親愛なるパートナーへ
雰音憂李
さよなら世界
午前二時、暗闇の部屋。
少女の前にあるのは、垂れ下がった無機質な、首を通せるほどの縄。
「彼女」は死を望んでいた。この世から消え去ることを願っていた。
それでも、“自分”にはこのような形での自殺はできないと悟っていた。
それは“自分”が臆病者であり、意気地なしであったからだった。
机には既に、ルームシェアをしていた同級生の少女にむけて書いた、自身の謝罪代わりの遺書が残されている。
死ねば楽になれると信じて早十年弱。
全てに諦めのついた少女は、最期に隣の部屋で寝静まる彼女にむけて、独りごちる。
「……シズ、ごめんなさい。大好きだよ」
そして彼女は、麻縄に首をかけ、目を閉じた。
******
いないのだ。
瑠奈が――私の大好きな、小坂瑠奈が。
彼女と部屋の前で、夜、寝る前に挨拶を交わしたのが最後の会話だった。
「ねえ、どこなの。瑠奈!! ねえ!!」
私はどこに行くでもなくひたすら泣き叫んだ。近所迷惑など何も考えず。
泣き疲れ果て、正気に戻った私はふと、彼女の部屋を開ける。
すると、吊るされた麻縄の輪と、一通の置き手紙が残されているのを見つけた。
私はそれを見つけて、全く声が出なくなった。私の前で、そんな素振りは全く見せなかったから。
だが、疑問はそれでも尽きない。何故、彼女はいないのだろうか。
どうして、彼女の身体はこの部屋のどこにも残されていないのだろうか。
残されていた手紙に手を付け、それを開く。そして、再び絶句した。
******
ごめんなさい。
貴女を置いていくつもりはありませんでした。
できれば、一生、一緒にいたかった。
でも、もう、無理でした。私は、私には、耐えきれなかった。
このままでいることが。
今の感情を持ったまま、生きていくことは、私には無理だった。
私の身勝手で、一緒に居ることができなくなってしまって、ごめんなさい。
次の世があるならば、また、逢いたい、です。
身勝手に死ぬ私のことを、どうか許してください。
本当にごめんなさい。
小坂瑠奈
******
私はそれを読むなり、泣き崩れていた。
彼女は、多重人格であり、それが原因となって、いろいろな悩みを抱えていたことは知っていた。
だから、この手紙は、
最初に、これを読んだときは。
彼女が突然行方不明になったことは、今、私達の家にいないことから事実であるといえる。
だが、あの小坂瑠奈が、誰にも知らせずにどこかへ行くなんて、私には考えられなかった。
しかし、このことを簡単に周囲へ知らせるわけにもいかず、また私はあの時の奇行を取り繕うことに、必死になっていた。
入社予定だった会社を半ば無理矢理辞退し、彼女の過ごした家で、日々の生活を引きこもって生活していた。
彼女の残した資産は以前から共有していたから、暮らしに困ることはなかった。
彼女がいなくなって一ヵ月弱。ふと、あの時の手紙を読み返した。
一つだけ、重要なものを見落としていた。
彼女は手紙の最後に、“最愛たるパートナー”と私のことを記していた。
だが、彼女とは、瑠奈とは、かつてこのような話をしていたことを思いだした。
彼女は覚えているか定かではないが。
******
大学に入って私たちは出会い、下宿先にも困っていた私は瑠奈の家で暮らしていた。
あれは大学二年の春だっただろうか。私は瑠奈へ好意を伝えていた。
「私はあなたを好きだと思うことは、多分一生ない」
最初、私がそれを聞いたときは、彼女の言った言葉が理解できなかった。
「……? なんでよ」
「母さんが、それで死んじゃったから」
「……何を言ってるのか分かんないんだけど。どういうこと? ……何があったの?」
「私の母さんは、母さんが愛した人に殺された。目の前で……」
正直、瑠奈が私に話している内容は要領を得ない。だけど、それを話す彼女の顔はどんどんと青くなっていく。
「それが? 私との関係に、何が関わってくるの」
彼女は答えられなかった。泣き崩れて、そのまま意識を飛ばしてしまっていた。
「……で、俺が代わりに出たってことか」
「レイ……あの」
「ルナはあれが一つの分岐点になってるし、今、俺たちがいる原因にもなってる。
あいつには実質的に父親がいない……だから、だからあいつは、母親を奪った状況のようになることが、未だにできないでいる。
例え、ルナ自身が、どれだけ恋心があったとしても」
だとすれば、どうして、と感じてしまう。
「……そう。でも、じゃあ、なんで私と一緒に、住むことにしたの?」
「それはわからん。両親共々死んでて、寂しいと思ったんじゃない? ……俺たちがいるけど」
「レイたちはどうなの。私と一緒に過ごしてて、いいの?」
「それは主人格の、ルナが決めたこと。だから俺たちはどうあろうとも変わらない。
あいつが本当の意味で一人になれるまで、俺たちはその支えをし続ける。それだけさ」
「瑠奈がこの世に嫌気がさしたら?」
よく考えれば、この時には、もう、いつ起きてもおかしくないことと分かっていた。
「……それは、そのとき。それに、ルナ以上に、怪しいのもいるし」
「ヨミ、だっけ」
「ああ。普段はおとなしいけど、何をしでかすか分からんから……」
「そんなに危ないの?」
「ヨミは、死ぬとか、死にたいとかよく言うし。生活は多分、ルナ以上にできないから。
……刃物を持ってるときに、表に出られると、特に困る」
ルナ以上、と聞いて私は項垂れてしまう。彼女も大概できない方だが、その辺りは全部、今話しているレイがやっていたらしい。
尤も、今はレイも私に大体丸投げしているが。
「……これまでに何回か出たことはあるの?」
「一回くらい、か? あいつのノート見てみれば分かると思う」
レイは瑠奈の部屋に戻り、一冊のノートを持ってくる。ペラペラと少しずつめくっていくと、ヨミのことについて、ほんの少しだけ書いてあった。
『ヨミは多分昔の私。空っぽになっていた小学生頃の私に一番近い』
「この書き方……瑠奈のお父さんがまだいた頃の、ってことかな」
「だと思う。俺もあのときはまだ、意思疎通も無理だったし。あいつに、もう誰も出てこないで……って言われたくらいだし」
何故、今は瑠奈たちの中で会話が成立しているのか……きっと、どこかで涙ぐましい努力があったのだろう。
「そういえばさ、いつくらいなの? ちゃんと意思疎通ができるようになったのは」
「……俺にそれ聞く?」
「瑠奈が出てこれないなら、レイが喋るしかないでしょ」
「……待ってろ。ルナ呼んでくるから」
彼女が泣き止んだと信じて、彼女の身体を支えて待つ。
「瑠奈……ごめん、無神経なこと言って」
「……いいよ。どうせどこかで喋んないといけないことだし」
「で、私が聞きたかったこと。いつから意思疎通できるようになったの?」
「そうね。多分、中学生くらい……高校に上がる前、かな。担任だった先生には私の状態、全部伝えてた。本当に何もかも、ね。
……そうしたら、ちゃんと意思疎通くらい取れるようになりなさい、なんて怒られてさ。無茶苦茶だけどさ」
「ふーん……で、よ。あの発言は、何? 私が貴女の前からいなくなるなんて思ってるわけ?」
「……そうじゃない。ただ、私が、怖がってる、だけ」
瑠奈の言うことは、もう、仕方ないことなんだろう。一番自分に愛情を注いでくれる人が、目の前で殺されたのだから。
でも、私は、この時点で、彼女がいなければ、もう生きている意味もないと思っていた。
「……大丈夫。私が瑠奈を看取るから」
「え」
「だから、ずっと、一緒に居させて。瑠奈の幸も、不幸も一緒に背負わせて?」
瑠奈は何を言われているのか、分かっていなかったのだろう。ずっと、キョトンとしていた。
******
彼女が、どんどんおかしくなっていたことはよく分かっていた。
何かに対する焦燥感が、彼女をおかしくさせていた。
私は何も出来なかった。
手の差し伸べ方を知らなかったから。
“彼女”自身が、あの手紙を知っているとは思えない。
だって、彼女に扮した誰か――多分、レイかヨミ――が、最近……ここ二週間は出張っていたから。
とはいえ、あの手紙の書き方ばかりは、ヨミだろうか。
レイなら、どうにか抑えてくれるような気がしていた。
でも、瑠奈が、私に教えていないこともあった気がする。
隠し切れているとは思えなかったけど。
本当に、彼女の中の全員を教えてくれていたとは思えない。
もう一度会えるなら、問いただしてやりたい。
どうして消えたのか、どうして死のうとしたのか、そして、どうして教えてくれなかったのか。
最早、悲しみよりも、怒りがわいてくる。
……瑠奈にではない。察せなかった、自分にも。
でも、もうどうすることもできない。瑠奈には、会えない。
あの世なんてないと思っているけど、もしあるのなら、もう一度会わせて欲しい。
瑠奈がいなくなって一ヵ月。
あたしの目の前には、瑠奈の部屋にあったものと同じような、麻縄の首輪。
瑠奈は、何を思ってこの前に立ったのだろうか。
「瑠奈、これまでありがとう。大好きだよ」
またどこかで彼女に会えると信じて、私は麻縄に首をかけ、目を閉じた。
******
ごめんなさい。
私はどうやっても一緒に居ないと嫌だった。
叶うならば、貴女と一緒に死にたかった。
貴女のいない世界に生きる意味なんてないと思った。
私も、一生、一緒に居たかった。
貴女がわがままを通すのなら、私もわがままを言わせて下さい。
私も、貴女と一緒に居られないことは、耐えきれない。
この状態で、独り過ごすことは、耐えられない。
なら、私も同じようにさせて下さい。
親愛なるパートナー 小坂瑠奈へ
京坂静音
親愛なるパートナーへ 雰音憂李 @Itsukiyomi
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