夏目横丁2

広川 海未

坊っ…

私は冬目 錦之助。ペンネームは『夏目 漱石』

皆さんが知っての通り家を借りている。

だがここ数年は体調も良く英語の非常勤教師として働いていた。英国にも留学した。それでも再び胃の具合は悪くなり神経も衰弱してしまいこの四畳半の家に厄介になっている。


一つ昔話をしよう。私は昔、養子に出されていた。だから養母と養父というものがいる。養父は私を見ればいつでも

「駄目だ駄目だ」

と言われた。未だに何が駄目なのか分からない。張り倒そうと思ったが胃弱の私には到底できなかった。

養母の方は実子でもないのに大層可愛がってくれた。怒られた事は数回あるがそれでも

「お前は良い気性だ。」

と言われ育った。これもまた何が良い気性なのか分からない。養母はいろいろくれた。きんつばやら蕎麦湯。寒い日は鍋焼うどんも買ってくれた。お金もくれた。もう返せない。そんな幼少期を過ごした。実家へ戻った時も養母は付いてきて世話をしてくれた。

こんな幼少期を送った。


ここからは先生の話である。

今でこそ胃弱で横になっていてばかりでぐうたら過ごしているのは昔にあると言った。


先生は美術の大学院を出てその後、学校へ就職したそうだ。着いたらな校長と赤い素敵なシャツを来た人が迎えてくれた。

赤いシャツは教頭であるとその日に知ってその晩に歓迎会という名目で飲みに行ったそうだ。そして先生は赤いシャツ(教頭)に付いていけば成功すると感じ、そこから何かと赤いシャツに媚びを売るようになり、今のだらけた自分が完成したと言う。


ここからは私の体験である。松山。式君の故郷である松山の学校へ行ったそうだ。それはそれは遠くて困ったそうだ。汽車に揺られ汽船に揺られそこからまた汽車に乗ってようやく着いた。

その日に学校へ行くも

「今日は放課だから帰ってくれ」

と小間使いに言われた。

「帰る場所など無い」

と言うと"愚陀仏庵"と言う下宿先を紹介してくれた。飯は旨かった。ここは式君の家と近く、時たま式君と共に生活した。


次の日の朝1番で向かってやった。昨日は放課だなんて抜かしてきたからである。

すると校長が来て

「昨日はすまなかった」

と。まったく狸の様な人間であった。職員室で待っていると

「君が新人かい。頑張りたまえ」

大柄な男が声をかけてきた。名前は忘れてしまった。でもあだ名は覚えている。

『ヤマアラシ』である。校長から教師の紹介をされた。どいつも名前なんて覚えちゃいない。だが唐茄子の様な顔の『うらなり』君は覚えている。


英語を教えることになった。英文学を研究していた私にとってはあまり得意ではなかった。だが英語には変わらないから特段困った事はなかった。


仕事帰りに蕎麦屋へ寄った。天麩羅蕎麦を4杯ほど食べた。私は胃弱だが天麩羅やら支那料理など油っぽいもの、甘味が好きである。

次の日には生徒たちにそれを追求された。

「食べ過ぎぞなもし。」

田舎だから人を観察するくらいしかやることがないのだろう。また別の日には団子を2皿、温泉で泳いだ事を責められた。その他嫌がらせはたくさんされた。実に不愉快である。だが生徒に処分はされなかった。それに教師たちがヤマアラシや私を陥れる様な事もしてきた。これにはかなり腹が立った。が、ぐっと堪えた。


そんなことがあったがこの頃私は見合いをして結婚をした。それと同時に胃弱が悪化したため東京へ帰ることになった。そして今に至る。


それでも書かねば生活できないと医者に相談すると

「すらすらと書ける物を書いたら良かろう」

と言われた。

主人公は私と反対に健康で真っ直ぐな人間。名前は…うーむ、「坊っちゃん」とでも名付けよう。先生の話と私の話を合わせて……

完成だ!

『坊っちゃん 夏目漱石』

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夏目横丁2 広川 海未 @umihirokawa

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