未知しるべ

不二原光菓

未知しるべ


「死神、土色の死神が来たぞーーっ」

「土色は不吉、土色の肌は災いを呼ぶんだ」


 待ち伏せしていた仲間たちはくちぐちにはやし立てると立ちすくむミハの顔にいくつもの石つぶてを投げつけた。

 よろめいた彼女はエノコログサの黄緑色の茎に背中をぶつける。その衝撃はまわりの植物にも伝わり、ざわ、ざわと大きな葉ずれの音とともにあたり一面に揺れが広がった。


「やめてよ、やめてよ」


 腕で顔を覆ってうずくまるミハの背中を誰かが強く蹴り飛ばした。


「土色の奴といると俺達にまで災いがやってくるぞ」

「災いの子に食わすものなんてない。出ていけ、出ていけ」


 ミハの周りを楽し気にはね音を鳴らしながら仲間たちが飛び回る。

 彼女はくやしそうに泥の付いた顔を拭った。

 食料が足らなくなったころから、言いがかりに近いこのいじめが激しくなった。

 多勢に無勢、ここで逆らっても勝ち目はない。どうせいつものことだ。早く飽きてどこかに行ってくれないか。

 頭を腕で守って地面に伏せながら、彼女はひたすら心の中で念じている。

 跳ね上がった彼らが当たるからだろうか、周囲の草が大きく揺れるたびにその隙間から青空がのぞき、光の帯が乱舞した。


 その時。


 さっ、と日光が遮断されて上空から風を連れて何かが急降下してきた。

 一瞬の出来事だった。

 大きな羽根音とともに仲間の一人が、大きなくちばしにすくい取られるとともに悲鳴を上げて姿を消した。

 みな、無言で遠ざかる黒い影を見上げる。

 硬直した彼らの前に、ひらりと落ちてきたのはふわふわの羽だった。


「う、うっわあああっ」


 突然、誰かが言葉にならない声を上げる。それを合図に時が動き出したかのように、皆はいっせいに逃げようとするが足は硬直して言うことを聞かず、半分羽を出して飛ぼうとしているものも気が動転してうまく開かないのか手で地面の同じところをひっかくばかり。


 ただミハは、地面に落ちた鳥の羽をじっと見ていた。

 彼女だって怖い。

 だが、彼女は逃げて行った仲間たちとは違う感情に支配されていた。


――うらやましい。


 何にも邪魔されず空を飛ぶ鳥を見ると、ミハの心は打ち震える。

 この青空の向こうに、どんな世界が広がっているのか。


 緑の身体に緑の羽、跳躍力の優れた後ろ足。ミハ達は大地に生える草を食み、汁を飲んで生きていく一族だ。

 ただ彼らの中では時たま土色の身体に変わるものが生まれてきた。たくさんの子が生まれた時に土色に変わるものが出るようだが、緑色の茂みの中では土色の身体のものは目立つため、天敵の鳥に襲われることが多かった。多くの土色の仲間はそれで命を落とした。

 緑の身体を持っていても、土色のもののそばにいるととばっちりを受けて一緒に餌食になることがあった。だから、彼ら土色の身体を持つ者は災いを呼ぶものとして嫌われている。


 当然のことだ。

 ミハがもし緑の身体を持っていれば、やはり土色の仲間といるのは避けるだろう。

 だけど。

 立ち止まってミハは考える。

 なぜ、それなら生まれてくるんだろう。

 亡くなった父親が言っていた。


『誰にでも生まれてきた意味があるんだよ』って。


 ミハはふと、そよぐ細長い葉の間から集落の外を見た。

 昔は集落も広くて、ここははずれではなかった。緑の葉がうっそうと重なる天敵から見えにくい安全な場所だった。

 でも、ここ何年かの日照りと少雨で茂みの面積はかなり狭まっている。

 枯れる草も多く、天敵から見つかることも多くなった。おまけに食べられる青々とした草の量が減って、皆腹を空かせて一日中いら立っている。

 昔、長いこと雨が降らずこの集落で草が無くなりかけた時、お互いを襲って食べたという言い伝えを思い出して、ミハは身震いした。


 あたしの身体の色に意味はないんだろうか。

 ふと、ミハはもう一度外を見た。

 見渡す限り何もない、植物の緑がない土色の世界。

 ミハの胸が痛いほど高鳴った。






「お母さん、私行くことにした」


 背中に食料と水を背負った娘の姿を見て、母は息をのむ。


「このままではみんな滅んでしまうよ。だから新しい緑の新天地を見つけてくる。みんなが夜陰に紛れて大移動できるように、できるだけ隠れることのできる茂みをつなぐルートを探しながら。あたしのこの体の色なら土に紛れて昼も移動できるから」


 目を怒らせて母は大きく顔を横に振った。


「何を言っているの、ミハ。なぜあなたなの? あなたが命を賭して行く必要はないわ」


 これだけいじめられているというのに、この娘はどれだけお人好しなのだろうか。

 第一、緑の土地なんて見つけたとしても、そこに彼女の安住の地はないのに。

 彼女が生きられるのは土色の土地、でしかないのに。


 母は娘のまっすぐな視線を受け止められずに目を伏せる。

 しばらくして、小さなため息が漏れる。

 それでも、この娘は行くだろう。


「あんたは昔からそういう娘だった、自分よりも人の幸せを喜ぶような……」

「違うの。私が行きたいの。だって私の心の中から何かが叫ぶの。行けって」


 母は、はっと顔を上げる。

 彼女なりに幾夜も考えたのだろう、真剣な娘の顔がそこにあった。

 母親のこわばった顔が急に緩んで、さみしそうな笑顔が浮かぶ。


「あなたの運命にはきっと未知しるべが立っているのね」

「未知……しるべ?」


 母は突っ立っているミハの手を取って、傍らに座らせた。


「お聞きなさい。私たちはね、みなそれぞれの運命のしるべを持っているの。小さなころから自分の標に従って生きるものもいれば、長じてからやっと自分の標に気が付くものもいる。でも、みな早かれ遅かれその標に従って社会を作っていくの。先生になったり、あるいは皆を守る戦士になったり、でも――」


 母親は言い淀んで少し視線を逸らす。


「でも――、なに?」


 いぶかし気にのぞき込む娘の視線に気が付き、母は優しい目で微笑んだ。


「中には、その標がどこをも指さないものがいるの。彼らの標はいつも動いていて指すべき目標を持たない。だけど、ひとたび彼らの前に未知なる世界の扉が開いた時に、その標はそこを指して止まるの」


 母の言葉にミハはぶるりと体を震わせた。

 それは今まで自分がどうしたらよいか持て余してきた、狂おしい衝動にやっと説明がついた安堵と不安。

 いまや、せき止められていた何かが、言葉にされたことで急に形になって心をぱんぱんに膨らませていた


「私は未知しるべを持っていたのね」


 ミハは頬を紅潮させながら何べんも何べんも言葉を咀嚼するように繰り返した。

 ずっと、ずっと感じてきた。この閉塞された世界から飛び立ちたい、と。

 見たこともないものを目の当たりにしたい。聞いたことのない音を耳にしたい。  

 知らない香りを鼻いっぱいに吸い込みたい。

 知らない誰かと心を通わせてみたい。


「いってらっしゃい、ミハ。あなたの心が叫ぶんでしょう?」


 ミハは母の目をまっすぐに見て大きくうなずく。


「必ず私たちの暮らせる大きな茂みを探して帰ってくる」

「無理をして帰らなくてもいいのよ、ミハ。あなたは土色の土地で仲間を見つけたらそこで家族を作って、子孫をつくりなさい。あなたの未知しるべが導くままに」


 

 土色の体色を持つ子供は生命力にあふれている。この子なら生き延びることができるだろう。

 母はしっかりと娘を抱きしめた。

 またいつか、安全な場所で再会できるように願いながら。



 翌朝、まだ朝日の上がらぬ闇の中、一匹の土色のバッタが草むらを飛び出した。

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未知しるべ 不二原光菓 @HujiwaraMika

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