外側の世界

「自分を動かすのが自分じゃなくなるような感覚」に落ちいる現象。

それについて、深く話し込む機会がありました。

ある人に、「日本人に生まれて、幸せだね」と言われたのです。



勘違いはしないで欲しいのですが、僕は心の底から日本に生まれてよかったな、と思える人間ですし、その時もそう思いました。


しかし、何かの布の切れ端が隙間から顔を見せるような感じがしたのです。


僕は、「日本人に生まれて幸せ」と言う言葉に、深く疑問のような感情を抱いてしまいました。



繰り返しますが、僕は本当に日本人でよかったです。


じゃあ、何に疑問を抱いたのか。


僕はおそらく、に疑問を抱いたんだと思います。


それはどういうことか。


私たちの住んでいる地球。その周りを回る天体。


そこに生きる生命。

人間、魚、犬、鳥、花。


電気の流れの正体は電子の流れで、水素原子は二つ合わさって分子になる。


このような大小さまざまな歯車が噛み合って、この複雑な世界を作り出しています。


人類はとても長い期間を経て進化してきました。これは他の動物にも同じことが言えるでしょう。


「日本人に生まれてよかった」と言う言葉は、この世界の歯車に、言うならば“沿った”言葉だと思ったのです。



「日本」があり、尚且つそれは他の国に生まれることよりも「よかった」とされる。

では、そもそも、「日本」はなんなのでしょうか?

「よかった」って、なんなのでしょうか?


これは別に、「よかった」って思うのはあなただけかもしれないじゃないですか!なんてことでは無いです。


ただ、「よかった」って何?

って話です。


人間の功績は主に二つあります。


1.「すでにあるもの」を発見した事。


これは、土星などの惑星の軌道、人体の構造、化学物質の反応など、「人間がいなくても変わらなかったもの」を発見したことです。


2.一から何かを作り出したこと。


これは言葉や文化など、「人間特有」の物です。


この世界はどこまで行っても、大体はこの二つで構成されています。


「日本」の存在自体は人間がいなかったとしてもそこに在りました。

「日本」と言う名前は人間特有のものでしょう。


僕たちは、この世界で生きている限り、、つまり、「人間の功績ワールド」から出ることは絶対にできないのです。



出られない。


この世界に生きている限り、私達は出ることができない。


それは絶対に言えることです。


これから先科学技術が発展を遂げたとして。

宇宙の端っこ、深海の底の底が発見されたとして。


それも全てこのの中の出来事です。


宇宙の果てがあったとしても。それを見つけたとしても。


僕達が発見できるものは、絶対にこの世界の中にあるものだけ。


僕は決して、これらの大発見を否定する気はありません。

むしろもっと発見されてほしいと思っています。




人間は死んだら生まれ変わる、だとか、天国に行くだとか。

来世は魚が良い、猫が良い、人間が良い…。


なぜ、「この世界」に固執して生きていけると、思い込んでいるのでしょうか。


なぜ、地球上、宇宙上にあるものとして生まれ変われると?


私達の住まう宇宙。

その外側に、世界が広がっています。


正確な位置関係はわかりません。


別に宇宙の外側ではないかもしれません。



何故か。



私達が見つけてしまったら、それはもうに過ぎなくなってしまうからです。


外側は、人類がどんなに想像しても絶対にわかりません。

想像できたら、それはもう外側ではないのです。


根本的に、「じゃあ、外側の存在もあなたが想像しているんだから、無いんじゃないの?」と言われたら、それは本当にそう思います。


僕自身懐疑的です。


でも、みなさんが蛇口をひねれば水が出ることを信じている…確信しているのと同じように、僕も、確信しているのです。




*



ここからは、外側がどうなっているのかを、想像を一切交えずに説明します。


それは、ゲーム内のキャラクターが僕達プレイヤーを認識できないように、僕達も外側を認識できません。


ですが、僕は「外にプレイヤーがいて、私達を操作している」などと細かいところはわからず、ただ、「外がある」ということだけをわかってしまった。

なぜでしょう?


勘です。


内側があるなら、外側もあるだろう。


ただ、それだけです。


外側は、まず、僕達の住まう内側とは全く異なっています。

これは確定としていいでしょう。

少しでも同じところがあるならば、私達が想像できる。つまり内側になるということだからです。


しかしそれは、「こっちではりんごが赤いけど、外側では青い」とかそんなものではなく、

「りんご」や、「赤」「青」などの概念そのものが無いということを指しています。


つまり、私達が認識できるのは、どこからどこまで行っても、



「無」の一言に尽きてしまうのです。



いえ、実際にはなにかは存在しているのでしょう。

「個体、液体、気体」という3つの物質のあり方を超越、または全く新しい物…。

いや、そもそも「物質」という概念そのものを否定している…。

そうです。

僕達は、これらを考えた途端、それは内側になるというジレンマに遭遇してしまいます。



だから、こう呼ぶことにしました。


「すべてを否定する世界」と。


冒頭で言った、自分の体を自分で動かしていない感覚。


これは、自分の人格そのものが「外側」に行こうと頑張ったせいで、「内側」を俯瞰して見るようになってしまい、結果的に体と思想が噛み合わなくなってしまったからだと思います。



僕はこれを使って、どうしよう。とか、もっと生活に活かせる。とか、

そんなことは考えていません。

ただただ、僕は考えたい。


外側がどうなっているのかではなく、内側で何ができるかを。


これは哲学ではないと思います。

死んだ後のことでも、生命のことでも、考えたことでも無いのです。


分かってしまった…というと皆さんに疑われるかもしれませんが、一番しっくり来るのはその表現でしょう。


人類はこの事について深く考える代わりとして、「神様」を作り出しました。


でも、神様も内側の存在だとしたら、一体何が、「外側」の代わりになってくれるのでしょう。


死んだ後のことはわかりません。


前世の記憶を持っている人たちは、おそらく「内側から内側」の人々。

それ以外の人々は、「外側から」の人々なんでしょう。

僕はただ、この内側を、どうにかして楽しんで生きていこうと思います。


なぜなら、僕達は何をしても、「わからない」のだから。

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外側の世界論 Butaneko @butaneko0407

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