偽ヒルコの娘は常世と幽世の狭間で輪舞を踊る
加藤岡拇指
第1話 ポニー・テイルの放物線(パラボラ)――或いは公安第八課の暗黒算術
|読むのを躊躇する人に
もしも転生調子の異世界物語や、逆境上等や冒険、無職やクズが、
もしも役立たずスキルや、最弱や、弱小領地や婚約破棄や隠しスキルや、
さてはまた昔の風のままに再び語られたあらゆる古いロマンスが、
私をかつて喜ばせたように、より賢い今日の少年少女たちを喜ばせることが出来るなら、
――それならよろしい、すぐ始め給え! もしそうでなく、
もし勉強好きな青年たちが、昔の嗜好を忘れてしまい、
ラヴクラフトや、ゼラズニィや、ハインラインや、
火山に指輪を捨てに行く話を、もはや欲しないなら、
それもまたよろしい! それなら私と私の警官どもは、
それらの人や彼等の創造物の横たわる墳墓の中に仲間入りせんことを!
=====================================
ああ、なんたる不可解、なんたる
諸君、まずはこの奇怪なる空間の変容を刮目して見るがいい。新宿の喧騒を背に、朝鮮半島の薫香と東南アジアの熱気が渾然一体となり、あたかも「文化の
そこに立ち尽くす一人の男。彼の手元、スマホの画面に点滅する紅蓮の
だが、この白昼夢のごとき静謐を破ったのは、一筋の「紫煙」への欲望であった。
古き良き専売公社の時代、黄金の葉が贅沢に詰められた「チェリー」や「峰」、あるいは野性味溢れる「両切りゴールデンバット」といった、今や煙の彼方に消え去った名銘柄たちの亡霊を追い求めるかのように、男は無意識のうちに量産型の紙巻煙草を取り出す。現代の
「ここは禁煙です」
振り返る男の視界に飛び込んできたのは、ポニーテールという名の「髪の拘束」を施された、峻烈なる一人の乙女である。その吊り上がった眼差しは、あたかもK-POPの至宝・NEWJEANSの如き現代的な瑞々しさを湛えつつも、背後に引きずる巨大なる楽器の筐体――コントラバスという名の、
おお、見よ! ギリシャの円柱、八雲の亡霊、アジアの雑踏、そしてコントラバスを曳く美少女。
この奇怪なる符牒の集積は、一体いかなる怪奇事件の
「……ここで……ここでほんとに合ってるのかなあ?」
男の呟きは、新大久保の空に漂う見えない霧に吸い込まれ、ただ不可解な余韻を残すのみである。
ああ、なんたる運命の皮肉、なんたる存在の不条理! 東京都新宿区大久保、かつて異邦の幻視者・小泉八雲が幽冥の境を彷徨ったその聖域において、わが名は一人の少女の唇から、あたかも古の呪文の如く漏れ出したのである。
「
その音節が空気を震わせた瞬間、私の脊髄を走ったのは戦慄か、あるいは歓喜であったか。見よ、私を見上げる少女の
「……如何にも、俺が鈴鹿だ。だが、何故君は、わが姓名という秘められた記号を、その幼き
私の問いは、ギリシャ建築の円柱が並び立つこの奇妙なる公園の静寂に、虚しく吸い込まれていく。女子高校生――制服という名の「集団の記号」を纏いながらも、その瞳には数世紀を経た古文書の如き知性が宿っている。彼女は、深い溜息のように、しかし確信に満ちた動作で、その細き腰を屈めた。
「はじめまして。……
ぺこりん、という擬音さえ、彼女の背後に控える巨大な木製の怪物――コントラバスという名の重低音の
「おむかえでゴ……いえ、お迎えに参上しました」
彼女の舌が
「同じ所属になります」
所属! ああ、この一言が私の理性を粉砕する! 警視庁公安部第八課。実在の警察組織という名の「公理系」において、一課から四課まで、あるいは外事課や機動捜査隊という名の「既知の惑星」は存在する。だが、五、六を飛び越えて出現した第七、そして我が配属先たる「第八課」とは! それはあたかも数学者が未発見の複素数空間を論じるが如き、組織図の裂け目に隠匿された暗黒物質(ダークマター)の集積体ではないか。
同僚に問えば、彼らは一様に「聞いたことはあるが、実態は不明だ」と、不協和音の
だとするならば。
目の前に立つ、このNEWJEANSの如き瑞々しさと、冥府の番人の如き沈着さを併せ持った女子高校生こそが、わがバディ、わが相方だというのか!
「同僚だよ、よろしくネ」
その言葉が、彼女の唇から軽やかに放たれた瞬間、私は悟った。私の人生という名の「完全犯罪」は、今この時を以て瓦解し、私は不可解なる怪異の、そして人類の知性を超越した「アレやコレやソレ」という名の、底なしの
ポニーテールを揺らす彼女の影が、公園のタイルに長く、長く伸びていく。それはもはや少女の影ではなく、これから私を待ち受ける、巨大なる「不条理の迷宮」の入り口そのものであった――。
偽ヒルコの娘は常世と幽世の狭間で輪舞を踊る 加藤岡拇指 @hanghaji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。偽ヒルコの娘は常世と幽世の狭間で輪舞を踊るの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます