願望のプロトコル

生贄コード

第1話:死の森の邂逅

1.神の子のお告げ

全ての発端は中央神殿から発せられたお告げにあった。


神の子現れる。

そなえよ


吉報と読む者と、凶報と読む者で神殿は二分された。第一王子の発令で、全国に神の子捜索隊の応募がなされた。


2.忌み地での目覚め

舞台は北の辺境から始まる。死の森。辺境にある有名な場所。入れば出られず、出るためには正気を捨てる必要があると言われる忌み地だ。

女は、深い霧の中で目覚めた。


目に入ったのは、鬱蒼とした森の中の光景だけ。自分が誰なのか、なぜここにいるのか、何も覚えていなかった。

女は喉の渇きに耐えられなかった。しばらく歩くと、小さな湖があった。手で水を汲み、口を潤した。


3.騎士ギルベルト

その瞬間、葉が擦れる音がした。見れば血まみれの鎧を着た男が立っていた。

男は、お告げで募集された捜索隊の一員だった。死の森から最も近い辺境騎士団所属。報酬の高さに目が眩んでのことだった。

多くの挑戦者がいたが、森の奥に入るまでにほとんどが脱落していた。進めば進むほど猛獣たちに遭遇する死の森だからだ。進めば進むほど霧は濃くなり、気づけば男は一人になっていたのだ。


ほぼ周りが見通せないほどの濃い霧だった。だんだんと周囲の音さえなくなり、自分の鼓動と耳鳴りが大きく聞こえていた。

男が女と遭遇したのは、まさにそんな深い森のなかでのことだった。

また獣が出たかと男は身構え、そこにいたのが、この女だった。薄着で、とてもこんな所にいるとは到底思えない軽装。

彼女と目があった瞬間、男、ギルベルトは瞬時に理解した。


こいつだ、と。


4.力の奔流

腕を掴むだけで力が湧いてきた。

これはただの女ではない。

強く抱きしめ、肌の匂いを嗅ぐ。


全身を襲っていたはずの疲労感が消えた。猛獣から受けた激しい痛みも消えた。手足にあった切り傷も、古傷さえも綺麗に無くなっている。肌は触れるだけで火傷を負わせられそうなほどの熱を帯び、手足の筋肉は鋼のように隆起し、引き締まった。


ギルベルトは自分の手が、まるで古代の戦士のように分厚く、骨ばった形に変わっていることに気づいた。そして、何よりも内側から湧き上がるのは、絶対的な生命力だった。数日間の森での死闘で消耗し、正気すら失いかけていたはずの体が、今や活力に満ち溢れ、全てを支配できるような錯覚を覚えている。


ギルベルト:

(力が全身に漲っている。湧き上がるような生命力に満ちている。ハハッ……! 神の子とは、力の増幅装置か! この力があれば、俺は功績をあげて、最高の地位につける!)


俺はさらなる興奮を抑えきれない。


ギルベルト:

「はは……神の子よ……」


俺は女を抱きしめ、神の子の力を全身で味わった。

女は怯えていた。


女:

「やめて!」


無意識のうちに、強い拒絶の言葉が口から出た。


5.亜竜の制裁

その瞬間、バシャンと大きな水音がした。生臭い匂いが、強くなった。湖の方から、何かが水面を滑るような、奇妙で重い音が響いた。ガサッ、ガサッ……と、木の枝や落ち葉を踏みしめる音ではない。


水を含んだ何か、あるいは非常に重いものが這いずってくるような音だった。

不意に聞こえた水音に続いて、ヌルリ、と水面を滑るような、聞いたことのない音が響いた。森の奥から聞こえる鳥や獣の声は、さっきからなぜかピタリと止んでいる。だが、この音は湖の方向から、まっすぐに俺たちに向かってきている。


俺は女から一瞬目を離し、湖の方を見た。濃い霧が立ち込めているため、何も見えない。


ギルベルト:

「ちっ...」


舌打ちし、本能が警報を鳴らすのを感じた。


ガシャァン!


今度は、まるで巨大な鉄の塊が地面に落ちたような、水と土を巻き上げる轟音がすぐ近くで響き渡った。

そして、濃い霧の中から、異様なほど長く、湿った黒い何かがヌルリと伸びてきた。表面は濡れて光り、血の匂いとは全く違う、磯のような生臭さを放っていた。

その黒い何かが、一瞬で俺の喉元を鷲掴みにした。


ギルベルト:

「グッ、ア...!」


俺の視界が急速に狭まる。首に巻き付いた黒いものは、「神の子の力」で得た力を無視した。鈍く黒い鱗が全身を覆っている亜竜だった。俺の肉体と骨格を、まるで鋼鉄の棒のようにねじ曲げそうなほどの、想像を絶する握力を持っていた。


俺は激しい痛みの中で、直前に聞いた女の「やめて!」という微かな拒絶の言葉を思い出した。

それがなぜ、この辺境最強の亜竜を、まるで忠実な召使いのように引き寄せたのか。理解不能だ。だが、この圧倒的な力は、女の無意識の願いに絶対的に従順であるかのように、俺を排除しようとしている。


神の子が持つ「力」とは、肉体的な力の流入だけではない。それは、亜竜すら従える「願いのプロトコル」なのではないか?

俺は最後の力を振り絞り、女に手を伸ばした。しかし亜竜は俺を宙に持ち上げ、あっという間に湖の方へ引きずり始めた。


俺の視界の隅で、女が静かに目を見開いていた。湖の霧の奥へと消えていく俺を,呆然と見ていた。俺は何かを言おうとしたが、言葉はもう、音にならなかった。


男の喉元に巻き付いたのは、巨大な触手だった。それは湿っていて、黒く、表面には光沢があり、無数の吸盤と鱗が確認できる。磯のような、潮の香りが強く漂っていた。

触手は男の全身を締め上げながら、一瞬で霧の奥、湖の方へと引きずり込んでいった。

凄まじい水音が響き、やがてゴボゴボという水中で何かが藻掻くような音だけが残った。

辺りは再び静寂に包まれた。鳥も獣も、さっきから鳴き声一つしない。


女は呆然と立ち上がり、乱れた服を直した。体中が震えている。湖の方を向くと、霧は相変わらず濃く、何が起こったのか、その「触手」の本体すら見えない。

女は助けを求めて、再び森の奥へと歩き出す。

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