SF短編 『十二回』

夢夢夢

十二回

その薬を飲んだ瞬間、何も起こらなかった。

白い錠剤は喉を通り、胃に落ちただけだ。熱も痛みもなく、身体の内側で何かが動いた感触もない。


翌朝、鏡を見た。

昨日と同じ顔が、そこにあった。


一年後も、十年後も、百年後も同じだった。

皮膚は弛まず、髪は色を失わない。骨は脆くならず、内臓は衰えない。深く裂けた傷は数日で塞がり、折れた骨は眠っている間に元に戻った。疲労は溜まらず、眠れば完全に回復する。


歳を取らない。

壊れない。

死なない。


不老不死とは、万能になることではなかった。

ただ、終わらなくなることだった。


不老不死になった後も俺は世界の中にいた。

畑を耕し、獣を追い、火を囲んだ。都市が生まれ、道が敷かれ、国と呼ばれるものが形を持つようになった。兵士として戦い、学者として記録し、商人として海を渡ったこともある。


身分も立場も変えられた。

だが、俺だけが変わらなかった。


文明は膨らみ、複雑になり、必ずどこかで歪む。自分たちが永遠だと信じた文明ほど、崩れるときは静かだった。理由を探した時期もあったが、やがてやめた。答えは、時間の中にはなかった。


違和感は積み重なった。

隣にいた者が老い、動きが鈍り、やがて死ぬ。次の世代、その次の世代が、同じ顔の俺を見る。噂が生まれ、恐れが生まれ、距離が生まれた。


俺は名前を捨て、土地を捨て、血縁を捨てた。


自然と選ぶ職業は変わっていった。記録する者、測る者、残す者。観測に回ることが多くなった。


理由は単純だ。

観測は、時間に最も近い位置にいられる。


当事者でいる限り、時間は刃になる。愛せば失い、築けば崩れる。一歩引けば、時間はただ流れる。


観測者とは、冷たい存在ではない。

他人でいられるための距離だ。


そうでなければ、何度も文明を見送ることはできなかった。


動物たちは、いつの時代もそこにいた。

森で鹿と目が合う。逃げもせず、威嚇もせず、ただこちらを見る。海で巨大な影が横切る。空を覆う羽音が、大地を揺らす。


彼らは未来を考えない。

今だけを生きている。


その在り方が、完全に見えた。


俺が老いないことも、死なないことも知らない。

ただ、そこにいる。

それで十分だった。


やがて、太陽が変わり始めた。

最初は、わずかな違和感だった。


光が強くなり、影が薄くなる。太陽は膨張し、表面は赤く、重くなっていった。核融合は制御を失い、恒星は自らの質量を支えきれなくなる。


昼は白く焼け、夜は暗さを失う。

海はゆっくりと蒸発し、大地は乾き、ひび割れた。生き物は減り、文明は必死に空を見上げていた。


それでも、時間は止まらない。


終わりは、突然だった。


太陽の重力に引き裂かれ、地球は自分の形を保てなくなった。大陸は砕け、海は霧になり、空は意味を失った。


俺は死なない。

熱にも、圧力にも、放射にも耐える。


意識を失い、眠った。


目を覚ますと、宇宙だった。

上下も前後もない暗闇に、かつて地球だったものが、無数の破片として漂っている。街だったもの、森だったもの、生き物だったもの。


俺は漂い、眠り、起きる。

眠りは逃げではない。待機だ。


時間は測れなくなる。

年も、世紀も、意味を失う。


それでも、重力だけは働き続ける。

破片は、ゆっくりと集まり始める。


長い眠りの後、熱が生まれた。

さらに長い眠りの後、小さな球体がそこにあった。


歪で、不安定で、まだ星とは呼べない。


俺は、その前に留まった。

考えるという行為が、ひどく久しぶりだった。


名前が必要だと思った。

名前は記憶だ。時間がすべてを削っても、最後まで残る印だ。


声を出す。

宇宙に音は届かない。


それでも、言った。


地球。


それが、一回目だった。


水が溜まり、空気が生まれ、生命が芽吹くまで、俺は何千回も眠り、起きた。文明が生まれ、老い、砕ける。それを、何度も見送った。


老い、砕け、消えていった星の数は、十二。

終わり方に、大きな違いはない。


太陽が膨張し、核融合が狂い、星は自らの重さに耐えきれなくなる。そのすべてを、俺は同じ距離から見送った。近づきすぎず、離れすぎず、観測者として。


そして今、目の前にあるのが、十二回目の星だ。


雲は厚く、海は深く、夜は長い。

かつて何度も見たはずの光景なのに、同じものは一つもない。


それでも、俺はこの星をそう呼ぶ。


地球。


習慣ではない。

惰性でもない。


終わる側ではなく、終わりを見届ける側として、ここにいる。


俺は老いない。

壊れない。

終わらない。


だから、次も起きる。

また文明を見送り、

また星に名前を与えるために。


――それでいい。

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