出て来て声をかけてくれた。

「あ、うん。ぼく、お金持ってきてなくて」

「そうだったんだ、貸そうか?」

「あー、いいのいいの。波瑠はいいの」

ぼくが答える前に、小田君が言った。

「お金の貸し借りはだめなんだもんな」

「う、うん。」

「ほら、何でか言ってやれよ」

「ぼく…」

また、小田君が横から言う

「ママが言ってたからだろ。」

「あ、うん。お母さんから、お金の貸し借りはダメだって言われてて」

「はい、マザコンー。波瑠ってかわいそーだよなー」

小田君は笑っていた。

「まぁ、確かにオレもお母さんに言われたことあるかも。ごめんな、波瑠」

声をかけてくれた和樹君にお礼を言いながら、僕は約束を破ってお金を借りた時の事を思い出していた。

出して。ごめんなさい。と何度叫んでもお母さんは、決めた時間になるまで押入れから出してはくれなかった。時間になって出してもらえた時、お母さんは泣いていた。

「ごめんね、でも、お母さんとの約束は破っちゃだめだよ。本当にごめんね」そう言ってぼくを強く抱きしめた。僕も泣いたけど、お母さんを見て安心したことを覚えてる。その日お父さんが帰って来てからも、その話になって、閉じ込めるのは二度としないってことになったけど、ぼくは今も暗くて狭い所が苦手。


バンキを出ても、原田君たちの話は続いていた。

「それに波瑠はさぁ、タダであげるって言っても、貰わないからね」

「ギャクタイされてんじゃね」

「あ、だからこんなにガリガリなのか」

「お前らさぁ、いい加減にしろよ」

和樹君がぼくの前に立ってくれた。

「何が?」

「流石に言いすぎだろ」

「和樹は真面目だなー。波瑠がガリガリでかわいそーだから言ってやってんじゃん」

「なんかそういうの俺がイヤなんだよね」

「は?転校生のくせに」

「だから?それが何か関係あんの?」

ぼくの事でこれ以上言い合いになるのはイヤだった。

「ごめん。ぼく帰らなきゃ」

頑張って大きい声を出した。

「は?波瑠、なに?オレがいじめたみたいじゃん」

原田君の声も大きかった。

「違うよ。なんかおかし食べたくなって、家の!」

「キモ。やっぱマザコンじゃん」

「だから、やめろって。波瑠ほんと?」

和樹君が心配そうにぼくを見る。

「うん、ほんとだよ!」

「じゃあオレも帰ろうかな」

「いや。ダメだよ!遊んで帰らなきゃ」

「そうだよ、波瑠の言う通り。大体お前と遊びたくて今日誘ってんだからさ」

「えー…、まぁわかったよ。波瑠もさ、本当にイヤな時は言えよ?」

「うん」

本当にイヤな時。それってどれくらいのイヤなんだろう。ぼくは、じゃあまた明日ね、と言ってバンキが見えなくなる曲がり角まで走ると、そこからは出来るだけゆっくり歩いて帰った。今のうちにできるだけ暗い気持ちを無くして家に帰りたい。ゆっくり歩いたつもりだったのに、気がついたらもう家の近くまで来てた。出来るだけいつも通りにしよう。

「ただいまー」

「おかえり。波瑠君。早かったわね。なんかあったの?」

お母さんは、ぼくの顔を見てる。

「クッキーが食べたくなって」

「あー、ごめんね。今日は焼いてなくて。明日また作ってあげるね。」

ぼくは出来るだけ悔しそうな顔で、なんだー、宿題する!と言って、自分の部屋に行った。もうごめんってばというお母さんの声は明るくてホッとした。


あれから和樹君とみんなの仲が悪くなっていたらどうしようと思っていたけど、次の日みんなが話してたのは和樹君の運動神経がいいって話で、サッカークラブに入って欲しいとまで声をかけられていた。結局、和樹君は、クラブに入ることを決めたらしい。しばらくして、火曜と金曜以外は一緒に帰れなくなったと言われた。


帰りの会の時、水谷先生がこのクラスで「ごめんなさいの時間を作ろう」と話した。「帰りの会の時に、その日クラスの誰かにされてイヤだったことがある人が、前に出てそれを発表し、その相手が謝って仲直りする」というものだった。

「何かあったらこの時間に発表するようにね」と先生は言った。1週間くらいは、誰も何も言わなかったけど、本田さんが「剣崎君にバカと言われた」、「森山君がそうじをさぼっていた」とか言ってからは、女子から男子への不満がよく発表される様になった。

ぼーっとしていたら終わっている時間。

でも、この時間に名前を言っちゃいけない人もいる。それが外山さん。国語の授業中の事だった。外山さんが、急に席を立ってあぁぁーーと叫び、クラスを走り始めた。

僕はびっくりして、イスに座ったまま動けなかった。先生はそれをやめなさいと言って止めようとしているけど、外山さんは止まらないで、教室を走り回り、頭をおさえたりしながら叫び続けていた。

先生は、原田君、剣崎君、佐々木君と大きな声で3人を呼び、「暴れないように捕まえて」言った。

すぐは動かなかったけど、

先生の「早く!!」の声で動き出す。

3人で外山さんをかこむ。佐々木君が「もうやめろてっ」と、腕をつかむ、外山さんがもがいても流石に大きい佐々木君に捕まったら動けない。

そこに先生が来てどうしたのと声をかける。

外山さんは、もがきながら先生をにらみつけるだけで、話す気がないようだった。

先生は佐々木君と一緒に外山さんを保健室に連れて行くから自習するように伝えた。外山さん最後まで抵抗して、ドアをつかんだりしていたけど、結局引っ張られて、教室の外に出て行った。

先生がいなくなって少し経つと皆が少しずつ話し始める。原田君が外山さんのマネをして頭を振って、叫ぶ仕草をすると、みんな笑っていた。

後ろで和樹君が吹き出して「バカだろあいつ」と笑いながら言うのが聞こえた。

しばらくすると、先生と佐々木君が戻ってきた。

みんなが一瞬で静かになって、佐々木君がイスを引く音だけが響く。

「声聞こえてたけど。ろう下まで。」

先生はそう言って、ため息をつく。

「次からこう言う時があったら、ちゃんと静かにしなさい。」

先生はもう一度ため息をついた。

「まぁ、今はそれはもういいわ。でね、みんなもう知ってるかも知れないけど。外山さんはね。ちょっと不安定なところがあるの。だからこれからも急に授業中とかにね、暴れ出すことがあるかもしれない。その時は原田君、剣崎君、佐々木君の3人のチームで今日みたいに暴れないように止めてくれると助かるんだけど。いい?」

3人は多分うなずいたんだと思う。

「はい。ありがとうね。頼りにさせてね。あと…は、外山さんはごめんなさいの時間に、謝ったりとかは無いからね。外山さんはちょっと…、みんなとは色々と違って、かわいそうというかね、仕方ないところがあるから。だから、外山さんのこと言わないようにしてね。わかった?」

ずるくない?という声が聞こえたりして、クラスがざわつく。

「わかった?」

水谷先生は次は少し大きな声で、教卓を叩きながらもう一度、確認した。

みんなの、はい、という声が響いた。


それからの3人は外山さんを止める係として大活躍だった。外山さんが暴れ出すと3人はうれしそうで、取り押さえた後は自まんするような顔をしてた。止めるたびに、外山さんの抵抗は強くなった。かみつこうとしたり、寝転がってじたばたしたり。それでも、やっぱり女の子の外山さんが逃げられるわけなかった。「やめろ」と叫ぶ外山さんに、「毎回言ってるよね。暴れるのをやめたら抑えません。みんなの迷惑になるからやめなさい。」と先生が言っても、外山さんは、にらむだけだった。


ぼくはいつも給食を食べるのが遅い、給食にはお肉がたくさん入っていて、何回もかまなきゃいけないし、量も多い。時間内に食べきれなかったら昼休みの半分になるまではずっと食べてなきゃいけない。先生は教室に残って何かしていて、時間になったら、給食室に持って行っていいと声をかけてくれる。今日も食べきれなかったから、給食室にお皿を持って行った。「食べきれませんでした。ごめんなさい」と言いながら、給食のおばちゃんに渡すのが決まりになっている。教室に戻ると、先生がぼくを呼んだ。

「ねぇ、これ」

先生のところに行くと、ぼくの国語の宿題のノートが机に広げてあった。

「深田君、雑にしてるよね」

先生は赤いボールペンで、2回ぼくの書いた漢字を叩く。

「え?」

「え、じゃないよ。字汚くて読めない」

「もっと、ていねいに書きなさい。」

「でも、ぼくはちゃんと書きました。」

先生の息をする音が聞こえる。

「あのねぇ、先生が汚いっていってるのよ、でも、じゃない。でも、や、だってはよくない言葉だよ。4年生にもなって低学年みたいな言い訳はやめなさい」

「ごめんなさい」

「ちゃんと書きましたって言うのも先生イヤだなぁ。ちゃんと書いたって深田君が思ってるだけだからね、ちゃんと書いてるかどうかは先生が決めるんです。わかりましたか?」

「はい」

「じゃあ、ここのやり直しも明日もう一度、書いてきなさい。て、い、ね、い、に。いい?適当にしてたらすぐにわかるからね」

「はい、ごめんなさい」

「うん。今日のも、ていねいに書くのよ。じゃあ、もう戻って良いから」

自分の机に戻って、ランチョンマットを片付けていると、上級生っぽい女の人が教室に入ってきた。

「水谷ちゃん!元気?」

「あらー、まなみちゃん。久しぶりじゃない。元気だった?」

先生の方を見ると、さっきまであんなに怖かったのに、すごく笑顔になっていた。

「つまんないよ、水谷ちゃんがまた担任だったらよかったのに」

先生も、その人もうれしそうだった。先生も好きとかきらいとかあるのかな。


その日は外が暗くなってもまだ宿題が終わらなかった。何度も消しゴムで消して、字がキレイになるように書き直した。でも、自分では上手く書けてるかあんまりわからなかった。

「波瑠ー!お父さん帰ってきたからもう、ごはんにするわよ」

大きな声を出す気にならなくて、返事をしないでいるとお父さんが、2階に上がってくる音が聞こえる。

それもなんかイヤだから、自分から1階に降りることにした。お父さんは階段の途中で、ぼくを見て「なんだ起きてたのか」と言うと、先にリビングに戻った。


「めずらしいな。こんな時間まで2階にいるなんて」

「うん。宿題してた」

「宿題っておまえ、今日はやけに長いな」

「波瑠君も4年生になって、勉強やる気になったのね。えらいのよね」

「テキトーでいいだろ勉強なんて」

「お父さんそういうの言わないでくれる?せっかくやる気になってるんだから、ね、波瑠君」

「うん、勉強を頑張るのが今年の目標だから」

嬉しそうなお母さんの顔を見ると

先生に言われただけだってことは言えなかった。


6月。少し前にした体力テストの結果が、

体育の授業中に返ってきた。


50m走10.8秒

ソフトボール投げ12m、

立ち幅跳び125cm

握力11kg

上体起こし(30秒)10回

長座体前屈15cm、

反復横跳び(20秒)36回

20mシャトルラン20回

僕の総合評価はDだった。

先生が結果をみんなに配り終わると、見せ合いの時間が始まった。「この記録すごい」とかで盛り上がっている。ぼくの結果にはみんなに見せるようなものがないと思っていたからだまってそれを見ていた。「波瑠の見せろよ」

答える前に原田君の手がぼくの結果の紙をつかんでいた。和樹君は無理に見せなくていいと言ってくれたけど、別に隠したいわけじゃないし、そのまま、渡した。周りのクラスの人たちも、ふーん。と、いった顔でぼくの結果を見ている。

「うわ、オレ反復横跳び一緒じゃん」と黒さわ君が言って、もっと頑張れよと声を掛けられていた。ほら、と言われて見ると確かに同じだったけど、他の記録は黒さわ君の方が上だった。反復横跳びは自分の結果の中では一番高いC評価だった。

「一緒だね!これ、僕の中で1番すごいやつ」と、答えると、

「一緒って言われてるぞ」と声が聞こえた。

「まぁ、波瑠より回数は下じゃないから」

黒さわ君は少し怒って言った。

みんなが笑う。ぼくはどういう顔でいたらいいかわからなかった。


下校中に「だからあれ見せなくていいっていったのに」と和樹君に言われた。和樹君の結果を見せてもらう。ほとんどA判定、低くてもBで、ぼくの方が高いものは一つもなかった。すごいなぁと思って見ている。

「波瑠さぁ、あんまりみんなに言われたからって何でもしちゃダメだよ。今日の体力テストだってあんなの波瑠をバカにしたいからに決まってんじゃん」

「そう、だったんだあれ」

「そりゃそうだろ。なんか抜けてんだよね、波瑠って」

「うん」

「まぁ、そこが面白いとこなんだけどさ。とにかくもうちょい気にした方がいいよ。いじめとかになってもイヤじゃん?」

「うん、ありがとう」


夜になっても、今日は何かお腹が空かない。みんながぼくをすごく笑っていたことがどうやっても、頭の中でぐるぐるしてきて、夜ご飯もあまり食べられなかった。お母さんに、なんかあったの?と聞かれたから、体力テストの結果が悪かったとだけ答えた。


寝る少し前に歯磨きをしていると、お父さんが洗面台の所に入ってきた。お父さんはお風呂に入るために服をぬぎながら話しかけてきた、

「なぁ、今度釣りでも行くか」

行くと答えるとお父さんは、「おお、そうか」と笑顔になった。ぼくもつられて笑顔になる。


その週の土曜日に、お父さんと和樹君の3人で釣りに行くことになった。ぼうはていのところで、クロを釣るらしい。朝、まだ空が暗い頃に出発する。

車の中でお母さんの作ったおにぎりを食べる。空が少し明るくなり始めたころ、海に着いた。もう釣りをしている人が何人かいる。お父さんは全員と友達のようにあいさつをして、空いているところを見つけると、道具を広げた。

楽しかったのは最初だけだった。ぼくは言われたことがなんとなく理解できても、実際には出来なかった。釣りざおを下げるなと言われても、気が付いたら下がっていて、それが見つかる度にお父さんがイライラしているのがわかった。何度か繰り返すうちに、

「おまえ、そんなだったら、学校で大変だろう」と言われた。それはお父さんが言った何個かのうちの言葉の一つなのに、ゆっくりと体に染みこんで行く気がした。ダメになった釣りざおを上げて、また、ゴカイを取り付けていると、和樹君が魚を釣った。

お父さんは、ただ釣れた事が嬉しいという感じで、大きな網で、手助けをした。

針を外して、クーラーボックスに入れる。

2人はうれしそうにハイタッチした。

そして、お父さんはなかなかゴカイをつけられていないぼくの方をちらっと見て、「波瑠。もう、それあとでいいよ」と言った。

昼ご飯は、ぼくとお父さんはお弁当、和樹くんはコンビニのおにぎりだった。和樹くんがおにぎりの袋をキレイに開ける。すごく手際が良いから、ぼくも1つだけ開けさせてもらったけど、のりが途中で切れて、取るのが大変だった。謝るぼくに、和樹君は本当に波瑠って面白いよなぁとだけ言って笑った。

お父さんは何も言わないでぼくを見ている。

ぼくは出来るだけお父さんに何も言われたくなかったけど、お前も午後はがんばれよと声をかけてきた。

「もう飽きてきたし、めんどくさいから見てるだけでいい」と、言うと、

楽しいのに!!とびっくりした顔で和樹君が言った。

「だよなぁ、お前は下手だからイヤになったんだろう」

お父さんの声を聞いた時、泣きそうになったけど、我まんして残りのお弁当を食べた。その後は、ほとんどの時間、後ろから2人を見て過ごした。

ぼくもお父さんに助けてもらいながら1匹だけ自分でも釣ったけど、2人が釣ったのよりもずっと小さくて弱そうに見えた。帰りに、「こいつは、まだ子どもだから」と言って、お父さんは、ぼくの釣ったクロを海に投げた。


和樹君を送ったあと、お父さんが車の中で、最近なんかあったのかと聞いてきた。売ってるアイス食べたいと適当なことを言う。お父さんはそれで満足そうだった。

「だよなぁ、なんかあればこっそり食べような。今は?」

「今はいい。ありがとう」

「また、食べたくなったら言えよ。それに、ほんっとになんかあったら言えよ。お前はオレたちの1人だけの、大事な息子なんだから」

うれしかった。でもその後すぐに、もし自分がその息子じゃなかったらどうなるんだろうという気持ちになった。他人だったら?和樹君との方が、お父さんはいつもより、ずっとずっと楽しそうだった。


帰ってから、お母さんに出来るだけ、魚釣りに飽きたって感じを出すように話した。お父さんからせっかく連れてったのにと怒られると思ったのに

飽きたんなら次は別のことでもしよう。というくらいの反応で、この話はすぐに終わった。


微生物について調べるようになってからは、昼休みは和樹君のいる運動場には行かずに、図書室に通うようになった。本当は借りるだけでもよかったけど、佐倉さんが図書室に居るからそうした。話しかけるとか、かけないとか考えているうちに、それが当たり前になって、本を読んでいた。知らないもので、目の前の世界があふれていることが不思議で面白い。

なんとなく微生物コーナーの近くの本も読んでみる。空気は酸素、窒素、二酸化炭素で作られているらしい。微生物は拡大したら見えるけど、空気も見えるのかなぁ。


「何読んでるの?」

家に帰って借りた元素の本を読んでるとお母さんが2階に上がってきて聞いて来た。表紙を見せると、

お母さんはうれしそうに、ちょっと。と、ぼくを1階におろした。

「ねぇ波瑠君。これみてよ。スーパーでもらってきたドライアイス。これ何で出来てると思う?」

お母さんは台所にそれを置く。

「氷じゃないの?」

「ぶっぶー、二酸化炭素でしたー!」

「二酸化炭素ってこおるの?」

「うん。だからね、溶けても水にならないのよ。ほら見て見て」

白いもくもくがあがっている。ケガするから触らないでと注意しながら、お母さんは楽しそうだった。

「こことかね、もう無くなったのもあるでしょ、でも水は出てない。消えた」

「すごい、ほんとだー!ぬれてない。お母さんくわしいんだね」

「はは、すごいでしょ。ってなんてね、実はこれだけしか知らないのよ、お父さん帰ってきたらまた聞いてみようね」

「うん」

あ、それからほらこれ、とお母さんは洗ざいを手に取ると、ここ見てと指さした。

「成分表って書いてあるでしょ。こんな感じで洗ざいとか、食べ物の袋に何が入ってるか書いてあるのよ」

ラウリルとか、なんとか酸とか元素図鑑に載ってないものばかりだ。

「すごい!でも、これなんて書いてあるの?」

「うーん、元素図鑑で調べてみて。お母さんもよくわかんない」

そう言われて本を開きながら調べたけど、書いてなかった。お母さんにそのことを話すと、あとはお父さんにっていうから、帰ってきたお父さんにもいろいろ質問することにした。


「いやオレもさ、一個一個はよくわかんないけど、元素って言っても、それだけで何かできるのは少ないんだよ。化合物って言ってな?色んな元素を組み合わせて何かになってる」

「そうなんだ、混ざってるの??」

「んー。ていうよりは、くっついてるんだよ。ほら今座ってるこの机も、別に1つの元素ってわけじゃない。まぁなんだ、混ざってもいるし、くっついてるみたいな感じだな」

「えっと、よく、わかんない」

「そうだなぁ、あ、ほら」

と、お父さんは、ぼくの後ろに立って、左のほっぺたを軽くつまむ。

「お前の体も、別に水だけで出来てるわけじゃないだろ?いや、まぁほとんどは水で出来てるらしいんだけどー。水だけじゃなくて、色んな元素とか、化合物が組み合わせって出来てるって、わけだなって…」

お父さんはぼくの顔を一度見ると

「すまん、わかんないよな。それにしても、ほんとお前は勉強熱心になったな」

そう言うとお父さんは少しだけほっぺをつまむ力を強くした。痛くはなかった。反対のほっぺを自分でつまんでみたけど、ぷにぷにしてるだけでよくわからなかった。


次の日、図書室に行って、人間が何で出来てるか書いてある本を探した。見つけた本には、確かに人間の体は色んなもので出来てるって書いてある。人間は、みんな同じ元素で出来ているらしい。当たり前な気もするけど変な感じもする。だって全然見た目とか違うじゃん。

そう思うとちょっと笑ってしまった。

図書室の人にプリントをもらって、人間がどんな元素で出来ているかをメモした。

酸素(O)、炭素(C)みたいに書かれてたけど、

誰かに見られてなんか聞かれたら嫌だし、

「O, C, H, N, Ca, P, S, Na, K, Cl」

それと、上に読み方だけメモして、ポケットに入れる。ただのアルファベットとその読み方が書かれた紙なのになんだか頭が良くなった気がした。ぼくは教室に戻ると、それをもう一回折りたたんで、筆箱の中に入れた。


まだ少し寒いけど、水泳の授業が始まった。

泳げないけど、水で遊ぶのは楽しいからプールは好きだ。でも、服を脱ぐ時、ガリガリと言われたことを思い出した。

誰にも体を見られたくなくて、イヤになっているうちに、気分が悪くなってきた。結局服は脱がずに少し具合が悪いと先生に話して、見学することになった。見学者はプールサイドにあるベンチに座ることになっている。

そこに向かうと先に佐倉さんが座っていた。

「さ、佐倉さんも見学なんだ。具合悪いの?」

「うーん。まぁそんなところ」

ぼくは佐倉さんと1人分くらい距離を空けてベンチに座った。

「深田君は具合悪いの?」

「あ、うん。少しだね」

「そっか、お大事にね」


授業が少し進んで、みんなが泳ぎ始める。

今だったら話してても、先生に怒られなさそう。

「あのさ」

佐倉さんが反応しないから、ぼくもその続きを言えない。

「え?なに」

「あ、ごめんきいてたの?」

「なに?」

「自己紹介カード覚えてる?」

「自己紹介カード?」

「今のクラスになって、最初に書いたやつ」

「え?あー、書いたね」

「あれにさ、無人島の項目あったじゃん。誰を連れてくかってやつ」

「あったね。それが?」

「それにお母さんって書いてなかった?」

「書いたよ」

「なんで?」

「なんでって?」

「いや、ぼくもそう書いたんだけど、佐倉さんはなんで書いたのかなって」

「そうなんだ。深田君は、何でお母さんって書いたの?」

「ぼくは家族が一番最後まで自分を味方してくれるというか守ってくれると思って書いた。お母さんっていうか、お父さんとお母さんって書いたよ」

「そっか。そうなんだ」

「佐倉さんは?」

「家族は一緒にいることになってるからそう書いただけだよ」

「えっと、なってるってどういうこと?」

「なってるから書いたんだよ。そういうものだから。」

少し怒ったようにも見えて、なんて言えば良いかわからなかった。

「あ、ありがとう」

水泳の授業が終わり、教室に戻る。ぬれた足に靴下をはく感覚が、いつもよりもっと変な感じがした。


帰り道、和樹君から、

今日どうしたの?と聞かれた。

言いにくかったけど、和樹君になら。と思った。

「こないださ、原田君たちにガリガリだって笑われたのが気になって。それ考えてたら本当に具合悪くなっちゃったんだ」

「あー。あいつらほんとに波瑠のことなんだと思ってんだろうな、今度オレが言ってやろうか?」

「いや、いいよ、いいよ。ありがとう」

「当然、友達だろ。でもさ、波瑠も気にしすぎ。みんな人のこと見てるようで見てないんだからさ。それもあん時、適当に言っただけだって。みんな人のことなんてちゃんと見てないんだからさ。いちいち気にしない方が楽だよ」

でも、この前は気にしろって言ったのに。と思ったけど、"でも"は良くない言葉だ。

「そうなのかな、そっか。そうだよね」

「そうそう、みんな自分が楽しい事しか考えてないわけ。まーそういうオレもだけどなー」

でも、和樹君と話すと少し元気になれる。すごいなぁ和樹君は。ぼくとは全然違う。優しくて、勉強も、スポーツも出来る。

「明日クラブ休みだから1日ゲームやろうぜ」

「やったー!」


家に帰って、今日のうちに宿題を終わらせておくことにした。筆箱を開けると前にメモした、人間が何の元素で出来たかの紙が見える。ぼくは1つ1つがなんの元素か書かなかったことをちょっと後悔しながら、オー、シー、エイチ、エヌ…と

カタカナで書いたその記号たちを上から読んだ。


お風呂に入ってる時も、元素のことを思い出した。H₂O。そうやって頭の中で文字にすると、なんかお湯が体にまとわりついてくるように感じしてそわそわした。Hが2つあってOが1つ。同じ2つと違う1つがくっついている。Oはなんで入れてもらえたんだろう。


お風呂から上がって、リビングに戻ると

お母さんはお皿を洗っていて、お父さんはお酒を飲んでいた。お母さんは皿洗いを終えると、じゃあお風呂行ってくるわね。と言って部屋を出た。

「ねぇ、家族って何なんだと思う?」

お父さんに聞いてみる。

「何だ急に。まぁ、ここでいえばオレとお前とお母さんだろ?」

お酒を飲んだ時のお父さんはいつもより話し方が怖いけど、思ったことをそのまま言ってくれる感じがした。

「そうじゃなかったら?親と子どもじゃなかったら?」

「何言ってんだ。そしたら他人だろ別に、何にもないんだから」

「そうだけど…。」

聞きたいことが言えてない気がした。

「なんて言うか、水みたいにさ、ぼくたちがくっついてて、なんかでバラバラになっちゃったら、どうなるんだろうって思って」

お父さんはため息をつく。

「何言ってんだ。考えてることがよくわからん。とにかくな、お前は俺とお母さんの子ども。だから、安心しろって」

よくわからないと言われてしまえば確かにそうだと思う。自分でも何が聞きたいのか良くわかってない。

「家族はな、助け合いだから。困ったことがあれば何でも言えよ」言うと、またお酒を飲んだ。


帰りの会の時だった。教室の前にプリントを取りに行った佐倉さんが自分の席に戻るときに、剣崎君がふざけて佐倉さんに足を引っかけた。ぼくは佐倉さんが、よけれるように見えた。でも、佐倉さんはその足に引っかかってこけた。「きゃあ」と佐倉さんは声をあげる。そして、近くの自分の席に戻り、イスを持ち上げ、「ガンッ!!」っと剣崎君の机に叩きつけた。一瞬だった。

大きな音に、教室はざわざわしている。佐倉さんは、びっくりしたような顔をして、しゃがみこんだ。先生がすぐに佐倉さんのところに来ると、佐倉さんは怖かったですと、泣きながら先生の手を掴んだ。先生は佐倉さんを立たせると、その場で先生が佐倉さんや剣崎君、クラスのみんなに何があったかを聞いた。そしてその後すぐごめんなさいの時間になって「足をひっかけてごめんなさい」、

「びっくりして、怖くなって、イスを叩きつけてしまってごめんなさい」

と、2人がそれぞれ謝った。

先生は、剣崎君に、「外山さんを止める係は一旦おやすみね。悪い事する人が他の人を止められないからね」と話した。

剣崎君はそれを聞いてすごく落ち込んでいた。佐倉さんについては、怖くても危ないことはしたらダメだよというくらいにしか言わなかった。


「今日はびっくりしたよな」

下校中も和樹君とその話になった。

「うん」

「まぁ、女の子に足引っかけるほうが悪いってオレもおもうけどさ。泣いてたし。」

「そう、だよね」

「まぁでもあいつも何するかわかんないなー。ほら、なんかお母さんもウワサされてるじゃん」

「え?佐倉さん?」

「うん。なんだっけあの、あ、あれ、トマトおばさんだ」

「初めて聞いたけど….」

「まじさ、波瑠知らなすぎだよ。本当にずっとここ住んでんの?」

「えっと、なんでトマト?」

「なんか顔が赤くてデブなんだって。佐藤が言ってた」

学校と家とちょうど半分くらいの場所になった時、「ちょっと待って」と和樹君が、思い出したかのよう、ランチョンマットを取り出した。

「今日さ、グリンピース出たじゃん、オレ、きらいでさぁ。よけてたんだ。」

ご飯を食べずに隠すなんて考えたことも無かったから、すごくびっくりした。2mくらい下にある用水路の前で、和樹君はランチョンマットを少しほどく。すきまから、ぼろっ、ぼろっ、と、グリンピースが落ちていく。用水路の少ない水だと、そのグリンピースはすぐに流れていかなくて、にごった水の向こうに、丸いつぶつぶとして沈む。それは何かの生き物の卵みたいで気持ち悪かった。本当はグリンピースのはずだ。なのに、どこからそうじゃなくなったんだろう。

「ねぇって」

「え?」

「だから、今日、波瑠んち行っていいかって」

「う、うん。えーと、お母さんに聞いてみないとわからないけど、多分、和樹君なら大丈夫だと思うよ。あっ、そういえば、朝クッキー焼くってお母さん言ってた」

「まじで?やったー。あ、お返し持ってくからね。 

「うん、ありがとう」

家に着いてすぐ、お母さんに許可を取る。

和樹君は帰ってすぐに家に遊びに来た。

「これうちのお母さんからです」

そういうと、また、ポテチをくれた。

「あら、本当にいいのに」

いえいえ、これしか無くてすみません。と、

和樹君は丁ねいに頭を下げる。


「波瑠んちってキレイだよな。なんか玄関のところもいい匂いもするし」

「ラベンダーのおかげかしらね。悪い虫がね、あの匂いがきらいでよってこないのよ」

「へー、すごいですね。」

和樹君とお母さんが楽しそうに話していて、少しほっとした。お母さんは庭も見る?と言って、庭にあるトマトや、シソ、バジルがなってるのを見せる。

和樹君はトマトを見てびっくりしていた。

すごい!家で育てられるんですね。すごいじゃん!とぼくの方も見てうれしそうに言ってくれた。


部屋でゲームを始めようとしたころで、お母さんがクッキーを持って来た。さっき和樹君がくれたポテチもあった。

「波瑠、クッキーは手づくりだから先に食べちゃってね。すぐ悪くなっちゃうから。あっでも、夜ご飯は食べられるようにしとくのよ」といって、お母さんは部屋を出ていった。

僕と和樹君の分は別々の皿においてあり、

ポテトチップスを半分ずつとクッキー

10個くらいが1人分だった。


外じゃ出来ないから、テレビで対戦のゲームをする事にした。和樹君はそれをよろこんでくれた。やり方を教えて適当に遊びながら話しかける。

「ねぇ、さっきの話なんだけどさ、トマトおばさんってどこいるのかな?」

「またその話?なんでそんな興味持ってんの。」

「いや、なんかえっと、さっきトマト見て

たら思い出して」

「思い出すなよ、トマト食えなくなるじゃん」

和樹君は笑ってる。

「あ、で、えーとどこにいるかね、確かあの川渡ったところに、何だっけ、なんかスーパーあんじゃん。そこに行くさ、あの前の道のとこで見かけたとか言ってたよ」


5時半になってそろそろ和樹君が帰る時間になっても、ぼくのお皿にはクッキーが5個と、ポテトチップスのほとんどが残っていた。

「波瑠まだこんなに残ってんじゃん。おいしいのに残すなよー。もったいないよ」

用水路に沈んだ卵がよぎった。

ちょっともらうねと、和樹君はぼくのお皿に手を伸ばす。

「クッキーとポテチの組み合わせがマジで最高。甘いとしょっぱいでさ」

「お母さんさ、僕がこの前クッキー食べたいって言ったからなのかな。絶対焼きすぎだよ、今日」

「いやいや、美味しいからいいじゃん」

「ぼくより好きかもね」

「かもな。よし、じゃあそろそろ帰るわ」

玄関で和樹君を見送った後、お母さんがお皿を片付けると言って一緒に部屋に来た。

「うん、波瑠君。ちゃんとクッキーから食べたのね。」

お母さんはお皿を見るとそう言った。

お皿を重ねておぼんに乗せると、お母さんはそのまま下に降りていく。

ぼくもその後ろをついていってリビングに戻った。お母さんは台所にいくと、また、奥でガサガサと音を立てる。その音がすごくイヤだった。耳をふさぐ。ふさぐだけだと、まだ少しだけ音がするから、途中から目もつぶって耳を軽く叩くように音をごまかした。しばらくして、お母さんが肩を触った。

「波瑠君ってば、ねぇ。何ー、ふざけてるの?新しい遊び?」

お母さんは、きげんが良さそうだった。

「残りのクッキーはお父さんにあげていい?お父さん意外と甘いの好きなのよね」

ぼくは、うん。いいよと答えた。


次の日の朝、起きたくなかった。布団から出たくない。そのうちお母さんが上がってきて、

「波瑠君、流石に起きないと遅刻しちゃうよ」

と、いつもみたいに身体をゆらす。

どうしたらいいかわからなくて、また、布団にもぐる。

「波瑠君、もしかして具合悪い?」

「‥うん」

なんとか出た声を聞くと、

お母さんは、ぼくの頭を優しくなでた。

「学校には連絡しておくからね。今日は休みなさい。」

「熱はないみたいだけど、どこが痛いの?」

「…あたま」

「わかった、後で病院に行こうね」

大ごとになる感じがイヤだった。

「‥そこまでじゃないかも」

「何言ってんの、波瑠君がそんな風になるなんて、よっぽどなんだから、しっかり行かないと」

そう言って、お母さんは、ぼくの頭をまたなでると、

一度下におり、コップに水を持ってきた。

これ飲みなさいねと言うと、

また下におり、電話してる声が聞こえた。

1階を歩く足音が聞こえる。

しばらくして2階に上がってくる。足音はいつもよりゆっくりだ。

「波瑠君起きてる?お昼過ぎに病院の予約したからね」

そう話すと、お母さんはまた下に降りていく。お母さんが忙しそうに何かしてる音が聞こえる。

その音を聞いていると、お母さんごめんなさいと、何回も思った。病院でも適当なウソをついた。へん頭痛ですかねぇとお医者さんは言った。家に戻って、たまに元素の本を開いては適当なページを見たりして時間が経つのを待った。ウソつき、仮病。それがずっと頭の中でぐるぐるしてる。お母さんが見に来た時は、頭が痛くてあんまり寝れないということにした。

お父さんが帰ってきて、心配して2階に上がってきて、大丈夫か?と声をかけてくれた。

夜ご飯、ぼくも一緒にご飯を食べることになったけど、ぼくだけおかゆだった。お父さんもお母さんも、ぼくを心配そうに見ているのがわかる。

「無理して食べなくてもいいからね」とお母さんが、お父さんが、「俺の息子だから大丈夫だ」と言った。大事な子ども、大切な家族、

「家族だから」、「息子だから」、

いつも付いてくるその言葉が、

そうじゃなかったら?とぼくに思わせる。

何でぼくは、ぼくだけが変なことばっかり考えて、上手くやれないんだろう。そう思うと勝手に涙が出た。2人がどうした?と、困っているのがわかる。

迷惑かけてごめんなさいとだけ言うと、お母さんはいいのよと言って立ち上がり、ぼくを横から抱きしめた。そしてまた胸がズキズキと痛んだ。


部屋に戻ると僕はランドセルから筆箱を取り出して、「O, C, H, N, Ca, P, S, Na, K, Cl」と書かれた紙を見る。分解したらみんなと同じだと思うと少し安心した。お守り。全部分解されて、みんなもぼくも見えなくなって、わかんなくなればいいのに。



夏休みになった。あんまり家に居たくないから、ぼくは自由研究で身の回りの元素を調べると言って、できるだけ出かけている。お母さんへの言い訳になると思った。かせんじきを通って川を渡る。ぼくは、道路、畑、川、石、草、空、目に映るものをできるだけメモした。もう一つの目的は佐倉さんのお母さんを見る事だった。和樹君が言ってたスーパーの近くまでは家から自転車で10分くらいだから、ちょうどいい。

でも、1週間くらい通っても「トマトおばさん」っぽい人はいなかった。今日も出かけたのねというお母さんにいつまでも自由研究というのは変だと思ったけど、仕方なかった。お母さんは「また元気になってくれてよかった」とうれしそうに言ってくれた。

2週間くらい経って、やっと見つけた。顔はそんなに赤いとは思わなかったけど、体はまるまるとしていた。少し遠いからはっきりは見えないけど、顔が佐倉さんに似ている気もする。歩いてる大人ってあんまりいないから、絶対にそうだと思う。日傘もささないで、ゆっくり歩いていた。僕の方に近づいて来れば来るほど、心ぞうがドクドクするのがわかった。話しかける?でも何て?どうしよう。どうしよう。結局何も思いつかなくて、ぼくは、すれ違う少し前に横の道に曲がって隠れた。そして、通り過ぎるのを待って元の道に戻って帰った。その日の夜ご飯、いつも通りのお母さんがいつものように、ぼくの前に座る。全然汗をかいていない。同じお母さんでも全然違って見えた。


夏休みの目的が終わった気がしたぼくはあの日から後は、家の中で過ごしていた。あんなに寒い日がイヤだったのに、またはやく寒くなって欲しい。

なんの予定もないからとりあえず宿題だけ終わらせて、和樹君のサッカーと家の用事が終わる日を待ってた。そして、久々に公園で会った和樹君は、すごく日焼けしていて、元気そうだった。ぼくたちはゲームで育てたモンスターを交換した。


「夏休みなんかした?」

ぼくは和樹君に聞かれてドキッとしたけど、何もしてなくて家の中でゲームしてたと言った。

いいなぁ、うらやましいと言う和樹君に、同じ質問をした。

「あー、クラブ以外はおばあちゃんの家帰ったかなぁ」

「そうなんだ」

「ていうかさ、ここって電車1時間とかに1回なの?乗り遅れそうになって家族みんなで焦った。

こんなんじゃ、どこも行けないじゃんって」

「電車で行ったんだね。ぼく乗ったことない」

「まぁ、全然来ないもんなぁ。あっ後あれ、この前さ、原田とかに誘われて、またバンキ行ったんだけどさ」

「あいつらさ、あんま金ないからって万引きしようとか言ってさ」

「え?」

「で、10円ガムを一種類ずつ取ってんの、それがめっちゃ面白くてさ」

ぼくはびっくりしてしまい、「え?」と大きい声をだしてしまった。

「いや、俺はしてないよ。バレた時やばいじゃん。多分100円もしないくらいなんだけど、そんだけで万引きとかマジ、バカだよな。公園戻ってきてめっちゃ笑ったし」

「和樹君はしたらだめだよ」

「波瑠は真面目だなぁ、オレがやるわけないじゃん、見てるくらいが1番笑えるからなぁ。波瑠こそやるなよ」

「やらないよ、お菓子食べないし」

「あ、そうか。そうだよな、ごめん。あー、てかさ、波瑠、ちょっとクリアできないところあるからやって欲しいんだけど」

そういって、和樹君は別のソフトを取り出す。

ぼくは話が変わって、安心したけど、ちょっと心配にもなった。


親せきのおばちゃんが家に来るから、家のそうじを手伝いなさいってお母さんに言われた日もあった。もうキレイなのになと思うけど、お母さんの言う通りにする。そして、その後、庭になってるミニトマトを取って、水で洗ってカゴに入れて置いておく。

昼過ぎになって、ピンポーンとなる。

母さんはモニターを見ると、

「波瑠、出なさい」と言った。

玄関に迎えに行くと

「あー、あんた夏休み?いいねぇ子どもは。お母さんいる?」

と、おばさんに言われた。

そして、言い終わるのと同じくらいのタイミングで

お母さんがリビングから出てきた。

「あらー、どうぞ、どうぞ。お元気でしたか?」

「もうこの歳になると毎日どっか痛いのよねぇ」

そういいながらおばさんは家の中に入る

「それにしてもここの家はいつもきれいに片付てるねぇ」

「いえいえ、そんな。でも、ありがとうございます。波瑠が手伝ってくれるんですよ。ねぇ、波瑠、今日もそうじ機してくれたんだもんね」

「うん」

おばさんはぼくを見下ろしている。

「へー、やってくれるなんてねぇ。えらいじゃん?うちの息子はねぇ、なんもしなかったんだから」

「あ、えっと、ありがとうございます」


2人は仏だんの部屋に入っていく。

僕が入る前にふすまが閉まったから、2階に行くことにした。子どもはいいのかなぁ、大人の方が悩みがなさそうだ。何をするか決まってるみたいにみんな動いている。


しばらくして、波瑠ー。と下から声がする。

ぼくはお母さんに言われてた通りに、

トマトをタッパーに入れて、おばさんに渡した。




参観日の日に、佐倉さんのお母さんが、来ていたのにはびっくりした。見つけた瞬間、思わず顔をそらす。「トマトおばさんいる!!」とか、

「あれ佐倉さんのお母さんだよ」とか、

みんなざわざわしていた。

授業参観が終わると、保護者会があって、親と帰る場合は残って、何か用事がある場合は先に帰る。

ぼくはお母さんと一緒に帰ることになっていたから、図書室に行くと、佐倉さんが本を読んでいた。他にクラスの人は居なかった。佐倉さんと声をかけると、佐倉さんはぼくをにらむ。

「なに?」

「お母さん今日参観日きてたね」

「うん。何?深田くんもバカにしたいの?」

「いや、なんで?ぼくが?バカになんかしないよ」

「"トマトおばさん"だからうちのお母さん。目立ってたでしょ。」

「えっと、でもさ、顔、そんなに赤くないよね」

佐倉さんはため息をつく。

「私もそう思う。でも、それ無いとただのおばさんじゃん、あだ名にならないよ」

「それも、そっか。じゃあ何おばさんがいいんだろう」

そう言うと、佐倉さんは笑い始めた。

さっきまでにらんでたのに?何がおかしいのかよくわからないけど、バカにされてるようには思わなかったから、イヤな気持ちにならなかった。

「私のお母さんね、今日みたいな普通の日と、家の近くを歩き回ってるみたいな、家のこともちゃんと出来てない日がある」

「お母さん好きなの?」

「どうかな。私は大人になって後悔したくない。よくさ、もっと親を大切にしたらよかったとか、やりたいことやっとけばよかったとかいう後悔の話がテレビとか本で出てくるじゃん?」

「うーん、そうなの?」

佐倉さんは舌打ちをする。

「深田君はほんと、何も知らないよね。まぁ、とにかくさ、後になってあの時・・・とか思うのイヤじゃん。」

「そっか」

「自分でやったほうが早いからやってるとこもあるし」

「た、大変だね」

「深田くんは余裕があるから家族がどうとか、そんなこと考えられるんだよ。好きとかきらいとか。お父さんとお母さんが深田君と同じこと考えてたらそれこそ大変なことになるよ。」

「でも、気になっちゃうっていうか、考えちゃうから」

「そうやって、すごいこと考えた気になってるんだよ。生まれた場所も親も変えられないんだよ。深田君みたいな人、何ていうか、私知ってるよ。考えたがりさんっていうんだよ」

佐倉さんは、ぼくがだまってるのを見て、軽く肩をなぐった。

「いたっ」

「無視するから」

「何て返せば良いかわからなくて」

「いつもそうだもんね。考えたがりさんの現実逃避」

それを聞いてもぼくは何て返せばいいかわからない。

「でもまぁ、現実逃避もしたくもなるか。あんなバカみたいなクラス。さっさと1年終われば良いのにね。」そういうと、じゃあ、向こうで読むからと、佐倉さんは少し離れた場所に行った。

しばらくして迎えに来た佐倉さんのお母さんはすごく笑顔で、今度は逃げ出したいとは思わなかった。



社会のテストの時間、ぼくの中では問題がスラスラ解けて嬉しかった。ちゃんと勉強を頑張れた気がして少し嬉しい。覚えるだけでいいから、まだ他の勉強よりはやりやすい。


「川野君なにこれ?」

見回っていた先生が、川野君の席の前で立って、テスト用紙を取り上げた。

「カンニングね。テストが終わるまでそこで立ってなさい」

川野君は顔が真っ赤になりながら何も言わず、その場に立った。先生はみんなが川野君のことを見ていることに気がつくと、手を2回大きく叩いて、集中しなさいと呼びかけた。テストが終わると川野君は先生と一緒に教室から出て行った。

「あいつカンニングしたんだ。」

「やばいね」

「これまでもやってたのかな」

「頭いいと思ってたけどそれかよ」

川野君がいなくなったクラスは、少しだけうるさくなる。次の授業が始まる直前に川野君は帰ってきた。泣いたみたいで、目が赤かった。

帰りの会のごめんなさいの時間で、

川野君は水谷先生に言われて、前に立たされた。

原稿用紙を広げ、半分泣きながら読み出す

「クラスのみんなへ。今日ぼくはカンニングをしてしまいました。みんながルールを守って一生懸命問題を問いていたのに、自分だけズルをしてごめんなさい。もう2度とカンニングはしません。ごめんなさい」

グズグスと鼻をかみ、詰まりながらも川野君は読み終えて、頭を下げた。

「はい。川野君よく謝れたね。みんなわかった?カンニングはいけないからね。でも、川野君は謝ったからもうこの話はおしまいね。みんなはしないようにね」

川野君は何でカンニングをしたんだろう。

水谷先生は川野君に席に戻るように伝えると、今度の遠足の話題に切り替えた。


家に帰って遠足のプリントをお母さんに渡す。

「お母さん、今度の遠足」

「うん、来週だっけ?お弁当はりきるからね!」

「お母さん、あのね、お菓子なんだけど…」

「何がいい?クッキー以外も作れるから、食べたいものはある?」

「いやあの、友達とお菓子を一緒に買いに行きたい…」

お母さんが、一度深呼吸するのがわかる。

「何で急にそんなこと思い出したの?お友達?」

「和樹君は別に関係ないよ。」

「お母さん、誰って言ってないよ」

先にお母さんと言ってくるのが気になる。

「みんなと買いに行きたいだけだよ。ぼくだけいつも買えないから」

「それはね、あなたのためを思って。何があるかわからないんだから」

「なにってなに?」

「なんでもよ。ダメなものはダメ。」

そう言われると、何も言い返せない。

昔から、お母さんはこの言葉を使った。これを言われるともう何も説明してくれないのはわかっている。なんで?なんでみんなと同じ事をさせてくれないの?


お父さんが帰ってきて、夜ご飯の時間になった。今日の魚はアユ。お父さんが釣った魚。

「買うと高いんだぞ」とお父さんは言うが、

アユは食べるところがあんまりないし、黒いところがすごく苦くてあんまり得意じゃない。


「なんかあったのか?」

ご飯が始まっても黙っていると、お父さんが聞いてきた。

「遠足にお菓子持ってきたいんだって」 

「もう言わないよ」

お父さんは少し黙る。

「そろそろ説明したらいんじゃないか?別に隠すことじゃないし」

「だってあんまり。ねぇ。平和じゃない話だから」

「波瑠はもう4年生なんだし、大体そんなことはニュースでも見てたら…」

「もう、わかったわよ。」

お母さんは 少し間を置く。

「あなたがまだ今よりもっと小さかったときにね、食べ物に毒が入ってる事件があったの」

「毒?」

「うん。それで、何人も….、小学生の子も死んじゃったの。怖いよね?」

「うん…。」

「そう。怖いでしょ、スーパーの食品に毒をこっそり入れたって言う事件も昔にあったし、何されてるかわからないのよ。それにね、そもそも体に悪いものが入ってるのが多いのよ。良くない油とかね、他にもね、食品てんかぶつって言うんだけどね…」

「そこまではいいよ。」

お母さんはお父さんを少し見て、そうね。うなづきながら言うと、またぼくの方を向いて話始める。

「あなたは子どもの時から体が弱かったでしょ。それなのに活発だから、すぐ走り回って、ケガして」

「そうだったっけ」

「骨折もたっくさんしたじゃない。すぐ迷子になるし。いつもは髪で隠れてるけど、あなたには手術のあとだってあるのよ。何針もぬって。お母さんはその時にね、絶対にあなたを死なせたくないってそう思ったのよ」

「でも…」

今は、大きくなったよ。と言いかける。

「親の言うことなんか聞きたくないのよね。でもね。波瑠は素直に聞いてくれる優しい子に育ってくれた」

聞きたくないわけじゃなくて、でも、でもって思うんだけど、なんて言えばいいかわからない。

「ゲームだって制限してないし、給食だって我まんしてる。家での食べ物だけでしょ?お友達より、ずっと波瑠君のこと考えてるんだから。波瑠君、お菓子食べたいんだと思うけどこれだけはお母さん心配で譲れない。好きなお菓子なんでも作ってあげるから。いいわよね」

ね?と、重ねてくるお母さんに「うん」とだけ答える。そのすぐ後に、お父さんが「波瑠、ご飯食べたら、ちょっと車で出かけよう」と言った。


「どこ行くの?」

車に乗ってからお父さんに話しかける。

「どこ行こうかなぁ。いやほんとそうだよなぁ。こんな田舎で夜行くところないしな」

とりあえず出してから考えると言うと、お父さんは何も言わなかった。ぼくも黙って、車の外をただながめる。そのまま10分くらい乗っていると、ここにするか。と、お父さんが言って、コンビニに入る。

「お母さんには内緒だからな。アイスでも買おう」

「え?いいの」

「いいけど、絶対に内緒な」

オレはこれかな。とお父さんがすぐ決めて何かを取った。

じゃあぼくは…と思っても、どれが美味しいのかよくわからない。お父さんがこっちを見てると思うと、早く決めなきゃってもっと思うのに、どれにしたらいいかわからない。

「波瑠はこれにしたら?うまいぞ、これ。」

お父さんは、あんこのアイスを指さして言った。

"あいすまんじゅう"と書いてある。

「お父さんこれ好きなの?」

「んー。まぁな。昔からあるしな」

「じゃあ。これにする」


車に戻って、せーのと袋を開ける。

一口食べる。冷たい。でも甘くて美味しい。

あんこと白い部分が溶けて口の中で混ざる。

びっくりするくらい美味しい。

ふと目を上げるとミラー越しのお父さんと目が合う。

「うまいだろ」

「うん」

「困るよなぁ、美味しいからな、アイスとかさ。まぁー、お母さんもな、ほんとにお前のこと思ってるんだよ。まぁちょっとやりすぎかなってオレも思う時はあるけど。間違ったこと言ってるわけじゃないとも思ってる。波瑠も、それはわかるよな。」

「…うん」

「あー、なんだこういう時、どう上手く話せばいいかわからないけど。まぁ、前も言ったけど、本当にお菓子食べたくなったらたまにこうして2人でこっそり食べような。」

「うん。ありがとう」

「なぁ波瑠ちょっと交換しよう。それ美味そうに見えてきた。」

「いいよ。」

お父さんが後部座席に振り返ってアイスの交換をする。その時に頭をなでてくれた。アイスを食べ終わると、お父さんは袋と棒を捨てにまたコンビニ行った。その後ろ姿をずっと目で追う。

お父さんは車に戻ると、海沿いでも行くかと言って車を出した。また少しだけ2人とも無言になったけど、しばらくしてお父さんが話しかけてくれた。

「そういやお前、こないだのテストどうだったんだ。ほらすごく勉強してたろ」

「うーん。いつもよりは出来てたけど、みんなも結構、出来てたみたい」

「そうか。なんだろうなテストとか勉強とか」

「やんなきゃいけないことだから」

「いやオレは、テストでお前の何がわかるって思うんだよ。お前のいいところとかそう言うのテストじゃわかんないだろ。大体オレだってお前の全部わかるわけじゃないしな」

「うん」

「まぁ、あれだよ。そんなに色々な頑張りすぎないようになってことだ。」

嬉しかった。お父さんの顔が見たくて、前を見ると鏡越しにお父さんと目が合った。

「ねぇ、窓開けていい?」

「え?ちょっと寒くねーか?いいけど、すぐ閉めろよ。あ、後、顔出したりとかしないようにな。」

ぼくはボタンを押して、窓を開けた。

少しひんやりとした海の匂いの風が入ってくる。

顔を外に向ける。そして、さっき嬉しかった分、声を出さないで笑った。海の遠くでチカチカと何かが光っていた。


遠足には、お母さんが作ったお菓子を持って行くことになった。原田君とか小田君に見られないように、ビーチフラッグが始まって、2人とかクラスのみんなが遊んでいるうちに菓子の箱を開ける。中にはチョコレートと見たことないお菓子も入っていた。

「美味しそうだね」

いつの間にか佐倉さんがのぞき込んでいた。

「うん。チョコレートと…なんだろうこれ」

「マフィンだよ。深田君のお母さんすごいね」

「ありがとう。佐倉さんはお菓子持ってきた?」

「持ってきたよ。お弁当は自分で作ったし、お菓子は自分で選んで買ったけどね」

「すごいね」

「それで、家族についてのモヤモヤはもう解決したの?」

解決したのかな…

「なんて言うか、もうこれ以上何、考えたらいいかわからない」

「ふーん」

そう言うと、佐倉さんは、ぼくのとなりに座った。

波の音と、みんなの楽しそうな声が聞こえる。

「ねぇ、深田君はなんで海が青いかは知ってる?」

「水が青いから?」

「不正解。光には色があるんだけどね。海の水が、他の光を吸収して、青っぽい色をさんらんさせるから海は青く見えるんだよ」

「えっと、さんらん?って?」

佐倉さんは、「ちょっと意地悪してみた」と言って、ぼくの顔を見る。

「つまりね、私たちは、太陽が出した光の跳ね返った色を見ているだけなんだよ。水が青いわけじゃない」

光の話はよくわからない。

「えー、青くないの?」

「うん。ほら、手ですくったら、水は透明でしょ。」

「ほんとだ!そういえばそうだね、えー、青く無いのか。そっかー。水だもんね」

「面白いよね」

「うん!理科の光のやつは全然わかんなかったけどね。屈折とかなんとかってさ」

「教科書のやつはつまんないよね。」

勉強ができる佐倉さんでもそう思ってるのがなんかうれしい。

「これだけじゃなくてさ、どうなってるんだろうって思ったことは、大体答えが出てるんだよ。私たち子どもが思ってる事なんて尚更ね」

じゃあ、ぼくが思ったことにも、全部答えがあるのかな。

「でもね、この世界がどうやって始まったかってまだわかんないんだって」

「ビックバンじゃないの?」

「ビッグバンね。じゃあその前は?」

「えっと、」

「大体ってだけで、まだ、わかんないことだってあるんだよ」

「大人も知らないことがあるの?」

「うん。たくさんあるよ。だって、始まりがわからないんだよ。だから私、大丈夫なんだ。何が起こるか、私がどうなるか何て誰もわからないんだもん」

佐倉さんはすごい。必要なときに、必要なことが出来る人。それに、他のみんなも。お母さんも、お父さんも、和樹君も、川野君も、ルールを破っても何かしようとしてる。ぼくにはそれが無い。だから、ずっと不安なのかな、だから大丈夫になれなかったのかもしれない。

「でもね、考えるだけじゃ意味ないんだよ。行動しないと。どんどんないがしろにされて、雑に扱われる。」

「ぼく、何かしたい。もう考えるのばっかりはしたくない、はやく、大丈夫になりたい」

「なれるよ」

佐倉さんはぼくの目を見てはっきり言ってくれた。

「私たちはさ、そうやらなきゃダメなんだよ。だってね、私と深田君は似てるんだよ。ね、そう思うよね?」

O, C, H, N, Ca, P, S, Na, K, Cl

頭の中で何回も繰り返してきたアルファベット。

ぼくも佐倉さんと同じだと思うと。何でもできる気がした。「波瑠ー、なにしてんのー?」

少し遠くから和樹君が声をかけてくれた。

お菓子食べ終わったところと、答えると、じゃあ、早く来いよと言ってくれた。片付けたら行くねと、返事をする。

佐倉さんも、誘ったけど断られた。

断った代わりにと、佐倉さんは、水だけじゃ無くて、全てのものに色がないんだと教えてくれた。

ぼくはまた驚くことしか出来なかった。



早く起きれたから、今日にしようと思った。

筆箱からお守りを取り出して見てみる。破れたところがテープで止めてあったり、えんぴつとかで黒く汚れている。でもやっぱり少しだけ安心した。

ぼくは計画した通り、お母さんに起こされる前に、階段を下りてリビングに行く。

「おはよう。波瑠君、早起きだね。すごい」

お母さんは当然もうそこにいて、お父さんと一緒にびっくりしていた。

「お、はやいな。朝ごはん、一緒に食うか」

「うん。おはよう」


朝ごはんを食べ終わっても、2人はうれしそうだった。

「早起きしてほんとえらいね」

「うん」

「さすがオレの息子だな」

またそれ。

「お父さん眠くないの?」

「眠いに決まってんだろ、でもなー、お前たちのためにって思うと頑張れるんだよな」

「お父さん、何カッコつけてんの。ほら、そろそろ行かないとでしょ?」

早く言わなきゃ

「あ、やばいやばい。じゃあそろそろいくわ。波瑠も遅刻しないようにな」

「早く起きたんだから、遅刻するわけないよ」

「それもそうか、じゃあ行ってきます」

お母さんが、いってらっ…と言いかけてやめる。

「波瑠君も、お父さんにいってらっしゃいって言ってあげて、あ、幼稚園の時みたいに、せーので言おっか?」

心ぞうがドクドクと音を立てている。

ぼくは深呼吸した、お母さんがせーのと言ってるのがわかったけど、ぼくはそれよりも大きい声で叫んだ。

「お父さん、お母さん」

お父さんが、びっくりして振り返った。

いつもよりも大きい目。

お母さんもこっちを見ている。

「大好きだよ」

「え?え?どうしたのよ、いきなり」

お母さんは、ぼくを強く抱きしめてくれた。

ふと、押入れから出た時の事を思い出した。

「私たちも波瑠が大好きよ」

お母さんの腕に包まれて、肩のあたりに顔が埋もれる。前が見えないと思っていると、かみをわしゃわしゃされる。

「オレもだよ」とお父さんの声が聞こえた。

「ねぇ、何で私もなでるわけ?」

お母さんの声は鼻声で泣いているように聞こえたけど、笑ってもいた。

"友達から貰ったお菓子を捨てないで"

"閉じ込められて怖かった"

"大切にしてくれてるのは、2人の子どもってだけだからじゃないの?"

言いたかった言葉を全部無視して、

なんでぼくは、大好きと言ったんだろう。

でも、それを取り消したいとも思わなかった。


学校に着くと、珍しく小田くんがもう登校してて、話しかけてきた。

「お前らいつもこの時間に来てんの?」

「うん」

小田君はにやりと笑ってぼくに声をかける、

「波瑠はマザコンだからいつも起こしてもらってんだろ」

「何お前、バカにしてんの?」

それを言ったのは原田君だった。

「チビが調子乗んなよ」

原田君が続ける。

「何だよ、原田が言ったんじゃん、最初ー」

「昔だろ?それ。いつまでもマザコンとか言うのやめろよ」

「はー?まぁ…原田が言うならいいけどさ。なんなんだよ」

不満そうに小田君は自分の席に座った。

「波瑠なんか困ったことあったら言えよ。波瑠も大事な4の3の仲間だからな!」

原田君はぼくの肩に手を乗せる。

「えっと、うん。ありがとう」

原田君は小田君を見ながら

「あいつ最近調子乗ってるよな。3人で抑えてやろうかな。チビだから勝てるよ」と話した。


和樹君と2人になった時、ぼくは不思議に思って聞いてみた。

「原田君は、なんで急にぼくをかばってくれたのかな。ぼくの事バカにしてたのに」

「バカにって…。それめっちゃ前じゃね?」

そんなことないって思ったけど、思い返してみたら、ぼくがイヤなこと言われたのは、バンキが最後で、それから原田君に何も言われてなかったし、されてもなかった。

「まぁやったじゃん、原田がいい奴になってさ。外山さんも暴れなくなったしな。流石、学級委員長って感じ」

和樹君はニコニコしている。

ぼくはうれしくなかった。

佐倉さんが前の席に座っているのが見える。

あの時と同じで、佐倉さんは振り返ったりしない。全部聞こえてないといいな、と思った。


給食の時間、佐倉さんは給食当番の1人だった。

配ぜんしている佐倉さんを見て女子が「給食着シワシワじゃない?」と、ヒソヒソ話してるのが聞こえた。今の給食当番は2週目のはずだから、この前の金曜日持って帰るの忘れたのかな、と思う。佐倉さんを見ていると目が合ったけど、すぐにそらされた。


その日の放課後はすぐ家に帰る気にならなくて、帰りの会が終わった後、トイレに行ったり、ろう下をうろうろしたりして過ごした。

しばらくして教室に戻ると、もう誰もいない。

何となく窓際のカーテンの中に入ってみる。校庭を見ると和樹君がサッカークラブのみんなと走っていた。じっと見ていると、ぼくに気がついて手を振ってくれた。そのまま立って、ぼーっとグラウンドを見ていると、和樹君は何度もぼくの方を見ては、手を振ってくれた。校庭をぐるぐる走るのが終わってボールをけり始めたタイミングで、ぼくはカーテンの外に出る。

誰もいない教室は新鮮だった。

みんなの机とイスだけが並んでいて、

給食着を入れた白い袋が、ぽつぽつとぶら下がっている。でも、佐倉さんの机の横にはぶら下がってなかった。

ぼくは自分の机に戻って、筆箱からお守りを取り出す。

それを思いっきり破こうとしたけど、ビニールテープの部分がうまく破けなくて、切り込みが入ったみたいに中途半端な破け方になってしまった。

ぼくは教室の文房具箱からハサミを取り出して、ゴミ箱の前に立つと、出来るだけそれを細かく切った。ゴミ箱の上で手を払い、ハサミを元の場所に戻し、マフラーと手袋をして教室を出る。学校の外はもう、少し薄暗い。


家に近くなるに連れて空の月の色がこゆくなっていく気がした。

ぼくはそれが怖くて逃げるみたいに早く歩く。

息苦しくなって、マフラーにうずめていた顔を出した時、ぼくから出る息が、はっきりと見える事に気がついた。それは空気の中で光を乱反射させて、白く見せる。そして、また、すぐ、見えない世界に消えていった。


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