【短編】愚か者の贖罪

春生直

第1話

 皆本圭介。

 俺は、いけてる男だ。


 大手の商社に勤め、顔も悪くなく、女に不自由したこともない。

 人生を二つに分類するなら、勝ち組の方だ。


 今年で三十歳になる。

 そろそろ年貢の納めどきで、まともに見られるためにも、結婚はしておくべきだろう。

 彼女の里美は、たいした美人ではないが、他の女と違って、俺を立てることを知っている。


 だから、青天の霹靂へきれきだったのだ。


「圭介、私たち、別れよっか」


 里美の口から、そのような言葉が飛び出すだなんて。

 なんで。どうして。俺たちは、順調だったじゃないか。


 まず驚いて、その次に来たのは、悲しみではなく、強烈な怒りだった。

 理由を聞く気にもなれず、俺は呼び出されたカフェの机に、会計のお札を叩きつけて叫んだ。


「ああそうかよ、勝手にしろ!」


 お前程度に、俺の価値は分からない。

 否定されたという事実で、目の前が真っ赤になる感覚がする。


 そのまま荷物を乱暴に掴んで店を出ると、背中越しに、


「そういうとこだよ」


 という里美の声がした。

 馬鹿にしやがって。

 お前なんかが、俺以上の男と付き合える訳がないのに。

 馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって。



 悪いことというのは、続くものだ。


「皆本くん、最近たるんでないか?」


 里美のこともあって、月末の売り上げの成績が落ち、上司に呼び出された。


 すみません、と頭を下げるも、


「本当に、反省してる? 君は、口だけのところがあるからね」


 と、更にねちねちと言われる。

 くそっ、これも全部里美のせいだ。

 みんなで俺のことを、馬鹿にしやがって。



 家に帰ると、やけになってビールの缶をいくつも空けた。

 誰も、俺のことを分かってくれない。

 俺はもっと、価値のある人間なのに。


 テーブルに置いたスマホが震える。

 なんだよ、こんな時に。

 小さく舌打ちして表示された名前を見ると、兄貴だった。


 今、一番会いたくない人間だ。

 兄貴は昔から、俺よりもずっと出来が良かった。

 俺よりも良い大学に行き、研究者になって、両親は兄貴のことばかり大事にしていた。


 スマホは鳴り止まない。

 もう一度舌打ちをして、俺は電話に出た。


「……はい」

「おい圭介! お前、母さんからの電話、出てないだろ。大事な要件なんだから、ちゃんと出ろよ!」


 開口一番に怒鳴られて、閉口する。

 確かに最近、何度か母親からの電話があったが、面倒くさくて出ていなかった。


「……悪かったよ。大事な要件って、何だよ」


 早く、この電話を切りたい。

 兄貴と話すと、いつも自分が惨めになる。

 しかし、そんな思いを吹き飛ばすような、驚くべき話が聞こえる。


「父さんが死んだ」


「……えっ?」


「父さんが、死んだ。心筋梗塞だったらしい」


 そんな。どうして。

 前会った時は、元気だったのに。

 どうして、もっと早く教えてくれなかったんだ。


「3日後にお通夜だから、ちゃんと来いよな」


 そう言って、兄貴は電話を切った。


 俺は、手からスマホを取り落とした。

 みんな、俺から離れていってしまう。

 そのまま、ずいぶん長い間、呆けていた。



 通夜と葬式は、家族だけでしめやかに行った。

 母さんも急なことで涙も出ないようで、ただ肩を落としていた。

 兄貴は母さんの背を撫でて、俺に言う。


「俺たちで、母さんを支えていこうな」

「……ああ……」


 人は、急にいなくなる。

 ろくに別れの挨拶もできないまま。


 父さん、俺は自慢の息子になれなかったけれど。

 もっと父さんのことも、母さんのことも大事にしたら良かった。


「……なあ、兄貴」

「何だ?」

「俺は、出来損ないだ。兄貴みたいに、立派な人間にはなれない」


 ひょっとして、全部そういうことなのかもしれない。

 俺はずっと愚かで、大切にすべきものを雑に扱って、ただ手から取りこぼした。


 兄貴は、俺の頭をぐしゃぐしゃにした。


「何言ってんだ」


 呆れたような顔で、兄貴は言う。


「お前は俺の、自慢の弟だろうが」


 ああ、愚かでも生きていても、良いんでしょうか。

 俺は黙って、父さんの遺影に手を合わせた。


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【短編】愚か者の贖罪 春生直 @ikinaosu

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