短編集(※日韓両訳)
신서린(申書凛)
冷気が流れ込んできて
※後日、韓国語に翻訳したものも投稿いたします。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
室内の温かい空気を含んで漂うコーヒーの香りを感じながら、膝を抱えて微睡んでいると、掛けているソファの左隣がそっとひとり分沈んだのを感じた。
「……飲まない? あ、前に置くよ」
「うん……」
テーブルから鳴ったコトリという音を確かめるように聞いてから、ゆっくりと目を開く。カップから立ち昇る湯気が薄く空間に滲んで消えていくのを目に留めながら、口の先だけをおずおずと動かしてみた。
「ごめん、私がカップ洗わないでいたから、いつもの……」
「うん、もうなんでもいいかなって」
「え?」
ぼんやりと霞んでいた頭の中に、冷たい風が細く吹き抜けたような感覚を覚えた。特別でない会話のはずなのに、何をもって異変じみたものを感じたのかを疑問に思うまでもなく、次の台詞は突きつけられた。
「今日でここに来るのやめる」
……暖房の作動音がいつもよりも大きく感じる。それ以外の考えは頭の中に無くて、こんな時はきっと、何か言わなきゃ、それって、どうして急に、そんな言葉たちを思い浮かべなければならないのに。
「……聞こえた?」
自分がどのくらい沈黙していたのか分からなかった。10秒のような気もしたし、5分のような気もした。
「……今日何時に帰るの」
「これ飲んだらかな」
言葉として確かに耳に届いていることを伝えるために口を開いてはみたものの、どこか的外れなことしか言えていないことも分かっていた。けれどもそれ以上の言葉は出て来ないまま、惜しむべき時間は流れた。
「雪、降ってるのかなー。外……」
そう呟くと、ぐいっとカップを仰ぐように残りを全て飲み切り、勢いを感じさせる動きでもってキッチンへと足を運んだあと、シンクの中へカップを置いた。そのまま床に放り出された鞄を手に取ったので、流石の私もソファから降り立つようにした。
「忘れ物、ないかなー……」
「いや、あったら、連絡するよ」
「うん、……いっか。じゃ」
玄関の扉へと向かって行く背中を見送る時、コートの腕のあたりに白い糸くずが付いていることに気が付いたけれど、そこに触れようとした自分の指先をどこか烏滸がましく感じて、あと数歩で手が届いたはずの歩みまでも止めてしまった。
くたびれた冬靴を履き終わると、ふっと息を吐いて立ち上がったその右手には、近頃はめっきり出番の無くなってしまっていたコカ・コーラのロゴ入りサンダルがぶら下がっていた。
「じゃあね。風邪引かないように」
「うん、あ、……」
「……うん?」
「色々……ごめんね」
最後に何と言えばいいのか分からなかったし、分かるようになるまでの時間をくださいと言えるほど図々しくもなれなかった。けれどなにか期待していた返答があって発した言葉でもなかったのは確かだ。暫しの沈黙を携えた瞳の奥に映っている私の姿が、ひどく小さく見えた。
「何がごめんなの」
少し笑ってそう言った時の横顔は心底見慣れたものなのに、それからふっと笑顔が消えてしまうまでの余韻を感じなかったのも、今日が初めてだったかもしれない。
「最後までそうやって謝るんだね」
開いた扉の隙間から流れ込んできた冷気で前髪が乱れて、反射的に俯いた次の瞬間には、ガチャリと私たちを遮断する扉の音が重く響いた。
……指先と足先がすごく冷えている。何のことはない。そのことに急に気が付いて、ぱたぱたとリビングへ駆け戻る。ガラス窓の扉が開けっ放しになっていたせいで、暖かかったはずの室内の空気が冷気によって荒く切り裂かれているのを肌で感じるのが怖くて、動作で振り切るようにずかずか中へと進み、テーブルの上のカップを覗き込んだ。
全く手のつけられていないコーヒー。攫うようにカップを手に取ると、やけになって中身を全部一気に飲み干した。すでに冷め切っていたそれはざらつく苦みだけを残して、体の底のほうへと真っ直ぐに落ちて行った。
……一人。
ぶるりと身震いをひとつしてから徐ろにキッチンに向かう。シンクの中に溜めてしまって煩雑になった食器類に手を突っ込む。無心になってガチャガチャと音を立てて、それらを洗い始めた。そうしながらなぜか少し息が切れて、冷えきった指先に蛇口のお湯が当たるのだけが少し痛かった。
短編集(※日韓両訳) 신서린(申書凛) @_shinseorin_
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