ヤドリギの祝福あれ
松たけ子
ヤドリギの祝福あれ
クリスマスの時期は何かと忙しい。
家中の大掃除に〝お隣さん〟たちへのご挨拶、家に飾るのに必要な植物の採取、特別な料理の下準備エトセトラ……。十二月はどれだけ時間があっても足りない。
ついこないだハロウィンが終わったと思ったのに、もう
一年はあっという間ではあるけど、冬は特に時間の流れが早く感じられる。
〝妹たち〟と友人に送るクリスマスカードを書き終え、凝り固まった体を解しながら壁に掛けてある時計を見ると午後の三時になろうとしていた。
作業を始めたのが一時過ぎだから、そこから二時間近く経過している。どうやら集中し過ぎてしまったみたいだ。
そろそろティータイムにしようかと思っていると、不意に後ろから伸びてきた腕に抱き締められた。
「作業は終わったかい、マイ・ロード?」
女性にしては少し低めの声が耳元で囁く。
さらりと流れ落ちてきた黒髪から香るラベンダーの匂いに胸が甘い音を立てた。
「ええ、おかげさまで。ねえ、何か頑張ったご褒美をくれる? 私のキティ」
「ふふ、仰せのままに」
そう言って、彼女は私の唇に熱を灯す。
お互いのリップの色が混ざり合うぐらい重ね合うと、名残惜しそうに離れた。
彼女の額に自分のそれをくっつけながら、私は揶揄うような声で囁いた。
「寂しかった?」
「いいや?」
「嘘つき」
「バレたか」
まるで悪戯っ子のように笑うと彼女は腕を解いた。
彼女の姿を一言で表すなら「神秘的な東洋美人」だろう。
上質なオブシディアンを思わせる漆黒の瞳と髪。甘いミルクのような肌にピンクローズの唇。楚楚とした可憐な顔立ちは神話に出てくる春の女神の生き写しのよう。
華美な装飾を好まない性格だから着ている服はオフホワイトのトルソーブラウスにストレートグレイのシガレットパンツというシンプルなものだけど、それがむしろ彼女の美しさを際立たせている。
あれこれ飾り立てる必要がない美しさはまさに東洋の春を象徴する彼の花そのもので。
「
「そこも可愛いだろう?」
「自分で言っちゃう? 可愛いけれど」
「君も大概私に甘いな、
暫く見つめ合い、やがて二人とも堪えきれずに小さく笑い出した。
クスクス、と少女が内緒話をしながら笑い合うみたいに。
「私たち、お似合いね」
「半分のオレンジ?」
「そう。見つけるのに五百年も待たされたけど」
「それはすまないことをした。お詫びにデートのお誘いをしても?」
律儀に跪いて私の手を取る咲良の顔はとても楽しそうだ。
恋人からの心踊る誘いを断る理由などない。
「よくってよ。何処に行くの?」
「クリスマスマーケット。去年は北の方の街に行ったから、今年は南の方に行こうかと思ってね」
「いいわね! 行き方はいつも通り?」
「ああ、抜け道を使う」
「なら赤い紐が必要ね。まだあったかしら……」
「私が見てこよう。あるとしたら工房かな」
「ありがとう。じゃあ、その間に支度しておくわね」
お互いに出掛ける準備をすべく動き出す。
そうして二十分ほど経った頃に私たちは家を出た。
私たちがよく使う抜け道とは世界と異界との間に存在する道のこと。
基本的にはヒト以外のモノしか通りたがらないうえに、そもそも普通の人間は入り口を見つけることすらできないことから魔術師や魔女からは抜け道と呼ばれている。
通るためには色々と気を付けないといけない危険な道なので彼ら彼女らでも好んで使う人は少ない。
慣れれば長距離を移動するのに便利だから私は昔からよく使っているけれど。
抜け道の入り口は日によって様々だ。
共通することは人気がなく、影や闇の濃い場所にしかないということ。
今日の入り口は長閑な田舎道を少し歩いた先にある森の奥、ひっそりと自生する古木の
赤い紐を蝶結びにし、紐の先をお互いの手首に巻きつけてから抜け道に入る。
手首に巻きつけるのは道から逸れないようにするため。こうすることで蝶が目的の出口まで導いてくれる。
ふわふわと浮かぶ赤い蝶に従い、暗い道を無言で進んでいく。ここでは基本的に言葉を発さないほうがいい。
ナニが聞いているか分からないから。
人間の言葉を人間が思っている通りに解釈してくれるモノなど殆どいない。
下手なことを言って思いもよらぬ事態を引き起こしたくなければこういった場所では口を閉じておかなければ。
変わり映えのしない道を暫く歩いていると前方が薄らと明るくなってきた。
赤い蝶はそのまま光に飲まれるように進んでいき——気付けば私たちは人気のない薄暗い路地に立っていた。
手首に巻いていた赤い紐は消えている。どうやら今日の出口はここらしい。
「着いた、かな」
「ええ、そうみたい」
「今日は随分歩かされたな」
「道は気まぐれだから。そういう日もあるわ」
路地を抜け、通りに出ると歩いている人の姿がちらほら見られた。
これから家に帰るのか、それとも出掛けるのか。
出掛けるとしたらクリスマスマーケットに行く人が殆どかもしれない。
夜に向かう空を時折見上げながら、私たちも石畳の道を並んで歩き出した。
この先の広場でクリスマスマーケットが開かれているらしい。
咲良が文明の利器を使って調べてくれた。
そんな咲良はマフラーを口元が見えなくなるぐらいぐるぐるに巻いて、ロング丈のダウンコートのポケットに手を突っ込み、肩をすぼめながら歩いている。
「寒い……」
「中にセーターを着込んでカイロまで貼ってるのに?」
「自然の力を前に人間の悪あがきが通用するわけないだろ」
「その悪あがきに毎年縋り付いているのは貴女でしょうに……」
あまりにもな言い草に思わず呆れた声が出てしまった。
咲良は大の寒がりで、冬の外出はいつもこう。
裏起毛のレギンスをシガレットパンツの下に履き、厚手のセーターを着込んで背中と腰とお腹にカイロを貼り、コートの前をきっちりと上まで締めていてもまだ寒いとぼやくぐらいには寒がりだ。
とは言え、今住んでいる国は咲良の故郷と比べてかなり寒い地域だから仕方ないと言えば仕方ないけど。
「もう何度もここで冬を過ごしているのに、毎年同じこと言ってるわよね」
「いつまで経っても慣れる気がしないからな」
開き直って言ってはいるものの、寒さのせいか声が少し震えている。口には出さないけどちょっと情けなくて可愛い。
私はと言うとミディ丈のニットワンピースに厚手のタイツ、あとは咲良と色違いのダウンコートだけで、カイロも貼ってないしマフラーも巻いていない。
元々この国の生まれで、ここよりも寒い地域に何度も行ったりしているから寒さには強い自信がある。
咲良も冬はそれなりに寒い地域で生まれ育ったと言っていたけど、住み慣れていない国で経験する気候の変化はまた別物だ。
私は隣で小さく震えている体を抱き寄せて、励ますように言った。
「大丈夫、まだここに来て数年よ? 五十年ぐらい住めば慣れてくるわ」
「五十年も同じ場所に住めるのか? 私たち歳を取らないのに」
「住めなくなったら、その時はまた考えればいいわ」
「いいのか、そんな楽観的で」
「気が遠くなるほど生きなきゃいけないんだから、何事も楽しく考えないと」
「なるほど。先人の知恵という奴だな」
「あら、それは褒め言葉よね?」
「もちろん」
体を寄せ合いながら、クリスマスの装飾が施された街並みを歩いていく。
ふと空を見上げると灰色の重たい雲が目に見える範囲の半分以上を覆いかけていた。
「今夜も雪かしら……」
呟くと、咲良がげんなりした顔になった。
「予報では降るらしいぞ。明日も朝から重労働確定だ……」
「連日は堪えるわね……」
私たちが暮らす家は庭付きの戸建てなのだけど、家よりも庭の方が二倍以上広いから、雪が積もった日の雪掻きが本当に大変だ。
薬草や花などを育てるのに必要だろうと思って庭が広い家を買ったけれど、正直早まったかもしれないと思い始めている。
ただでさえクリスマスの準備もあるというのに、朝から雪掻きで時間と体力を奪われるのはなかなかに辛い。
「誰か運良く来てくれたりしないかしら……」
「本当に……と言いたいところだが、この時期に忙しいのは皆一緒なんだよな」
「それはそう」
「去年が奇跡だったんだ……。
「かなり助かったわよね。皆、たまたま時間ができたから挨拶に来てくれただけなのに……いい子たちに恵まれたわ」
去年は可愛い〝妹たち〟——弟子とまではいかないけれど度々世話をしている子たち——が偶然同じ日に集まってくれたおかげでいつもより余裕のある準備ができたけれど、今年もそうなるとは限らない。
「奇跡は二度も起きないから奇跡なのよねえ」
「これはお互いに日頃の行いが試されるな」
「あら、なら大丈夫ね。私たちの日々の善行を神々の王は必ずやお認めくださるわ」
「
「言霊」
「それは東洋魔術の概念だ。フラグだよ、フラグ」
「今は神秘だって国際交流する時代よ。あ、私知ってるわよ、それ! 立つと必ず死ぬ呪いのことよね?」
「おっと。微妙に指摘しにくいな、これ」
他愛ない話をしながら歩いていると、少し先の方から賑やかな人の声と音楽が聞こえてきた。
いつの間にか夜の闇に抱かれた街の中で一際眩しい空間がレンガ造りの建物の合間から覗き見えている。
「賑わっているな」
「この時間のマーケットが一番綺麗だもの」
チューブライトで「Weihnachtsmarkt!」と描かれた入り口のアーチをくぐると、大きなモミの木や立ち並ぶ屋台の看板を美しく飾るイルミネーションが真っ先に目に入った。
赤、緑、白、青、黄……色とりどりの光は夜空の星々かと思うほどに鮮やかに輝き、来る人たちを歓迎している。
広場には赤と白の縞模様の屋根の屋台が所狭しと並び、通路は人の波で溢れていた。
どこからか漂ってくるグリューワインとヴルストの香りが鼻を掠める。
私は咲良の手を取って、近くの一番大きな屋台に並んだ。
看板にはグリューワインの写真が大きく飾られている。
「まずはワインで乾杯しましょう!」
「だな。せっかくだしヴルストも買おう」
「いいわね。……あ、ねえ! あの屋台チーズを売ってるわ」
「食べたい?」
「もちろん」
「なら後で買いに行こうか」
などと話しているうちに私たちの番になった。
グリューワインとヴルストを買い、そのまま近くにあったチーズの屋台で盛り合わせを買って移動する。
人の波に気を付けつつ飲食スペースまで進むと、たまたま空いていたテーブルを見つけたので並んで座った。
私は白の、咲良は赤のグリューワインが入ったマグカップを持ち、
「Prost!」
コンッと乾杯の音を鳴らす。
一口飲むと白ワインのスッキリした味わいと煮込まれた果汁の甘さが口の中に広がった。シナモンやナツメグなどのスパイスの香りが余韻として残り、冷えて固まった体を内側から解してくれる。
「美味しい……。やっぱりクリスマスにはこれがないと」
「このお店のは初めて飲むが美味しいな。スパイスと果物の配合が絶妙だ」
「うんうん。家で作るグリューワインもいいけど、やっぱり外でしか飲めない味が恋しくなるのよねえ」
「確かに。自分好みの味は家で作れるし作るけど、それはそれとして他の味が飲みたくなる」
「分かるわ……こう、誰かに作ってもらったものでしか癒せない疲れってあるのよね」
「急に切実だな……。気持ちは分かるが」
「幾つになっても人に作ってもらったご飯が一番ってことよ。長生きすると分かるわ……」
「よしよし」
ちょっとセンチメンタルな会話をしつつ、焼き立てのヴルストとチーズをおつまみに恋人とグリューワインを飲む。
特定の誰かとこうしてイベントを楽しむようになったのはいつぶりだろう。
魔女になってから五百年近く経つけど、独りで過ごす時間の方が多かった。
隣で美味しそうにグリューワインを飲む咲良を眺めていると、長生きも悪くなかったな、なんて思ってしまう。
——我ながら単純だわ。
心の中で苦笑したけれど、それも咲良の笑った顔を見れば幸せに変わるのだからやはり愛の力は偉大だ。
アプロディーテの微笑みに感謝しつつ、恋人とのデートを楽しんだ。
食事を終えた後は屋台を見て回った。
ツリーに飾るオーナメントやレープクーヘンでどれを買うか迷ったり、アンティークを売っている屋台で思わぬ掘り出し物があったり。
気付けば二人とも持参していた買い物袋がいっぱいになっていた。
「買っちゃったわね」
「買ってしまったな」
「まあ、あって困る物でもないし。クリスマスだし」
「買った物は多いが大半は消耗品だしな」
二人ではしゃぎすぎた言い訳を並べながら帰路につく。
帰りも来た時と同様に抜け道を使うのだけど、人が多い都市ほど入り口となる影が少ない。
出てきた路地の方はもう閉じていたので、今は散歩も兼ねて入り口を探しているところだ。
「夜になれば見つけやすいと思っていたが……」
咲良が怪しまれない程度に辺りをキョロキョロと見回す。
他に歩いている人は少なく、夜なので闇も濃いけれど……。
「抜け道は人の気配そのものを嫌うから。もう少し人気のない場所まで行ってみましょう」
中心部から離れ、なるべく暗い影が集まりそうな道を選んで歩いていく。
不意に、咲良が「あ」と声を上げて足を止めたから、私も止まってみると街路樹に寄生するヤドリギを見つけた。
白い街灯に照らし出されて浮かび上がる球体のような緑の塊が宿主である木の枝からぶら下がっている。
「こっちに来てからよく見るようになって思うが、本当に何処にでもいるんだな」
「そうね。特に西洋の文化には欠かせない神聖な植物だから」
「向こうじゃ珍しかったから、こうして身近になったのが少し不思議だ」
「なんだか嬉しそうね?」
咲良の顔を覗き込むと酷く穏やかな笑みを浮かべていた。
「うん。今ここにいられて幸せだなと思って」
噛み締めるように、自分に言い聞かせるように、咲良はそう言った。
きっと、他の人が聞けば大袈裟だと笑ったかもしれない。
でも私は笑えない。だって、私たちにとって「幸せ」という言葉はそんな安いものではないから。
「愛している」より重い言葉かもしれない。
誰かを愛するより、幸せになる方が難しい。そういう世界だから。
でも今、この瞬間だけだとしても咲良が幸せだと思えたのなら。
——それに勝る愛の言葉はないわ。
私と一緒に生きると決めて、ここにいることを選んだ貴女が「幸せ」だと言ってくれた。
これ以上望むことなんて何もない。
「ねえ、咲良」
「ん? ……!」
嬉しさと愛しさを込めて咲良にキスをする。
「私も、幸せよ」
聖なる神の木よ、私の最愛に祝福を。
驚きながらも、甘やかすように笑ってくれる我が愛にこれからも幸いあれ。
ヤドリギの祝福あれ 松たけ子 @ma_tsu_takeko
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