【短編】おじさんがちいかわに見えるメガネ

むーん🌙

おじさんがちいかわに見えるメガネ

「おい、今日も帰りは遅いのか?」


「え……わかんないけど……。遅くなりそうならLINEするよ」


「そうか……。わかった」


 リビングで新聞を読みながら話す“ちいかわ”が私に向かって話す。“ちいかわ”に見えてはいるが、あれは私の父だ。なぜ父が“ちいかわ”に見えているのかと言うと、それは私が“おじさんがちいかわに見えるメガネ”をかけているからだ。


 “おじさんがちいかわに見えるメガネ”は元々は自分が見たくないものを別のものに見えるようにする為のメガネだった。例えば好きじゃないタレントやスポーツ選手などを別のものや人に変換して表示すると言う機能を有しているというすごい発明のメガネだった。このメガネが一躍大ヒット商品となったのはとあるネットの呟きによるものだった。


『最近このメガネでおじさんをちいかわに見えるように設定したらイラつくことが減った。横柄なおじさんとかもちいかわの見た目だったら許せるようになった』


 その呟きと共に投稿された、ちいかわに変換されたおじさんが電車で怒り狂っている動画は拡散に拡散された。


『ちいかわ可愛いー!』


『ヨシヨシしてあげたい』


 などのコメントで溢れたその呟ききっかけで、そのメガネは“おじさんがちいかわに見えるメガネ”として世紀の大ヒット商品となった。


——へぇ……


 流行り物を嫌っている私も流石にその商品は気になった。最近、私は父に嫌悪感を抱いていた。屁をこく父。ゲップをする父。少し禿げてきてチリチリとした髪の父。あ゛〜と言いながら肩叩きをする父。見るたびにイライラが募っていっていた。次第にそんな父と会話するのも嫌になっていき、父との会話も月に数える程になっていった。


 しかし、このメガネを買ってからというものその不快感は消え失せていった。屁をこくちいかわ。ゲップをするちいかわ。ふさふさとした毛並みのちいかわ。あ゛〜と言いながら肩叩きをするちいかわ。見るたびに癒される。見た目がこんなに印象に影響を与えるとは……。私は自分の単純さを痛感しながらも、そのメガネを手放せなくなっていた。


 その効果は別に家の中に留まらない。駅で我先に飛び出してぶつかっていくおじさんもちいかわに見えると、全くイラつかない。電車の入り口に溜まって邪魔なおじさんもちいかわに見えると微笑ましく感じる。国会中継で寝ているおじさん議員もちいかわに見えれば、なんと微笑ましく感じることだろう。


「おはよー」


「あ、おはよう」


「一限ある日ってだるいよねー」


 親友のミカが話しかけてくる。大学生の私たちにとって一限とは敵そのものである。一限と二限とでは朝の余裕度に歴然とした差がある。ミカは続けて話しながら、メガネをクイっとあげた。


「寿司屋のカウンターでキレるちいかわの動画見たー?」


「え、なにそれ。見てない!」


 私はミカが差し出したスマホの動画を見つつ、少し周りを見回してみた。ほとんどの人間がこのメガネをかけている。発売されたばかりの頃は黒縁の一種類の展開だったが、現在では縁が薄いタイプやレンズが丸いタイプなども展開されてきており、おしゃれも兼ねることができるようになった。コンタクトレンズタイプも出たらいいのに、と思っているがそれはまだ難しいらしい。


◆◆◆


「ぐぅーー」


 隣の席のミカのいびきを聞きながら、私は一限の授業を受けていた。黒板の前にはンショ……と言った感じで文字を書くちいかわがいた。あのちいかわは教授である。もうしばらく私はおじさんの姿を見ていない。おじさん側ももうしばらくちゃんとした自らの姿を見られていないだろう。


——あれ、そういえば……


 教授はこのメガネ買ってないのだろうか。ちなみに母はこのメガネを買って、父を向井理に見えるように設定してあるらしい。母がこのメガネを買ってからというもの心なしか夜ご飯のクオリティがアップしたように感じる。


 私は全てのおじさんがちいかわに見えるように設定しているので、おじさん達がこのメガネをかけているかどうか全く知らなかった。ちらり……とメガネを外して教授の様子を確かめてみる。教授はメガネをかけている様子はなかった。教授の姿を久しぶりに見ると、かつてのおじさんに対する嫌悪感はなく、懐かしささえ感じる程だった。


「すいません!」


「はい? どうしました?」


 私はちいかわ教授にこのメガネを持っているかどうか質問してみた。講義の内容の質問ではなかったことに、ちいかわ教授はガックシしていたようだったが、快く答えてくれた。


「いえ、私も持っていますよ。論文の発表会の時なんかは緊張しますからね。そのメガネをかけて、聴講している人を長澤まさみに見えるように設定したりして、緊張を和らげています」


 沢山の長澤まさみが目の前にいたらもっと緊張するんではないかとも思ったが、教授にとってはそうではないらしい。教授は「鋭い指摘をする人は最近の長澤まさみ、優しい褒めてくれる人は昔の長澤まさみに見えるようにしているんですよ」とにこやかに話していた。この人の長澤まさみに対する執着心は何なんだ。その話を遮るように私は疑問を口にした。


「授業中はそのメガネつけないんですか?」


「つけませんねー」


「どうしてですか? そんなに長澤まさみが好きなら、授業中も長澤まさみに見えた方がいいんじゃ……」


「確かにその授業も魅力的ですが……」


「ですが……?」


「やっぱり授業を受けている学生の顔はしっかり見たいじゃないですか。私たちが学生と接する期間はすごく短いですし」


◆◆◆


——……


 講義を終えた私は帰路についていた。カラオケに行こうよ、というミカの誘いを断ってまで家へと急いでいた。


『私たちが学生と接する期間はすごく短いですし』


 教授のその言葉が頭をぐるぐると回っていた。父の姿はどんなだっけ。私は父とあと何回会えるんだっけ。思い出そうとしてみるが、もう私の記憶では父の姿はちいかわで上書きされてしまっており、不鮮明だった。


 家の前にたどり着いた私はメガネを外した。メガネ越しじゃない家。玄関。そして……。


ガチャ


「あれ、おかえり……。早かったじゃないか……」


「なにしてんの……」


 私が玄関を開けるとそこには、何やら飾り付けをしている父の姿があった。色とりどりの折り紙で作ったであろうそれらはとてもチープだけど温かみがあった。


「なにしてんのって……。今日は母さんの誕生日だろう……。サプライズパーティだよ……」


「サプライズ……仕事は?」


「早上がりしてきたんだよ。ほら、ボーッとしてないでお前も手伝え! 急がないと母さんがママ友の会から帰ってきちゃうだろ!」


 そういうと父は手作りしたであろう輪っかの飾り付けを手渡してくる。父の手はしわくちゃでムダ毛もチリチリとしていてお世辞にも綺麗とは言えなかった。しかし、不思議と嫌悪感のようなものは無くなっていた。


「……。メガネつけてないんだな」


 飾り付けを手伝っていると、父がふと呟いた。


「うん……。ちょっと思うことがあって……」


「そうか、会社の若い奴もみんなメガネつけてるよ。俺を徹子の部屋に出た時の藤井風にする遊びが流行ってるらしい」


「……。お父さんはメガネ買わないの?」


「俺? 俺はそういうのわかんないからいいや。ちょっと脚立抑えててくれないか?」


「……わかった」


 私は脚立の足を押さえて、登っていく父を見上げる。そんな高いところまで飾り付けると片付ける時面倒なんじゃないか。男ってこういう変なところに拘ったりするよなぁと思って作業する父を見ていた。


「懐かしいなぁ」


「え?」


「いや、昔すべり台に登っていくお前をそんな風にして見てたんだよ。逆だけどさ。お前も脚立を押さえるような歳になったんだな」


「なにそれ、初めて聞いた。脚立を押さえるような歳って」


 「あはは、確かに」と言って父は笑っていた。私も笑っていた。ちいかわじゃない父の姿を見て、メガネなんていらなかったのかもと思っていた。


ぶっ


「あ、悪い。笑ったら屁が出ちゃった」


「……さいっあく。くっさ!! 臭すぎ! このクソ親父……!」


「しょうがないだろ、笑ったら出ちゃったんだから……」


「もうマジでありえない! 人の顔の前で……」


ガンっ!


 私は脚立から手を離し、思いっきり蹴りを入れた。


「おい、脚立を蹴るな! 危ないだろ!」


「うるさい! 屁こきジジイ!」


ガチャ


 私ただ騒いでいると、母が帰宅してきた。何というタイミングの帰宅だろう。もちろん飾り付けもまだ終わっていない。


「あら、二人とも何騒いでるの。表まで声が聞こえて……。くっさ! この飾り何……もしかして誕生日の……。くっさ!」


 前言撤回です。メガネの開発者さん、至急おじさんが屁をこいたときだけちいかわに見えるメガネを開発してください。もしくは屁がフローラルな香りになるマスクか何かを。お願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】おじさんがちいかわに見えるメガネ むーん🌙 @moon_moon_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画