第7話 偶然ではない

「おはようございます」

「……おはよう」

 高校三年生の夏が始まろうとする頃には、とりあえず礼儀として目が合えば挨拶をする、くらいの関係に発展していた。今までは周囲を見ることなく読書に集中していたから気付かなかったが、晴輝とは朝の電車に乗る時間が同じだったらしい。レベッカの記憶を思い出して以降、外では周りの景色を見ていたかったから気付いたのだが。


 学校近くの駅までは各駅停車で五駅ほど。二駅で乗換の駅になるのでそれまでは満員電車を余儀なくされた。

 ドア付近で乗り込むと晴輝も続いて乗ってくる。そして流されるまま反対側の扉付近で立ち止まった凛香を背で護るようにして立つのだ。徐々に乗客が増えてきても、凛香の前は晴輝のおかげで少しだけゆとりができる。目線の先の、晴輝の背中を見つめた。いつから晴輝にそうやって盾になってもらってきたのだろうか? お陰で記憶にある中でも、朝の満員電車で不快な思いをしたことがなかった。

 毎朝庇ってもらっていると気付いてから、少しだけ晴輝に対する認識を改めた。あとはいつの間にか付き合っているという噂が聞こえなくなっていたのが大きい。朝の挨拶はするが、学校の最寄り駅に降りてから晴輝は友人と合流しているので一緒に歩くことはない。噂をされているときは彼らの視線が気になったりもしたけれど、特に話しかけられたり揶揄ってきたりはしなかった。そこからはクラスが違うために、あまり関わり合いがなくなる。ただ相変わらず移動教室や合同授業では目が合うし、昼休みだってベンチは別々だが、ピロティスペースで一緒になったりもした。

 ストーカーの言葉が頭を過ったりもしたが、それよりも見守られているような感覚が近い気がした。なんのために? 本人に聞けば解決するかもしれないが、流石に憚られる。周囲から無駄に囃し立てられず、晴輝が何も言ってこない以上、自ら墓穴を掘りにいかなくてもいいだろう。告げるほどでもない程度の好意を抱いてくれているのかな? という考えが一番しっくりきたまま凛香たちは高校生最後の夏休みへと突入した。

 

 その頃になるとレベッカの考え方や行動が、元々持っていた凛香のものと上手く混じり合えたように感じた。記憶を頼りにレベッカと彼女の生まれた国について調べてみたけれど、分かったのは数百年前に隣国へ吸収合併されたということだけで、その国も既になく、個人で調べるのには限界があった。故郷の名を見ただけでトラウマが引き起こされたのか頭が鈍く痛み、胸も苦しくなって熱を出したため、覚えのない記憶が拒絶しているのだろうと凛香はそれ以上知ろうとするのを止めた。実をいうと、レベッカの死後に公爵家とクライヴがどうなったのかを調べたかっただけなのだが。

 どうかレベッカから解放されて、自由で幸福な人生を全うできたことを願うばかりだ。未だにクライヴのことを想うと胸が苦しくなる。顔は朧気にしか分からず、シルエットと雰囲気しか分からないというのに、レベッカは随分と執着心の強い女性だったようだ。騒動後のレベッカは自身の心が不安定だと自覚していたので、これ以上感情に振り回されたくなくて考えないようにしていたが彼のことが好きだった。幼い頃から傍にいて人として好いていたけれど、二人きりで暮らすようになり彼の献身と人柄に触れて自覚した。それまでも王太子妃になる以上、恋に落ちないよう、すんでのところでしがみ付いて踏ん張り続けたのだと今なら素直に認められる。

 思うように身動きの取れなかったレベッカは可哀想だけれど、当時では当たり前のことだった。けれど凛香は違う。これからは心置きなく誰かを好きになっていい。人の目を気にしすぎていた日々は少し勿体ない気もするが、まだまだ人生はこれから。おかげで恋に対して前向きになれたものの、如何せん高校生活では晴輝との仲が噂されているせいで、ちっともままならない。いっそ高校を卒業するまでは勉強に打ち込もう。大学生になったら、素敵な人に出会えますように。


 ――なんて思っていたのに。


 偶然と思いたいが、違うかもしれない。そう考えるのは何回目になるかは分からないが、自意識過剰とも取れる。それは高校時代、晴輝とやたら遭遇するようになった時も感じたこと。

 周囲には散々噂されたけれど、卒業まで結局彼から告白されたりなどしなかったから真相は闇の中だ。卒業式にちょっぴり身構えていたものの、何事もなくて拍子抜けしたのが懐かしい。その頃にはまずは友達から、という台詞を用意していたので、晴輝のことを意識するようになっていたのかもしれない。

 

「おはよう」

「おはよう。……もしかして寝不足か?」

「あ、分かる? レポートが上手くまとまらなくて、やり直してたら逆に盛り上がっちゃって」

「寝ちまったらノート見せてやるよ。この間のお礼に」

「寝ないよ! 多分……」

「見られてもいいようにちゃんと書いておくか」

「大丈夫だってば!」

 

 それでも電車の中での朝の挨拶は、今も続いている。しかも会話まで気安くするようになっていた。これはもう既に友達である。伝える機会のなかった『まずは友達から』という台詞は必要がなかったらしい。何故か? それは同じ大学に進学したからである。自宅から通える場所にあるその大学は色んな学部があり、入った学部はそれぞれ違うが中学や高校の同級生たちも何人か入学するほど地元ではメジャーゆえ、凛香としても偶然の可能性を捨てきれないのだが。

 しかし進路を決定する辺りで、突然クラスメイトから志望校を聞かれたことがある。他にもあまり顔を知らない生徒からも聞かれたりして、レベッカの思考が働いてしまい、ライバル視されているのかと勝手に思っていた。あの時に、もしかして探りを入れられていた気がしなくもない。だからといって晴輝に直接、私と同じ大学を選んだの? なんて聞けるわけがないけれど。「なんのために?」と言われたら羞恥で消えたくなるだろう。

 そんなわけで高校を卒業しても尚、地元の駅で朝の挨拶を交わす日々が続いているのである。因みに晴輝とは科は違うが学部が同じなので必然的に取る授業も被っていた。偶然だと思いたいけれど、流石にそれはないだろうとも分かっていた。

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