第9話 前日に終わる計画
十年という期間は、準備としては長すぎるが、恨みとしてはちょうどよかった。毎朝同じ時間に起き、同じ路線で通勤し、相手の動線と癖を頭に入れた。記録は紙に残さず、更新は頭の中だけで行った。忘れなかったのは、忘れないための努力をしなかったからだ。
相手は変わらなかった。肩書きは増え、髪は減り、声は少しだけ低くなったが、歩き方と笑い方は同じだった。人に見られている前では丁寧で、見られていないところでは雑になる。その切り替えの角度が、当時と同じだった。
私は何も急がなかった。刃物の重さも、薬品の匂いも、手順の確認も、すべて十分に馴染ませた。実行日は決めていた。雨の予報が出ている平日。通勤時間帯は避け、昼休みの直後。人が多すぎず、少なすぎない。
前日、最終確認のために現場を見に行った。駅前の歩道は清掃が行き届いていて、目立つものはなかった。コンビニの前に、黄色い皮が一つ落ちていた。誰かが捨てたバナナの皮だ。乾ききっておらず、踏めば滑る程度の湿り気がある。私はそれを避けて通った。避けることは、十年で身についた。
その夜、予定通りの手順を頭の中でなぞった。感情はなかった。感情は、計画の初期に使い切っている。残っているのは順序だけだ。
翌朝、ニュースで知った。駅前で転倒事故。被害者一名。十年来の恨みを募らせたあの男は、バナナの皮を踏み、足を滑らせていた。
頭部を強打し、搬送先で死亡。映像は短く、説明も簡潔だった。場所は、昨日のコンビニの前だった。
私は画面を消し、コーヒーを淹れた。湯の温度は少し高かったが、構わなかった。遅刻しない程度の時間は残っている。仕事は休まない。今日という日は、特別な日ではない。
現場検証の映像が、昼のワイドショーで繰り返された。黄色い皮は回収され、原因は「不注意」とまとめられていた。誰も疑問を持たない。私も持たない。疑問は、持つための用途がない。
夕方、私は駅前を通った。清掃が済み、歩道は元通りだった。コンビニの前に、何も落ちていない。私は立ち止まらずに歩いた。立ち止まる理由が消えただけだ。
家に帰り、準備していたものを一つずつ処分した。刃物は新聞に包み、薬品は流し、メモは燃やした。手順通りに。使われなかったが、無駄ではない。十年分の生活が、そのまま終わっただけだ。
夜、予定していた実行時刻を過ぎた。時計を見なかった。見る必要がない。計画は達成されていないが、完了している。私は歯を磨き、電気を消した。
明日からは、通勤路を変えるかもしれない。変えないかもしれない。どちらでも同じだ。バナナの皮は、もうない。私の準備も、もうない。
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徐々に奇妙な短編小説実験場【奇譚 SF ブラックetc】 zakuro @zakuro_1230
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