最初はグー!

加賀瀬 才

邂逅

 夜の静寂を切り裂いて、どこからかサイレンが鳴り響いていた。

 私は慌てることもなく風呂上がりの髪を拭う。

 こんな非日常も慣れてしまえばどうってことはない。

『――にて大型の〈泥獣でいじゅう〉が出現しました! 近隣住民の方は速やかに避難してください! 繰り返します。つい先ほど――』

 テレビから聞こえる女性リポーターの切羽詰まった声。

 今回はヘリでの中継らしい。

 映像の先、サーチライトが事態の全貌を照らし出す。

「おいおい隣町じゃないか! うわっ……。これは大きいぞ」

 父が驚くのも当然だ。

 それは、車ほどの大きさの異様なシルエットだった。

 色は黒。

 この世のものとは思えない、うねうねと蠢くスライム状の異形。

 〈泥獣でいじゅう〉だ。

「ちょっと出かけてくる!」

「あっ、こら絵梨えり! 待ちなさい!」

「大丈夫!」

 父の制止を無視して私は寝巻のまま家を飛び出した。

 季節は一〇月。冷えた夜風がまだ濡れている髪を撫でる。

 降って湧いた絶好の機会。やるなら今しかない。

 ものの十数分で目的地に辿り着く。

「やっぱり思った通り!」

 そこは静かな廃墟。ふと懐かしさが込み上げてくる。

 半壊したまま放置されたその姿は、あの日から時が止まったようだ。

「待ってて。母さん」

 騒ぎの対応で監視員は皆出払っている。

 だから私は規制線をくぐって、迷わず中へと踏み込んだ。

 視界の端。石に刻まれた文字をちらりと捉える。

 国立研究開発法人微小素材総合研究所。

 通称、微総研びそうけん

 かつて分野の最先端を走っていた研究所は今、全く別の理由で有名になってしまった。

 遡ること一年前。微総研で爆発事故が起きたのだ。

 当時、記者会見で伝えられた事実は三つ。

 爆発原因は不明。職員全員の安否も不明。

 そして――。

「『ナノマシンが流出した可能性』か……。あーあ、ほんと白々しい」

 悪態をつきながら私は廃墟を探索する。良かった。階段は無事だ。

「ったく。いい加減認めればいいのに」 

 手にしたスマホからは例の中継が流れていて、それを一瞥した私は思わず吐き捨てる。

「『〈泥獣でいじゅう〉こそが事故で流出したナノマシンです』ってさ!」

 微総研が研究していたナノマシンには全て、共通の能力があった。

 生命を模したそのマシンは外部環境に作用し、自己を維持するようにプログラムされている。

 平たく言えば、自己複製型ナノマシンである。

 すなわち〈泥獣でいじゅう〉とは、増殖を繰り返したナノマシンのなれの果てというわけだ。

「まあ簡単には認めないよね。特にあの時は皆、世界終末だとか騒いでたわけだし」

 グレイ・グー、と言うらしい。直訳すれば『灰色のどろどろ』。

 自己複製型ナノマシンが地球上の資源を食い尽くし、やがて世界が滅亡する。

 そんな最悪のシナリオ。

 だが。

「じゃあなんで、未だに人類は無事なんだか」

 確かに爆発で散らばったナノマシンは全国各地で〈泥獣でいじゅう〉となり、人々の生活を脅かしている。

 でも、それだけだ。今も文明は続いている。

「やっぱり母さんの研究は間違ってなかったんだ」

 母は微総研の研究者だった。

 私は何度も母からナノマシンの素晴らしさを聞かされた。

 それは廃棄物の山から金属だけを回収し、体に巣くう病の根源だけを破壊する。

 そんな、夢の技術。

 その起動には所定の手順でエネルギー供給を行う必要があり、それが安全装置になると母は自慢げに話してくれた。なのに。

「……なんで、こんなことになったのかな」

 そう。目論見は外れたのだ。

 画面の向こうでは今まさに、柵を薙ぎ倒して変電所へと這い進む黒い影が映っている。

 たとえ手順通りでなくとも、条件を満たせばナノマシンは活動を始めてしまうらしい。

「変電所……。ってことは、電気駆動の金属回収タイプかな?」

 その時、スマートウォッチが着信を知らせる。

絵梨えり! 今どこだ!』

「研究所。母さんの居室に着いたとこ」

『なっ! すぐ離れなさい! そこは危険だ。母さんたちは今もまだ見つかっていないんだぞ!』

 父の心配はもっともだが、正直今は鬱陶しい。

「そんなこと分かってる!」

『なら――』

「私は!」

 この苛立ちは父に向けたものではない。


「母さんが悪者みたいに言われているのが許せないのっ!」


 もっと大きな世界に対する怒りだ。

 あの事故以来、微総研はマッドサイエンティストの巣窟のように語られている。

 それがいつまでも私の心を抉っていた。

『まさか証拠を見つけるつもりか? ったく……その無鉄砲さは誰に似たんだか』

「だって国はナノマシンにびびって全然調査しない! だったら私が見つけるしかないでしょ!」

『そうじゃない! そもそもお前はまだ中学二……っ、まずい!』

 ズンッと、廃墟全体が震動した。

「何?」

『……めだ絵…………今す……から』

「えっ? どうしたの父さん?」

 耳を澄ましながら慌ててスマホを確認する。

「うそ……」

 デジタル特有のブロックノイズで固まった映像。

 そこに映るのは、変電所を呑み込んだ〈泥獣でいじゅう〉が爆ぜる瞬間だった。

『聞こ…………そげ……』

 スマートウォッチに耳を当てながら、私は全身の毛が逆立つのを自覚する。

 よく分からないが異常が起きているのは明らかだ。

『に……げろ!』

「え?」

 断片的。

 だが、それでも聞こえた父の声。

 その、直後だった。

 爆音。

 衝撃。

 そして、激痛。

 明滅する意識で何とか理解する。

 壁を突き破って何かが突っ込んできたのだと。

 お陰で私は吹き飛ばされ、部屋の中も滅茶苦茶だ。

「っ……」

 元凶には心当たりがある。 ぐにゃりと歪んだ輪郭のそれは、紛れもなく奴だった。

「〈泥獣でいじゅう〉! やっぱりさっきの爆発で?」

 大型犬サイズの黒い化け物が、眼前に迫る。

 きっとあの爆発で〈泥獣でいじゅう〉の一部が千切れて飛んできたのだろう。

 だが、今の私に成す術は無い。

 痛みに苛まれる体が思うように動いてくれないのだ。

 その間にも怪物が不定形の触腕を私の左腕に絡みつかせてくる。

 電気駆動ということは……。狙いはスマートウォッチのバッテリーか。

 ピリピリと肌を刺す感覚があった。金属を溶かして回収するナノマシンが人体に無害なわけがないのだ。

「いっ、……っそ」

 恐怖と苦痛に耐えて周囲を見渡す。

 すると、右手の先。横倒しの冷蔵庫から奇妙な形の瓶が転がり出ていた。

 そこに記された見慣れた文字に、私は静かに瞠目する。

 〈GOO-20310925〉。

 ふと蘇ったのは、母の言葉。

『開発中のナノマシンね、グーちゃんって言うの。私の細胞を使って研究してたら愛着が湧いちゃって』

 偶然なわけがない。自然と手が伸びる。

「グー……ちゃん」

 が。

「痛っ!」

 触れた瞬間に瓶が割れ、その破片が皮膚を裂く。

 零れ出た中身は褐色で、まるで泥みたいだった。

 駄目だ……。意識が――。

 気絶する直前、指先でそれに触れる。

 迸った血の珠、その赤が泥の茶色と交わる――と同時。


 閃光があった。


「っ!」

 真紅の輝きに包まれたと思った次の瞬間、左手が自由なことに気付く。

 振り返った先、〈泥獣でいじゅう〉が怯えたように後ずさるのが見えた。

 私を掴んでいたはずのその腕は、いつの間にかぐしゃりと崩れている。

「何、これ……」

 立ち上がって全身を観察する。肌の表面をうっすらと、赤いゲルが覆っていた。

「不思議……でも、温かい」

 再び灯る、懐かしさと母の声。

『私のグーちゃんは遺伝情報で敵味方の区別をするの。でも精度が甘くて。細菌とかは難なく破壊するんだけど、がん細胞はまだ無理かな。多分私と絵梨えりも区別できないわ」

 ああ。成る程。

「やっぱり母さんは凄いや」

 体が軽い。さっきまでボロボロだったのが嘘みたいだ。

 自己を維持するようにプログラムされたこのナノマシンは、私すら自己だと認識しているのだ。

「約束するよ母さん。この研究は素晴らしいって私が証明する。だから、力を貸して!」

 力強く一歩前へ。

 壁際に追い詰めた〈泥獣でいじゅう〉に、引き絞った右腕を全力で振るう。

 渾身一撃。

 浸食霧散。

 赤の鉄槌が黒の魔獣を塗り潰す。

 これが幕開け。

 後に〈泥獣喰らいグリーディー・グー〉と呼ばれる少女が放った、最初の拳。

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