第5話 大晦日の炬燵
12月31日。
大晦日。
私の熱は下がったけど、今度はヨウスケが風邪を引いた。
「俺は風邪引かない」って豪語してたのに、見事にフラグ回収してくれた。
「うっせー……」
鼻声で反論してくるけど、説得力ゼロだ。
ヨウスケはリビングの炬燵の中で、ミノムシみたいに毛布にくるまって丸まっている。
鼻水ズビズビいわせてるし、周りにはティッシュの山ができている。
汚い。
情けない。
でも、看病してもらった手前、文句を言うわけにもいかない。
私は炬燵に入って、みかんを剥いている。
ここのみかん、箱買いしたやつだけど当たりだった。
甘くて、ジューシーだ。
でも、剥いてると指先が黄色くなるし、爪の間に白い筋が入るのが地味にストレスだ。
丁寧に白い筋を取らないと気が済まない私は、黙々と作業を続ける。
ヨウスケは皮ごと食べそうな勢いの大雑把な人間だから、このあたりの価値観も合わない。
テレビでは紅白歌合戦が流れている。
知らないアイドルグループが踊っている。
「誰これ? みんな同じ顔に見えるんだけど」
私が言うと、布団の中からヨウスケの声がした。
「お前がババアになった証拠だろ」
「うるさい。あんたもジジイでしょ」
私は足でヨウスケの足を蹴った。
「痛っ……病人になんてことを」
「口は達者ね」
みかんを房に分けて、一つ口に放り込む。
甘酸っぱい。
冬の味だ。
「……なぁ」
ヨウスケが顔だけ布団から出してきた。
熱で少し潤んだ目で、こっちを見ている。
顔が赤い。
「何? 水?」
「いや……」
ヨウスケがモゴモゴしている。
何か言いたそうだ。
また「チャンネル変えて」とか言うつもりか。
「……結婚、するか」
時が止まった。
みかんを口に運ぶ手が空中で静止した。
テレビの音が遠のいた気がした。
今、なんて言った?
「……は?」
間の抜けた声が出た。
「いや、なんか……面倒くさくなった」
ヨウスケが目を逸らしながら言った。
「お前以外を探すのが」
……最低だ。
最低のプロポーズだ。
「愛してるから」でも「一生守るから」でもない。
「面倒くさいから」。
ロマンチックの欠片もない。
ドラマだったら即ビンタして別れるレベルだ。
「妥協」って言葉が服着て歩いてるような台詞だ。
でも。
不思議と、嫌じゃなかった。
怒りも湧いてこなかった。
むしろ、ストンと腑に落ちた気がした。
「……私も」
気づいたら、口から出ていた。
「私も、面倒くさい」
もう一度ゼロから誰かと関係築くのも、婚活パーティー行って値踏みされるのも、親に「結婚しないの?」って聞かれるたびに言い訳するのも、全部死ぬほど面倒くさい。
だったら、この汚いミイラと一緒にいた方がマシだ。
この人とこれからも、味のしない鍋をつついて、半額シールを奪い合って、風邪を移し合って生きていく方が、ずっと楽だ。
そう思ってしまった。
ヨウスケが安心したように、ふっと笑った。
「じゃ、決まりな」
「……うん」
指輪もない。
花束もない。
あるのは食べかけのみかんの皮と、ティッシュの山と、古びた炬燵と、紅白の演歌だけ。
でも、そこにある温もりだけは確かだった。
「好き」とは違うし、「愛してる」とも少し違う。
でも「嫌いじゃない」。
このぬるい感情で十分なのかもしれない。
熱烈な愛はいつか冷めるけど、このぬるま湯はずっと浸かってられそうだ。
除夜の鐘がテレビと近所の寺から二重に聞こえてきた。
ゴーン、ゴーン。
重たくて鈍い音が、私たちの関係に似てるなとか思いながら、私は剥いたみかんをヨウスケの口に押し込んだ。
「食え。ビタミンC」
「むぐっ……酸っぱ」
「文句言わない」
「……あけおめ」
みかんを飲み込んで、ヨウスケが言った。
「ことよろ」
私も返した。
「……お茶、飲む?」
「飲む」
「自分で淹れて」
「鬼か。病人だぞ」
「はいはい」
そう言いながらも、私は立ち上がってキッチンに向かった。
私の2026年の始まりは、換気扇がカタカタ鳴る音と共に幕を開けた。
湯沸かし器のボッという音が、新しい生活のファンファーレみたいに聞こえた気がした。
まあ、悪くないか。
そう自分に言い聞かせて、私は急須にお湯を注いだ。
(おわり)
【短編】好きじゃない人と、嫌いじゃない夜 月下花音 @hanakoailove
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