期待値制御都市の配給異常
@zeppelin006
期待値制御都市の配給異常
都市は、感情を抑えるために建てられたわけではない。
それでもこの街では、感情が先に規格化された。
正式名称は『期待値安定化プログラム』。通称ECS。
市民の投稿、購買履歴、移動ログ、問い合わせ内容――そういう細切れの生活の欠片から、個人ごとの『期待値』が推定される。期待値が高すぎる者には過剰な広告が届かないようにする。期待値が低すぎる者には小さな報酬や優しい通知を積む。社会の温度が一箇所で沸騰しないよう、街は街自身をなだめ続ける。
私は、その運用担当だった。
職種としては都市行動分析官と名乗るが、実態はダッシュボードの番人だ。火災報知器の警報が鳴る前に、煙の匂いをグラフから嗅ぎ取る仕事。
異常が出たのは、月曜の午前四時十二分。
私は夜勤の終わりにコーヒーを淹れたまま、アラート音で呼び戻された。
配給サブシステムの監視画面に、赤い帯が一本走っていた。
――根菜類、供給偏差:+37%(地区A)
――根菜類、欠品警告:-22%(地区F)
根菜類。つまり芋だ。
この都市の配給体系では、芋は主食補助に分類される。平時には米とパンの間を埋める地味な存在だ。非常時には一転して、最優先の炭水化物として扱われる。
だが、今日は平時だ。少なくとも暦の上では。
◇ ◇ ◇
私はまず、治安スコアを開いた。
地区Fの『期待値落差』が跳ね上がっている。落差というのは、期待値が高いのに満たされなかったときの痛みの指標だ。痛みが増えると、怒りが増える。怒りが増えると、破壊が増える。破壊が増えると、私の画面の赤が増える。
地区Fは、交通結節点に近い集合住宅帯だ。人が多く、投稿が多く、拡散が速い。
欠品が続けば、数時間で配給が不正に操作されているという噂が生まれるだろう。噂は栄養がなくても増殖する。芋は栄養があっても売り切れる。
私は配給ログを開いた。
```
[04:10:01] RATION_ROUTER: route_update
mode = NORMAL
item = ROOT_CROP
district_A quota = 1.37
district_F quota = 0.78
reason_code = EVT-TRIGGER-17
```
理由コードが嫌だった。EVT-TRIGGER-17。
これは市場外要因が介入したときに出る。天候、輸送、事故、感染症、そして言語イベント。
私は同僚のチャットに短く投げる。
「配給偏差、根菜類。リーズンコード17。広報の出稿ログ見れる?」
返事はすぐ来た。「見れる。今朝方にキャンペーン入ってる。後で送る」
後では遅い。私は今を扱っている。
◇ ◇ ◇
現場の声を拾うため、SNS監視ビューを開いた。
地区Fの投稿が、芋の写真で埋まっている。皮を剥いた芋、空の棚、値札だけが残るケース。誰かが冗談っぽく書いている。
「芋、消えた。都市の終わり」
「配給って言ってたのに普通に買えない」
「ECS、期待値だけ上げて現物ないの草」
草という単語は、怒りの前兆としては低温だが、拡散性が高い。
草が枯れる頃には、ガラスが割れる。
地区Aの投稿は、逆に明るい。段ボールいっぱいの芋が届いた写真。料理写真。無料配布の列。
そして、こういう書き込みが混ざっていた。
「うち、急に芋多すぎ。なんで?」
「配給箱、芋だらけで笑った」
「米より芋が来る世界線」
世界線。冗談の言葉の形は、妙に正確だった。
私はダッシュボード上で、芋の需要予測モデルの『感応語』一覧を呼び出した。需要予測は食品の過去データだけで作られているわけではない。都市の空気を食べている。空気の中には言葉がある。
```
ROOT_CROP_DEMAND_MODEL / sensitivity_top10
1: 備蓄
2: 節約
3: 停電
4: 台風
5: 非常
6: 買いだめ
7: 供給
8: 危険
9: 爆弾
10:封鎖
```
九番目の語を見た瞬間、私は嫌な汗をかいた。
芋の需要予測が『爆弾』に反応している。
笑えない。芋は爆発しない。
しかし都市は、言葉を爆発物として扱う。
◇ ◇ ◇
『危険物検知系フィルタ』は、もともと治安対策として入った。
都市は、危険な単語の増加を事件の気配として捉える。現実の危険物が増える前に、言葉が増えるからだ。だから、言葉は都市にとってセンサーだ。だがセンサーは誤検知する。誤検知したときの都市は、だいたい過剰に真面目だ。
私はルーティングの設定ファイルを開いた。非常時モードの発火条件を探す。
```
EMERGENCY_MODE_TRIGGER:
- keyword_cluster: [爆弾, 武器, 脅迫, 不審物]
threshold: 0.62
action:
- set_mode: EMERGENCY
- prioritize: ROOT_CROP, WATER, MEDICINE
- suppress_ads: LUXURY, EVENT
```
芋が優先されるのは、ここだ。
非常時に備えて、都市は腹を満たすものを上に上げる。人は空腹だと短気になる。短気は治安を壊す。治安が壊れると、さらに空腹が増える。そういう循環を止めるための設計だ。
だが今は非常時ではない。
ただ単語が増えただけだ。
増えた単語は、どこから来た。
◇ ◇ ◇
広報出稿ログが届いた。
私はそれを開き、該当するキャンペーンを見つけた。
自治体公式アカウントの広告文案。景気づけのための、週末の商店街セール告知。
その見出しに、こう書いてあった。
『爆弾級セール開催。期待を超える価格へ』
私は声に出さず、目だけで読み直した。
『爆弾級』。よくある煽り文句だ。
だが、この街ではよくあるが一番危ない。よくある言葉ほど、多くのシステムが無邪気に拾ってしまう。
危険物フィルタが拾い、非常時モードが発火し、配給が芋へ傾いた。
その結果、地区Aには芋が溢れ、地区Fから芋が消えた。
地区Fの怒りが増え、治安スコアが揺れた。
言葉ひとつで、都市がモード遷移する。
私は設計書で何度も読んだその文言を、初めて体温として理解した。
私は上長に報告の通話を入れる。
「原因、広報文案の『爆弾級』。危険クラスタに入って非常時ルーティングが走ってます。今すぐ解除すべきです」
「本当にそれだけか?」
「それだけで十分です。この街は、言葉を現実より先に信じます」
「解除したら、今度は地区Aの余剰が無駄になるぞ」
「余剰は移送できます。でも落差は移送できません。期待値の落差が最優先です」
私は落差という単語を、あえて強く言った。
上長は短く息を吐き、言った。「分かった。やれ」
◇ ◇ ◇
私は手順書に従って、非常時モードを解除した。
ただし、解除は即時ではない。急な変化はまた別の落差を生む。都市は急激な温度差に弱い。だから、戻すときは段階を踏む。
```
[04:32:10] MODE_TRANSITION: EMERGENCY -> NORMAL (gradual)
step1: quota_balance = 0.90
step2: quota_balance = 1.00
step3: district_priority_reset
ETA: 90min
```
並行して、広報に修正依頼を投げる。
広告文案から『爆弾級』の語を抜く。代わりに何を入れるか。私は迷った。『大放出』でも『激安』でもいい。だが、都市が危険と誤読しない語を選ぶ必要がある。皮肉な話だ。人間向けの文章が、都市向けの文章に最適化されていく。
広報担当から返事が来た。
「ごめん、そんなにまずかった?『期待』って言葉もダメ?」
私はキーボードを叩きながら答えた。
「『期待』は問題ない。問題は『爆弾』がクラスタに触れた。今後、危険語の比喩使用は禁止にしてほしい」
「比喩まで?」
「この街では比喩も現実です」
◇ ◇ ◇
夜が明ける頃、地区Fの投稿は少し落ち着いた。
欠品棚の写真が減り、代わりに入荷したという報告が増える。怒りの語尾が丸くなる。冗談が戻る。冗談は平時の証拠だ。
それでも、私は安心できなかった。
都市は回復したように見える。しかし、今日起きたことは設計の欠陥ではない。設計の、正しい結果だ。危険語に反応し、非常時モードに移行し、主食補助を優先した。それは危機管理としては優秀だ。
問題は、危機の発生源が現実ではなく言葉だったこと。
そして言葉が、現実よりも簡単に増えること。
期待値安定化プログラムは、期待を制御するためにある。
だが、期待を制御するためのシステムが、最も言葉に弱い。
つまりこの都市は、自分の心拍を測るための聴診器の音で、自分が倒れる。
私はダッシュボードの右上にある小さな指標を見つめた。
『期待指数:市全域』は、いつも通り穏やかな曲線を描いている。
その穏やかさが、逆に恐ろしい。何もなかったことにしてしまう穏やかさ。
最後に、今日のインシデントを記録する欄へ、私は淡々と入力した。
原因:広報文案に含まれる危険語比喩による誤検知。
影響:配給ルーティング非常時モード発火、根菜類の偏在、地区Fの期待値落差上昇。
対策:危険語比喩のガイドライン策定、フィルタの文脈判定改善(検討)。
入力し終えて、私はふと、笑いそうになった。
芋が足りなくなる理由が、広告の見出しだなんて。
だが、笑って済ませていい話でもない。
次に偏るのは芋とは限らない。水かもしれない。薬かもしれない。
都市の『腹』は、言葉で動く。ならば都市の『心』も、言葉で壊れる。
窓の外で、朝の配送車が走っていく。段ボールの中に芋が揺れているはずだ。
私はその光景に、奇妙な確かさを感じた。
土に育つものは、言葉で増えない。だから頼れる。
けれど頼り切れば、その頼りもまた『期待』になり、期待はまた落差を生む。
私は画面の赤が消えていくのを確認し、次の勤務者へ引き継ぎメモを残した。
最後の一行だけ、少しだけ私的に。
――この都市は、言葉を現実より先に信じる。だから、言葉を慎重に扱え。
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