蓋津村
如月いさみ
第1話 タクシー運転手 八山甲介の場合
新潟の越後山脈へ続く山間を蛇行して登っていく道路を一つ外れると緑の深い舗装されていない山道へと切り替わる。
日中であっても覆いかぶさるような木々の枝葉が濃い影を道に落とし鬱蒼とした緑の闇が延々と奥地へと続いている。
誰もが好んでそんな道に迷い込んだりはしない。
ただ……その麓の集落には言い伝えがあった。
『死して願いを叶えたい時は蓋津村へいけ』と。
男が不意に低い声でタクシーを運転していた八山甲介に声をかけた。
「ここで良いです」
そこは登坂の途中で舗装された国道から一本だけ山間に向かって細い道が続く道が伸びる別れ道であった。
甲介はブレーキを踏んで車を止めるとチラリとその道を見た。
風が不意に流れ木々が揺らめく。
途端に何処からかギャァギャァと鳥の鳴き声が響きざわざわと人のざわめきのような梢が耳を打った。
「ここじゃぁ、車も滅多に通りませんよ? その……ここを越えたら温泉宿があるのでそこまで送りますよ」
男は僅かに目を見開き笑みを浮かべると
「運転手さん、貴方……優しい人ですね」
と消え入りそうな声で呟いた。
タクシーの後ろから坂を上る風が押し上げる。
こんなところに取り残したらこの人はどうなるのか。そう考えると甲介はロックを解除する気にはなれなかった。
しかし男は手でロックを外すと
「人の好い貴方に教えておいてあげます。蓋津村へは行ってはなりません。入口はこういう道の入口の両側に『二つ』の像が置いています。もし、これから誰か乗せてその向こうの道へ行くように言われたらその手前で止めて逃げなさい」
と告げた。
「もしも、止められず入ることになったら……一度だけ助けてあげましょう。但し、そこで出された何も口にせず、何も手にせず、来た時のままでこのタクシーに乗り『帰り道だけが望みです。八神が教えろと言いました』と言うんです。しかし、一度だけですよ」
そう言って男性はフラリと右の山道へ入るとその緑の闇の中へと姿を消した。
甲介は暫くタクシーを止めたまま見つめていたが不意にゴォと言う音が響くと急に襲ってきた悪寒にブレーキからアクセルに足を踏み変えると騒めく木々に急かされるようにタクシーを走らせた。
その日は山脈に強い風が吹きあちらこちらで木々が酷く騒めいていた。
甲介がタクシーの運転手を始めたのは大学卒業後であった。本当は会社員になりたかった。だが、新入社員の採用を多くの会社が取りやめて同級生を含めて多くの学生が就職難に陥った。
そこには何の救いもなかった。
政府も何の助けもしなかった。
それでも生きていくしかなかったので地元のタクシー会社の運転手になった。車は得意ではなかったがそれでも乗り慣れれば客の相手も悪くはなかった。
丁寧に対応すれば相手も丁寧に対応してくれた。運が良かったのだろう。悪い客に当たることはなかったのだ。
だから、甲介は今日乗せた男のことを悩みながらも車をいつも通りタクシー会社の駐車場に戻し終了の点呼を行って勤務表を出して帰宅前に休憩室で一息ついた。
休憩室には茶請けとポットとお茶の葉があり自由に飲んだり食べたりできるようになっていた。
テレビもありニュースが流れていた。
その時、同じように就職した同期の松田健一郎が隣に座った。
「トクリュウのニュースか。怖いよなぁ……この辺りはそういう事件ないけど注意しないといけないよな」
甲介は煎餅を食べながら
「そうだな。どっちにしても実行犯は捕まるのに……得をするのって上だけだよな」
下っ端は使い捨てだからな。と答えた。
健一郎は深く息を吐き出した。
「俺らも同じようなもんだな。今日乗せた客みたいに俺も蓋津村目指そうかなぁ」
甲介は思わずバッと腰を浮かせて健一郎を見た。
「おい! 蓋津村には絶対に行くなって! 何か怖いところみたいだぜ」
健一郎は驚いて甲介を見た。
「え? 乗せた客は『願いを叶えたい時は蓋津村へいけ』ってユーチューブでそのユーチューバーの村で口伝されていたって言ってたぜ? まあ、都市伝説だってはなしだけどな」
甲介は今日乗せた男の話を思い出し健一郎を見た。
「今日乗せた男性客が蓋津村へ行ってはダメだって言ってた。何か、山脈へいく国道あるだろ? あそこの派生した道で両側に像がある道がそこへ続く道らしいんだけど行ったらダメだって言ってた」
健一郎は驚きながら腰を引いた。
「お、お前の方が怖いって! 何があったんだ?」
甲介はフゥと息を吐き出すと椅子に座り直した。
「いや、それでその客がもしその奥へ行くことがあったら何も食べず何も持たず来た時のタクシーに乗って『帰り道だけが望みです。八神が教えろと言いました』って言えって。但し一回きりだって言って車降りて山の中に消えていったんだ」
健一郎はそれに足を震わせた。
「怖っ、怖すぎるって!! まさかその客」
甲介はそれにはあっさりと答えた。
「あ、ちゃんとタクシー代はくれたから普通の人。山道登って行っただけだから」
健一郎ははぁ~~~と息を吐き出すと前のめりに倒れた。
「あ~、怖かった。もうタクシーの運転手にその手の話は禁止だぜ」
甲介は頷いた。
「確かに」
しかし。
甲介は数日後に一人の青年を営業所の近くにある田淵沢駅で乗せた。
20代くらいの若い青年で大きなカバンを大事そうに抱えていた。
「お客さん、どちらへ」
青年は周囲を見回しながら
「越後田淵温泉へ」
と告げた。
甲介は数日前に乗せた男のことをフッと思い出した。
「あの道か」
だが、よく考えるとあの道を通ることがあっても両側に像のある道を見たことがないことを思い出して息を吐き出した。
「考え過ぎだよな」
そう呟きアクセルを踏むとハンドルを切った。
暫くは駅前の少し賑やかな町の様相が広がり、越後山脈の方へ向かって走るとやがて田畑が広がる田園風景へと変わっていく。
そこから上り坂に切り替わると木々が騒めく薄暗い山道へと入っていく。
今日は朝から曇りで鉛色の雲が空一面に広がりいつも以上に闇が深かった。
風も流れ木々が激しくうねっているのがフロントガラスの向こうに浮かんでいた。甲介は「気持ち悪いな」と思いながらも黙ってハンドルを切った。
蛇行した上り坂が続き時折右手の方に木々の間から町の様相が覗けた。
青年は黙ったまま山手の方を見ていたが、不意に後ろを見ると慌てて声を上げた。
「その先の右の道に入れ!! 早く!!」
甲介は驚いて右手を見て目を見開いた。
「え……」
先の方に二つの像が立つ道が見えていたのだ。そんな道はなかった。
青年は銃を出すと震えながら叫んだ。
「早く行け!! 早く!!」
バックミラーには二台の黒い車が映っている。まさかである。
青年が泣きながら叫ぶのに甲介はハンドルを切って像の間の道を進んだ。
ガタガタと舗装されていない細い道が木々が覆う山道へと誘っている。
「嘘だろ~」
蓋津村へ行ってはいけない。
甲介は青年が泣いて
「殺される……どうしよう……」
と言うのに自分が泣きたいと思いながらも息を吐き出した。
「この先で何があっても何も食べず何も手にせず……俺が言ったタイミングでタクシーに乗ってください」
青年は目を見開き「え?」と甲介を見た。
甲介は前を見たままハンドルを切りながらアクセルを踏んだ。
「その代わり、何があったか分かりませんが……何かやったんなら自首してください」
青年は俯いて
「自首したいよ。先輩に頼まれてカバンを男の人に届けてほしいって言われたんだ。わからなかったけど先輩には高校時代に世話になったから持って行こうと男たちのところへ行きかけたら俺を殺す話をしてて……逃げたんだ。この山道を抜けれたら警察へ行ってほしい」
と告げた。
瞬間に視界が広がり山間の村へとたどり着いた。
美しい女性がタクシーの前に立った。
甲介はブレーキを踏んで止まると窓を開けた。
「あの、警察ありませんか?」
女性は笑むと
「この村にはありません。それよりここからは乗り物は入れませんので降りてください」
と告げた。
バックしようにも気付くと黒い二台の車も付いてきており男たちが降りてきたのである。
立っていた他の女性が男たちの元へ行き笑みを浮かべて出迎えた。
「ようこそ蓋津村へ村長が皆さまを歓迎したいとお食事などを用意しておりますよ」
男たちは胸元に何かを直して甲介と青年のタクシーの横に立つと
「おい、逃げようと思うなよ」
と低い声で告げた。
甲介はどうしようかと迷ったものの
「あの、ここで出されたものは食べずに何を受け取らない方が良いと思います」
と告げた。
男たちは鼻で息を吐き出し女性と共に足を進めた。
甲介も青年と共に車から降り立ち女性の案内のままに足を進めた。
鮮やかな緑と段々畑が村の中央に降りていく集落でその一番上に大きな館があった。そこで一人の男性が待っており日本家屋へと案内した。
家の中には黄金の置物や様々高価な壷や置物が飾られていた。
男性は笑むと甲介と青年と男たちを大広間に招き入れ宴会用の料理をそれぞれの前に出した。
「外からのお客様は久しぶりです。どうぞお召し上がりください」
甲介は青年を見て首を振ると
「あの、俺は今食事が口に入る状態じゃなくて……他の人たちもきっとそうです」
と告げた。
青年も震えながら頷いた。
「お、俺も……この部屋から出たいです」
男性たちは舌打ちし
「後でなしつけるぞ」
と言い食事を始めた。
男性は甲介と青年を見ると目を細めて口角を上げるだけの笑みを浮かべた。
「わかりました、お客様のお望みが一番ですから……蔵へご案内いたしましょう。その中で一つだけ望むものを差し上げますよ」
甲介は青年と共に仲居の女性が案内する蔵へと向かった。
そこには正に宝の山であった。
その中から一つだけ何でも良いと仲居は微笑んで告げた。
甲介は手前の黄金の像を目に息を飲んだ。
「これを売れば一生遊んで暮らすことが出来るくらいの金が手に入る」
だろうことが分かるくらいの宝であった。
一つ一つ全てが高価なものだと分かる。
そう考えて手を伸ばしかけた。
『止められず入ることになったら……一度だけ助けてあげましょう。但し、そこで出された何も口にせず、何も手にせず、来た時のままでこのタクシーに乗り』
ハッと我に返り、隣で大きなダイヤモンドを手にした青年の手を掴んだ。
「ダメだ」
青年はハッとして甲介を見た。
「あ、俺」
青年はダイヤモンドから手を放した。
「……俺、タクシーに忘れ物をしてた」
甲介は不思議そうに青年を見た。
青年は笑むと
「山に捨てようと思ってたものなんだ」
と告げた。
甲介は仲居の女性を見た。
「あの、彼がタクシーに忘れ物をしたみたいなのでそれを先に取ってからで」
仲居の女性は表情を消して
「わかりました」
と足を進めた。
男性たちの笑い声が大広間から響き甲介はそれを振り切るように青年の腕を掴み足を進めた。
青年はタクシーに戻るとカバンを開けて甲介に向けた銃を渡した。
「これ……カバンに入っていたんだ。でも先使って怖かったので」
女性と仲居が見張るように立っていた。
今しかないと覚悟を決めると青年に
「そのまま乗っててくれ!」
と言うと銃を落としたのにも気付かず運転席に乗り込み車にロックをかけるとエンジンを入れた。
瞬間であった。
女性と仲居の姿が輪郭を崩し木々が揺れ始めた。
青年は蒼褪めると運転席を抱きしめた。
甲介はバックをすると黒い車に掠ったモノの元来た道へと戻りかけたが、そこは木々が多い道などなかった。
タクシーをバタバタと叩く音が響きその度にガタガタと揺れた。
声か。梢か。分からない音が外から響いてくる。
一瞬で周囲は緑の闇が覆いタクシーが大きく傾いた。
「帰り道だけが望みです!! 八神が教えろと言いました!!」
瞬間に木々が動くと来た道が開いた。
甲介はアクセルを思いっきり踏むとその道に突っ込んだ。
下りの土の道をガタガタと進みながらハンドルを切りながら走った。
バックミラーを見る余裕もなかった。
そして、先ほど抜けた像の間を抜けると国道へ出て暫く進み、ブレーキをかけると大きく息を吐き出した。
そこは何時もの国道であった。
青年は震えたままカバンを抱いていた。
ただ振り返った道は何時もの国道で抜けたはずの像も道もなかった。
甲介は息を吐き出した。
「警察、送っていく」
青年は顔を上げて泣きながら頷いた。
駅前の交番に行き、青年と共に話をした。
青年は最後に唇を開いた。
「俺は田口洋です。ありがとうございました」
甲介は笑むと頷いた。
その話を休憩室で健一郎にしたら、健一郎は真面目な顔をして「怖っ」と暫く二人でその国道を避けた道を通るようにした。
あの時に残った男たちと黒い車がどうなったのかは分からない。
ただ、青年の証言で彼の先輩が受け子で身代わりにしようとしていたことが分かり先輩は逮捕され指示と見張りのが手配された。
だが、男たちが住んでいたという自宅にもどこにも男たちが二度と戻る事はなく、数カ月後に起きた山の土砂崩れの時にはだけた岩肌に男たちが乗っていた黒い車が見つかっただけであった。
男たちの姿はなかった。
望みがあるなら蓋津村へいけ……但し、蓋津村は死してのみ行ける村。
蓋津村 如月いさみ @isami_ky
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