レもmん
夏空蝉丸
第1話
父のことが嫌いだった。
いつも変な臭いがした。酒やタバコは一切嗜まない人間だったから、加齢臭かなにかだと思う。面白みも何もない。だからと言って、仕事中毒のワーカホリックってわけでもなかった。何が楽しくて人生しているの? って訊きたくなるようなタイプだった。
その癖に、人の人生にやたらと首を突っ込んできた。親だからという理由で学校の成績や生活態度とかに口を出してきた。
本当に鬱陶しかった。私の人生に、勉強しろだの、どこどこの学校に行けだの命令してくるのは余計なお世話だった。
作家になりたい。という私の夢も簡単に否定された。真っ当に小説を書いたことすらない人間がどうして小説家になれるのか? そもそも、小説家になれたとしても、ヒット作を生み出せるかどうかすらわからないのではないか。今と同じような生活が出来るとでも思っているのか? などと偉そうに説教してきた。
やってみなければわからないじゃない。勿論、反駁した。単なるサラリーマンの分際で小説家の何を知っているっていうのか。言い返したら、鋭い眼光が返ってきた。真の実力がある人間ならば、同じ年齢でも実力の片鱗を見せているはずだ。高校生でも公募で入選してプロになった人間もいる。そこまでとは言わない。投稿サイトでそこそこのポイントを取れるのか。
そんな言葉にむかついた。もし、包丁があったら投げつけていたはずだ。男だったら殴りかかっていたに違いない。でも、できなかった。力では勝てない。痛い目を見るだけ馬鹿馬鹿しい。相手にするだけ無駄なことだ。
その時から口を利かなくなった。毎日、駅までの送り迎えをしてもらう時もお互いの会話は無かった。別に感謝するほどのことでもない。会社への往復にちょこっと立ち寄るだけだ。学校まで送迎してもらう訳じゃないのだ。
それに、暇人だった。ゲームをするくらいしか趣味が無い。何が楽しいのか理解できない。キャラクターをゲットするために夜中に家から出て行ったり、ゲーム内通貨を手に入れるために車を止めてスマホをいじり始めたり、子供みたいな行動だ。五十円分のゲーム通貨を手に入れるためにどれほど無駄な時間を使うのか。見ている方が呆れてしまう。
母には父の文句を良く言っていた。父の呼吸音を聞くだけで苛立ちが貯まる。だから、悪口はとめどなく湧き出してくる。けれども、私のターンはすぐに終了する。母は私が一つ文句を言う度に三つ文句を言ったからだ。
母曰く、『家の中に居るだけで臭いから会社に行っている間が一番落ち着ける』『顔を見るだけでストレスになる』『詰まらない男を選んだのが私の人生の最大の誤り』と、口を開く度に何処にその語彙を溜め込んでたのかと訊きたくなるほどの罵詈雑言が溢れ出した。
その気持は理解出来もない。母は今でも美人だが、若い頃はもっと綺麗でモテたそうだ。誠実な人間が良いと思って父を選んだが、それが全ての誤りだったと後悔していた。父は上場企業に勤務していて年収は同年代の男性にしては良かったほうだったらしいけれど、母の美貌があればもっと高望みができたのかもしれない。
もしかしたら、もっとワイルドな男性を求めていたのかもしれない。父は草食すぎる。感情が抑制されていて理知的でどんな意地悪な質問に対しても誠実に簡単に答えるだけのロボットだった。AIの方がまだ感情的になれるんじゃないかと思うこともしばしばだった。
妹がいじめられた時、距離を置けとか、仲間を作れとか、カウンセラーが言いそうなテンプレアドバイスなんか家族の中では求められていなかった。金属バットを持ち上げて、相手の家に殴り込みに行くようなワイルドさが欲しかった。自分の望み通りにならない時、腕を組んで黙り込むのではなく感情を抑制することも出来ず灰皿を掴んで投げつけた後に、俺は家族のことを考えて行動しているんだ。と無茶苦茶で偽善的な言い訳を振り回して家長らしく振る舞って欲しかった。
お出かけや旅行に行くときの車の中では、いつもワンパターンの洋楽バラードがかけられていた。母の好きな曲だ。名曲の数々だったが、吐き気がするほど聞き飽きていた。他の選曲をする権利は運転している父には与えられていなかった。音楽に興味がなかったわけではないはずだ。捨てるのが面倒だったかのように書斎の片隅の残骸が今でも捨てられないまま。ただ、私が知っている限り一度も車の中で使用されたことはない。
テレビもそうだ。父にチャンネルの選択権は与えられていなかった。別に見ないわけでもない。夜に家族が寝静まった後に見ているようだった。ある夏の土曜日の深夜にあまりの暑さに起き出してトイレに行った時、テレビをつけたままソファーの上で死んだかのように眠っていたこともあった。母が嫌悪していた小うるさいいびきを掻いていなければ、大騒ぎをしたかもしれないような苦悶の表情を浮かべていた。
時々、お風呂の中でも寝ていることがあった。今になって考えてみれば、危険だったかもしれない。寝静まった中でお風呂に入り、自分も眠っているのでは、何らかの事故があった場合、命にかかわる。朝になって水死体が家の中で発見されるのではシャレにならない。もし、今でも同じようなことをしているならば、絶対に説教するところだ。でも、中学生の私には出来なかった。別に、そのまま死んでしまっても何も困らない。本気でそう信じているほど世間知らずだったのだ。
でも、仕方がない。思春期の女子は単純じゃない。自分の言葉すら信じられないほど思考が複雑になっているのだから。言葉を紡ぎながら本当のアイデンティティを探していく過程を乗り越えなければ大人になれないのだから。
エレクトラコンプレックスのような父親に対して抱く愛情などではない。だからと言って単純な全否定でもない。私の夢を一つ一つ打ち砕いていったことに対する反発だ。
実は、父は小説を書いていたこと。ブログやツイッターもやっていた。リビングの片隅で家族に追い立てられてはノートパソコンを移動させながらリズム良くキーボードを叩く。音楽のようにテンポ良く流暢に打ち込まれる言葉に興味を抱いた。そこで、家族が留守中にノートパソコンを覗き込んだのだ。
パスワードは表面上は隠していたが、机の中のメモ帳に書かれていることは家族の中では周知の事実だった。難なくログインした私はブラウザを起動してブックマークを探す。全ての秘密を暴こうという意識はない。偉そうに小説家になる夢を否定する父が尊厳を保てる程度の表現が出来ているか気になっただけだった。
私は自分もアカウントを持っている投稿サイトを開いた。IDとパスワードは登録されていたのか、簡単にマイページを開くことが出来た。作品一覧から一番上に表示されている小説を開く。インパクトの無い題名だった。文章も読みづらい。リズム感の無い文体で読み進めるのが辛い。内容も酷い。全く、人間が描かれていない。ロボットが会話をしている。最近の人工知能に鼻で笑われるレベルだ。
こんな小説を書きながら、私のことを否定していたのかと思うと泣きたくなった。怒りを通り越して絶望が押し寄せてきて、心臓を構成している血管を握り潰されるような苦しさに動けなくなる。気がつけば涎を垂らしかけながら荒い呼吸をしていた。口元を拭いながら両手で自分の顔を叩く。気合を入れ直して深呼吸をする。私と父は他人だ。血縁関係があったとしても、能力とは全く関係が無いはず。父に文才が無かったとしても私に無いと決まったわけではない。
落ち着きを取り戻した私は、ブラウザを閉じようとして一つの小説のタイトルを見て固まった。『娘たちとの想い出』と書かれている未公開の小説だった。
直感的に理解した。これは小説ではない。日記とかエッセイの類に違いない。だから躊躇った。読むべきではないと解っていた。きっと文句が書いてあるに違いない。私達姉妹の悪口や母に対する不満、結婚したことへの否定。そんなことが書き連ねられているだろう。見るだけで吐き気に苛まれるのはゴメンだ。
若しくは、理想的な家族が描かれているのかもしれない。自分の願望を体現したような母や私、妹が父に対する愛と尊敬を溢れ出している可能性もある。もし、そうだったら、パソコンを破壊してしまうかもしれない。気持ちが悪くなって頭がおかしくなってしまう。
葛藤の末に誘惑に負けていた。父が何を考えているか単純に知りたかったのもある。けれども、それより他人の日記を覗き見るという悪事の魅力に自制心は失われていた。
クリックして溜息を吐く。読者に怒られそうなくらい何もない話だった。私は娘一号と呼ばれていた。ロボットじゃあるまいし。内心苦笑しながら読み進める。
──坂道で歩くのを止め、疲れたと言って必死に泣き叫ぶ。泣き叫ぶ体力があるのならば歩けば良いのに。よくわからない。
──坂道で転んで前歯を折る。乳歯とは言えショックを受ける。
──幼稚園の運動会の騎馬戦で三つハチマキを奪ったと言って大威張りをする。自分のハチマキも奪われていたことは気にならないのだろうか。
──運動会のダンスで踊る真似だけをしている。あれほど適当に踊るのならば、しっかりと踊った方が楽なのではないか?
──読書感想文で選ばれる。入選作品集として掲載されることになる。
はぁ。読み手のことを全く何も考えていない日記だ。こんなものを読んで誰が楽しめるというのだろうか。そもそも、読み手のことを考えて文章を書いたことがあるのだろうか? いっそのこと箇条書きで書いて報告書にでもした方が無駄が省かれて読みやすいのではないか。
ブラウザを閉じてパソコンをシャットダウンさせる。これ以上読み進めることに意味はない。無機質な人柄を確認しただけだった。中学生だった私ですら、父の単純な人間性を把握できていた。複雑でややこしく面倒な母としっくりこなかったのは大人になった今であればとても理解できる。
あの頃に戻って父に文句を言いたい。沢山沢山文句を言いたい。確かにあの頃想像していたように小説家になることは無理だった。これからも厳しいことは間違いない。けど、単純な否定だけはするべきではなかった。子供に自由を与えるべきだった。もう少し、他人に対して興味をもつべきだった。天邪鬼の母に対しても別の接しかたをするべきだった。
お酒でも飲みながら小一時間説教したい。多分、反論はしないだろう。黙って素直に受け入れることだろう。少なくとも私の記憶に残っている父であればそうするはずだ。
考えれば考えるだけ言葉が思い浮かんでくる気がする。思考の沼に沈みながら大きく深呼吸をする。出来ないことに悩むことは止めよう。大事なことは過去ではない。未来なんだ。
私はお腹を擦る。私は私が苦しんだ過去を繰り返さない。歯車が狂い始めた原因は解っている。この世界は一つ一つが歪んでいる。全ての人間は綺麗な形で出来ていない。感覚で製造している職人が生み出したように、宇宙に散らばるかの星みたいに無数の不揃いだ。
だからこそ、新しい命には否定的なことを伝えない。あなたのパパは完璧な人間ではないかもしれない。それでも、とても良い人なの。尊敬できる人なの。と教えてあげたい。子供は親の鏡だから。
時々、あの小説を読みたくなる。今でも忘れられない。そんな小説。きっと、誰にとっても価値がない小説。ただ、私と私の家族だけに意味がある。もう、二度と更新されないその小説に感想を書くことができれば良かった。あの時に戻って思いっきり罵倒してやりたい。ずっと心の中に積み重なっている感情をありのまま叩きつけてやりたいのだ。
了
レもmん 夏空蝉丸 @2525beam
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