テロ・ライブストリーミング

熊谷聖

第1話 1000万人&200万人への夜

 今の日本で、FIVE-LIVEという名前を知らない人間はほとんどいない。


 それは五人組の配信者グループであり、動画配信チャンネルで、チャンネルを開設してから僅か三年で登録者数は200万人を突破した。その後も衰えを知らぬ成長を続けている日本を代表するチャンネルのグループだ。


 チャンネルのグッズは飛ぶように売れ、企業と協賛すれば関連商品は爆売れ、果ては海外の大物とのコラボまでこなしていた。


 決して過激ではないが、退屈でもない。

 誰かを吊し上げることはしないが、空気に流されもしない。

 やっている企画も「○○ドッキリ」や「○○やってみた」など正直、他のチャンネルと変わり映えしないネタばかりだ。

 それぞれが尖っていないのに、五人揃うと不思議なほど強度が生まれる。


 だからこそ、ここまで来た。


 そう、「登録者数1000万人」と「生配信の同接者数200万人超え」という前代未聞の壁まできたのだ。


 ⸻


 相原恒一。

 配信名・ハラは、スタジオの隅で黙々とスマートフォンを操作していた。


 このチャンネルにおいて、彼は表に立つ人間ではない。


 進行の歪みを直し、炎上の芽を踏み潰し、

 数字と現実の間に一枚、薄い膜を張り続ける役割だ。


 視聴者は彼を「冷静」「安心枠」と呼ぶ。

 それは褒め言葉であり、同時に過去を知られずに済む、都合のいい仮面でもあった。


「ハラ、そっち大丈夫?」


 声をかけてきたのは、リーダーのクロだった。


 黒崎恒一郎。

 穏やかな口調、人当たりの良さで圧倒的人気を誇り、トラブルが起きても怒らずに収めることができる男、所謂デキる男認定されている。


 彼がいる限り、FIVE-LIVEは大丈夫だ。多くの視聴者はそう信じている。

 ハラは今回の生配信に際してのスポンサー企業や、協力機関にお礼のメールなどを片っ端から送っていた。


「協賛の最終確認、全部終わった」


 ハラが言うと、クロは小さく息を吐いた。


「助かる。今日は何も起きないのが一番だからな」


 その言葉を聞きながら、ハラは微かに胸の奥が痛むのを感じた。


「何も起きない……配信としてはそれっていいのか?」


「俺たちがやってることって、実際は『何も起こってないところに、火を起こしてる』ようなもんだろ?何も起こらない平和な日常があるからここまでやってこれたんだ。だから、今日の生配信も『何も起こらない』方がいいんだよ」


 クロはそれだけ言うと、任せたと言わんばかりに手を振り去っていく。ハラはため息をついてメールを見る。


「何も起こらないように消してるのは、俺なんだけどな」


 ⸻


 スタジオ中央では、リクが落ち着きなく足を揺らしている。


 天谷陸。

 奔放で軽口が多く、空気を読むより先に口が動く。けれど彼が笑えば、画面の向こうの空気まで一段明るくなる。


「ていうかさ」


 リクは天井を仰いだ。その目には不安と興奮が入り交じっていた。


「同接200万人って、もうテレビ超えてない?」


「比較する対象がおかしい。私たちは頑張っても数百万人。テレビは下手したら日本国民全員を相手にしてる」


 ミオが即座に返す。


 篠宮澪。

 数字と構造の人間で配信でかなりメタい発言をかましている。それも人気の要因となっていた。感情を表に出さないが、最も配信を仕事として理解している。


「でも事実だろ?今日、世界的なデータになるっていうのはさ」


 ヒカリは、その二人を見比べて笑った。


 星乃ひかり。

 視聴者の感情を引き寄せる天才であり、その感情を笑顔に変えられる程の魅力を持っている。そのコアなファンは宗教的なまでにヒカリにのめり込んでいる。

 本人はそれを無自覚なまま、誰よりも人の心に近づいてしまう。


「みんな来てくれてるんだよ!それだけですごいじゃん!」


 ハラは、その言葉を静かに噛みしめた。


 ⸻


 モニターの待機画面には、すでに八十万人以上の視聴者が集まっている。

 多くのアバターが忙しなく動き、その始まりを今か今かと待っている。


 コメントの流れは滝のように止まらない。


〈間に合った!〉

〈今日休み取ったわ。上司に風邪で休むって言ってきた〉

〈それバレたらヤバいやつじゃんw〉

〈人生初の同接100万体験だぁ!〉


 数字が人に変わる瞬間だった。


「……行こう」


 クロが短く告げる。

 その言葉に、メンバーは遂に「前代未聞の舞台」に立ち上がった。


 ⸻


 グリーンバックの前に立ち、全員が顔を見合せる。そう、文字通り今日から変わるのだ。誰も成し遂げたことのないことをやり、世界と勝負できるところまで登り詰める。


 やがて、カメラの配信が始まり、グリーンバックと配信内の巨大なドームステージの景色が同期する。そして、パソコンの配信ボタンが押された。


 クロは大きく息を吸い込んで、軽く息をつくと、満面の笑みを浮かべた。


「はいどうもー!」


 クロの声が響くと同時に、画面の向こうからコメントという歓声が押し寄せる。


〈きたああああ!〉

〈FIVE-LIVE!!!〉

〈おお、神よ……〉


 同接数は、一分も経たずに百万人を超えた。急激な接続数にサーバーの方が根を上げないか心配だった。


「ちょっと待って」


 リクが画面を見て叫ぶ。


「まだ自己紹介してないんだけど!?」


 ヒカリが笑い、手を振る。アイドル的立ち位置のヒカリが動くと、親衛隊らしきコメントやアバターが一斉に動き出した。


「こんばんはー!」


 荒れそうな視聴者達をなだめるように、ミオは即座に進行を整える。このクールさにも色々歪められファンがいるものだ。


「今日は記念配信です。登録者900万人突破、ありがとうございます。そして……」


 クロが言葉を継いだ。


「登録者1000万人、そして前代未聞の同接200万人への挑戦です!」


 その瞬間、コメント欄が一段階速くなる。滝のように流れるコメントを、ハラは淡々と拾う。


「大ファンです、ずっと応援してました……色々ありがとうございます」


 そしてハラは区切りとして最後のコメントを読んだ。


「あなたに人生を救われました……いや、大袈裟ですよ。でも僕たちの配信で誰かの人生を救えたなら、本望です」



 その一文を彼はそれ以上、深く読まなかった。


 ――


 開始十分ほどは簡単な雑談から始めた。最近あったこと、今回の配信に向けての意気込みなど、それぞれが思い思いに話していった。もちろん、時折コメントも拾いながらトークを進めていった。


「じゃあ、ここからはいよいよ……」


 そしてクロは一度、深く息を吸った。それは無意識の癖のようなもので、彼が場を切り替えるときの合図でもあった。


「この生配信のメインイベント、視聴者参加型イベントをやっていきます!」


 コメント欄が一気に弾ける。配信画面からもその熱気が伝わってきた。配信画面のドームステージを取り囲む幾千万ものアバターが、一気に跳ね上がる。


〈きたああああ!!!〉

〈お願いしますお願いします当ててくれ〉

〈頼む!!!人生かけてる!!!〉


 ハラはその流れを確認してから、ゆっくりと口を開いた。


「先程説明しましたが、改めて。今回の参加型イベントは、事前登録してくれた視聴者さんの中から、完全ランダムで抽選しています」


 ミオがすぐに補足する。


「こちら側から、誰が候補になっているかは見えません。名前も、アカウントIDも、抽選が終わるまで非表示です」


「つまり」


 リクがわざと明るく言った。


「俺らが知り合い当てる”とか、そういうズルはできませーん」


 ハラは続けて補足していく。


「また、今回の生配信に際して皆さんの個人情報を登録してもらったのは、不審者を入れないためもあります。もしこの配信内で対立を煽る行為、不適切な行動や発言など、所謂『不適切行為』があったら、すぐに配信から退出していただきます。必要とあれば、登録してもらった個人情報を警察に提出もします。ただし、この個人情報は配信の為だけに使われるものであり、生配信が終わり次第削除します」


〈信頼できる〉

〈安心したわー〉

〈さすがハラ、こういう安全対策はバッチリだな〉


 ハラが話し終えると、ヒカリが少し身を乗り出す。


「当選した方は、事前に作成してもらったアバターで参加できます!顔出ししなくていいし、なんなら声だけでもOKです。それに声も恥ずかしかったらボイスチェンジ機能を使って声を変えても大丈夫!」


「100万人以上の前で話すのは、緊張して当たり前だからね」


 クロが優しく続ける。クロの爽やかな笑顔に心を射抜かれた女性視聴者は計り知れない。今回の配信でも、コメントからクロの矢を受けたと思わしきコメントが流れてきた。


「失敗しても、噛んでも、全然大丈夫。緊張してるのは私達も同じだから」


 ミオの意外な優しいその言葉で、スタジオの空気はさらに柔らいだ。

 この配信は安全だというメッセージが、

 何層にも重ねられていく。


〈ミオたん優しいぃぃ〉

〈結婚してください〉


「はい、そういうのアウトだからね。ま、今のは見逃してあげる」


 ミオのふっとした笑みに、ミオファンは悩殺されていった。


 ――


「じゃあ、早速いきます!」


 ハラが抽選ボタンを押す。


 軽快な音と共に、画面の中央で名前が高速で切り替わる。幾何学模様のように流れる文字列が配信画面に映し出される。


 コメント欄は、もはや祈りに近い。


〈頼む!!!〉

〈当たれ当たれ!!!〉

〈当たったら今日死ねる!!!というか死なせてください!!!〉

〈自殺志願者いて草、それは困るからやめてくれ〉


 名前が切り替わり、そして切り替わりがどんどん遅くなっていく。段々とユーザーネームが読み取れるまでに遅くなり、そして数秒後、画面が静止した。


【ユーザーネーム:Kuma_1989】


「おっ!」


 リクが反応する。


「クマさん!」


「当選したのは、Kuma_1989さんです!」


 クロが読み上げる。一瞬の間が空いたあと、少し遅れて声が入った。荒い息遣いが聞こえてきた。


「……え、あ、え?」


 やや低めの、戸惑った声が何が起きたのか分からないといった様子で言葉を発していた。


「聞こえてます?」


 当選した視聴者、クマはおずおずと声を出す。その声にヒカリがすぐに声をかける。


「聞こえてますよー!」


「あ、よかった……え、ほんとに当たった……」


 画面に映るアバターは、スーツ姿を模した控えめなデザインだった。ほぼデフォルトに近いデザインなので、あまりアバター作成に時間がかけられなかったのかもしれない。


「クマさん、今日はどこから見てます?」


 クロが自然に話を広げる。クマはえっと、あっ、とまだ困惑しているのか言葉を切りながら、それでもしっかりと話す。


「東京です……会社終わりに、駅のベンチで……

 まさか当たると思ってなかったので、心臓が……」


「わかる、それ!」


 リクが笑う。リクの軽い口調は、クマの緊張を程よく和らげていく。


「俺も今、似たようなもんだし。無神経ってコメント見えてるからな!めっちゃ緊張してるんだからな!」


 コメント欄も温かい。クマを応援するコメントが続々と流れてくる。見知らぬ人が配信で共になり、そして見返りなしに応援してくれる。これぞ配信のいい所である、人との繋がりだ。


〈おめでとう!〉

〈社会人仲間だ!明日からも頑張ろうな!〉

〈クマさんの日頃の行いがいいんだな〉


「じゃあ、クマさん」


 ミオが穏やかに言う。


「簡単なお題いきますね」


 クマのアバターが左下にワイプとして移動し、代わりに画面にクイズが表示された。


『FIVE-LIVEが最初に5人揃った配信でやった企画は?』


「あー……」


 クマさんが少し考える。


「あれですよね。確か……外れ回だったやつ」


 スタジオが笑う。その記憶は皆の頭に深く刻まれていた。


「そうそう!」


「検証失敗回!」


 クロとリクが笑い合いながら話していく。


「矛盾企画で最強なのはどっち?企画やったんだけどさ。固くなる樹脂とレーザーで試して本当は樹脂が勝つ予定だったんだけど、リクが配合間違えて普通に矛が勝っちゃって」


「俺に配合量見せられても分かんないって!てかヤラセみたいに言わないで!」


 リクとクロのトークにコメント欄も湧いていく。ミオが場を仕切りながら進めていく。


「正解です!まぁ、これは簡単だったかな」


 拍手の音が配信に響く。コメント欄にも拍手のスタンプが大量に投稿されていく

 ヒカリが両手を叩く。


「すごいー!」


「うわ、ありがとうございます……!」


 クマさんは明らかに安心した声だった。緊張はすっかり解けていた。


「では、最後に一言どうぞ!」


 クロが促す。


「あ、えっと……いつも通勤中に見てます。

 これからも、無理せず続けてください」


 その言葉に、ハラの胸がわずかに動いた。


「クロさん、ありがとうございました!当選したクロさんには配信限定のグッズをプレゼントします!他の皆さんも楽しみにしててくださいね!」


 ――


「じゃあ次!」


 今度はリクがボタンを押す。抽選ボタンが再び押され、ユーザーネームが切り替わっていく。


 今度は若いポップなアバターが映った。


 ユーザーネーム:miso_soup17


「かわいい名前!味噌汁?なんで味噌汁!」


 ヒカリが声を上げる。コメントもヒカリの疑問に同意していた。


「聞こえますかー?」


「は、はい!!」


 高めの、少し裏返った声が聞こえてきた。


「ちょっと待って、手震えてます……!」


 明らかに学生だ。最も多いファン層の学生から選ばれたのはハラも嬉しかった。


「深呼吸しよ」


 リクが言う。


「俺ら、噛みまくってるから」


 コメント欄も励ます。


〈落ち着いて〉

〈大丈夫〉


「ふぅ……だ、大丈夫です。多分」


 ヒカリが良かったー、と言いながら話題を切り出す。


「ていうかなんで味噌スープなの?」


 味噌スープの学生はえっと、と答える。


「ユーザーネームが決まらなくて……咄嗟に朝ごはんで飲んだ味噌汁が思い浮かんだので……」


「名前安直すぎ!でもめっちゃ面白いよ!」


「ありがとうございます!ヒカリさんから言われるのめっちゃ嬉しいです!」


〈味噌だけに名前がみそ?〉

〈上手くねぇし〉

〈学生さんいいなー!青春しろよ!〉


 コメント欄を見ていく。今のところ、煽りや荒らしはいなかった。ハラは安心して続ける。


「じゃあ、軽いお題ね」


 ハラが言う。


「あなたが初めてFIVE-LIVEを知ったのは、どの動画ですか?」


「えっと……あれです。クロさんがガチ凹みしてた回……」


 クロが眉を上げる。他のメンバーはもう分かっているようで、ニヤニヤしていた。


「どれだ?」


「配信事故で、背景落ちたやつです……」


「それかー!」


 スタジオが一斉に笑った。


〈あれかー!〉

〈あれは黒歴史やな〉

〈まぁクロさん、というよりもみんなの黒歴史だな〉


「思い出させるな!」


「でも、あの回で好きになりました」


 その一言で、

 スタジオの空気が一瞬、柔らかくなる。


「背景が落ちるというトラブルに見舞われても慌てず、それでいて視聴者を決して置いていかないプロとしての活躍に救われました。あとは、皆さん有名人だけど僕と同じ普通の人間なんだなって」


 ヒカリが小さく頷いた。


「ありがとう!私達も失敗はするし緊張するからね!何か失敗しても私を見て安心してよ!」


「ヒカリは結構やらかしてるから。それでもこうやってやれてるから大丈夫」


 ミオの言葉に味噌スープ学生は声高らかに返事をした。


「いえ……こちらこそ……!」


 イベントは成功していた。

 味噌スープ学生は笑顔で手を振って画面から切り替わる。


「味噌スープさん、ありがとうございました!味噌スープさんにも配信限定のグッズをお届けしますね!さぁ、早くも次の抽選で最後です。果たして誰が当たるのでしょう?」


 クロの言葉にコメント欄には祈りのコメントが大量に流れていた。


 ハラは、その様子を見ながら思った。


 これでいい。

 これが正しい。


 誰も傷つかない。

 誰も試されない。

 ただ楽しかったという感情だけが残る。視聴者はこの配信が楽しい思い出として残り、自分たちも今後の自信となる配信になる。


 クロも、リクも、ミオも、ヒカリも。

 全員が少しだけ肩の力を抜いていた。


 リクが続けた。


「ありがとう二人とも!いやー、配信っぽいわ」


「平和だな」


 クロが伸びをする。そして疲れを吹き飛ばすかのように、声をあげる。


「じゃあ……」


 クロが少しだけ間を取る。


「次が、本日の最後の参加者です」


 その一言で、再びスタジオの空気が引き締まる。抽選ボタンが押され、ユーザーネームが高速で切り替わっていく。


 ハラは、無意識に背筋を伸ばしていた。


(……あと一人)


 その名前が止まった。


「次の人は……」


【B-girl_0】


 白い服のアバターに可愛らしい微笑みを浮かべるアバターだった。しかし瞬かない両目は少し不気味さを感じた。


「……当選者は、Bガールさん!」


 クロがユーザーネームを呼んだ瞬間、抑えきれない感情がスピーカーから溢れ出した。


「え!? え!?うそ、うそ、ほんと!?やばい、やばい……!」


 その声は、今までのどの参加者とも、温度が違っていた。声はボイスチェンジ機能で異様に高くなっていたが、可愛らしい女性なのかな、とハラは思った。


 ハラは、無意識のうちに息を止めていた。


 ここまでは、完璧だった。


 ――


 抽選画面に流れていたユーザーネームの列が、不意に止まった。


 白い背景に中央に浮かぶ、簡素なアバターがゆっくりと左右に揺れている。性別の分からない輪郭と、貼り付いたような微笑がやけに気味が悪かった。


【B-girl_0】


「……当選者は、Bガールさんです!」


 クロが読み上げた瞬間、スピーカーの向こうから、弾けるような声が返ってきた。


「え!? え!? うそ!?」


 言葉が追いついていない。驚きと喜びが、そのまま声になって飛び出してくる。ボイスチェンジ機能により、より高い声がさらに喜びの様子を表している。


「やばい、やばい……本当に当たった……!」


 アバターが画面の中で忙しなく揺れる。その動きは、これまで登場したどの参加者よりも大きかった。


「落ち着いて、落ち着いて!」


 ヒカリが笑顔で声をかける。


「聞こえてますか?」


「あっ、はい! 聞こえてます!」


 息継ぎの音までマイクに乗っている。明らかに、緊張している。クロの言葉にBガールのアバターは首を大きく上下に動かす。


「でも……すごい……本当に皆さんと話してるんだ……」


 視聴者コメントも祝福一色だった。


〈おめでとう!〉

〈この感じ、ガチ勢っぽい〉

〈喜び方半端無さすぎるw〉


 リクが軽く身を乗り出す。


「いや、それ当たったら普通こうなるよね!」


「今日は記念配信だし、俺達人気者だし」


「それ自分で言うかよ!」


 クロもいつもの調子で場を整えた。アバターは相変わらず体や首を上下左右に忙しなく動かしている。

 ミオが落ち着いて、とBガールを宥める。


「じゃあ、まずは普通にイベントのお題からいきましょう」


「はいっ!」


 返事がやけに早い。だがその時はまだ、違和感と呼ぶほどのものではなかった。ミオが画面を切り替える。


「簡単な質問です。FIVE-LIVEで、一番最初に削除された動画の理由を覚えていますか?」


 それは、熱心なファンでなければ知らない情報だった。

 一瞬の沈黙が走ったが、Bガールは答えを迷わなかった。


「編集ミスですよね」


 即答だった。ミオが何か会話を挟もうとする暇もなかった。


「音声じゃなくて、コメント固定の設定忘れ……」


 スタジオの空気が、わずかに変わる。


「すごいね……そこまで見てる人、あんまいないよ」


 リクが半ば呆れたように言った。それはそこまで古い動画を見ていた人がいたことに対する驚愕だった。


「消す前の、しかも最初の一時間でしか見れなかったやつだよね?」


「はい」


 誇らしげですらあった。Bガールはさらに声を高くした。


「ハラさんが『今の僕らには違う』って言って、

 消した回ですよね」


 その瞬間、ハラの指先がわずかに強張った。


「確かに、そう言った。すごいね、本当に見てたんだあの動画」


 スタジオ全体に、小さなどよめきが走る。


〈そこまで覚えてるのすご〉

〈古参すぎる〉

〈俺も古参だけど、見られなかったやつだよそれ〉


「……正解です」


 クロは、一拍置いてから言った。


「すごいね!本当にガチファンだ!」


「ありがとうございます!」


 Bガールは、嬉しさを隠しもしなかった。配信画面の向こうで身体を忙しなく動かしているのか、たまにアバターのカメラ機能が追いつかず、アバターが挙動不審になることがあった。


「すっげぇな……うちのファンにここまでの人がいるとは……」


 ハラは感心していたが怪しいとは思わなかった。

 ただの、少し熱量の高すぎるファンだとしか思わなかった。


 ⸻


「じゃあ、最後に一言どうぞ!熱狂ファンのBガールさん!」


 クロが、進行を締めにかかる。


「今日の感想でも、今後の希望でもなんでも構いませんよ」


「……あの」


 Bガールは少しだけ言葉を選んだ。まるでこれから言うことが、とてつもない事だと言わんばかりだった。

 そして、はっきり言った。


「終わる前に、お願いがあるんです」


 クロが首をかしげる。


「お願い?」


「持ち込み企画をさせてください」


 その言葉に、スタジオが一瞬静まった。ハラが即座に口を開く。


「それは……他の視聴者の方との平等性が……」


 だが、最後まで言わせなかったのはリクだった。


「まあまあ」


 楽しそうに笑う。


「ここまで見てくれるガチ勢ならさ、聞いてみるのもいいんじゃない?相当な古参みたいだし、感謝の意味も込めてさ」


「そうだよ。話聞くだけ聞いてみよ?」


 ヒカリも迷いなく頷く。ミオも少し迷った様子だったが、すぐに頷く。


「うん。どんな企画なのか、気になる」


 コメント欄も、煽るように流れた。


〈聞こうじゃないか〉

〈神展開きたか?〉

〈なんかズルくない?選ばれて持ち込み企画までやるの?〉


 ミオは、同接数を見て短く言った。


「……今、かなり伸びてます」


 その一言で、流れは決まった。


「ありがとうございます!」


 Bガールは、心から喜んでいるようだった。動きも、声もそれら全てがBガールの喜びを表していた。


「本当に、すごいことになりますから。期待しててください!あなた達のためなら、なんでもやります!」


 リクが、完全におもちゃを扱うような調子で聞く。


「えー?本当に?ならどうやって増やしてくれるの?」


「もしかしてさ、実は有名人だったり?」


 コメント欄が一気に盛り上がる。


〈朝ドラ女優?〉

〈インフルエンサー説を押す〉

〈いや、豊満ボディの……〉

〈それ男得なだけだろ!〉


 ハラはその光景を見ながら、胸の奥が冷えるのを感じていた。


 噂は勝手に膨らむ。面白いからだ。配信では憶測でも真実のように膨らんでいき、それを持ち上げる。それが配信の楽しさであり、同時に『人を貶める』ことも簡単になっていく。


「簡単なクイズゲームです」


 Bガールの声は、落ち着いていた。


「じゃあ……クロさん!」


 名指しで呼ばれたクロは、自分を指さしながら、一歩前に出る。


「クイズです。これを解いてみてください!」


 表示された数式は、誰が見ても分かるほど難解だった。


〈これ大学入試レベルじゃん〉

〈俺数学得意だけど、わかんね〉


 クロは即座に苦笑した。


「いや無理無理!」


 スタジオが笑いに包まれる。


「俺、数学だけは本当にダメだから」


 クロのたいどにコメントが即反応する。


〈開き直るなw〉

〈クロに高度数学は酷〉


「うっせ!数字なんて1から10まで覚えて、足し算と引き算さえ出来れば大丈夫だから!」


 クロが、冗談めかして言う。他のメンバーもクロのことを笑っている。やがてクロはBガールに向けて言った。


「で、答えられなかったけどさ。間違えたらどうなるの?俺なんかされちゃうの?」


 自分の身を守るようなポーズをとるクロに対し、Bガールのアバターが大きく首を横に振った。


「そんなことしませんよ!」


 言葉がやけに強い。それは尊敬というよりも、狂気に近い何かを感じられた。


「私の崇拝相手に罰なんて与えません!そんなことしたら、私死にますよ!」


 Bガールの言葉には、何故か嘘とは捉えられない圧を、本気さを感じた。ハラの背中に冷たい感覚が走った。


「そうですね……」


 Bガールは続ける。やがてある指示を出した。


「メンバーの皆さん。そちらのスタジオの窓から品川埠頭の方を見てください。あ、ちゃんとカメラで映してくださいね!」


「品川埠頭……ですか?」


 ハラは一瞬、躊躇した。そちらになにかあるのか。いや、Bガールが何かをしようとしているのかもしれない。ハラは断ろうとしたが配信内の熱気は興奮と楽しさで最高潮に達していた。


 すでに流れは止まらない。


 ハラは操作卓に手を伸ばす。カメラを移動するとグリーンバックが解除され、合成背景が静かに消える。広いスタジオが映り、そこに立つメンバーが映る。


〈こんなスタジオでやってるのか〉

〈こう見るとなんかシュールw〉

〈あの背景一から作ってるの?すご!〉


 窓の方に移動し、外の様子を映す。スタジオはビルの五階にあったので、遠くの方までよく見えた。画面いっぱいに映る品川埠頭の夜景は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「あと十秒です」


 Bガールは楽しそうに言った。そのカウントダウンが何を意味するのかは分からなかった。だが、ハラには何か嫌な予感がした。


「クロさん、間違えたら……こうなりますからね!」


 コメント欄がざわめく。


〈何かある?〉

〈ドッキリ?〉

〈花火が上がる感じ?〉


 その空気はまだ軽かった。何か起きたとしても、危険なことはないだろう。


 クロも笑っていた。なぜなら、これは楽しい生配信であり、このFIVE―LIVEの記念すべき配信でもある。そんな時に、何か起こるはずがない。


「何も起きなかったら謝罪ですからね!」


 視聴者がカウントダウンを始める。



〈5〉




〈4〉




〈3〉




〈2〉




〈1〉





 Bガールのアバターが硬直した。画面にノイズが走る。



〈0〉


 何も起きない一瞬が過ぎた。メンバーも、画面の向こうの視聴者も、何も起きない夜景をただ、見つめていた。



「あーあ、Bガールさん何も起こら────」





 だからこそ。


 光が遅れてやってきた。




 夜景の奥で異様な明るさが膨らみ次の瞬間、炎が空を裂いた。


 火柱が立ち上がる。ただの閃光ではない。

 巨大な施設が内側から破壊される光景だった。


 遅れて、空気を押し潰すような衝撃音が広がる。スタジオの床が震え、身体の内側に、重たい圧が残る。


「……え?」


 誰の声かも分からなかった。さらに、連続して光が弾けた。煙が増え、夜景は一瞬で災害に変わる。


 ハラは、頭が真っ白になるのを感じながら夜景を見る。


「危ない!伏せろ!」


「きゃあ!!!」


 地震のような揺れがビルを襲い、スタジオの機器が倒れる。視聴者もパニックになっていた。


〈ビビった!何が起きた?!〉

〈え?マジで?俺栃木住みだから本当かどうか分からないんだけど〉

〈ちょ!うちめっちゃ揺れたんだけど!〉


 ハラは揺れが収まったのを感じて、スタジオを見る。機器が少しだが落ち、グリーンバックは爆風で揺れていた。他のメンバーは無事だった。


「みんな、大丈夫か?!」


「あぁ、こっちは大丈夫。ハラは大丈夫か?爆風モロに受けただろ」


 クロの言葉に確かにカメラを構えていた腕が痛むがそれどころではなかった。

 ハラはスマホでSNSを開く。トレンドに「#品川埠頭」「#東明電力 火災」が連なっていた。ハラはニュースアプリを開く。上のテロップに速報の文字が書かれ、そこを押した。



《品川埠頭東明電力第2火力発電所で爆発・火災 が発生。負傷者多数。警察は事故か事件か捜査中》


 画面の中の炎と文字情報が完全に重なる。沈黙を破ったのは、Bガールの声だった。


「あーあ」


 ため息のような調子で、それでいて楽しんでいる様子だった。


「クロさんが間違えたから……爆発しちゃいましたね?」


 その軽さに、誰も言葉を返せなかった。ただ配信画面で左右に首を振るBガールのアバターを見ることしかできなかった。


「皆さん!」


 Bガールは続けた。アバターが両手をあげる。


「私の手元には今、一ダースの爆弾があります。そして、これが私の持ち込み企画です」


 一拍して、Bガールは息を吸い込み大きな声で宣言するように言った。


「それは、爆弾テロ生配信企画です![


 ハラははっきりと理解した。

 この女は世界を壊している自覚がない。いや、

 理解したうえで気にしていない。なにかの為なら、何かを壊すことを躊躇しない。


 熱狂的ファンなんかではない。


 ただの、狂気だ。


「言いましたよね?」


 優しい声で、Bガールは言う。


「私はあなた達の、あなたのためなら……なんでもやるって」


 画面右上で、同接数が静かに増え続けていた。

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