虚ろな蘭
道端のブルーアイリス
虚ろな蘭
美術の授業中、作品を先生に提出すると、昔から聞きなれた響きが耳の中に残る。
「蘭さんは優等生ね〜!素晴らしい出来じゃない!」
見たことのないような満面の笑みで、地獄の岡田と言われた美術の先生が中学生に笑いかける姿は、誰がどう見ても異常だ。みんな一斉にこちらを向いた。少し気恥ずかしい思いを抱えながら私は泥棒のように自席へ戻る。
誰も彼も、私のことをそんなふうに言う。でも、自分では分かっている。私はできるだけだけで、なにか好きなことや特別得意な分野があるわけではないってことを。
先生の机に置いてあるルービックキューブを見る。緊急の必要性がなく、無駄に綺麗なものという点では私に酷似している。
だけど、この言葉を言われると少し安心する。挑戦して失敗するのを怖がっている私なんかにもいいところがあるのだと。安心するし、同時に自分には何もないと言う喪失感に襲われる、不思議で可笑しい魔法のことば。そう呼んでいる。
言葉は受け取った人によって受け取り方が違うが、私の場合はこの言葉を皮肉に感じる。魔法のことば、と言ったのはそっちの方がなんだかとても素敵な言葉を言われているみたいで自分に酔えたから。そんな素敵なもんじゃない。
今日は何があったかな。部活はあるけど休んでいいや。どうせみんな本気で来てないし、たかが家庭科部だし。
私は好きなものがなかった。とりあえず、縫い物は5歳から少しだけど興味を持っていたからここにした。なにかやっていればきっとそれが好きなこと探しに繋がると思ったし、帰宅部というのはなんだか面白みがないと思う。馬鹿にしているわけじゃないけど。
チャイムが鳴って、美術の授業が終わる…と思われたその前に、先生が私の作品を出して、この作品をコンクールに出すと宣言した。あちこちから歓声が上がり、私を褒め称える言葉も少し聞こえる。こんなふうに目立ってしまうのは本望ではないのだが…。先生はまるで自己顕示欲の鬼みたいだ。
何故そんなに大袈裟に言うのだろう?ここの学校の欠点であり、良いところはこう言うところだと呆れる。こう言うことがある度につくづく思うが、ここの先生はちょっとおかしいと思う。
簡単に言えば、自分たちにはないものを持っている生徒が大好きなのだと思う。
まだ新品の輝いている真っ白な上履きを上級生に見せつけながら1番上のフロアに上がってゆく。制服も同様、新品なのでまだブレザーの肩のところが四角四面を体現したような感じだ。まだ夏休みに入っていないから、クリーニングに出したことはない。まだ色が濃くて本当に初々しいと思う。私もそのうちの1人だけれど。鮮やかな新緑に制服がよく映える。
だがその割に反して皮肉なくらい学校はとても古い。床は割れて埃まみれ。廊下は休み時間になると人が密集していて、まるで新宿に来た気分になる。廊下に出ると他クラスの人たちと話したり、追いかけっこをしている。発狂する人もいて、少し困惑する。まあこんなオンボロ校舎で流行の最先端なんて見つかりそうもないけれど…。思えば入学式当日、教室に入った途端にとんでもない匂いがした。きっと青春特有の香りだったのだ。部活に必死になって勉強そっちのけ。心から夢中になれることがある人は美しいと心から思う。汗を滝の様に流して仲間と励まし合う。なんて素敵な話なんだろう…思わず感傷的になると同時に、また自分の中身の状態を再認識してしまう。とにもかくにも、嫌な匂いだ。鼻腔を貫く、クセのある匂い。
教室に戻って帰りの支度をしたらホームルームをやって、いつも通りの『さようなら』を言う。毎日大して面白みのない日常を繰り返しているのだから、まるで私はプログラムされた人間かのように感じる。いや、そう言うのはロボットだとか、アンドロイドだとか言うのか。昨日もこんなことを考えた気がする。もはや私は一体何のために学校に通っているのだろう。ただ勉強をするだけなら家でだってできる。
「ねえちょっと!!」
大きく響く、だけどとても綺麗で清々しい声がした。声のする方を振り向くと、どうやら廊下にいた他の人にも聞こえたらしい、一斉にその子の方を向いた。ミーアキャットみたい。でも、ここにいる全員と目が合った気がして、なんだか恥ずかしい、怖い気持ちになってしまった。
多分、呼んでくれた子は私のことを呼び止めたのだろうけど、恥ずかしくて要件が聞けない。そう思っていたらその子の口が開いた。助かった、と思った。
「あなた蘭梨花さん?だっけ??そうだよね!?私家庭科部の新庄華野!あなた最近来てないよね?家庭科部!!今日一緒に行かない!?あ、そうだ私の友達もいてね、あなたに…」
そこまで聞いて、もういい、とやさぐれた様な、嫌な気持ちになった。この気持ちを言葉にする方法を私は知らないが、とにかくここから逃げなくてはいけない。そんな気持ちに体が突き動かされ、その子から一歩一歩離れていく。第一、オーディエンスの前で私の部活の出欠情報を漏らすとは何事だ。しかもあまり部活に行っていないことを大声で話されたのだ。いい気分はしない。これこそ俗に言うプライバシーの侵害じゃないの??と言うかこの人誰?胸元のクラス章から私のクラスではないことはわかったけれど、最初見た時名前まではわからなかった。なんで私が知らないのにあなたは私の名前知ってるの?
「ねえ!とりあえず行こうよ!?顧問の理香子先生も待ってるって!」
何なんだ、この人。人の気も知らないで。本当にイライラする。空気読めない不器用な人と一緒にいると癪にさわる。
その子が私の肩を掴もうとしたその瞬間、自分の鼓動が早くなるのを合図に一気に走った。これまで走ったことないくらいのスピードで。
後ろから大きな声が聞こえる。でももうそんなのどうでもいい。早く家に帰りたい。
早く。早く下駄箱に行って、速攻で靴を履き替えて、早く家に帰らなくちゃ。勝手に自分の体に触ってくる人なんて逃げて当然だよね?怖い。
家からは幸い徒歩5分。走ればもう目の前。こう言う時家が近いと便利だ。こんなこと、人生で初めてだけど。
すぐに自分の部屋のベッドに制服のまま引きこもって、声を上げる。出したこともない情けない声。泣くことはないけど、鬱憤が治らない。叫ばなきゃ物に当たってしまいそう。
今日は人生で1番最悪な日だ。
虚ろな蘭 道端のブルーアイリス @ring-1227
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